上司サンド:BBB | ナノ
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Many go out for wool and come home shorn.


見られている。
じっと、値踏みをするように。
その価値の重さをはかるように。

兄の電話以降、あたりはぐっと柔らかになった。でもこわい。あの目がこわい。
思わず、なんでだか、優しくされているのに、微笑みかけられているのに、ぞくりと冷気が背筋をはしる。

兄によって私につけられた値札が適正なのか。
彼はきっとそれを見定めようとしているのだ。


「お嬢さん《フロイライン》」
「スターフェイズさん」

私と彼の距離はそんな感じだ。私を預けられた商品として、私の機嫌を損ねないように。踏み込まず、踏み込ませず。
だって、この人こわい。なんかこう、自分があんまり歓迎されていないのを絶妙なラインで示していると思う。僕はしっているぞ、何が目的かわかっているぞ、みはってるぞ、とその目が言っている。

(ああ、早くかえりたいなぁ)

兄の思いつき、気まぐれ。そんなものが早く終わってほしい。



***



おどおど、きょときょと。
そんな小動物じみているイキモノだ。フロイライン・ローゼンシュタイン。薔薇の眷属なんてひそやかに噂される世界の暗部に恐ろしいほどまでに棘をさしている一族の末娘。だというのに、本人はまるで無害ですという顔をしている。
気を抜くなスティーブン、と自分に言い聞かせる。何度か体よくあの一族の人間に使われて酷い目にあったことを思い出して自分を戒めた。

あちこちと彷徨う視線はいつでも最後にはクラウスにたどり着く。その視線には戸惑いの色が濃い。
あの一族の人間が考えそうなことだと思った。より良い血を求めるのは、牙狩り社会では当然ともいえる。とはいえ、よりによってクラウスの血を狙ってよこすのがこの小娘だなんて安く見積もられたものじゃないかと密かに憤慨すらした。
末娘の噂なんて、すぐさま調べが付いた。血統書だけのお人形。役立たずの13番目。出てくるのはそんな評価ばかりでうんざりした。ひとつ価値があるとするならば、次期当主たる長兄と同腹(現当主は節操のない男だったので有名だ)であり、彼に溺愛されているらしいということだ。
いずれは当主となる男のお気に入りだ。機嫌よく過ごしてもらうにこしたことはない。その上で、クラウスに取り入ろうとするのを適度に邪魔をする。なんといってもスティーブンはクラウスを敬愛していたし、彼の妻ならば最高の女性であるべきだと心底思っていた。よって、めんどくさい友愛を拗らせまくっている親友の勝手な『ぼくのしんゆうのおくさん審査』の基準を少しもお嬢さんは満たしていないのだ。Aマイナーすら取れない女にぼくの親友はやれない、と割と本気で思っていた。
スティーブンは彼女の美しい姉たちの何人かと(繰り返すが現当主は非常に節操のない男で異母兄姉が彼女には幾人もいた)仕事をしたことがあったので、たとえ直系の娘ではなかろうと、彼女の何倍も華やかで美しく、そして強い女性たちと比べると、彼女はそこいらの雑草そのものに見えた。腹違いとはいえ、これが本当に血のつながった姉妹か?と失礼千万な感想も抱いたくらいである。


「スターフェイズさん」


と呼ばれる。
びくびくと、怯えたようにへらりと笑う。


「フロイライン」

と、完璧な笑顔で答えてやる。優しく、丁寧に。いくつかの記録で見た彼女は、非常にぞんざいな扱われ方を社交界でされていたので、他人のやさしさというものを見せかけでも与えてやれば、ころりと騙されるに違いない。
だが、スティーブンのそんな予測は少し外れる。彼女はいつでも申し訳なさそうにしているばかりだ。

