ねだるもの



「ノーチェの誕生日だからな、飛びっきりのお祝いをしてやろうじゃないか」
「おおー!」

 見慣れない屋敷で拳を高く突き上げ、声を出して気合いを入れる二人の子供。白い髪のネアと黒い髪のメアがそれぞれやる気に満ちたように目を輝かせている。それをクレーベルトは「よし」と頷いて腰に手をあてがい、「元気がよろしい」と二人を褒める。すると、彼らは照れたように微笑んで、クレーベルトの懐へと近寄った。
 その光景をまざまざと見せ付けられている終焉は呆れたような眼差しを投げつけて、テーブルに肘を突いたままじぃっとその家族を見つめている。白い髪に黒い髪、真昼の瞳に夜の瞳――両親のいいところを全面に詰めたようなその子供に、終焉はどう接するべきか分からないのだ。
 そんな終焉に気が付いたのだろう。ネアが白い毛髪を揺らしてクレーベルトの向こうから終焉を見つめる。女宛らのその愛らしい笑みは、もう一人の親から譲り受けたものだろう。目が合った終焉はその瞳にぐっと息を呑んだ。

「ベルが二人いるー!」

 甲高い声が男の耳を劈く。終焉は咄嗟に顔を逸らして耳を覆うが、その目は姿を捉えたままキラキラと眩しい視線を投げ掛けてくる。
 ――ああ、鬱陶しい。
 そんな声が聞こえてくるような感覚に陥ったクレーベルトは、ネアの頭に手を置いて「紹介がまだだったな」と静かに語る。

「敬愛すべき我が兄だ。お前達、失礼のないようにな」

 クレーベルトの言葉に嫌そうに顔をしかめた終焉は大きく溜め息を吐くと、「騒がしいのは苦手だ」と呟きをひとつ。澄んだ赤い瞳に静かな口調――それらを踏まえてネアは「怒ってるときのベルみたい」と笑う。嘲笑う、のではなく親しげに。それにクレーベルトは呆れるようにふぅ、と吐息を洩らして、「何だそれは」と言う。
 赤と金の瞳が輝くクレーベルトは髪を一つに束ね、準備万端だと言いたげに腰に手を当てる。それに倣うよう、ネアやメアも髪を軽く纏め、エプロンを身に付けた。その目線の先に居るのは先程から呆れがちの終焉ただ一人。鬱陶しげに二人の子供を見つめて軽く睨みを利かせる。
 ――終焉は睨んでいるつもりだった。しかし、それをものともしない二人は一度首を傾げると、何かに気が付いたかのようにパッと表情を明るくして終焉の元へ駆け寄る。意図を汲み取れないクレーベルトは首を傾げ、終焉は軽く身を引いて険しい顔をした。

「私はネア! こっちのメアとは双子なの〜! パパの髪色と、ママの魔力を全面的に受け継いだよ!」
「メア。ネアとは双子。ベルの髪色と、ノーチェの物理を受け継いだ方だと思ってるんだけど……どうだろ……」

 高い声と低い声、昼と夜の瞳が終焉の顔をじっと見つめる。
 クレーベルトが終焉を紹介した後、自己紹介をしていないと察した双子は、終焉が睨むのをその所為だと思って名前を名乗った。

 一人はネア。天真爛漫でスタイル抜群の娘は顔がよく、口を閉ざしていれば高嶺の花ともなれただろう。しかし、その見た目とは裏腹に中身は性欲に忠実であり、生涯を共にしたいと思える伴侶が居ない間はノーチェ譲り――と言うよりは、ノーチェの母親によく似た――の男遊びに没頭している。誰よりも両親を好いているようで、二人の邪魔をするのなら容赦はしない双子の片割れ。
 そしてもう一人はメア。容姿端麗の小綺麗な顔を持つ息子であり、ネアに比べれば表情の変化や口数は少ない方である。しかし、彼も両親の顔のよさを熟知しており、周りの女達は全て野菜に見えるなどという面食いっぷりを発揮する。将来はノーチェやクレーベルトのように強くなることが目標の双子の片割れ。

 ――そんな二人は終焉の顔をじぃっと見上げて発言を今か今かと待っている。ガラス玉のようにキラキラと輝く瞳が終焉の目を強く焼き続けた。鬱陶しい、目が痛い――終焉は目を合わせないように顔を背けるが、その先を見越したように片割れが待ち構える。
 鏡に映したように全く同じ存在が同じ場所に居るのがとても嬉しいのだろう。そして、胸の内に潜む子供宛らの純粋な好奇心が、終焉の存在について知りたいという感情を突き動かしているに違いない。
 終焉はその目に小さく唸ると、「終焉(エンディア)」とだけ呟いた。

