≫ 都内某所、ホテル
都内某所のホテルの最上階は、フォーマルな装いの人々であふれていた。東京サミット前夜、各国の要人、財界人が一同に集まるパーティー。そこに三門市の界境防衛機関《ボーダー》を代表する3名が出席している。城戸、唐沢、そして東だ。迅はついてきていない。
「なかなか釣れませんね。にしても警備の方の視線が痛い・・・」
「こんなものだろう。警備の視線に関しては過去の行いを振り返れば当然だ」
「これは手酷い」
少しも酷いとは思っていなさそうな調子だ。東は唐沢が警備の人間に警戒される『過去の行い』とやらについては考えないことにした。
「唯我のトップが参加するとの話でしたが、当てが外れました」
「支社の代表では話にならない。だが迅が言うからには『何か』はあるんだろう」
「その『何か』が爆破テロだとしたら?」
グラスを傾けて、唐沢が城戸を伺う。
「それは《ボーダー》に直接関係していない」
つまりはまだ何かある、と城戸は考えているようだった。迅悠一は『城戸と東』をこの出張へと促した。その意味。東は自分のグラスの注がれたノンアルコールのカクテルを見つめた。
「城戸司令はもうご存知のことだとは思いますが、犯人に『毛利小五郎』の名前が挙がっているとか」
「・・・・・唐沢君、君はどこからその情報を?」
「こう見えて大学時代にラグビーをやってまして」
いやラグビーは関係ないだろう。城戸は突っ込まないので東は心の中で突っ込んだ。大学時代にこう見えて毛利小五郎が犯人?なんて話は少しもご存じない東はそっと耳をそばだてた。
「東君」
「なんでしょう」
「疲れただろう、もう部屋に戻っていい。あとの挨拶回りは私と唐沢君ですませる」
「・・・・・」
グラスを壁際に用意されていた近くのテーブルに置く。子供はもうかえりなさい、と言外に含まれているのを察しない東ではない。
成人はしていても、海千山千の城戸たちにしてみればまだまだ東は全てのカードを見せるにはたらない『ひよっこ』に違いない。
「・・・・東、了解」
東にはそう言うよりほかにない。
一方で東を返した二人は残りの挨拶回りを適度に流していた。
「迅くんが東君を寄越した意味がわかりませんね。本当にただの気分転換のすすめ、だったりは、しないですね迅くんだ」
「『視えて』いるが全てを『わかって』いるわけでもないからな。ボーダーに戻るのは明後日だ。それ前に何事もなければそれはそれでいい。東君もいずれはこうした席に出るようになる、早めに体験しておくのは悪いことはない」
「まだ『何かある』と?」
「可能性の問題だ。迅もすべての手の内を見せたわけではないだろうからな」
「やれやれ、一筋縄ではいきませんね。城戸司令の『古巣』からは何か流れてきては?」
「何の話だ」
少しも表情の変わらない城戸に、唐沢はグラスの中身をちらつかせる。先ほどから彼は一度も飲み物には口をつけていない。弱いのだ。単純に。飲めば潰れる。
接待の席で唐沢に酒を飲ませることは至難の業だ。彼は自分の弱さをきちんと自覚し自衛する。その手腕ときたら見事以外の言葉はない。
彼が酔うとすれば、よほどの手だれか、よほど気を抜いた相手か、彼自身が『酔うぞ』と決めたときである。
「・・・・・・唐沢君、今からでも東を呼び戻すか」
「必要ありませんよ。司令がいらっしゃる」
「酔っ払いの世話はしない」
「ふむ。ですが酔ってうっかり重大な機密をもらしてしまうかもしれません。たとえば、あそこでこちらを睨んでいる警備の方は以前から目を付けられている公安の刑事さんですよ」
「大した情報は流れてきていない」
唐沢に根負けした形で城戸は話す。優秀な外務営業部長が『うっかり』をすると本気で思っているわけではない。だが上層部でいらぬ腹の探りをするメリットは見当たらなかった。
「あちらのかたは城戸司令をご存じないようですが」
「私が『あそこ』にいたのが何年前だと?」
「そうですねぇ・・・・私がまだ学生服を着ていた頃でしたか」
「・・・・・・昔から思っていたが、君はその好奇心でいつか身を滅ぼすぞ」
「好奇心がなければこんな仕事引き受けてませんよ。私も、根付さんも、鬼怒田室長も同類ですね。好奇心が強い、ばくち打ちの集まりがボーダーなのでは?」
鬼怒田はともかくとして根付が聞けば「違います」と冷や汗まじりに憤慨するだろう。
近づく人の気配に気が付いて、二人は無駄話を切り上げた。
「やぁ、お二人ともおそろいで」
近づいてきたのは最初の話題でのぼった『唯我』の支社長だ。
グラスを軽く上げて楽しませて頂いています、と軽く応酬する。
「今夜は会長はいらっしゃらないようで」
「ああ、そうなんですよ。出席する予定だったんですがね」
「何かご予定が?」
「お二人は『占い』信じてらっしゃいますか?」
一拍、返事が遅れた。
占いとは少し違うものを二人は、ボーダーは確かに『信じて』動いている。その数秒の間をどうとらえたのか、支社長は話を続ける。
「会長の奥さまが以前から『必要の魔女』に占ってもらいたいとおっしゃってましてね。ご存じありませんか? 必要のない人間には決してその占師に占ってもらう機会はめぐってこないそうなんです。まあ、噂なんですが、女性はお好きですよね」
そうですねえ、と唐沢が相槌を打った。
「その占師がどうにも今晩ならうちの会長夫婦を占ってくれるとあって、そちらに。めったにわがままをおっしゃらない奥様ですから、まぁ家族サービスですな。いや、申し訳ない。ですが、財界では本当に多いんですよ、熱狂的なファンが。ともかく、そちらが早々にすめばこちらに顔を出されることもあるかもしれない」
「何を占っていただくのか気になるところではありますね。 たとえば、地元密着をもっとすすめたほうがいい――なんて占いで言っていただけるとありがたいんですが」
「ははっ、そうでしょうなぁ。お二方も機会があれば依頼をしてみるといい」
差し出されたのは名刺だ。占いを必要とする方、ご連絡を、とシンプルな文面に手書きで連絡先だけが書かれている。
支社長が「おや」と目を見開く。受け取った城戸は首を傾げた。
「城戸司令、この名刺はほんとうに不可思議で御縁のないかたの手元にはどう渡そうとしても機会がめぐってこないんですよ。まったく非科学的なことをおっしゃるかもしれませんが、《あんなこと》があったわけですし、現代科学では測りきれないことがこの世にああるものなんでしょうね」
「縁、ですか」
「ええ。どんな商売も御縁がなければそれまでだ。私としては『唯我』と『界境防衛機関《ボーダー》』が末永いお付き合いになってくれることを願っておりますよ」
しげしげと、支社長は城戸の手元にあっさりと渡った名刺をためつすがめつ眺めている。
頭からすべてを信じているわけではないが、それでもこの支社長は柔軟な思考の持ち主なのだろう。今晩の名代を仰せつかっているだけのことはあるらしい。
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