気が付くと彼女は窓辺に居て、ぼんやりと外を眺めている。つながっている空の向こう、はるか遠くの故郷を思っているのか、懐かしいメロディを口ずさんでいた。
カントリー・ロードだ。ボブ・ディランなんか聞くのかこの子、と少し興味をひかれた。若い子にしては珍しい。


「帰りたいかい?」

ふいに声をかけたスティーブンに気が付いて驚いたように、こちらへ視線を向けた。意地の悪い質問だ。答えなんて分かりきっている。

「・・・・・かえれません」

案の定、想定通りの答えだった。
諦めきった声音だ。自分の人生だろうに、少しも自分で選んでいない。お人形、と揶揄されるのも仕方ない。そういう人生の送り方をしてこなかったスティーブンには理解できない。

「それに、いくつかのライブラに施されてる結界、私がいる方が強化されるんですよ?いるだけで役に立てるなら・・・」

そうだ、居てくれるだけでいい。それだけ。
そうして機嫌よく過ごさせておくのが自分の仕事だとスティーブンは心得ている。

「君のおかげで助かってるよフロイライン」

心からのねぎらいを装って。余計なことをしてくれるなよと見張って、それで。それで目が離せないだけだ。必要だから。
優しく、甘い言葉を与えて。
なるべくクラウスとは二人きりにさせないように心がけて。



「今日も可愛いね」

「君がいると気分がなごむよ」

「さあ、笑ってくれよ?君が笑ってくれると元気がでるんだ」

自分が防波堤になればいい。簡単だ。
自分がこの子を誑かす分には、自分がこの子に惚れられてしまう分には、何の問題もない。興味ない、趣味じゃない、自分がこの子におちる要素なんて欠片もない。


「スターフェイズさん」が「スティーブンさん」になる。ほら順調だ。
時折無茶なことを言うけれど、許容範囲内。お嬢様特有のめんどうくささだって、堕落王のめんどうくささに比べれば可愛いもので。

ほらほら、好きになってきたか? 僕の側にいたくなってきた?

あれやこれやと世話をやく。髪が濡れていれば乾かしてやるし、腹を空かせていればランチに連れ出してやる。眠れない夜はミルクだっていれやった。
クラウスを狙う子供じみたお遊びにだって、スティーブンなりに角の立たない方法でつきあってやった。わかりやすい動きすぎて、いっそ次は何をするのか楽しみになりつつあったくらいなのだが、これについてはいつごろからか半ば彼女は諦めの境地に至っているのか目立った行動は起こしていない。邪魔をするのがスティーブンとしては一種の娯楽と化していた部分があったので少しばかり寂しいような気もした。



***



「なぁなぁ、お前番頭に惚れてんの?」

ザップが、応接ソファにふんぞりかえって、デリカシーのかけらもない問いをした。まったくもって、ありえない。ふつう聞くか?もっとも、隣の部屋にスティーブンがいたのに気が付いていないからの発言ではあろう。

「え」

(え、って何だよ。え、って)

顔がみえない。だが声音はどうにも思いもつかないことを言われたという風で。照れても慌ててもいない。

「あー、いや、そんな身の程知らずじゃないですよ、わたし」

呆れたように言葉が続く。

「スティーブンさんは大変なんです。わかってますよ、そういうお仕事って」

「仕事ぉ?」

「あ、忘れてるでしょう!わたし、スポンサーの娘ですよ!あつかい、ていちょうに!」

「あー、そうだっけか」

「いだだだ、ちょっとザップやめてってば!お兄様に言いつけるぞ!」

「へぇええええ?やってみればぁあああ?」

「ぐぬぬ」

スポンサーのお嬢さんで、それでも彼女がそんな些末なことで兄に助けを求めたりするような子じゃないのをザップだってもうわかっている。だからどこまでも調子にのってたかったりしているし、どうにも人との距離感の《普通》がわかりかねている彼女は相性としては最高に最悪だった。「そういうもんだって」とザップがいい「そう、なんですか?」と騙されるお嬢さん、という構図を何度スティーブンが叱ったか数えきれない。