「じゃあベルお兄ちゃんね!」

 唐突に発せられた言葉に終焉は思わず目を丸くする。彼女は終焉がクレーベルトと同様の存在だというだけで無難だと思われる愛称をつけたのだ。彼はそれに反論しようと咄嗟に親子の方へと顔を向けたが、そこにあるのは屈託のない輝かしい笑顔ばかりで、終焉は思わずぐっと言葉を呑み込む。
 クレーベルトに助けを求めるような目を向けたが、それがいけなかった。ちらりと覗いた透き通るオッドアイを見つめたとき、クレーベルトがハッとした表情を浮かべて「兄上」と言う。「お揃いの愛称だな」とどこか喜ぶような仕草を見せて彼の存在を全面的に肯定する。
 キラキラとした屈託のない笑顔を向けるのは子供達だけではなかった。――いや、子供宛らの心を持っているのは双子だけでなく、クレーベルトもそれらしい心を持っているのだ。愛に飢え、甘えることも許されなかった彼にとって今という時間は過去を忘れさせるのに十分な時間だ。それに甘んじている様子も本来なら許されるものではないのだろう。
 それに終焉は苛立つように舌打ちをした。びくりとネアの肩が揺れる。「怒ってる?」と恐る恐るクレーベルトに問うと、彼は「ただの照れ隠しだ」と言って彼女の頭を撫でる。その髪の滑らかな手触りは恐らくクレーベルト譲りのものだろう。
 「ベルお兄ちゃん」「ベル兄」「兄上」――そんな彼への愛称が行き交う中で終焉は呆れるように額に手を添えて鈍い溜め息を吐いたのだった。

◇◆◇

 屋敷のキッチンはクレーベルトが知るものよりも遥かに広く物の揃いはかなりいいものだ。
 足を踏み入れたクレーベルトは感嘆の息を洩らしながら辺りを見渡し、真新しいものを目にした子供のように瞳を輝かせる。水場や包丁の手入れは完璧で、離れにあるテーブルにはいつでも物が乗せられるよう布巾やテーブルクロスまでもしっかりと用意されている。
 続けるようにメアとネアがそっとキッチンへ入ると、親の姿を倣うように二人も茫然と辺りを見渡した。壁の端から天井まで、戸棚の奥から換気扇までじっくりと。その様子は初めてキッチンそのものを見たときの子供のような姿に思え、終焉が腕を組みながら深く吐息を洩らす。
 ぱた、と床を足が踏み締める音。徐にクレーベルトがまとめた髪を揺らしながら終焉へと向き直り、「いつ見ても綺麗だな」と呟く。何気なく人差し指の腹をコンロに近付けて撫でるが、油や埃などの類いは一切付着していない。その手入れは最早人の手で行ったとは思えないほどだ。
 終焉は長い髪をクレーベルトと同じようにひとつにまとめると、組んでいた腕を腰に当てて「当然だろう」と口を洩らす。何せ料理は他人の口の中へ簡単に入り込むものだ。ひとつの埃さえ彼にとっては邪魔なものでしかない。仮にそれが口の中へ入って相手が体調不良を訴えたら終焉は立ち直れなくなるだろう。
 ほう、とクレーベルトは終焉の話を聞くと、再びその綺麗なキッチンを見下ろしてみる。様々な感情を込めながら手入れされた汚れひとつない新品同然のもの。指先で撫でてもこれといった汚れがつかないのも納得がいくものだった。
 その様子を不思議に思ったのだろう――双子がクレーベルトと同じようにじっとそれを凝視していると、親の顔で彼は語る。「兄上が大事にしているから傷つけてはいけないよ」と。あくまで優しく、以前恐れられた者であるという印象など持たせないほど。
 クレーベルトの言葉に彼らは一度頷くと、彼の傍らに寄り添う。――身長はクレーベルトの肩ほどだろうか――見れば見るほど双子の顔立ちはとてもよく似ていて、髪色や目の色、性別が同じだったら見分けがつかなくなるだろうとさえ思える。共通している然り気無い三つ編みは両親を想ってのことだろう――そう思えば思うほど、終焉は自分にはないものを羨むような気持ちで彼らを眺めていた。

