好奇心



 黒い箱――街の外れといえど届いている電気によって点けられたテレビを何気なく凝視しているノーチェの視界に、それが映る。境遇は彼とは全く違うもので、相手が同性ではないという点が最も大きいものだろう。ソファーの上で足を両腕で抱え込みながらそれをぼんやりと見つめていた。
 愛してるだの好きだの、甘ったるいだけの言葉を吐いて、言葉を紡いだ唇同士をくっ付ける。――所謂キスというものが男女で行われているのだ。愛を確かめ合う行為だかどうだかは彼には理解できないが、興味深そうに釘付けになるその様は、テレビを初めて見た子供も同然だった。
 家主は庭の手入れに勤しんでいて屋敷内を見ている様子は窺えない。誤ってノーチェがバラの棘に触れないよう切り落として納得しては、また次の新しい工程を探して勤しんだ。動き回るのにコートは邪魔なようで、ベスト姿の男は器用に髪をひとつにまとめていて、動く度に尻尾のように動く長い黒髪が印象的だ。
 ノーチェはテレビから目を離し、ソファー越し――正確にはソファーから身を乗り出して見る窓越し――に終焉を見やる。
 ノーチェに気が付かず忙しなく動き回る男の姿は家主というよりは、まさに主夫といったところだ。今回ばかりは珍しい見た目をしていて、普段のただ長いだけの黒髪が動くのを見るのは、ノーチェにとっても興味をそそられるものがあった。テレビは既に事を済ませた後で、全く別の番組に移り変わっていることから、彼はそれから気が逸れたのだろう。
 ――というのは建前で、彼もただ気になっていたのだ。「愛してる」などと伝えてくるあの男が、先程見た番組のようなことを望んでいるのか。

「…………」

 ノーチェは終焉が未だ庭から離れようともしない様子を確認して、徐にソファーを立つ。男がいくら言い聞かせても靴下を履きもしない素足のまま床を踏み締め、エントランスへと向かうと扉を押し開ける。やはり裸足のまま彼は石造りの小さな階段を下りた後、柔らかな土と草を踏み締めて終焉の元へと向かった。
 素足に踏まれてくしゃりと音を立てる若草を聞き分けて、振り返った終焉は尻尾のような髪を払いながら「どうかしたのか」と彼を見下ろす。数十センチ高い終焉のことを見上げるノーチェは一体どうしたものかと考えるようにじっと小綺麗な男の顔を見つめていると――、諦めたように視線を落とす。
 背伸びか何かで届くような距離ならまだしも、ギリギリ届きそうにない男の唇は遠く、投げ出しかけていた理性を拾い上げようとする自分を見つける。男同士で何をしようとしているのだ、と彼の中の何かが頭を揺さぶっていて、思わず大きな溜め息を吐いてしまった。

「……また裸足で出て来て……どうした……?」

 そんな彼の視界いっぱいに映り込む終焉の顔は酷く不安そうに――見えるのは言葉による所為だろう――見えて、ノーチェはぐっと息を飲む。目線を下げてきたらしい終焉の顔は男のノーチェから見てもやはり綺麗で、どこか女らしさも窺えるほどに滑らかだ。目元の傷痕さえなければもっとよかっただろうが、男自身そんなものを一切気に留めていないようなのだから、口を出すべきことではないのだろう。
 そんな顔を間近で見てしまって、ノーチェは一度呼吸を無意識に止めた後、やめようと思っていたそれを落とす。
 愛してると言ってくるのだ、目の前の男は。――だが、同時にノーチェに殺されたがっているという可笑しな男だ。彼は終焉の言う「愛」とやらがただの好意なのか、それとも死にたいがためのものなのかどうかを確かめるため、形のいい唇へ、触れるだけのキスを落とした。
 案外男のでも柔らかいもんなんだな――なんて、人知れず感想を胸にひとつ。ばさばさと足元に何かが落ちるような物音を聞き届けながらゆっくりと顔を離すと、終焉は信じられないほどの無表情だった。

 ――やっぱり死にたいだけか……?

 そう、彼が決めつけようとしたのも束の間。

「――…………っ……う…………」

 終焉の顔が、今までに見たこともないようなほど感情に溢れる。困るように目尻が下がって、閉じていた筈の唇は震えて、汗をかくほどに頬が赤く染まる。恐らく茹だるような熱さを体感している筈で、唇の開閉を繰り返しながら、男は瞳を潤ませているような見えた。

 ――これは、本気のやつなんだろうか。

 初めて見る終焉の表情の変化に戸惑っていると、その身に収まりきれないほどの感情によって終焉の命が一度、動くのをやめたのだった。


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