Welcome To Hellsalem's Lot !!
「H,Hello...Mr?」
ぎこちない英語が耳をかすめて、男はふと足をとめた。
大崩落の日を境に、劇的に変化したこの街にはかつては世界中から人や物が流れ込んでいた。流行の最先端、あらゆるものを飲み込む街。観光客や、一旗揚げるためにやってくる田舎者の英語はよくよく耳にしたものだった。
だが、それもあの日を境に劇的い減った。この街で生きていくのは、それだけでちょっとしたギャンブルめいている。
さりげなくあたりを見渡した。更に続けて聞こえてきた言葉に思わず天を仰ぎたくなる。
「Ah....うぇ、うぇあ?おん、でぃす、まぁっぷ?」
観光客がひとりでうろうろしていいような場所ではない。この街で、さらにはごろつき溢れる一角で、地図を広げて、そんな会話をしかける命知らずの馬鹿がいたとは。
どこのどいつだ、とさりげなさもかなぐり捨てて、男は発言者を探し、そして見つけた。
どうしてそんなガラの悪そうな異界人に声をかけたんだ。子供、それも女。何とも場違いなワンピースがやけに目についた。少女はよほど慌てているのか、混乱のあまり半泣きになっている。「わたし、まいご!こまってる!」「とっても、まいご」「ほんとに、まいご」そんな少女に、にやにやとじゃあ俺が案内してやろう、と明らかに案内をしてやる気は微塵もなさそうな顔で異界人が言う。そのままどこかに連れ込むか、売り飛ばすか。
だというのに、少女ときたら「おおー、さんきゅー!」なんて喜んでいる。
男は大げさにため息をひとつついた。
「はぁ〜〜、ダンケシェーンおまわりさん!」
放っておくわけにもいかず、助けてやった女はどうやらドイツ系らしい。「ハル・V・ローゼンシュタインと申します」と折り目正しく挨拶された。その仰々しい名前にふとした既視感を覚える。つい最近も、良く似た名前を聞いた。落ち着いたら、慌てていた時には出てこなくなってしまっていた英語もそれなりにしゃべるようにはなっていた。
「嬢ちゃん、一人じゃないだろ?ツレはどうした」
「・・・・・人ごみではぐれまして」
「どこのホテルだ」
「ホテル?」と女は首を傾げた。
「観光客だろ。宿はどこだって意味だよ」
「違います観光客じゃないです」
「嘘つけ」
「嘘ってそんな!何を根拠に?」
「おのぼりさん丸出しだろ」
「う、うぐ、否定はできない」
ハルががくりと肩を落とす。
「観光じゃなきゃなんだ」
「家の・・・・しごと・・・?的な」
「ほー、具体的には」
春は言葉につまり、目線をうろうろと泳がせた。
「・・・・・・・」
「やっぱ観光なんだろう」
お偉いさんのところのお嬢様の物見遊山か、なるほどお気楽なことでという揶揄が少しばかり言葉に滲んだ。
「・・・・・だったら、良かったんですけども」
今朝方から何も食べていなかったらしい春に、ベンダーでホットドックを買ってやった。ベタなことに「ナイフとフォークがないと・・・」なぞと言い出すものだからそのままかぶりつけと頭を叩いた。こんな箱入り娘をほったらかしにして、保護者は何をやっているのか。
ホットドックを食べる春はポツリと呟く。
「・・・実はとある男の人をたぶらかしに来たんです」
「へー」
「ハニトラですハニトラ。そんな無理ゲーですよね私じゃ・・・・相手の人ものすごくいい人なんです。そんな人を誑かすなんて・・・・無理だ・・・・・おうちにかえりたい」
少なくともこれに誑かされるかといえば、自分はNOだな、とダニエルは判断する。
「おまわりさんに懺悔したら、ちょっと気が楽になりました」
「懺悔は教会でやれ」
「助けてくれない神様よりも、助けてくれたおまわりさんの方がいいですもん」
ホットドックのケチャップを口の端にみっともなくくっつけて、へらりとハルが笑ったのに、ダニエルは少しばかり虚をつかれた。そして先ほどの自分の判断を一部訂正した。なるほど、こういう無防備なイキモノを餌にするのは有効かもしれない。あからさまな罠のようにみえないだけにたちが悪い。