 彼ら親子が終焉の元を訪ねてきたのは、父親であるノーチェの誕生日ケーキを作りたいからという理由からだ。生憎クレーベルトは終焉のような料理の腕は持っておらず、子供が居る今でさえも終焉に世話になるほど。いくら仕事ができるような完璧を模した存在であってもできないことが存在する。その為だけに彼らは隣街へとやって来たのだ。
 本来なら訪れるのはクレーベルトだけの筈だった。余計な存在は終焉の気分を害するものになってしまう。それを避けるために双子には言い聞かせていたのだが――「私も祝う!」と食い気味にネアが口を挟んだことによって全く意味を成さなくなった。
 常々言い聞かせている筈なのだ。クレーベルトが向かう先は隣街の兄の屋敷だと。兄は騒がしいことが苦手なのだと。生前「クレーベルト」として生きていた頃に策略に嵌まり、裏切りに遭い、ろくに人を信用することができなくなってしまった存在なのだと。
 ――しかし、子供の好奇心というものはいつまで経っても旺盛なもので、父親を祝いたいという思いと同時に、クレーベルトがいう兄に会ってみたいというのもあったようだ。彼ら子供達にとって絶対的とも言える親――クレーベルトが敬愛しているという兄だ。どのような見た目で、どのような声色で、どれ程優れているのか、ただ気になったのだ。
 それがネアだけだったのなら説き伏せることができただろう。だが、さも興味なさげに話を聞いていたメアでさえも「俺も気になる」とだけ呟いたのだ。ノーチェ譲りの低い声で淡々とした台詞。しかし、とクレーベルトも引き下がるが好奇心には勝てそうにもない。
 加えて二人は知らないのだ。ノーチェの両親――子供達からすれば祖父母にあたる――に会ってはいるが、クレーベルトは両親だけに留まらず、時折話に出てくる兄の姿さえ見たこともない。親として語る気はないのだろう――いくら二人がクレーベルトの身内を訊いたとしても、彼はただ微笑むだけだった。
 そんな二人にとって聞かされる出かける予定は一種の好機だった。不思議とクレーベルトは頼みごとに弱い。引き下がらずに押していけば了承を得られるはずだ。
 何を言わずとも目を合わせただけで意志疎通ができるのは双子の特権だろう。――勿論断れる決定的な理由も見当たらず、クレーベルトはしぶしぶ了承したのだ。

 そうして訪れた終焉の屋敷は二人にとって大きなものだった。与えられた住み処よりもどこか広く、豪華な印象を受ける。赤黒い絨毯やソファーを転々と見やった後、足を踏み入れたキッチンには汚れが一点もないのだから、ほんの少し圧倒されるような感覚を覚えた。
 終焉が憎らしげにぼうっとそれを見つめていると、視線の先でネアの手が動く。くい、と服の裾を摘まんで「本当に借りて平気なの?」とクレーベルトに問い掛ける。その意味が彼には分からなかったのだろう――軽く首を傾げると、「何を恐れることがあるんだ」と頭を撫でて娘の気持ちを落ち着かせる。だって、とネアは唇を尖らせているが、その先の言葉は見付からなかったようで「何でもない」と小さく背中を丸めた。
 特にこれと言って心配するべき事柄はない筈だった。いくら見ても水垢のないシンク、錆びひとつない包丁、規則正しく並べられた食器類の輝かしさなど、どれもこれも終焉が手入れを怠らず大切にしてきたもの。その手入れをするのは当たり前のことで、クレーベルトには娘が怖じ気付く理由が分からない。
 その背中は宛ら小さな動物のようだった。息子も何か言いたげな顔をしてクレーベルトの顔を覗き込んでいたが、伝わらないと分かると静かに目線を外した黙ったままぼうっと道具を見やる。双子といえども違いの出る反応に終焉は興味深そうに見つめているだけであったが、用事を済ませなければ彼らが帰ってくれないことを思い出すと、重い足取りで彼らの元へ向かう。

「ガキ共が一丁前に物事の心配をするな。所詮は道具だ、使えば使うほど駄目になっていくのは当然だろう。さっさとやることやって帰ってもらえるか」

 そう言ってクレーベルトの服を掴んでいるネアの頭に手を置いて、終焉は無造作に撫でてやった。料理をするという理由で外された黒の手袋の下は、当然のように日に焼けていない白い肌。指先に残る爪はクレーベルト同様黒に彩られている。違うと言えばその目付きの鋭さと、興味が無さそうな冷たい言葉だろうか――それでも終焉を形容するに相応しい言葉は「美人」一択だろう。
 柔らかな白い毛髪はまさに父親であるノーチェ譲りのものだった。余程手入れに拘っているのだろう――毛先まで艶めきを誇ったその髪質は、どこか終焉の気分を良くさせる。初めは無造作だったその手も割れ物を扱うようなものになる頃には、ネアは頬を膨らませて「子供扱いしないでよぅ」と言った。
 先程の怖じ気付くような空気はもうすっかり見当たらなかった。残るのは広いキッチンの使用許可と、それら道具に対する限りない緊張感と好奇心。オーブンやミキサー、泡立て機など、十分すぎるほどに充実しているその場所で作られるものは何通りもあるだろう。
 何故ここまで充実しているのかと言えば、終焉が身を寄せているこの屋敷が元は当主のものによることを除けば――終焉自身の趣味が洋菓子作りだからだろう。甘いもの好きは極められると自給自足をするようで、何を食べても彼は「自分で作った方が美味い」と言い張れるほど、料理の腕に自信があるのだ。
 そんな終焉の手を借りながら彼らが作ろうとしているものは最早考えなくとも分かるものだろう。

