夜の祭りに光は落ちて


 火を使わないことで行われる光の祭りはいやに人気で、危険性が少ないことから間近で見られるという点が住人の好感を得ていた。
 噴水を取り囲み円を描くように配置された教会≠フ人間達は空へ何かを投げる動作を取ると、数秒の間を置いて光の花がぱちぱちと音を立てて咲き誇る。それが一種の手品のように思えてルフランの住人達は歓声を上げる。勿論、あまりにも人が多い場合はほんの少し離れた場所で与えられた線香花火を燃やすのが当たり前だった。
 ――コツン。賑わいが大きくなる噴水広場の石畳を踏み鳴らし、モーゼは静かに微笑みを浮かべる。大小様々で色とりどりの光を見上げて夜空に瞬くそれを見ながら「うーん、今年も悪くないねぇ」と一人呟いた。
 モーゼの手には周りと同じような線香花火がひとつ。火を点ければ小さな花がぱちぱちと音を立てながら煌めく筈だが――それをしようとは思っていないのか、僅かに人混みから離れた場所でそれを見るだけだった。――それでも肌を掠める生温い熱気は十分に伝わってくるものだ。

「いやいや……あんまり暑いと嫌になりそうだね」

 私は毎年引きこもっているのだけれど。
 そう呟くモーゼの背に足音がふたつ。石畳を踏み締めていやに重い足取りで男に近付く。「嫌になるのはこっちだっての」そう鬱陶しげに呟いた低い声の持ち主は紛れもないヴェルダリアただ一人で、モーゼは振り返りながら「おやそうかい」と言葉を紡いだ。
 ――そうして不意に目を丸くするのだ。

「…………面白そうだね?」

 ぽつりと呟いたモーゼの目線の先に居るのはヴェルダリアと、仄かに淡く燃えるような髪色を持った女――レインが申し訳なさそうに顔を俯かせていた。モーゼが「面白そうだ」と呟いた原因は彼らの手元、骨張った手ががっしりとレインの手を握っているからだ。
 ヴェルダリアはただ人混みと暑さに酷く苛立つように眉間にシワを寄せて、「いい迷惑だ」と言葉に刺を含ませる。反面、レインは申し訳なさそうに顔を俯かせていると思えば、目を回すほど顔を赤らめていて、空いた片手で服の裾を握り締めている。
 恋仲――というよりは親子のような光景に男はくつくつと肩を震わせ始めると、彼が火を噴くように唇を開いた。

「元はといえばてめぇがレインから目を離すからだろうが……!!」

 ヴェルダリアがそう言い放つと、レインは驚いたように顔を上げたかと思えば必死に頭を下げて、彼への謝罪を示し始める。
 平たく言えば彼女は重度の方向音痴であった。初めて来た場所は勿論のこと、何度も通っている場所やルフランでさえ瞬く間に姿を眩ませてしまう。本人は至って真面目に真っ直ぐ歩いているというのだが――実際はどう進んでいるのかは分かっていない。
 教会≠ノ身を寄せていながら何度も姿を眩ませてしまう事実に周りはおろか、モーゼでさえも呆れを覚えた頃、レインに一人での外出を禁止したのだ。極力一人で行動しないこと、目が届く範囲にいること――それが、男が出した条件だった。
 ――条件だったのだが。

