長い夜の始まり



「お前は本当に感度がいいなぁ」

 そう言って絶えず前立腺を刺激する指に、男の体が小さく跳ねる。微かに弓なりに体がしなろうとするのを彼が押さえつけると、同時に男の口から溢れ出しそうになる喘ぐ声を呑み込んだ。
 懸命に耐えようとする努力にノーチェは感心を示す。縛られ自由の利かない手に、足の間に体をねじ込められたクレーベルトに最早逃れる術はない。それでも理性を手放さない自尊心に、彼の中の征服欲が燻ぶられる。
 体は正直、とはよく言ったものだ。クレーベルトが男であるという主張は、ノーチェの指の近くにある前立腺が刺激される度に、小さく白濁の液を漏らす。白く粘り気のあるそれが、ただの刺激だけで溢れるほど愛らしい体になったのだと思うと、ノーチェの興奮が唆られた。
 懸命に耐える努力はしているのだが、男の中は小さく痙攣を繰り返すほど、ノーチェを欲しているのがよく分かる。落ち着いている筈の呼吸は荒々しく、冷たすぎるほどの素肌は人よりもいくらか温まった。
 その肌に指を滑らせて、ノーチェは足をもたげる。滑らかで、まるで女を彷彿とさせるその足は、触り心地とは裏腹に男らしく筋肉が付いている。ノーチェとはいくらか筋肉量が異なっているようで、少し細いなどと思いながら、彼は脹脛に唇を寄せた。
 綺麗な足だ。――そう呟きながら、ノーチェは絶えず指で中を弄び続ける。ぐちぐちと小さな音を掻き立てて、暗い部屋の中で甘く洩れる声を聞いた。
 堪らず口の端を下で舐めて、クレーベルトの中へ挿れる指の本数を増やす。入念な準備は彼はおろか、男にとっても大切なもので、意思を弱めるためのものでもある。きつく締められた入り口も、いつの間にかもう一本を受け入れてしまっていて、刺激を与えるタイミングがずれた。

「あ……ッ」

 びくりと跳ねる体に我慢の利かない甘い声。咄嗟に口許を押さえる衝動に駆られたのか、クレーベルトの手を拘束する赤黒い鎖が小さく音を立てた。どこから出てくるのかも分からない金属のような音が、寝具が軋む音に混ざる。
 羞恥心からか、クレーベルトは唇を噛み締め、懸命に洩れる声を抑えようとしていた。
 仄かに漂う鉄の香り。それが、男の唇を黒く染め上げていく。

「声、我慢しなくていいって言ってるだろ……?」

 入り口を広げるために抜き差しを繰り返しては、時折前立腺を突く指に、男の頭が少しずつ白んでいくように真っ白になって、思考がままならなくなる。
 そんな男に彼は再び足に口付けを落とすと――ゆっくりと唇を開いて、筋肉のある脹脛へ歯を突き立てる。プツリと音を立て、傷口から溢れる黒い血液を舌で味わうように掬う。
 ――美味い。
 そのたった一言に性欲も、征服も込められてしまったのを、ノーチェ自身もろくに気が付かなかっただろう。白い髪の隙間から覗く紫のピアスが、キラリと輝いたような気がした。

「んっ、の、ノーチェ……ぁ、もう、やぁっ……んッ」

 ノーチェに静止を求める声も喘ぎ混じりで、彼はわざとらしく「んー?」と生返事をする。未だ弄ぶ指に再度クレーベルトが体を弓なりに反らせると、思い立ったように彼の手が止まった。
 ゆっくりと指を抜いてやると、緩く開いた入り口が微かに痙攣しているように見える。ノーチェが言葉通りに止めてしまったのが気になったのか――体が入り込んでいて閉じらない足を、もどかしそうに動かした。
 安堵のような吐息は恐らく自分自身を誤魔化す為なのだろう。ほう、と吐かれた吐息に、彼は小さく笑うと「ベル」と男の名前を呼ぶ。

「物足りなさそうなお前にいくつか訊くことがあるから、ちゃんと答えたらこの続きな。答えられなかったら――」

 ――今日はこれで終わり。
 ひらひらと手を振ってノーチェは軽く笑う。その裏に何かしらの意図を感じてしまって、クレーベルトは思わず生唾を呑み込んだ。終わりだなんてそんな、彼も耐えている筈だろうに――なんて思って、再びぐっと唇を噛み締める。
 もう十分に分かっているのだ。手のひらの上で転がされていることくらい。ある一定のものにおいて、クレーベルトはノーチェには敵わないのだ。
 かくいう彼もまた、耐えることにおいて我慢の限界というものがある。正直に言ってしまえば、口を押さえつけて半ば無理矢理犯してやりたいものだが――それではノーチェの目的が果たせないのだ。
 だからこそ彼はあくまで優しく、怖がらせないように微笑んで言う。