「兄上、ケーキは作れるだろうか」
「私を誰だと思っている」

 恐ろしいほど淡々とした口調が飛び交った。その様子を間近で見ていたメアとネアは互いに顔を見合わせ、「ちょっと面白いね」なんて笑う。
 誕生日といえば定番のケーキだ。一日の特別を祝うべく買い与えられたときの感動といえば形容しがたいものだろう。味の種類はかなり豊富で、メジャーである生クリームとイチゴのショートケーキから始まり、小さなカップケーキまでも幅広く浸透されている。季節によって変わるその見た目の豪華さは最早月毎の楽しみとなっている。
 ――勿論、終焉はそんなことを気にすることはない。何せ彼は自分で食べたいものを自分でアレンジして完璧を求めているのだから。
 そんな終焉に教わろうとしているのが他でもない誕生日ケーキだ。生クリームとイチゴのショートケーキを作るのか、フルーツが盛られたフルーツタルトにするのか、はたまたチーズをふんだんに使ったチーズケーキにするのか――選択肢は広くある。その中でクレーベルトはぼうっと思考を張り巡らせた結果――ひとつの結論を出した。

「俺はチョコレートケーキが食べたい」
「ネアもネアも〜!!」

 腕を組み、澄ました顔で自分の要望を呟く男。それに乗るように娘が手を上げてぐっと終焉とクレーベルトの元へと近付いた。曰く飛びきり甘いケーキに仕上げたいと言うのだ。チョコレートを使うのならば意識しなくても甘いものに仕上がるというのに、それ以上の甘さを彼らは――彼は――求めている。
 その事実に終焉は呆れを覚えた。祝われるのはあくまでノーチェであり、クレーベルトは祝う側なのだ。そんな人物が自分好みのケーキを作りたいと言い、彼に振る舞うのだという。恐らくそれは自分の好きなものを好いてほしい、という感情から来るもので、酷く滑稽な話だと終焉は呆れた。
 ――その滑稽さが他の誰でもない、自分自身を指し示しているようで――「はあ」とあからさまな溜め息を吐いたのだ。

◇◆◇

 普段なら静かであるキッチンが今日という夏日に様々な音を鳴らしていた。
 泡立て機が動く機械音、水が流れ続ける音、きゃあきゃあとはしゃぐ娘の声、飛び散った薄力粉や溢れた生地――綺麗だったキッチンはみるみるうちに汚れが目立って美しさなど見る影もない。銀色に輝くシンクには使い終わった道具が転がっている。オーブンからは甘く焼けたクッキーがちらりと顔を覗かせている。目的のケーキに至るまではまだ道程が長いようで――というよりは何故かクレーベルトがケーキ作りを独占している――できるのは子供達が気紛れに作ったクッキーだけだった。
 特別料理が下手というわけではない。ただ少し手順が分からないだけ。自分にもそんな時代があったものだと半ば諦めの気持ちを込めてその光景を眺める終焉は、腕を組みながら「もう少し片付けてくれないか……」と呟きを洩らす。転がったボウルの中に生地の残りが僅かに残っているが、足しにもならない程度。「じゃあ私が洗う」と娘がそれを取りに行ってシンクへと向かう。

「お前は拭いていろ」
「メアって呼んでくれたらやる」
「……はあ…………メアはネアと一緒に拭いてくれ。焼いている間に湯煎するから」

 「はぁい」と無愛想ながらも返事を溢してメアがネアの傍で洗われた道具を乾いた布巾で丁寧に拭いている。思いの外クッキーが上手くできて機嫌がいいのか、単純に言い聞かせれば素直に聞いてくれるのかは定かではないが、双子は思った以上に生意気ではなかった。その事実が終焉を安堵させると同時に、陰で動くそれに指摘を入れる。

「ダレン、生地は味見できないぞ」

 びくり、終焉の言葉にクレーベルトが肩を震わせる。彼はじっと見つめていた生地からそろ、と目を逸らすとしぶしぶといった様子でそれを自分から遠ざける。終焉からの叱咤が飛んでくると思い身構えるその様は、ノーチェに見せられたものではないだろう。――そして、予想通り彼の怒りが飛んできた。「指を入れたら汚い」や「そもそも生地自体は味見ができない」など、さも当たり前のことばかりだ。
 その当たり前のことをクレーベルトは微妙に知りはしないのだ。いくらか自制が働いていた頃とは違い、今では彼を縛る鎖など存在しないに等しい。それ故に本能のままに動く様子は、終焉で言えば危なっかしいの一言に尽きるだろう。
 叱られているクレーベルトは元は人を束ね、使う立場だった。それが今となっては自分と同じ存在に自分の浅はかさを叱られ、うだつが上がらない状態だ。反論しようにも何がいけなかったのかを明確にされてしまい返す言葉も見付からないようで――酷く落ち込む様は宛ら小さな子供のようだった。

「ベルがああなってるのを見られるのは今だけかもしれないね」
「そう思うと結構新鮮だな。あんな風に怒られてるなんて」
「お手伝いしたいけど、ベルが一番張り切ってたもんね〜。ノーチェにケーキを食べてもらいたいって」