「合法のうちなら問題ないけどな」
「・・・・」
ハルがぴたりと口をつぐんだ。
「・・・・・・おい、非合法か?お前、身内に搾取されてんなら警察で保護してやるぞ?ちょっとまて、今生活安全課の奴を呼んで、」
「おわあわわ、だいじょうぶです!ちゃんとした人です!なにせ貴族の三男坊!」
「そんなやつがHLに居るわけないだろが」
騙されている可能性があるのでは?とダニエルはむしろ保護をするべきなのではないだろうかと言う風に思い出していた。
「いるんですねコレが・・・いちおうですが、わたしも貴族の子女というやつです」
「へぇ」
「信じてない?!」
ホットドックを初めて食べたと喜ぶところや、へたくそな食べ方は確かにまぁ古典映画のローマの休日感はあった。身分ある人間はこういう庶民のものにすこぶる興味を示すのが鉄板である。
とはいえ。この少女にはイマイチそういう貴族や上流階級特有の空気感というものがない。
「マフィアよりも厄介な家の人間ですよ私は」
「へー」
「信じてないですね!」
「妄想はほどほどにな」
「頭のおかしい女と思われている・・・・」
ぶつくさと口にしはじめたのはドイツ語の文句なのだろう。ダニエルには聞き取れなかった。パニックになると言葉がつい出てこなくなってしまうらしいが、こうして落ち着いていれば、彼女の使う英語は確かに上流特有のお綺麗な英語だ。マフィアよりも厄介な上流の家、なんて主張する人間に関わるなんて面倒事でしかないが、いかんせん見た目普通のこどもなのでおまわりさんとしてのダニエルは庇護の対象にしか見えなかった。
「そこ、2ブロック先がお目当てのビルだ」
「さんきゅー、みすたー!」
どういたしまして、と答えてから駈け出そうとした少女を呼びとめた。ボストンバッグを抱えた少女はくるりと振りかえった。真っ黒のワンピースのすそが翻る。
ダニエルは懐から手帳を取り出すと、自分の連絡先を書付けそのページを切り取った。
「ほら」
「?」
意図がつかめないらしい少女は首を傾げた。
普通わかるだろう。ますます世間慣れのしてなさ加減に頭がいたくなる。こんな子供がこの街で生きていけるのか甚だ心配だった。普段なら、こんなことは決してしないし、面倒だが。
「俺の連絡先だ、困ったことがあれば連絡しろよ」
「え、困ります!私にはもうハニトラしなくてはならない人がですね」
「誰がそういう意味で連絡しろっつったよ。困ったことがあったらっつったろーが」
「いだっ」
ぺちりと頭をはたく。そこまで力はこめなかったはずだが、少女は目を真ん丸にしてダニエルを見た。
「なんだよ」
「・・・・・・生まれて初めて叩かれました」
「おいおい甘やかされてんな」
「おまわりさん、いい人ですね」
「叩かれたのにかよ」
「叱ってくれたんですよね?大丈夫です、おまわりさんの優しさはしかと胸に届きましたから!ダンケシェン!」
ぎゅっと、渡された連絡先の紙を少女は握りしめた。
「いい街ですねHL」
こんなおまわりさんがいるなら安心です、と少女はにこりと笑い深々とお辞儀をした。それは、この雑然とした街にはあまりにも不釣り合いな、流れるように美しい所作だった。その時はじめて確かにこの少女は良いところのお嬢さんなのであろうとダニエルも得心した。
「気をぬいた奴から死んでく街だぞ」
「気を引き締めて頑張ります!」
次の瞬間にはまたゆるゆるの笑みが浮かび、片手をぶんぶんと振りながら「お礼はまた!ロウ警部補!」と去って行った。
その背中が雑踏にまぎれて消えたところで、ダニエルもまた自分の職務へと戻っていった。まだ今日は、大規模なお祭り騒ぎじみた事件はない。書類仕事の山との格闘だ。
それはまぁ、そこそこ平和なHLの日常の一頁である。
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