両腕に抱えきれないほどの想いを受け取ってしまった。いつも持ち運ぶのに苦労していて、部屋の中に置く頃には、酷く疲れ果てているのだ。
 特別嫌な気持ちはない。軽くてふわふわしていて温かいそれに、味があるのかと疑問に思ったことがある。
 試しに一口。ぱちぱちと弾けるような感動。ほんのりと甘い。舌の上で溶けるのは綿菓子のような食感。胸の奥が温まる不思議なもの。
 これは美味い。――そう思って、沢山のそれを流し見て、口許に手を添える。
 酒には合わなさそうだが、気紛れに食べる分には美味いものだ。それを独占するできるなんて、少し贅沢ではないだろうか。

 特にくれた奴には、返しもないままでいいのだろうか。

 山積みになったそれを見て、少しだけ息を整える。腰を下ろし、じっとそれを見つめて、触れて、「んー」と唸る。

 ――俺にも作れるだろうか。

 奇妙な形をしたそれに触って、ひとしきり悩んだ。今までそれがどうやって産み出されていたのか、思い出す時間が必要だった。
 そして、奴が好意を口にする度にぽろぽろと溢れていたのを思い出す。これは――そう。所謂「好き」の塊でできたのだと思い出すと、また頭を悩ませる。
 俺にも同じようなものが作れるのか。今までそんなものが分からなかった自分に、返せるだけのものが作れるのだろうか。
 何にせよ物は試しだ。
 好きの塊でできるのなら、俺も奴の好きだと思える箇所を挙げればできるのではないだろうか。

 例えばまっすぐに俺を見てくれるところ。笑ってくれるところ。撫でてくれるところ。手を繋いでくれるところ。抱き締めてくれるところ。目を合わせてくれるところ。慰めてくれるところ。温めてくれるところ。
 他でもない俺が、欲しがった愛をくれるところ――。

「あ」

 こねて、こねて、こねていたら、いつの間にかそれができていた。歪な形をしているが、触れれば確かに温もりがある。胸の奥が温まるような不思議な感覚はある。食べようとは思わないが、きっと、同じようなものができたと思ってもいいだろう。
 大きさは流石にもらったものには敵わない。出来立てのそれを見比べても、俺のは小さく、あまりにも頼りない。
 けれど、それが嘘ではないのは確かで。俺は小さく笑うのだ。

 よかった。上手くできた。これを渡したらどんな顔をするんだろうか。驚きか、嬉しさか、どちらの顔もしそうだ。

 ふ、と笑ったあと俺はそれを持つ。渡すのには少し、勇気が要りそうだ。

 そう思って――唐突に渡すあてがないことを思い出してしまった。

「――……」

 つい先日のことだ。肺に病を患ったあいつが死んだのは。
 それまだは何度も「会いに行け」「顔を見せろ」と周りに捲し立てられたが、意地でも応じてやらなかった。主人に行けと言われなければ、俺はあいつの顔を見ることなく、別れていたかもしれない。
 久し振りに見たそれは、寝たきりで、もう動くことはなさそうに見えた。記憶の中のものよりも老けて、痩せていて、笑う顔など見られやしない。
 噂で聞いた話、こいつはもう言葉を発することは難しいそうだ。かろうじて意識はあり、口許を動かせるのだが、もう喋ることはできない。
 俺が一番始めに忘れるのは声なのだろう、とそのときは思った。
 成長が止まった俺に、人間のように歳を重ねることはできない。老いていくこいつを、置き去りにするしか能がない。
 何か声を掛けてやる気持ちもなく、ただ寝顔を眺める。
 それに飽きて、とっとと部屋から出ていこうとしたときに、ゆっくりと目を覚ましたのを見て、体が強張った。

 ――死の香りがする。もう永くはない。

 本能の囁きに眉を顰めると、それが俺を見た。ほんの少しの興奮と、もうすぐ事切れる命の瞬き。色付いた世界で見るこいつの姿は痛々しかった。
 俺の所為で今すぐにでも死ぬんだろうか。
 肺に悪いそれを吸って、煙を吐いて。戸を開けて、風を送る。
 そいつが何かを言おうと懸命に唇を動かすが、生憎声が漏れる兆しはない。それを知ってか、酷く悔しそうな顔をして、俺の手を掴む。
 弱々しいそれを振りほどいてやろうかと思ってしまった。俺の記憶の中にいるそいつを、劣化させたくはなかった。
 ――だが、弱った人間に対する対応ではないと思い、小さく首を横に振る。浅い呼吸を繰り返す男の頭を軽く撫でてやって、また吸う。

「よかったじゃねえか、向こうで家族と一緒に過ごしてやんなァ。二度とその面見せんじゃねえぞ。――とっとと逝っちまいなァ」

 煙と共に吐いた言葉に対して、そいつが何かを言いたげに口を開く。出てくるのは掠れた呼吸音で、声にならないと知ると、弱々しいその手に、軽く力を込めた。
 最期に溢れ落ちたそれが床に落ちる。拾い上げる頃には、力がこもっていた筈の手がほどける。
 あまりにも静かな死に、何も思う暇がなかった。こんな言葉を吐いた俺を、最期に憎みでもしてくれただろうか。
 眠る顔を見た途端、灰に戻る世界に、寂しさを覚えたのは言うまでもない。

 あのとき既に形を作れていたら何かが変わっただろうか。最初で最後の贈り物に相応しかったのではないか、と何度も考える。
 渡すあてのないそれは、あんまりにも小さくて、頼りなくて、触れていると次第に寂しさを覚えた。あいつが居なくなって寂しいのだと、漸く実感した。

 好きも理解した。――それももう遅い。

 数もなければ大きさも敵わない気持ちを、ひとつでも渡せていたら、少しでも変化が訪れただろうか。

 後悔と、懺悔。抱えた想いを抱き締めながら、丸まって、嗚咽を洩らす。

 死んでほしくないと隠した我儘を、言えばよかった。

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後悔後先立たず


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