 そういうところも含めて子供らしいと双子は似たような顔で小さく笑って言った。

◇◆◇

 前途多難のケーキ作りが一段落した頃、叱られ疲れたクレーベルトは客間のソファーに転がりながら小さく呻いては唇を尖らせる。「兄上は堅物だ」「冗談のひとつも通じやしない」――なんて小さく愚痴を洩らして、いやに心地の良いクッションに顔を埋める。
 彼は焼けたスポンジケーキにチョコレートを塗る過程でこっぴどく終焉に叱られてしまった。何せ湯煎して溶かしたチョコレートに生クリームを入れて混ぜた、あの飛びきり甘いチョコレートを何度も舐めようとしたのだ。その度に終焉に見付かり「真面目にやる気はあるのか」と頬をつねられた出来事が何度も繰り返された。笑っていた双子も次第にクレーベルトの幼稚な繰り返しに呆れさえも覚え、最後には遠い目をして事の結末を見守っていた。
 残りはせいぜい冷やして固めるだけ。――その工程で摘まみ食いをされては敵わないと終焉にキッチンから追い出され、彼は今に至る。
 弾力の良いクッションはクレーベルトの気持ちを落ち着かせるに十分だったのか、彼は漸く一息吐くと「俺は駄目だな」と小さく口を洩らす。

「ベルはただノーチェに自分の好きな味を知ってもらいたかっただけなんでしょ?」

 お菓子作りは他の料理と少し違うもんね。そう言ってネアは転がるクレーベルトの背に体を押し付ける。肌の質は親子揃ってかなりいいもので、キメの細かい素肌は滑りが随分とよさそうだ。「もっと練習したら慣れちゃうよ」と言って押し当てられる胸の弾力に負けたのだろうか――クレーベルトは「そうだな」とだけ呟くとネアを離して頭を撫でる。

「まだまだ慣れないからな、お前達に手伝ってもらわないと」
「でしょ〜! ベルには私達が居ないと駄目なんだから!」

 あからさまに上機嫌になった理由といえば明確で、頭を撫でられることは子供にとっていつまでも特別なものなのだろう。
 端からそれを夜と昼の瞳でじっと見つめているメアはどこか羨ましげな表情を浮かべていた。彼も彼でクレーベルトの子供だと裏付けるかのように。
 キッチンから出てきた終焉はその様子をじっと見つめていたが、自分には無縁なのだと言わんばかりに首を左右に振ると、客間のテーブルへと皿を置いた。その上に載せられているのは黄金に輝く香ばしい香りを纏ったひとつの洋菓子。生地の合間に目立つリンゴがやけに食欲をそそるような色でこちらを誘惑してくる。
 そのアップルパイに思わずクレーベルトが身を乗りだし目を輝かせていると、「食いたければ食え」と終焉が素知らぬ顔をしてふてくされるように言った。特別甘やかしはしないが、然程引き離すようなものではない態度――先程から多少当たりを強くしてしまっている罪悪感があるのだろう。思わぬところで出てきた終焉からの「ご褒美」に彼らは目敏く飛び付いた。
 ひとつ齧りついてその出来のよさを痛感する。歯当たりのいい綺麗な焼き目がついたパイ生地は口いっぱいに香ばしさを広めて、途中にあるリンゴは果汁と甘味を引き出しながら程好い酸味をもたらしてくれる。表面に塗られたシロップは終焉のお手製のものだろうが、アップルパイの出来を左右させるほど、欠かせないもののように思えた。

「美味しい〜!」

 ネアが頬に手を添えて満面の笑みを浮かべた。それと同じよう、メアが目を丸くしたまま茫然とそれを見つめている。――かと思いきや徐にアップルパイを食べ進め始めた。双子の反応こそは異なっているが、どちらも終焉が作ったものを充分に気に入ったのだ。残るという選択肢はないだろう。
 そして、終焉の洋菓子を気に入っているのは何も双子だけではない。――いや、寧ろ彼こそが終焉の作った洋菓子を気に入っているのだろう。
 誰よりも早く食らい付き、誰よりも早くそれを食べ終えたクレーベルトは指を軽く舐めて喜ぶように恍惚の表情を浮かべた。美味しくて当たり前、そんなことが言いたげな表情だ。――勿論クレーベルトがそれを一番に気に入る理由は明白である。
 何せ終焉とクレーベルトは同一であるから。彼ら二人はイコールで結ばれる存在であるからこそ、味覚の好み全てが同じなのだ。甘ければ甘いほど誰よりも喜びを露わにする――人一倍愛されたいという欲求が強い彼らだからこそ、甘いものへの執着は酷かった。

「もう一個食べていいか?」

 訊く前に然り気無く手にしているアップルパイを見かねて、双子は「仕方ないなぁ」と笑った。
 これが本来の自分なのだろう。家族の間に入らずぼうっとその一家を見つめる終焉は軽く物寂しげに目を逸らした。自分にはないものをクレーベルトが持ち合わせていることに多少の劣等感を抱いていて、「眩しい」と俯き加減に呟く。
 すると――もう一人の主役が「ただいま」と声を上げて扉を開いたのだった。

