背中合わせの二人;BBB | ナノ
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「こんにちわ、ミスタ・ライブラ」

ハルがクラウスににこやかにほほ笑んだ。

「ディティクティブ・・・」
「迷える子羊みたいな顔してるわね。悩みごとなら頼れる刑事さんが力になるわよ?」

クラウスの隣のベンチにハルが腰かけた。

「今日は随分と優しい」
「いつも私が優しくないみたいね、心外」
「いやっ、そんなつもりでは、」

慌てたクラウスに口元をにやりと釣りあげて、ハルが笑った。

「私たちHLPDはいつだって市民の味方よ?」
「《我々》でも?」
「迷える市民には救いの手を、ってね」

クラウスはエメラルドグリーンの瞳を見開いた。ぎゅう、と膝の上においた手を握りしめる。じわり、と汗がにじんでいる。

「ミス・#name5#」かすれた声で呼んだ。「なぁに」と穏やかな視線と一緒に答えてくれる。

「許しを、もらえるだろうか」
「何の許し?私は神じゃないから、祈りたいなら近所の教会に案内するわよ?」
「ある女性の名を呼びたいのだが、その、」
「・・・・あなた、この世の終わりみたいな顔してそんなこと考えてたの?」
「重大な問題だ」
「天秤が壊れてるわよ、ミスタ・ライブラ」
「・・・ただの市民には、過ぎた望みだろうかディティクティブ」

ハルは腕をくんだ。

「貴方に名前を呼ばれて、嫌だと思うイキモノなんてブラッドブリードくらいなものでしょう」
「そうだろうか?」
「名前ひとつでそれだけ悩んでもらえるなんて、その女性は幸運ね」

ふむ、とハルはそこで言葉をとぎらせた。
握りしめたクラウスの手はもう汗まみれだが、ハルは気付いていない。

「血界の眷属でさえ捕えられるのだからか、ヒューマンなんてひとたまりもないわ、きっと」

「――ハル」

意を決したように名前を呼ぶと、ハルはきょとんとした顔をして思わず後ろをのぞきみた。誰もいない。同姓同名の誰か別人のことかと思ったらしい。

「ハル、と君のことをそう呼んでもかまわないだろうか…」

いささか緊張に固い声でクラウスはそういった。ハルは目が零れ落ちてしまいそうなくらい真ん丸にしてクラウスを見てから、笑った。

「まいったわね、」
「やはり過ぎた望みだろうか――その、願わくば君にも『クラウス』とそう呼んでほしいのだが」
「別にかまわないわ、減るものじゃないもの。好きに呼んで? けどそうね、あなたのことは『ミスタ・ライブラ』と呼ぶのが気に入ってるの。だからそれで手をうたないかしら」

クラウスが今度は目を丸くした。

「だって、そのあだ名で貴方を呼ぶのって私だけでしょう?」

そんなことを言われたら、クラウスはもう頷くしかなかった。

「それにあなたのこと名前で呼んだら、芋づる式に横にいる男も名前で呼べって煩そうじゃない?」

それについても、否定する余地のない事実だった。



***




「こんにちわ、ミスタ・ビースト」

クラウスはびくりと大きな体を揺らした。クラウス・v・ラインヘルツを、ハルが呼ぶとき呼び名で彼女の機嫌が知れることはもはや有名な話だった。
隣でスティーブンは片手で頭を押さえた。完全にスルーされている自分の扱いはむしろ通常運転なので問題はない。

「相席を了承した覚えはないのだけど」とすげない態度だ。共通の趣味を介してしりあった二人は元来仲がいい。常日頃からすげない態度にスティーブンは慣れきっているが、クラウスはそうではないのだ。
ダイナーのボックス席で食事をするハルの真向かいの席に腰を下ろしていたクラウスは、滝汗を流しながら即座に起立した。
直立不動の大男に、店内がわずかにざわついたのを、隣のスティーブンがうさんくさい(とハルにはもっぱらそう評される)笑みでとりなした。

「なぁ、ハリー。このままじゃ店中の注目の的だぜ?」

「愛称で呼ばないで。貴方たちが即刻出ていけばすむ話でしょ、私の休暇を邪魔しないでもらえる?」

ハルは左手でフォークをとる。注文したエッグベネディクトと共にやってきた厄介者のことは無視する方向らしい。
ハルの食事を、沈痛な表情でクラウスは見ていた。何度も何度もフォークを刺して、皿を回し、またフォークをさす。左手だけでこなされている食事は酷く不便そうだった。
彼女の利き手にして、普段ならばとっくの昔に光の速さで銃の引き金にかかる指をそなえた右手は、白い三角巾でつられたままだ。