「いやはや、ちょっと囲まれてしまった間に消えてしまったんだよ」
「言い訳は要らねえんだよ……!」

 はは、とモーゼは緩く微笑んだが、ヴェルダリアはただ虫の居所が悪いと言わんばかりに睨みを利かせ、食って掛かる。その合間にも向こうでは煌々と輝く祭りが住人の目を輝かせていて、レインもまた子供のように瞳を瞬かせるのだ。
 「探しはしたんだけどね」男はそう呟くと携えているそれをヴェルダリアへと差し出した。彼は不思議そうに一度瞬きをするものの、意図を察したかのようにそれを受け取り、流れるようにレインへと差し出してやる。
 すると、彼女はいやに嬉しそうにそれを受け取りながらモーゼやヴェルダリアを交互に見やって、小さく頭を下げた。余程嬉しかったのだろうか――無表情でしかなかった顔に笑みが溢れて、ヴェルダリアの口許が僅かに綻んだような気がした。
 「火を点けてください」と言わんばかりに受け取った花火をヴェルダリアに向けて、レインはルビーのように輝く瞳を彼に向ける。どうか、どうか――その根気に負けて彼は手を伸ばすと、ぱちん、と軽快に指を鳴らした。
 ――瞬間、花火の先端に火が灯る。一度だけ辺りを照らすようにボッと音を立てたかと思えばそれは次第に収まり、花火特有の眩しい光と音が鳴っていく。ぱちぱち、ぱちぱちと音に合わせるようにレインは微笑むと、火が当たらないよう彼らに背を向けながらそっとしゃがみこんだ。
 可愛いものじゃないか、と男の口から紡がれたが彼は何も言わずにじっとモーゼを睨み付ける。レインが迷子になっていたのが相当癪に障っていたのかと思えば、ヴェルダリアは「何してたんだ」と呟く。

「レインを探してる間に何かしていやがったな」

 ――なんてあくまで確信を得ているように。
 モーゼはヴェルダリアの言葉と鋭い視線に二、三瞬きを繰り返すと、「君は私のストーカーかい」なんて笑う。男は肯定もしなければ否定もしないが、紡ぐ言葉にはいやに胡散臭い匂いばかりがして、ヴェルダリアは小さく舌打ちをひとつ。すると、男は思い出すように「そうだねぇ」と目を閉じた。

「奴隷に会ったくらいだね」

 奴隷にしては随分と身なりが良い方だった。思ったことを率直に伝えてみれば、彼は「ああそうか」と、「余計なことをしてくれたな」と言わんばかりに呟いた。燃えるような赤い髪を仄かに撫でる祭りの風は生温く、目の前で移り変わる光は金の瞳をじりじりと焼く。
 それらを背に受けるモーゼはただ薄っぺらい笑みを浮かべたまま彼の目を見て、「お前に関係あるのかい」と問う。その目はノーチェにも与えたものと同様に蛇が這うような不快感をヴェルダリアにも与えていたが、彼はそれすらもまた燃やしてしまうように強く睨んでいた。
 関係があるかどうかなどモーゼには知る由もない。ヴェルダリアが何かを企んでいるのだと気が付いていながらも、男は彼の行動を強く制限することはなかった。男はあくまでルフランを支配する教会≠フ最高責任者であり、彼さえも従えている人物なのだ。手駒が何をしようがモーゼには関係なく、そして、自分が何をしようがヴェルダリアには関係ないのだ。
 ――しかし、ただでヴェルダリアが大人しく従ってくれる筈もない。故にモーゼは「ヴェルダリアが最も大切にしているもの」を手中に収めている。何をするのも勝手にして良いと言いながら、自分に逆らえば何が起こるのかをヴェルダリアにちらつかせるのだ。

「――あまり深追いしない方が我々にとってもいいと思わないかい」

 彼らの傍らではレインが花火を嬉しそうに眺めていたが――燃え尽きて落ちる先端を見て、やけに寂しそうに目を伏せた。

◇◆◇

 街を背に歩く道なりは仄かに暗く、どこからともなく光り輝く虫がほんのりとノーチェの頬を掠める中、終焉が「ここでいいか」とノーチェに振り返る。その手には見慣れないもの――線香花火――が二つ手の中に収まっている。街の明かりなど殆ど届かないほどの距離が気に入ったのだろう。「少しくらいは祭りに興じようか」なんて呟く。その向こうから、リーリエがパタパタと駆けながら「私も混ぜなさいよ〜!」と叫んだ。
 終焉の表情が僅かに歪んだように見えたような気がして、ノーチェはぼんやりと眺めた後、「……あの人、火持ってるから」と呟いた。見たところ終焉は火を点けられるようなものをひとつも所持してはいないのだ。リーリエが参加できる理由といえば、火を持っているからの一言に尽きるだろう。
 彼はただ当然のことを言ったまでで、これなら終焉も納得するだろうと思っていた。――しかし、男はノーチェの一言に瞬きをひとつ。