◇◆◇

 家に帰れば随分と成長した双子の子供と想い人が居る。終日外に出ていたノーチェは軽い足取りでとある家へと向かった。石畳を踏み締める音が妙に軽いと感じるのは、帰れば家族が居るということがやけに嬉しく思えているからだろう。肉親ではない、新たに築き上げた家族関係は慣れてきた今でも時折出迎えが嬉しくなることがある。それは疲れていれば疲れているほど、会いたければ会いたいほど強くなる気がするのだ。
 やたら知人に声をかけられることが多かったノーチェは今日が何の日か覚えていないわけではない。ただ、今年は「何が欲しい?」と訊かれなかった所為で何が起こるのか予想ができないのだ。それを含めて帰宅するのが楽しみだった。
 漸く見慣れ始めたその家の取っ手を掴み、「ただいま」と彼は上機嫌に言う。――すると、耳を劈く強い発砲音と共に火薬の匂いが鼻を突いた。
 その出迎えは予想していたとはいえ、体は反射的にそれへと手を伸ばし、身構える――。

「ノーチェお誕生日おめでとぉ!」
「おめでと」

 眼前に広がるのは笑った二人の子供の顔。子供というだけあってあどけなさを残しているが、大人びたような雰囲気を漂わせている。「吃驚した? 吃驚した?」そう訊いてくる娘はノーチェに輝かんばかりの目を向けていて、感想を窺う。

「おー……吃驚したから身構えちまったぜ?」
「わーいサプライズ大成功だね!」
「でも俺ら避けられる自信ないから、もうちょい気を緩めてくれていいと思うんだよなぁ……」

 飛び付かんばかりに喜ぶネアに対して、メアは苦笑を洩らしながらも散らばったゴミをひょいと拾い上げる。然り気無く現れた綺麗好きな一面が汚れていく床を見逃しはしなかったのだろう。
 そんなメアを置いてネアはノーチェの手を取り、「ベルが待ってるよぉ」と引っ張りだす。女にしてはやたらと強い力はノーチェ譲りのものだろう。「引っ張らなくても行くから」とノーチェはネアを落ち着かせようとするが、内心彼も彼で何が待っているのかと楽しみで仕方なかった。
 廊下を渡り、リビングの扉を開いた先に居たのは――律儀にソファーに座っていながらも耳を押さえるクレーベルトだった。
 彼は耳がいい。それこそ人間をも凌駕するほどの聴覚の持ち主だ。その耳が先程のクラッカーの音を充分に拾い上げてしまったのだろう。「う〜」なんて言って目を回すクレーベルトはそのまま倒れていきそうな勢いだった。

「あちゃー」
「……ま、ベルは耳もいいからな。お前らは先に飯とか済ませろよ。俺はこいつが大丈夫になるまで傍に居るから」

 はぁい、と返事と共にネアは駆けていった。恐らく兄であるメアの片付けを手伝いに行くつもりなのだろう。それを見送ったノーチェはクレーベルトに近付くと、耳を覆う手を下ろしてやって「大丈夫か?」と小さく声をかける。

「取り敢えず寝室にでも行こうな」

 そう言ってクレーベルトの腕を首に回し、彼の体をぐっと持ち上げる。肩を抱いて、膝の下に手を置く所謂お姫様抱っこというやつだ。それを軽々とやってのけるノーチェにとってクレーベルトの体など重くも何ともない。
 ――というより、クレーベルトは本当に軽いのだ。まるで体の中の内臓はないと言いたげに。恐らく彼はノーチェの知人にさえも軽々と持ち上げられてしまうだろう。それを試す者が居ないのは、クレーベルトが培ってきた高圧的な態度にこそあるのかもしれない。
 そんな彼をノーチェは抱き抱えながら階段を上り、部屋の一室の扉を開く。き、と扉の小さな音。その向こうにあるのはただ広い部屋に寝具と本棚、小さな机がひとつ。羽ペンや本が無造作に広がっている他、窓から吹く風に厚手の生地がゆらゆらと揺れる。
 ノーチェはクレーベルトをやや広い寝具の上に下ろすと、軽く頭を撫でてやった。
 クレーベルトの頭に反響し続けるのは先程の発砲音。耳から入ったそれが脳を揺さぶるように頭の中でぶつかり合っては何度も跳ね返る。それが彼が目を回す原因で、暫くすれば症状も治まるに違いない。ただそれがいつまでになるかが問題で、早ければ数分――遅ければ一日はかかるだろう。
 「こりゃクラッカーは禁止だな」なんてノーチェは溜め息がちに呟いた。苦しげなクレーベルトの表情は胸に刺さるものがある。早く治れと頭を撫でながら、彼は寝具の端にゆっくりと座る。
 あくまでクレーベルトを刺激しないように、ゆっくりとだ。

