公安詰所 A
毛利小五郎が逮捕されて四日目。
午後からは赤井、もとい沖矢に足になってもらい残った仕事で少しばかり遠出になる場所へ向かう予定にしていた。
「あ、風見さんおはよーございます」
当たり前のように朝の挨拶をすると、ほとんどトレードマークのようになりつつある眉間の皺が一層深くなる。
どうしてお前がここにいるんだ・・・・という無言の圧力が発されているが気にしない。
彼の同僚たる会澤がここを教えてくれてからは、割と頻繁に出入りするようになっていた。警視庁の、知られざる一室。公安刑事の詰所は、仮眠室もシャワールームも完備されているので便利な定宿のようなりつつある。
「ここに寝泊まりするな・・・降谷さんにばれたらどうするんだ」
「今、あの人忙しすぎてここによる暇もないでしょ?だいじょうぶですよ」
まったく、組織にあって単独行動が過ぎるきらいがある。そこは風見としても憂慮してはいるが、年かさの捜査員たる会澤が「まぁボスならうまくやるさ」と放任主義の様相なので胃を痛めているのを風見だけだ。
「・・・・・・どこでなにをしてらっしゃるんだか」
つぶやいた言葉はどこか恨み言のように響いた。降谷零は、全国の公安警察を操る警察庁の『ゼロ』。その手足にと自分が望まれたときには、確かに誇らしさがあった。だが、そばに居ればいるほどに、その切れ味の鋭さは見方である自分たちすら切ってすてるのではないという鬼気迫るものがあった。
その降谷がある日連れて現れた少女は、出会った当初にしてみれば驚くほどに呑気な顔で、朝ごはん替わりらしいバナナ(これは先日コ○トコで風見が買わされたものだ)を食べている。隅に置かれたソファに足をのせて、空いた片手では書類をめくっている。降谷がいれば行儀が悪い、と注意しただろう。
この少女といる時、ほんのわずかに非の打ちどころない上司がどこか人間じみて見えた。
「今日が毛利さんの公判前整理手続きでしたよね。橘先生とその後会いました?」
「八嶋、行儀が悪い。足をおろしなさい」
「・・・・・」
露骨に話題をさけたことに不服そうにしながらも春は言うとおりに足をおろした。
ちりり、と胸が痛むのを素知らぬ顔でやりすごす。自分の協力者と会話する時間は減っている。いつからか。そんなのは明白だ。彼女に公安が押しつけて、そして公安が壊したもの。
――羽場二三一。
彼を逮捕し、そして死なせた。正義のために。
「・・・・・君は、降谷さんが恐ろしいと思ったことはないのか」
「降谷さんが? あー、降谷さんの助手席に乗ってるときはいつも命の危険を感じてますね。怖い。乗りたくない。前に安室さんの顔して助手席に乗れと言われて・・・何も知らない女子高生が『きゃー、エスコート素敵!』とか言ってたけど私は、」
「八嶋」
冗談めかした口調を途中で遮る「あの人は、――人殺しだ、と言ったら」と風見が言うと、へらりと春は笑った。
「・・・私が恐ろしいのは、人を痛めつけても、殺しても『何も感じない』人です。降谷さんはそうじゃない、と私は思ってます」
どこか遠い目をする。濃厚な《黒》の影をその瞳は色濃くした。
「真実と過去はひとつしかない、だからお前はそれを見てろって。降谷さんはそう言うんです。どれだけ残酷なことでも終わっちゃってることだから。その方がまぁ確かに私は楽ちんに生きていける。正義と、未来は無数にある。それを全部視ていたら私の精神が先に擦り切れてしまう。選べなかった輝ける最高の未来に私が殺される必要はないんだって」
「・・・降谷さんが?」
「そう。秀兄とはそこが違う。降谷さんは懐にいれた相手に対して結構甘いからなぁ〜。そういうとこのシビアさは秀兄に軍配が上がる。あの人使えるものは何でも使う主義の人だから。あとはまぁ付き合いの長さなんですけどね」
「降谷さんが聞いたら怒り出すような発言だな」
「はははー。ここだけの話にしといてくださいね。あ、バナナ食べます?朝ごはんに最適!」
「それは俺が買ったバナナだ」
「知ってる。ありがとう、おにーちゃん」
「なんだなんだ、八嶋の嬢さんは風見がお気に入りだな」とドアを開けて会澤が入ってきた。いつものくたびれたスーツではなく、真っ黒なスーツを着ていた。それが、喪服であることをここにいる全員が承知していた。
「・・・・おかえりなさい、会澤さん。山本さんのご家族に遺品を渡されてきたんでしたよね」真っ黒な服に、春は反射で一歩あとずさった。
「ああ。殴られるのも覚悟してたが、まぁ、今は未だそんな気力もないようだったな。お、いいもん食べてますね、ひとつ頂きましょうか」
「あれ?」
春が首を傾げた。恐る恐る会澤に近づく。
「会澤さん他にも誰かに会いましたか?」
会澤はバナナの皮をむく手を一瞬躊躇し、「ええ、それがなにか?」と取り繕う。
「・・・・・・青い、糸がちらっと視えて」
バナナを持ったおっさんの周りを、寝起きの女子高生がぐるぐるまわっている。
「仲がいい方なんですか?こんな忙しい時にわざわざ会いに行くって」
「田舎にひっこんだ古い知り合いが出てきてましてね。ま、顔くらいは見てやるかと。」
「へぇ」
「会澤さん、戻ってそうそう申し訳ありませんが、以前取り扱った事件で聞きたいことがあるんです」
首をひねったままの春を放って、会澤に話を向ける。
「ノーアを使った不正アクセスが濃厚で」
「ユーザーの特定か。ブラウザに構成ミスやバグがありゃ、特定できる可能性はある。サーバーさらってみるか?」
「お願いします。午前の会議までには、」
「そりゃ無理だ」
「了解しました。そちらはお願いします。八嶋、会澤さんの邪魔はくれぐれもしないように」
「はーい、おにいちゃん」
「嬢さん、私は?」
「会澤さんなら『おじさま』って園子ちゃんが毛利さん呼ぶみたく呼びましょうか」
「おじさまですか。まぁ『おっさん』じゃないぶん良しとしますか」
「ふざけていないで、仕事を、してください」
はーい、と春が返事をして書類を持って別の部屋へと逃げ込んでいった。
「あ、それともうひとつ!」
扉から顔だけ覗かせて春が最後に言う。
「今日は雨が降るから傘持って出た方がいいですよ」
「それもお嬢さんの予言ですかね?」
「いやいやいや」
春は笑った。未来は無数にある。それを、自分はうまくつかめない。歯がゆい、という顔になりつつも「お天気おねえさんがさっきテレビで言ってた」と碌に天気予報を見る暇すらない男たちに、科学的未来予知を披露した。
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