「ハル・・・」

クラウスが胃を決して切り出した。あ、名前で呼び合うようになったのか、とスティーブンは聊か二人の距離の接近に焦った。

「謝らせてほしい・・・・先日の、ことなのだが、」

フォークが動きを止めた。

「謝る? 謝るようなことをしたんですかミスタ。貴方が?」

握られた銀のナイフのように鋭い一瞥だった。

「軽率だった」
「へえ」
「君に怪我を、」

反対側の席に腰を下ろしていたハルが身を乗り出して、フォークが喉元に突きつけられ、クラウスが口をつぐんだ。

「そっちじゃないのよ、ミスタ・ビースト」

《ビースト》獣、と呼ぶ。機嫌がよくない。彼女の瞳は烈火のごとく怒りで燃え上がっている。
がちゃり、とテーブルの上の食器が音を立てて、マスターが「ハル」と小さな声で窘めた。ハルはため息をひとつこぼし、小さく深呼吸をした。すとん、と席に座ると目線で二人にも座るように促した。


「私の怪我なんてどうでもいいの、私は貴方が後先考えずに感情のままに突っ走った結果、私の潜入捜査を台無しにしたことに怒ってるの」

捜査は台無しになった。らしい。
ハルと一緒に潜入していた男性警官は1か月の入院を申し渡されたらしい。

「貴方が何について怒ったのかは聞かないわ。でもね、ミスタ。」

ハルはフォークを皿の上において、三角巾につるされた自分の右手を撫でた。

「貴方にとっては簡単につぶしてしまえる組織のちっぽけな事件でも、こっちはきちんと手順を踏んで、あらゆる準備をして、仕事をしていたのよ」

「・・・ハル、私は、」

「勿論、代償は横に座ってる男に払ってもらったし、追っていた麻薬の密売ルートも手に入った。そもそも、こっちがちんたらやってたせいで被害があったのもわかってる。それでも『お役所仕事』ってのはそうなのよ。どうしようもない。貴方が私に気が付かなくて、その他一味といっしょくたにあの嵐みたいな戦闘で骨を折られたからって、それは力不足ではあるのもわかってる」

謝らないで、と小さく彼女は言った。

「一番腹が立っているのは、自分なのよ。だから貴方に謝られたら私が私を殺したくなるし、それができないからって貴方に八つ当たりをするはめになる。そうしてまた、そんな自分に嫌気がさすのよ」

フォークを再度とった。少し冷めてしまったエッグベネディクトをまた一口かじった。

「貴方の仕事で、私の仕事が台無しになるのはかまわない。でもね、ミスタ。貴方の私情で私の仕事を台無しにして、私の部下にけがをさせたことにはやっぱり納得はいかないわ」

じわり、と隣のクラウスの目に涙がにじむ。それを慌てて本人もハンカチを取り出してぬぐった。

「君の仕事を台無しにしてしまったことを心から申し訳なく思う」

「私の休暇一日目の優雅な食事もすっかり冷めちゃったわね」

「すまない、すぐに代わりのものを、」

「そうね、貴方の執事さんに食後の紅茶をお願いしてもいいかしら。それからプロスフェアーに一局付き合ってくれるわよねミスタ・ライブラ?」

「もちろんだ」

クラウスはぱっと笑みを浮かべた。その顔を苦笑交じりにハルが見ていた。

「あ〜、僕のことを忘れてないよな?」

「あら、まだいたのアイスマン。さっさと、うちの部下のところに菓子折りもってお見舞いに行きなさいよ。後始末はあんたの仕事でしょう」

「扱いが雑じゃないか?!」

「そうね。頼んだわよマイフレンド」

「そういえば僕が黙ると思ってるだろう、君」

「あとで部下には何もってきたかチェックいれるから」

「あぁ!いいとも!最高の見舞い品をもって謝罪に行くさ!」

「スティーブン!勿論わたしも同行する!」

クラウスが拳を握ったが、曖昧な笑みでハルがそれをとめた。どうも部下は戦闘モードのクラウスに巻き込まれたせいで軽いトラウマを抱えているようだ。それはそうかもしれない。

「少年を連れていきなさいよ。アイスマンだけじゃ胡散臭いことこの上ないでしょ」

「僕と少年が連れ立ってても結構目立つし取り合わせが胡散臭く見えると思うけどね」

「あんた一人よりマシでしょ」

最後の一口をぱくりと平らげる。マスターお得意のエッグベネディクトが冷めないうちに食べれるはまだまだ先だ。


「なぁ、ハリー友人として食事の介助をしようか?」

にこやかに申し出たスティーブンの顔の横を、銀色のフォークが首の皮一枚のところで通り過ぎて行った。










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