「――ノーチェ……」

 ハッとしてクレーベルトは咄嗟に目を覚ますと、反射的に体を起こそうとした。それを見かねたノーチェはありったけの――ただし本人を傷付けない程度の――力でクレーベルトを強く押さえ付ける。
 すると彼は目を丸くして「う、」と呻くと、途端に目元を押さえて「情けない」――そう呟いた。

「何が情けねぇんだっつーの」
「う……」

 ノーチェは酷く落ち込むクレーベルトの額を打ち付けてくっと笑う。

「苦手なモンのひとつやふたつ、生きてりゃ見つかるだろ。大きな音が駄目だなんて他の奴だってそうだろ? お前がそれで情けないんなら俺はどうすんだっての」

 大の大人である筈のノーチェはムカデを受け付けない。見た目では判断しにくいそれは、実際に目の当たりにしてみれば一目瞭然だ。
 幼少期に彼に何があったのか、クレーベルトは知る由もなければノーチェ自ら口にするまで聞き入れるつもりもない。クレーベルトにとって彼と会ってからの時間は孤独であるときよりもあまりにも短く、そして浅い。実際のところはそれなりに深く長い時間を共にしている筈なのだが――、クレーベルト自身が認めなければその程度に収まってしまうのだろう。
 そんなことを話してしまえば許してくれなさそうなノーチェは、それを見ると途端に――それこそ反射的に――辺りを持ち前の力で蹴散らし、視界にも映らないところまで颯爽と逃げ去ってしまう。「いい歳して」なことは分かっている。――しかし、身に染み付いた恐怖など、簡単に拭えないのだから仕方のないことだろう。
 ――そんな状況を思い出し、「そうだな」とクレーベルトは呟いた。誰しも駄目なことはいくつもあるのだ。彼はそれを上手く受け止めて、噛み砕いて、飲み込んでくれる。クレーベルトもまたノーチェをしっかりと受け止めてやるべきなのだろう。

「…………食事は済ませてもいい。どうせ俺は」

 食事は必要ないからな。――そう言おうとして、唐突に扉が開いた。
 驚いて二人が扉に目を向けると、そこにはゴミ拾いが終わったのであろう二人の子供がこちらを見ている。「どうした」とノーチェが問えばネアは「ふふん」と腰に手を当てて口角を上げた。

「どうせ二人のことだからね〜! 『食事は先に済ませてもいい。どうせ俺は食事は必要ないからな(精一杯の低音ボイス)』」
「『ばぁか、お前が居ない状況で食っても美味くねぇだろ(キリッ)』」
「……なーんて言うと思ったからぁ〜! こっころ優しいスレンダーボディでキュートなネアちゃんと〜」
「人に気配りができるけど女がジャガイモにしか見えないメアくんが〜」
「「ベルが作ったケーキを持ってきてあげました〜」」

 意気揚々とケーキを片手にポーズを決める双子に、親であるノーチェとクレーベルトは目を丸くして――次第に自分達がしていた会話を見抜かれていたのだと知るや否や、言い表しようのない羞恥が迸る。
 扉を開けてきた二人はそれぞれ役を決めてきたようだった。
 ネアは諭すような柔らかい表情になったと思えば、無理のある低い声でメアを見つめていた。恐らくそれは今のクレーベルトを表したものだったのだろう。――対してメアもまた柔らかい表情でネアを見つめ、馬鹿だなと言いたげに唇を開いた。――最早言葉にするまでもないが、それはノーチェの真似だったといえる。優しいものの、やけに凛々しく整ったその表情は紛れもなく父親そのものだった。
 そんな二人が先を見通して持ってきたのはクレーベルトが作ったというチョコレートケーキだった。焦げ茶色に染まった生クリームもスポンジケーキも見事な出来映えのそれだ。「美味しそうだね」「美味しいだろうね」交互に呟く様はまるで打ち合わせをした結果のものだと思えるほど、息が合っている。
 その二人の見つめる先に居るノーチェとクレーベルトは見せつけられた演技にぐっと頬を赤らめて、恥ずかしそうにしながらも眉根を寄せた。