「お前、あとどこ触られた?」

 あくまで優しく――のつもりではあるが、ノーチェの言葉を聞いたクレーベルトの表情が固まる。羞恥や熱を差し置いて出てくる血の気が引いたような顔色に、彼は思わず首を傾げた。
 怖がらせないように言ったつもりが、逆効果だったのだろうか。どうしたと問うノーチェに対して、男が口籠り始める。
 庇っているのか、単純に機嫌を損ねないようにしたいのかは分からない。その曖昧さが少しずつノーチェの気分を害していることに、クレーベルトは気が付かなかった。
 彼の脇に添えられている男の足が、少しずつ熱を失うように冷めていくのを、彼は嫌に思った。

「どうせここはしっかり触られたんだろ」
「――ひ、」

 一際質量を増した象徴を、ノーチェは片手でぐっと握る。熱を持ち、先端から液体を溢すそれを、彼は丁寧に上下に擦り上げた。白濁と透明な液体が混じったもので濡れているそれを擦る度に、クレーベルトが息を呑むのがよく分かる。足に、腕に力を込めて耐えようとする素振りに、ノーチェは小さく笑う。
 「口でもされたか」と訊けば、男の体がよりいっそう強張ったような気がした。
 ――しかし、回答はない。その分ちらりと横目で見やるクレーベルトの表情は、言葉よりも現状を語っているように見えた。
 沈黙を肯定と見なし、ノーチェは「そうか」と呟いて惜しげもなくその手を離す。我慢していた分、溜まりに溜まった欲を発散もさせずに勃起したままの陰茎を見かねて、男の頬が赤らんだ。
 熱を押し退けていた冷たさが引いていく感覚に、ノーチェは満足げにまた笑う。そう、それでいい――なんて言いたげな顔のまま、布団のシーツで軽く手を拭い、顔をクレーベルトに近付けながら腹へ、胸元へと手を這わせる。

 ゆっくりと確かめるような手使いに、男が小さな反応を見せる――。

「……あーそっか……ベルは胸まで弱いんだっけな」

 思い出したように呟いて、ノーチェはクレーベルトの胸元へ唇を寄せる。一度舌を這わせてから確かめるように口付けを落として、ちゅぅ、とわざとらしく音を立てた。
 その行為に男の意識はノーチェの顔へと向いてしまう。反応を楽しむような夜の瞳に、更に羞恥心が掻き立てられる頃、ノーチェの手が胸の頂へと到達したのに気が付くのだ。

「んっ」

 胸元を弄る指に火照る体が過剰に反応を示す。
 堪らず目を閉じてしまったクレーベルトに、彼はもうひとつの頂を口へと含む。

「――何……何して……」
「んー……」

 口の中で舌を使い、仄かに存在感を増す胸を弄んだ後、彼は言う。

「こっち開発してっと、中イキしやすいんだと」

 中イキする方がお前も気持ちいいだろ?
 そう言ってノーチェはクレーベルトに柔く微笑んで、ゆっくりと首元へ顔を近付ける。吐息と、唇が男の首筋を掠める距離にまで到達したところで彼は「まさか、」と唸るような声をひとつ。
 その後の言葉をクレーベルトは容易に想像できてしまって、再び沈黙で答えた。
 顔を背けながらも逃げずに耐えて、首筋を伝う舌の生温かさに微かに息を吐く。
 わざとだろうか――先程から欲を孕んだ逸物が、擦れ合うように押し付けられているような気がする。熱と、硬さと、質量を増した彼のものは、クレーベルトのものとは比べ物にならないほど立派なものだ。
 男の裏筋を彼の先端がゆっくりと撫でるように這ったあと、体重ごと押し付けられるその大きさに、クレーベルトが「ぅ、」と声を洩らす。
 男のものが特別小さいわけじゃない。体に見合った大きさを誇っている筈なのだ。だが、それを凌駕するのがノーチェのものだ。彼のそれこそ、「逸物」と例えるのに相応しい。
 その圧迫感にいつまでも慣れることがなく、クレーベルトは恥ずかしそうに顔を逸らすのだ。
 その反応をノーチェは軽く楽しみながら、白い肌へと歯を突き立てる。足と同様にプツリと音を立てて突き刺さる八重歯のあと、血液が溢れ出してくる。それを彼は堪能するように飲み下した。

