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橘 境子A


呼び出された先が喫茶ポアロだったときには、さしもの春も笑ってしまった。この人は強いなあと、いっそほれぼれしてしまう。頼まれ仕事を一件後回しにして飛んでいくくらいには、春はこの人のことが好きだった。

「おまたせしました、橘先生」

ボックス席でコーヒーを飲む、黒髪に丸い眼鏡をした女性。そのスーツには弁護士バッジが光っている。――橘境子。元、公安の協力者である。
《ハクチョウ》が落ちた日の後からは、もともとの連絡先にはつながらなくなっていたが、登録されていない番号から突然連絡が来て、こうして二人で会うことになった。


「ご注文は」と喫茶ポアロでJKに大人気の店員がにこやかに注文をとりにきたのに、わずかに震え上がる。笑顔の圧力がすごい。紅茶で、と口を開きかけてすぐさま「カフェラテホットで」と言いなおした。彼は春が紅茶党であることすら、あの男の母国の影響にちがいないと思っている節があるのだ。
以前、カレーを食べに行って酷い目にあったという風見のことは「気にし過ぎですよ」と笑ったが、まぁ機嫌をそこねないに越したことはない。


「ふん」と橘が鼻を鳴らした。店員は「おかわりをお持ちしましょうか?」と尋ねた。橘は「結構です」とすげなく断った。
やはり随分またせてしまったようだった。

「すいません、あの、橘先生に梓さんお手製のアイスコーヒーお願いします」

梓さんお手製の、と言い添える意図に店員は気が付いているだろう「かしこまりました」と下がっていった。

「まったく、分厚い面の皮ね」
「それは、まぁほんと。すごいですよね・・・・あれだけのことして次の日にはポアロに出勤してましたし、実は一部ではあの人のあだ名『筋肉ゴリラ』だったりするんですよ。綺麗な顔してんですけどね・・・・中身はもう・・・・」

顔を見合わせて、ふふっと笑いあう。
店内には橘と春のほかに客はおらず、カウンターの向こうで店員二人が注文の準備を楽しげにする声が丁度いいBGMになっていた。


「・・・羽場さんに、会わないんですか?」
「いいのよ。もう。」
「橘先生らしいなぁ」

芯の強い女性なのだ。頑固、ともいうが。短い付き合いでもわかるほどに。

「私は無理でした。生きててくれて嬉しくて、やっぱり」
「でも、すべてを許せたわけでもないでしょう?」

ずばり切り込まれた。その通りだ。春は赤井の傍を離れられなかったが、すべてを許せたのかといえばNOだった。考えてみれば、こんな境遇に陥る人があまりいないので共感をもって相談に乗ってくれるような人もいなかった。

「私も二三一を許せない。風見裕也を許せない。《あの男》を許せない」

視線をかすかに橘はおとした。空っぽになったコーヒーのカップをじっと見つめている。
カップの淵をそっと指先がなぞる。

「・・・・・でも、自分の大事な人が『生きて』てくれるのはラッキーなことだから。だから橘先生、許せなくても、絶対に会っちゃダメなんて思い込みすぎないでください」

許せないけれど、それでも。奇跡のような幸運だ。
ちらりと、中で洗い物をしている男を見る。一度だけ、彼の《墓参り》に付き合ったことがある。彼の同期の話を、車の中で絵本の読み聞かせをするような静かさで聞いた。

「気が向いたら、でいいんですけど。ネチネチ文句言ってこき使うくらいしても許されると思うんですよ」と自分の近頃の強気ぶりを話せば橘はカラリと笑った。
「おまたせしました〜」と飲み物を運んできたのはポアロの女性店員である榎本梓だ。

「ありがとうございます、梓さん」
「いーえっ。あ、このハムサンドは安室さんからのサービスです、って。何かあったの?」
「あ〜、ほら私この間安室さんのお仕事手伝ったからそのお礼かな。安室さんは?」
「この後、毛利さんところに差し入れに行くって準備してるのよ。ほら、この間、大変だったじゃない?毛利さんの弟子として、元気づけに行くんだーって」
「へぇ〜」