「いい子だと思ったけど無しだな……」
「きゃー! ノーチェが怒ったぁ!」
「逃げるが勝ちってやつだよ」

 然り気無く近くにあった机にケーキを置き去りに、睨みを利かせたノーチェから逃げるためにメアとネアは颯爽と逃げていった。足の速さはクレーベルトほどではないが、それでも早いもので、追いかけても無駄だと分かりきっているノーチェは溜め息を吐いてそれを見る。
 小綺麗に切り分けられたケーキを手に取って「食っていい?」と何気なくクレーベルトへ問いかけた。すると、彼は一度瞬きをした後「好きにしろ」と顔を逸らしてしまう。丸まった背中がどこか不安そうに見えるのは自信がないからだろうか――。
 ノーチェは皿に置かれたフォークを手に取って何食わぬ顔でケーキに突き立てる。柔らかなスポンジは銀色に輝くフォークをすんなりと受け入れ、ほろほろと溢れるように掬われた。梳られたかのようなチョコレートの上に振りかかっているのはココアだろうか――それを口に入れると、初めに舌の上を走ったのは案の定甘味だった。
 その後にやってくる苦味はノーチェを驚かせたものだろう。何せ作ったのはクレーベルトだ。彼ならば苦味など感じさせないほど甘い――甘ったるいもので仕上げてくると思ったのだ。
 しかし、彼の不意を突くようにやってきたそれは飽きもしないような、程好い苦味。恐らくその原因はまぶされていたチョコレートと粉末にあるのだろう。舌の上に転がったであろうココアパウダーだけでもそれなりに苦いと思ったのは、それが無糖のものだったからなのかもしれない。加えてまぶしてあったチョコレートはビターときたものだ。
 甘すぎず苦すぎないそれは、ノーチェの味覚を程好く落ち着かせていた。

「……美味いよ」

 ポツリ小さく呟いてみればクレーベルトの肩が揺れたような気がした。「本当か」と蚊の鳴くような声はまるで彼のものとは思えない。――それでもノーチェは「本当だよ」と言って、背を向け続けるクレーベルトの傍へと寄る。

「甘すぎねぇのは何で?」

 問いかけて二口目を頬張った。ノーチェは確信を探るような言葉を選んだつもりだ。

「…………簡単だ。食べるのが俺ではないからだ」

 クレーベルトはあくまでノーチェの為にケーキを作りたいと言ったのだ。終焉の元で食べたいと言ったのは恐らく本心だろうが、それよりも祝うのが当たり前だと自分の味覚よりも相手の味覚を選んだだけのこと。
 勿論、最初こそは飛びきり甘いケーキを作ろうとした。甘く、甘すぎるほどのものをだ。とろけるチョコレートをふんだんに使えば意図せずできるものを、更に甘くしたかったのだ。――だが、味覚が異なるのだと気が付いた頃にふとその手が止まったのだ。
 クレーベルト本人は何よりも甘いものが好きで、その甘さは深ければ深いほど――身を捩らせたくなるほど甘ければ甘いほど、彼の心を満たしていった。それを求める原因が「愛を求めている」のだと知るのは遅くはなかった。ただ同じように愛してほしいと思うものの、矛先を人間に向けないだけだった。
 そんなクレーベルトの心を満たすほどの甘いものなど、人間が口にしてしまえば簡単に胸焼けを起こしただろう。更に言えば、ノーチェの好み全てを把握しているわけではないクレーベルトだ。ただほんのりと、常人が好むであろう程好いものを選んだだけに過ぎない。
 それを求めた結果――クレーベルトは勿論、終焉さえもそれを味見できなかった。苦味と辛味は彼らにとって毒にも等しいからだ。――正確には渋い顔をしてしまうだけなのだが、口の中に残る程好い苦味に彼らが耐えられるわけではないのだ。
 だからこそクレーベルトは「よかった」と小さく呟いた。食べられるような出来映えでよかった、と。
 あくまでノーチェに合わせたであろうその味に彼は心が満たされるような気がした。何気なく頭を再び撫でて「俺って幸せ者だよな〜」と他人事のように口を洩らす。軽く柔らかな髪を一房手に乗せて、唇を寄せる。
 「なあ、一個我が儘言っていいか?」とノーチェがやけに楽しむように言ってみせた。何事かとクレーベルトは顔を向けると、どこかで見たことがあるような好戦的な瞳でじっと見つめてくる。どうした――と口を開いてみれば、ノーチェはハッキリと言葉を言い放った。

◇◆◇

 同時刻――夕食を整えた終焉の手から溢れ落ちたのは小さな花瓶だった。ガシャンと肩を震わせたくなるような割れた音に、ノーチェは短い髪を揺らしながら「大丈夫か」と問う。花瓶だったものから出たのはテーブルを彩るために育てていた一輪の花。それが水が染み渡った絨毯の上に無惨に転がっている。

「…………今……何て……?」

 終焉もまたノーチェの誕生日を祝うべく、特別に――というよりは普段から――腕によりをかけて作った料理を出そうと準備をしていたところだ。当の本人に見られてしまうのは普通に有り得ないことなのだが、「やらせろ」と言わんばかりに引かない彼に折れたのは終焉の方だ。渋々ながらノーチェには料理を盛り付けてもらっていたところで、何気なく「欲しいものがあるんだけど」と呟かれたのだ。
 それは、終焉にとって馴染みがなく、忌々しく――ノーチェにとって憎い筈のものだった。

 ――だから俺に、お前だけの首輪をくれよ。

 ――同時刻、別の場所で、元々ひとつだった存在が二人、同時に目を丸くしたのは言うまでもない


前項 | 次項

[ 30 / 50 ]
- ナノ -