上司サンド:BBB | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



Just a Kiss Apart


キスひとつの距離


最初のキスを覚えている。
タクシーの中だ。どうして自分がそんなことをしたのか、スティーブンは自分でもイマイチよくわかっていない。気づいたときにはしていた、というのが正直なところだ。一瞬きょとんと目を見開き、何をされたかまるで理解が追いつかないという風だったアリスの顔が、じわじわと赤くなっていくのをみて、酷く満足した。
アリスは元引きこもりのお嬢様だ。そのせいか酷く他人との距離の取り方が下手糞だ。はじめは怖がって近付いてこないくせに、いざ懐いてしまえばどこまでも無防備に近付いてくる。
何故、キスをしたのか考える。
何度も、あのタクシーでの時間を繰り返し思い出し、そのたびにスティーブンは首をひねらずにはおれない。




「スティーブンさん、ドーナツ食べますか?」
デスクでいつものように書類を睨みつけていたら、甘い匂いが鼻先をかすめた。
「・・・・・・わからん」
何故これにキスをしてしまうのか。
「はい?」
「なぁ、アリスちょっといいか?」
こいこい、と指先で呼べば何の疑いもなく近寄ってくる。警戒心ゼロ。学習しない子だ。
デスクを迂回して、スティーブンの座る椅子の前までやってきたアリスはドーナツが入った紙袋を後生大事に抱えている。
アリスはスティーブンにとって厄介な存在だ。スポンサーの娘。そんなのに手をつけるなんてどうかしている。
「スティーブンさん、ドーナツは?あ、あとね、」
最後の距離をふいに縮めて、言葉を遮るようにキスをおとした。
体がかちこちに固まって、両手から紙袋がすべりおちた。それに気がついて、凍り付いていたアリスがすぐさま動く。
「な、ななな、」
あとずさる。距離をとるのが遅い。
首を伸ばして、片手で腰をひきよせ、今度は口のはしへと同じようにキスをする。甘さが唇から伝わってきて、「歩きながら食べるのは行儀悪いぞお嬢様」とスティーブンは言う。
どうせ我慢しきれずに途中で味見をしたに違いない。
「レオくんも食べてました!」
「ふーん」
「友達と買い食いがうらやましいからって八つ当たり良くない!」
「八つ当たり?心外だなぁ」
「・・・・・・もうスティーブンさんにはドーナツあげま、せ」
アリスが再度固まった。
何かを思い出したらしい。
視線がチラリと落下した紙袋へと向けられた。
「あぁぁぁ、しまった!」
床に、じわりと黒いしみが紙袋を中心に広がっている。
「あーあ」
「あーあ、は私の台詞ですよぉっ!」
アリスが口を尖らせる。ぐい、とまた距離が近くなる。
「せっかくスティーブンさんにってコーヒーもテイクアウトしてきたのに!コーヒーでドーナツもおじゃんじゃないですか!!」
挑むように、顔が近付いて、少しも怖くないにらみ顔がスティーブンを見て、そしてすぐさま床に動く。
デスクの影に隠れるように、アリスがしゃがみこんだ。それを追いかけるようにして、スティーブンも腰をうかせ膝を突く。コーヒーを術で凍らせてしまうことも勿論忘れない。
「おわっ」
突然発動した血凍道にアリスがしりもちをつく。
袋ごと氷らせたから、床の始末は楽になった。だが間違いなくドーナツは食べれないだろう。
「アリスはさ、ちょっと学習したほうがいいと思うぞ?」
「へ?」
体を支えるように床につけていたアリスの手を捕まえて、デスクの影でその小さな体を捕まえる。そして、またスティーブンはキスをした。

たぶん、全部アリスが悪い。
そうスティーブンはひとりごちる。

アリスが無防備なのが悪い。
アリスが学習しないのが悪い。
アリスがろくに抵抗しないのが悪い。
アリスが、そんなに嫌そうでもないのも悪い。
アリスが、いつもキスひとつぶんの距離にいるのが悪い。

だから多分、このキスは意味なんてないし、仕方ない。なんとなく、煽るように。目の前に差し出されるからつい味見してしまうだけだ。そうに違いない。
初心なお嬢さんの反応は新鮮だし、悪い気はしない。文句は言うが、アリスだってキスがキライじゃあないのも知っている。自己評価の低いアリスは、キスという愛情表現をうけることにかすかな喜びを見出しているのだ。たとえ何の意味はなくても。多分、スティーブンが普通の友人との普通の会話に焦がれているように。

「デスクに隠れてキスするのも悪くないな」
真っ赤になったアリスがはくはくと口をあけたりしめたりして、混乱しきっている。自分を落ち着かせようとしているのか、大きく息をすってはいてをくりかえし、そして、
「・・・・おじさんくさい趣味」と抗議した。
「いけないことをするのは快感だろ?立ち食いも、ダメといわれるとしたくなる」

新雪を踏み荒すような。真白いキャンバスに落書きするような。

「真夜中にアイス食べるの、アリスだって好きだろ?」


キスの合間に、スティーブンさんは私にキスするとき最高に楽しそうで、最高に意地悪い顔で笑ってる自覚ありますか?とアリスに指摘された。


子供の頃。ろくな子供時代というわけでもなかったが、同年代の子供たちが雪をみてはしゃぎかけまわる気分はイマイチ、スティーブンは分からなかった。修行修行で、そんな余裕もなかったせいかもしれないが、今この歳になって、なんとなくこんな気分だったんだろうかと思い当たった。

( たしかに、楽しい )


アリスの問いを笑って流して、指摘の間に生まれたキス一つぶんの距離をまた埋めた。








prev / next