白々しく返事をした。梓は細かいところを気にする人ではないので「おかわりがあれば呼んでね」と最高の接客スマイルを見せるとすぐにカウンターの向こうに戻っていった。

「ほんと、分厚い面の皮」
「このサンドイッチよりも分厚いですよ」

安室お手製のハムサンドはポアロの大人気メニューだ。どうかな、食べないかな?と見ていると肩をすくめた橘が食べ物に罪はないわね、とハムサンドを一つ口に運んだので、春はほっと胸をなでおろした。美味しいのだほんとに。食べないのは勿体ない。

「・・・・今日は二三一のことでも、あの人たちの話をしに来たのでもないの」

本題を、サンドを食べながら橘が切り出した。

「貴方とゆっくり話したかった。だって、こんな理不尽そうそう愚痴れる相手もいないでしょ?」

全くその通りである。

「全部自分のせいだ、なんて思いあがりだわ。選んだのは私だもの、だからいいのよ。これで。でもムカツクのはムカツクじゃない? 『これは羽場の連絡先だ』よ?ふざけんなって思わない?余計なお世話よ」

「やー、まったくまったく」

「何他人事みたいな顔してるの。あなたもそうでしょ」

「え」

一緒に愚痴る会かと思ったが違ったらしい。

「『私のせいだ』って『ごめんなさい』って。貴方ずっと言いながら寝てたのよ。覚えてないかもしれないけど」

ひゅっ、と思わず息をのんだ。それは、赤井が死んでしばらくの茫然自失していた自分の話なのだろう。視線が泳ぐ。向かいの橘は、話しながらもサンドイッチを着々と消化していた。
つられるように、サンドイッチを口に運んだ。美味しい。ちゃんと、味はしている。


「彼は聞いてないわ。その時、そばに居たのは私だけだった」

彼、というのは風見のことだろう。彼女は風見裕也の協力者だったのだから。もはや名前を呼ぶ気もないとばかりだ。

「何があったのかは知らないわ。だから偉そうなことは言えないけれど、でもね、覚えていて。結局すべて選択するのは『自分』なのよ。どう生きるかを、決めるのは『自分だけ』なんだから・・・・それを、伝えておこうと思ったの」

「・・・・・橘先生」

「境子。境子でいいわ。」

恐る恐る見上げた先で、毅然と微笑む橘はふっきれたような顔で、ああほんとにこの人は強いひとだなあと春はますますこの人が好きになった。風見が選んだだけのことはある。

「じゃ、私のことも名前で」

それからは互いの共通の知人の話題でやんやと盛り上がった。いいことも、悪いことも、話しのネタにして。カレー事件の話をすれば「激辛挑戦前もしてたわ。どうして男ってああいいの好きなのかしら」と辟易したように境子が言うものだから華はお腹を抱えて笑いながらほんとに!と相槌をうった。
夢中になって話していたら、いつのまにか随分と時間がすぎていた。春のスマホが鳴って、確認すると『降谷さんがお呼びだ』と風見からのラインが来ていた。ちらりとポアロの外を窓から確認すると、反対車線に車が止まっている。いつのまにか『安室さん』は姿を消している。

「・・・・あー、すいません境子さん」
「仕事? まったく人使いが荒いわね」
「あはは」

会計を確認しようとしたら、未成年の女子高生に奢ってもらうわけにはいかないわ、と丁重に断られた。代わりにとばかりに差し出されたのは真新しい名刺だ。
そこには『弁護士 橘 境子』と書かれ、連絡先が記されている。

「困ったらいつでも連絡して。 そうね、例えば公安を訴えたくなった時とか。力になるわ」

専門分野だから、と悪戯っぽく境子が言う。

「境子さん、公安事件全敗でしたよね?」

「これからはそうはいかないわ」

差し出された手を握った。自信に満ちた言葉だ。

「訴える時は真っ先に連絡しますね。でもそうだなぁ、仕事の話よりも、今日みたいにお茶したいです」

「そっちだっていつでも大歓迎よ」

橘境子はとびきりの笑みを浮かべた。









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