3
凍る。
足元よりも、心臓が。
現場に到着し、ライブラによって事件は収束する。チェインの機動力、レオの目、ザップ、スティーブン、K.Kの戦闘力、そしてクラウスの絶対にして唯一の術。
事態は収束した。
なのに、スティーブンの気分は最悪だった。
『あんたたちは替えがきかない』
その台詞が耳にこびりついている。
『だから、これは私たちの仕事だわ』
アワー・ビジネス。彼女はそう言った。自嘲でも卑屈でもなしに、ただそれが純然たる事実だと。
我々はいくらでも替えのきく兵隊だ、と。
共に迎撃をはじめようとしたスティーブンを制して、それはお前の仕事じゃないと。
瓦礫の山を縫うように歩く。戦闘でめちゃくちゃになった建物、化け物になす術なく残骸へと変えられたポリスーツの山。
替えのきく兵隊である、我々を否定してくれるなと彼女の背中は言っていた。誇らしく、前を向き。死屍累々と道をつくる。
自分たちではどうにもならない敵だ。だからこそ、それに対抗しうる力のために道を開く。時間を稼ぐ。一分でも、一秒でも。
やめてくれ、などと言えようはずもない。
この、HLを守る彼らの誇りを、哀れむことも否定することも。
「〜ったた、くそっ、あんのフリークスめ」
聞き慣れた声だ。瓦礫が崩れる。ポリスーツの残骸の中からのたりと、何かが這い出した。人の手。
卵の殻を懸命にわろうとする雛のように、瓦礫を崩し続ける。
スティーブンはその手を、つかむ。あたたかい。脈を感じて、漸く心臓の凍てつきが氷解する。
「…アイスマン?」
こんなときくらい名前で呼んでくれ、と情けなく懇願するのに「今際の際にね」なんてすげない答えが返ってくる。
「終わったみたいね」
「当然だろ?」
それが僕たちの仕事だ、と先ほどの言葉を意図的に繰り返す。
「あーあー、また派手に壊してくれるわよね。後始末、誰がやると思ってんのかしら。始末書の山が思いやられる」
「怪我は?」
「あってもいわないわよ。こっからはまたこっちのお仕事。」
交通の規制を解除するために瓦礫の撤去をおこない、負傷者は病院に、混乱に乗じて調子にのる小物たちへの牽制も忘れてはならない。
仕事は山積み、暖かいベッドへたどり着けるのはまだまだ先のことだ。
「まだ、冷たい棺桶には縁がなさそう。アイスマンの名前を呼ぶ日もね」
「喜ぶべきか、哀しむべきか悩ましいね」
「喜ぶべきよ。そのうち人間なんてほっといても死ぬんだから、生きていることを神に感謝するべきね」
彼女が瓦礫の山に腰掛けて、雑な十字をきってみせた。みかけによらず、というと偏見じみているが彼女は敬虔なカトリックだ。この、神も仏もない、異界と現世が交わる土地においてなお。
「神ね」
「そう。神様。」
笑う。そして、瓦礫の山の上で空の見えない霧けぶる天を仰ぎ見た。
「霧で見えやしないさ」
「かもしれない。でもそんなことはどうでもいいのよ。わたしは、わたしたちは、いきている。いきつづけている。まだ、死んでない。だからお仕事しなくっちゃね」
だめにしたポリスーツを名残惜しげに見つめた。この機体とは相性がすこぶるよかったのにまた新しいのをみつくろわなくてはならない。消耗品とはわかっていても、毎度自分の手足ともよべるものをそのまま奪われていくの気分がよくない。
「ハリー」
「その愛称で呼ぶなと何度いえばわかるのかしらね」
「今際の際かな」
「どっちが先に死ぬか、楽しみになってきたわね」
「ああ、ほんとに」
立ち上がらない彼女との距離を詰めた。彼女は露骨に嫌そうな顔になり「さっさと行きなさいってば」と繰り返す。
「君の意地やプライドや頑固さは時々死ぬほど腹が立つんだけど、なんでだろうな放っておこうという気ならないな」
「……うるさい」
「ハリーのそういうところは、結構好きだよ俺は」
「溶け落ちて死んでしまえ氷馬鹿め」
「普段強気な女性の罵り声に力がないとそそるって知ってたかい?」
血まみれのスーツ。そのひざ下に腕を通して抱え上げた。彼女は盛大に嘆息した。
「最悪の気分」
「お姫さまだっこは女性の夢だろ?良かったじゃないか」
抵抗しない。正確には抵抗できない。強がりを見透かされたのが居た堪れない。顔を見られたら羞恥で死にそうだった。先ほどあれだけの死線をくぐりぬけたにも関わらず、こんなことで!と彼女は恨み言をぼやき続ける。
「これもライブラのお仕事のうちなのかしらね。世界の均衡にお姫さまだっこが含まれてるとは意外だった」
スティーブンは笑った。
「これは仕事じゃないさ」
友人として、戦友として。
「友人への嫌がらせだ」
あちこちでスマートフォンを構えてシャッターボタンを連打する音が聞こえてくる。もちろん、被写体はHLPDの名物刑事である。
ひゅー、と口笛をふいてひやかす声があがるのを「名前と顔は覚えたわ」と歯ぎしりしながらハルが睨みつけた。
「あとで写真を引き伸ばしてプレゼントしよう」
「射撃場においたら訓練がはかどりそうね」
暖かい。
血まみれの彼女を抱きかかえて。氷が解ける。
ところで、友人は否定しないのかい?と揶揄すれば、否定してほしいわけ?と更に疑問で返される。
ぐったりとした彼女のスーツのポケットからピロンとメールの受信音が響く。顔の動きで見てくれと促される。血が足りないのか、そんなことさえ億劫そうだ。
「だれ。ボス?」
「あー、これは、あれだ。」
きまずけに、言葉をつまらせる。勿体ぶるなと力なく足が蹴り上がり急かされて、
「ーー″お幸せに″」
「は?」
「ロジャー、って君の新しい恋人じゃなかったっけ?」
彼女は腕の中で「じーざす!」と彼女の神へとその日一番の祈りを捧げた。
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