助けに入ってやらなくては、と思うのに、スティーブンは思わず踵をかえして事務所を後にしていた。
――おしごと大変なんですから。
そうだ仕事だ、ちゃんとわかっているなら結構な話だ。そうだ。そうだろう。
なのに、気分は最悪で。
むかむかとして、ザップを氷漬けにしてやりたかった。




次に事務所に戻るとザップは姿を消していて、ソファでは彼女が一人で本を読んでいた。鼻唄はいつもの『カントリー・ロード』だ。彼女はボブ・ディランが好きらしい。

「あ、おかえりなさいスティーブンさん」

スティーブンに気が付いて、にっこり笑う。
むかむかした。仕事だ。そう思っている。この子は。
ソファの空いたところに腰をおろし、そのまま足をのばして座っている彼女の膝の上にどっかりと置いた。
彼女はきょとんとして、本を頭上にあげて避難させ、自分の膝にずうずうしくも載せられた長い脚をまじまじと見つめていた。

「スティーブンさん?」

「つかれてるんだ」

「はぁ」

じ、っと靴を眺めていたと思ったらどこからか真っ白なハンカチを取り出した。次の行動にスティーブンはぎょっとして、思わずソファから起き上がりかけた。「ふぎゃっ?!」とまた可愛げのない悲鳴をあげる。スティーブンの長い脚が思い切り動いたせいだ。

「君、何してるんだ?!」

「何って、靴を磨こうと思って」

汚れてたから、ともじもじとそっぽをむく。それからしょんぼり肩をおとして出過ぎた真似でした、と謝罪をされてスティーブンは頭を抱えたくなる。謝罪してほしいわけではないのだ。

「ハンカチで靴磨きをする奴があるか」

「・・・・・・だって、せっかく私にも役に立てそうなことがあると思ったんです。それに、」

言うか、言わざるかを悩んでいるらしい。言いよどむのを「アリス」と呼びつけて先を促した。少しばかり脅しつけるような響きになったのは反省したい。

「それ、に・・・・・脚はスティーブンさんの商売道具でしょう?それをばばーんと目の前においてもらえるくらいには信用して、もらってるのかなと思ったら、なにかその、したくて、それで・・・・・・ハンカチはあらえばいいんです」

スティーブンは両手で顔を覆って背を丸めた。スティーブンの足はアリスの膝の上にのったままだ。

「あ、あああの、す、」

スティーブンさん?と蚊の鳴くような声でアリスがこちらを伺っているが、正直もう少しスティーブンは放っておいてほしかった。信用? だれが?だれを?


「・・・・・・くつ、磨いてくれるんだろう」

磨いてくれよ、と促すと、ぱっと花が咲いたようにアリスの表情が明るくなって、すぐさま真っ白なハンカチがスティーブンの靴の表面を撫でた。白いハンカチが、汚れて。なんだか妙な罪悪感があった。
当の本人はふんふんと鼻唄混じりにご機嫌だった。





***




「アリス」
「スティーブンさん」

私と彼の距離は最近そんな感じだ。私を預けられた商品として、私の機嫌を損ねないように。踏み込まず、踏み込ませず。そんな頃よりは、少しは仲良くなれていると思いたい。
この人こわい、と思っていたけれども、よくよく知れば兄たちなんかよりもずっとずっと情に厚い人である。生真面目で、優しい。そして友人思いである。クラウスさんへの献身は、そこに見返りなんて求めない一途さがある。

(ああ、早くかえりたいなぁ――なんて思ってたのに)

兄の思いつき、気まぐれ。そんなものが早く終わってほしい。
そう思っていたのに、ここは――HLは、ライブラは、どうにも居心地がよくなりすぎていた。
まだまだずっと、もうすこしだけでも、ここに。
この人たちのそばに。

なんてわがままなんだろう。
自分の願いをそっと心の奥底に飲み込んだ。









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