「……んま」

 ――とノーチェは呟く。その声の低さと吐息混じりのそれは、男の耳を擽って、身動ぎを数回繰り返すのが彼には分かった。
 なんて言ったってクレーベルトは耳が一番弱くて、堪らなく愛しい存在なのだ。

「そういう反応すっからいじられんだろ……?」
「やあぁ……っ」

 微かに跳ねるクレーベルトの腰つきに、ノーチェは満足しながら耳朶を食む。唇で柔く挟んだあとに舌を這わせ、穴を弄ぶ。少しの唾液が掻き立てる水音が男の背筋を抜けて腰に響いてくるようで、クレーベルトの反応は今まで以上に良かった。
 抵抗ができないように縛られた手が頻りに動き、体重を乗せて抑え込んだ体が軽く揺れる。ぎ、と寝具の軋みに混じって男の声が甘く洩れる。

 その反応が彼はとても好きで好きで――他の人間に知られたと思うや否や、どうしようもなく腹立たしく思えた。

 胸の奥底にどす黒い感情が渦巻くのを認識して、ノーチェは耳を攻めるのをやめる。数分の間は呼吸も浅く、まともな思考もしていないであろう男の顔を見て、唇に指を滑らせる。
 かさつきもない女のようなそれに、ノーチェは「こっちは」と言った。

「俺はお前とこういう関係になってから口は許してねぇけど、お前も許してねぇよな?」

 ほんの少し不機嫌になったような声色に、クレーベルトが微かに潤んだ瞳を瞬かせる。小さいながらも懸命に首を横に振って「してない」と、初めて否定を口にした。

「本当?」

 試しにそう問い掛ければ、クレーベルトの目尻に涙が浮かぶ。

「ほんと、本当だから……ノーチェ……ノーチェ以外は嫌、だから……」

 ――そのあとに呟かれそうな言葉を、ノーチェは自分の唇でそうっと蓋をする。「だから捨てないでくれ」の言葉など、彼自身も聞きたくはないのだ。
 唇を優しく挟んで言葉を喉元へ押し込んだあと、彼はゆっくりと体を起こす。満足そうに微笑んで、手をクレーベルトの拘束具へ伸ばす。軽く引っ張っていとも簡単に崩れる拘束具に、クレーベルトは目を丸くする。
 赤黒い鎖の欠片がシーツの上に溢れた。拘束していた割には手首に赤い痕も残らないそれに、男の瞳が揺れる。
 未だ微笑むノーチェは「分かるだろ?」と一言呟いて、男の様子を窺った。試しにクレーベルトの片足を持ち上げてやれば、男の口許がきゅうっと一文字に結ばれた後、徐に姿勢を変える。

 彼の言いたいことは男には分かるのだ。いくつかの質問も、ノーチェの期待に応えられたのだろう。姿勢を変えたのは男の好みと、彼の好みが一致しているからにすぎない。

 クレーベルトはノーチェに背を向けて、あられもない姿を晒す。背を向けて無防備な姿を見せることはクレーベルトにとってそれもなく恥ずかしいことである。
 ――それでも背を向けるのは、クレーベルト自身もそれを望んでいるからだ。
 背を向けられたノーチェは自分の逸物に手を伸ばして、露わになった入り口に先端を当てる。ぴったりと当てると、男の体が強張ったような気がした。ほんの少しいたずらに、挿れるのではなく竿まで滑らせてやると、男の口が小さく開く。

「…………挿れて、ほし……」

 恥ずかしさと期待に満ちたような声色に、ノーチェは自分の興奮が増していくのに気が付く。上に立つべき男がみっともない姿で、下で喘ぐというのはやはり征服欲が満たされる。プライドも立場も投げ捨てて。懇願する様を見るのは何よりも心地良かった。
 ――同時に、愛した生き物が自分を求めていることが堪らなく嬉しかったのだ。
 息止めんなよ。――そう言ってノーチェは再び先端を入り口に当ててやると、止まることもせずにクレーベルトの中へとそれを挿し込む。

「――ぁ……ん、ぅ……ッ」

 突如遅いくる下腹部からの圧迫感に、男の呼吸が一時的に止まる。シーツを強く握り締めて、痛みに耐えるような仕草を取った。
 ほんの少し狭まっただろうか。呼吸が浅くなった男を見つめて、彼は下腹部の肌を密着させて、クレーベルトに余裕が戻るのを待つ。我ながら我慢したな、なんて思いながら、少しずつ男の呼吸が安定するのを見届けて、腰を引く。

「ほら、夜はこれからだぜ」

 ――肌がぶつかり合う音と共に、長い夜が始まった。


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