「……花火の楽しみ方を知っているのか?」

 ――と小さく呟き、彼に問い掛ける。それにノーチェまでつられて瞬きをしては、「……あれ……?」と言った。

 ノーチェが覚えている限り、彼は花火などというものをいうほど嗜んではいなかった気がした。特に鮮明である奴隷真っ只中では娯楽などとは縁もなく、奴隷になる前の記憶など、古ぼけた写真のように霞んで仕方がない。その中で娯楽の楽しみ方を何故知っているのかと問われれば――、ノーチェは答えることができなかった。
 彼は押し黙りぼんやりと足元を眺めていると、代わりに終焉が口を開く。「幼い頃の記憶が体に染み付いているのだろう」と。ノーチェはそれに納得することはしなかったが、確証も得られない以上否定する理由もないと思い、頷くだけのことをする。
 すると、漸く追い付いたリーリエが肩で息をしながら「私ヒールなんですけど!」と声を荒らげる。

「仕方がないだろう」
「仕方なくないわよ!! 何が理由で私をいじめるの!?」
「約束のひとつも守れていないならだ」

 男の一言に咄嗟に口許を隠したリーリエは額に汗を浮かべながら、「何のこと?」と口を洩らす。――しかし、特別終焉のように力があるわけではないノーチェでも分かるその匂いは、鼻を常に掠めるのだ。
 酒独特の、鼻の奥をつんと刺すようなアルコールの香り――それが、リーリエから漂っている上に、彼女の顔は赤く染まっている。「酒を飲まない」という約束を悉く破っているリーリエに彼は呆れさえも覚えていたが、終焉は平静を保ったまま「守れるとはこれっぽっちも思っていない」とだけ呟いた。
 滲み出る信頼性の無さに彼女は涙を浮かべるものの、ノーチェもまた当然だと信じて疑わなかった。何せリーリエは終焉の屋敷へ訪れる度に真新しい酒を持ち合わせて来るのだ。彼女以外は飲まないということをまるで頭に叩き込まないように。「お酒は生活必需品」なんて言った女が約束を守るなど、終焉すらも思ってもいないのだ。

「いいじゃない! もう! あんたこそやけに美味しそうなの持ってるじゃない!」

 頬を膨らませながら終焉の手元を指差したリーリエが見たものは、花火の他に赤く熟れている果実がひとつ。ノーチェが買って渡した筈のりんご飴が未だに手の中にあるのだ。彼もそれを見て「食べればいいのに」なんて何度思ったことだろうか――「関係ないだろう」と突き放す終焉は顔を背けながら目を細めた。
 納得こそはしていないものの、りんご飴をもらったことを男は喜んでいるのか、それを大切なもののように扱っているのだ。あげた本人であるノーチェから見れば早く口にしてしまえばいいのに、と思うだけなのだが、終焉にとっては特別なものでもあるのだろう。

「…………早く食えば」

 何気なくノーチェがそう呟けば、言い争っていた二人は――特に終焉は――目を僅かに見開いた後、ゆっくりと口を閉ざした。「そうなるわよねえ」と口を洩らすリーリエに対し、男はやけに寂しそうに眉を顰めむぅ、と唸る。勿体ない――なんて言いたげな表情に、彼は小さく首を傾げた。
 横から口を挟むリーリエ曰く、終焉はノーチェからもらったという事実が嬉しいのだという。何せ、彼は何に対しても殆ど無関心であり、物を与えるという行動に出るような人物ではないからだ。奴隷という立場である以上、周りに気を配れる余裕などないと思っていた所為か、男の感動は計り知れないものとなっている。
 それに――やはり彼は小さく首を傾げて「…………よく分からない」と呟く。終焉が好きそうなものをあげただけでそんなに嬉しいものなのか、とうとう彼は理解することができなかった。
 ――不意に遠くからぱちぱちと何かが弾けるような音がノーチェの耳を掠める。それは、あまりに小さく、夜でなければ聞き逃してしまいそうな破裂音で、徐に振り返ってみれば街の方から温い風に乗って音が届いているようだった。
 「何かしてんの?」とノーチェが終焉に問い掛ける前にリーリエが声を放つ。「花火の開始ね! 私達も興に乗りましょ!」そう言って懐から持ち出したのは、終焉が携えているものとはまた違った手持ち花火であった。

