「愛してくれ」



 ぞくぞくと、体の奥底から迫り来る痺れるような快感を与えられるのが妙に好きだった。切れる息も、滴る汗も、白髪の隙間から覗く藍色のピアスも、頬を撫でる手も、俺を見る目も、――目が合って微かに挑発的に微笑むその仕種も。腕に刻まれた傷から血が出ないかとか、体付きが良いだとか、そもそもノーチェは俺を相手して充分に満足感が得られるのだろうか、だとか。そんな事を考えては奥を突かれる度に小さな声を上げてしまう。
 らしくないと口元を手で隠したかったが、今日という今日は両手首をノーチェの手で掴まれ、半拘束状態だ。満足に身動きも取れず、洩れていく声を抑える事も難しい。ふと、体勢的に持ち上げている足を撫でられて、口吻を落とされる。滑り気を帯びた生温かい舌が素肌を這って、異様に感度の増した体は肌を擽るような快感を脳に伝えていった。
 満足に顔を見てしまえば自分が自分ではなくなるような気がした。遂に顔を逸らして目を閉じる。ノーチェの腰が動いて、自分の体も上下する感覚――自分の中から熱く、硬いものが抜けると思いきや、再度奥深くに打ち付けられる感覚が、目を閉じるとよく伝わってしまう。
 それでも目も開けず、顔も合わせず、体が動く度に洩れ出ていく自分らしくない喘ぎ声も抑えられず。思わず唇を噛み締めると小さな痛みが迸った。すると、足にあったはずの手が背けている顔に添えられ、「なぁに顔逸らしてんだよ」と半ば無理矢理目を合わせられる。俺を見ろ、と囁く声も快感を掻き立て――唇を這う指の腹がいやにくすぐったい。

「はっ……なあ……俺、声、聞きてぇんだ……我慢すんなよ……」

 血も出てるし――そう言って微かに唇に舌が這いずった後、触れるだけの口吻が一つ。ああ、何だ、触れるだけかと小さく口を開いた瞬間、ノーチェの指が口の間を割って入る。まるで絶対に閉ざしてやらないと言わんばかりのタイミングで、唾液が汚いと思う素振りも見せず、力だけでは俺を上回る手が顔の固定も試みる。口が閉じられなければ自分のものでない声が洩れ続ける――それを見計らったかのようにノーチェは一度妖しく笑ったかと思うと、先程よりも深く、激しく腰を振り始めた。

「――っあ、ん、あぁ、っ……んっ、ぅあ……っ」

 入るとは思わなかったノーチェのそれが奥を突く度、どこかに擦れながら抜かれかける度、妙な快感が背中を、体を這いずって声が洩れる。それが今に至るまで何度も与えられ続けている俺の体に見えるのは、紫青の模様と、白濁の液体。艶めかしい音に混じって当たる肌の感触と、聞こえる音。一体どこまで人間に近い体を持っているんだ、と思う暇も無く。
 打ち付けられる度に声を洩らしていた。ノーチェはそれを恐らく無様だとは思わなかっただろう。寧ろ、どこか満足げに夢中になったような顔をしている。体が揺れる度に甘ったるい熱が溢れる感覚がした。時折舌先がノーチェの指に触れる――ふと、視界に入った薄明かりに照らされるノーチェのがたいの良い体。筋肉質で、良く鍛え上げられていて、ここに来る前に色々経験したのだろう。羨ましい。羨ましい。俺に無いもの。羨ましい。その過去に俺も。俺の事も――。
 そう思うと同時に、白濁の液体が目に映る。あれは何回目のそれだ、あの体に付いて良いものではない、と自我のようなものが訴える。小汚いそれをノーチェは催促するように俺の奥を刺激してくる。何度目になるか分からないそれを迎える事を耐えながら、言葉を紡ごうと思う。

「ぅ、あ……っ、んん…………ぁ……あ、んっ」
「…………あー……?」

 口を開かせていようとする指が、言葉を紡ぐ事を許してはくれそうになかった。お前はそれで良いのか、と――俺とこんな事をしていて満足なのかと、訊きたいのに訊けない。汗が滲むノーチェがそれに気が付いたように俺に目を向ける。――だが、話を聞く気はないようで、小さく笑うと「悪ぃな」と呟く。

「これで、最後にすっから……!」

 口元に添えられた手が寝具へと戻った。すると、途端に勢いを増すその激しさについ声が突いて出てくる。押し上げられるように喉元を通り過ぎていく声と、呼吸と。両手を掴み上げている手に力が入る。俺ももう耐えるのには限界だと、掴まれている手に力が入っていく。
 どこか気持ち良さげなノーチェの顔。口の端から洩れる吐息の音。奥を突く度に奔る快感に背中どころか全身を駆け巡る感覚――十分に硬くなってしまったそれから、出してしまいたいと、頭の中が白くなって。ノーチェが動く度に思考を投げ出してしまいがちになった。

「っ、ノーチェ……ぁ……い……く、ぅ……っ!」
「――んっ……!」

 全身に力が込められ、ぞくぞくとする快感をそれと同時に外に出した感覚に陥る。――同時に、俺の中に熱いものが流れ出した気がした。終わったと思う俺とは裏腹に体は未だに熱を欲していて、無意識に痙攣を繰り返す体が収まる事を覚えてくれやしない。ノーチェは激しく動く事を止め、余韻に浸るようにゆっくりと動き始めた。
 不意に手の拘束が外れる。解放されると同時に、ノーチェの整った顔が徐に近付いてくる。熱を帯びた甘い吐息に心を奪われながら、俺も、と瞼を下ろしていく。
 迎え入れた柔らかな唇から滑り気を帯びる熱い舌が口内を犯す。口蓋も、裏筋も舐めては舌を絡ませて、時折それを吸ってはゆっくりと角度を変えていく。洩れて混ざり合う吐息も、聞こえてくる唾液の音も、舌を滑る感覚も何もかも心地良く思えてきている。

「んっ……ぁ…………はぁ、ん」

 時々当たるノーチェの舌ピアスに、こりこりとした感覚に再度何かが掻き立てられるような気がした。甘く、脳裏が痺れる程に癖になる口吻を催促――際限なく独占するように、手を背中に回す。拘束されて触れられなかったノーチェの体に触れるという喜びに、噛み付くような口吻が何度も繰り返された。角度を変える度に分かる抜かれる感覚。それを感じさせない程に深くなる口吻。俺の中の空虚がノーチェだけに満たされる感覚。黒が夜に支配される悦び――漸く一息吐きそうな時、それはすっかり俺の中から抜き出されていた。
 覆い被さるような体勢のノーチェが「……何か言ったか……?」と先程紡ごうとした言葉を聞く。体勢のお陰で目を開けば眼前に広がるのはノーチェの顔だけ。天井も柱も、灯りさえも視界に入らない程に目一杯広がっていた。それに、俺は満足してしまったのだろう。「……何でもない」と口を突いて出たのはその言葉だった。

「……ノーチェが、愛してくれるのが、嬉しいだけだ……」
「……ん……可愛い奴……」

 そう、嬉しいだけ。嬉しいから、俺はきっと俺で満足かと問いたくなるのだろう。甘い口吻をくれるのも、体を求めるのも、俺を受け入れるのも、ノーチェしか居ないから。だからもっと、際限なく愛してくれ――そう思いながら、ノーチェを強く抱き寄せて「……愛してるんだ……」と小さく呟いた。


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