「こういうのはパーッと弾ける方が楽しいもんよ〜!」

 パチン。手持ちのライターで火を点けたリーリエの花火から勢いよく光が溢れ出す。熱が弾け、ホースから出てくる水のように――然れど勢いは比べ物にならない――光を放つそれに、ノーチェはおろか終焉までも目を細める。酔いが程好く回っているのか、彼女はそれを両手で持ちながら笑い、くるくると陽気に回り始めた。
 言葉を遮られたノーチェは目線を落としながら「花火」と呟く。大人のくせに花火を大きく振り回しはしゃぐ女をちらりと見やって、危ない、とだけ呟いた。
 いい年をした大人のくせに――いい年をした大人だからこそ、あんな風に楽しめるのだろうか、なんて思いながら。

「…………ノーチェ」
「………………」

 ぼんやりと空を眺めていると、不意に終焉が彼の名前を呼ぶ。何かと振り向けば男の手には花火が握られていて、差し出す様子から「一緒にやろう」とでも言っているようだ。
 ノーチェは思わず遠慮しかけたが、有無を言わさない威圧感を与えられるのを嫌がり、恐る恐るそれを手に取る。細長く頼りない花火はリーリエのものとは全く異なっていたが、火を点ければろくなものにならないことを遠くから見ていて何気なく察していた。
 終焉が火をねだり、リーリエが投げたライターを宙で受け取ると、男はそれらに火を点けてぼんやりと眺めるようにしゃがみ込んだ。ノーチェも真似るようにしゃがむと、目の前でぱちぱちと小さな音を立てながら弾くそれが視界に入る。リーリエが持つものとは比べものにもならないほど小さく、控えめな光だった。
 終焉はこういった大人しめのものが好きなのだろうか――。
 何気なくノーチェが問い掛けてみると、リーリエの笑い声を掻き消すように終焉が呟く。

「…………まあ……思い入れはある」

 随分と綺麗なものだった。――ノーチェを横目に終焉はぱちぱちと音を立てている花火をいやに愛しそうに眺めている。光自体が苦手なこともあるようだが、男には何かしらの理由があってリーリエが持つような勢いのいい花火ではなく、手元で弾けるだけの花火を選んだようだ。
 相変わらずの伏し目がちの瞳ではあるが、光を見つめているお陰だろうか――普段暗く落ち着いている瞳が、爛々と輝いているようにさえ見える。ぽつぽつと灯る赤や橙の光が随分と似合ってしまうように思えるのは気のせいだろうか。
 長い髪が火に触れることも、コートが暑苦しそうだと思うことも今は忘れ、ノーチェもまたそれをぼんやりと眺める。小さく弾けるそれが妙に懐かしくて、胸の奥が締め付けられるような苦しささえも覚えた。
 終焉は花火を見つめながらりんご飴を齧りだし、満足そうに口許だけで微笑む。「甘いものはいいな」といつの日にか聞いた言葉と同じものを口にして、ふぅ、と一息。買ってきた本人であるノーチェはその様子を見かねて、確かに安心感を抱いていた。
 緩い風が髪を撫でる。小さく瞬く星が着々と数を増していく。――すると、突然思い出したかのように終焉が口許を押さえて強く咳を繰り返す。渇いただけのそれに彼は再び目を配らせて、「……やっぱり体調悪いんじゃないの?」と呟きを洩らすのだ。

「アンタ、眠そうだし……」

 ノーチェがそう呟くと、「そんなことは」と終焉は呟いて、口を閉ざす。そんなことはない筈だと言いたいのだけれど、男なりに思い当たる節があるようで、ノーチェから目線を逸らして口をへの字に曲げる。何でもない、そう言って誤魔化すために話を逸らし始めた。

「……そう言えばノーチェ」
「…………何」

 あからさまに話を逸らしたと気が付きながらも、彼はその話に乗り始める。

「何か欲しいもの、考えておいてくれないか」

 ――両手に携えた花火を振り回し疲れたリーリエは、消えたそれを持ちながら終焉とノーチェを見やる。隅に隠れるように二人してしゃがみ込む様子に「元気ないわね」なんて呟きを洩らしたが――ふと気が付いてしまったそれに、思わず目を見開いた。
 丁度その頃、線香のように小さく弾けていた火が音もなく、虚しく地面に落ちるのだった。


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