暴食の片鱗



 終焉は特別空腹を訴えるような存在ではなかった。寧ろその逆――全くと言っても良い程食事を必要としない存在だった。同居人と言おうか、同棲していると言おうか――同じ時間を過ごしているノーチェはそれが時折気に掛かってしまう。
 ノーチェの食事は終焉が率先して用意してくれた。絢爛豪華ではないが、無表情の男が作るとは到底思えない程の素晴らしい出来映えだ。彼は自分の作る料理に自信がないのか、稀にノーチェに味付けを訊けば、ノーチェが「美味しい」と素直に答える。そうして満足したかのように「そうか」と呟いて、自分の食事を始めるのだ。
 目の前に置かれたのはスープが染み込んで透き通るキャベツが丸めた肉を包んだもの。彩りに人参と、味付けに深みを増すためのベーコン、玉葱が盛り付けられたロールキャベツだった。気紛れに余った材料で作られた野菜スープには彩り豊かな野菜が入っていて、メインのものとはまた違ったコンソメの味が広がっていく。ふわふわとした柔らかな卵を口の中に放り込むと、溶けるようなイメージがあった。
 ノーチェはそれに満足していたが、向かい側に座る終焉の食事を見る度に何とも言えない感覚に苛まれてしまう。
 眼前に広がるのは夕食に似合わしくない甘いケーキ。金のフォークが彼のお気に入りのようで、白いホイップクリームとイチゴがあしらわれたショートケーキを彼は平然と口にしている。目の前の異色な食事を見ては、ノーチェは酷く申し訳ないような気がして、食事をする手が鈍くなってしまうのだ。
 その度に彼は不思議そうに「どうした」と呟いて、さも当たり前かのように口許の汚れを拭った。それは、以前と同じように澄ました顔で、まるで恋人のようで、――ノーチェは「何でもない」と言ってまた食事を進める。相変わらずそれの出来映えは良く、食が進む程。目の前の終焉は黙々とケーキを食べる手を進めていて、ノーチェの胸の奥には針が刺さるような小さな虚しさが存在する。
 彼の食事は完璧だ。まるで今の今まで作り続けてきたかのような丁度良い味付け。健康を意識してのバランスは文句の付け所がないと言えてしまう程。――だが、一つだけ不満を挙げてしまうとするならば、同じものを同じように口にしない所だろうか。
 栄養のバランスが考えられた食事に対し、終焉は常に甘いものを求めている。読書をしながらクッキーを、散歩をしながらキャンディを。夕食は決まってケーキを口にし続けた。それは、人間性において決定的な違いがあるのだと見せ付けられているようで、少しずつ、確かに食事を進める手が疎かになっていく。
 ノーチェは終焉が何を口にするのか知っているつもりだ。糖分は当然――しかし、終焉の本来の主食は甘いお菓子などではない。本当ならば甘味も何もない、ノーチェと同じような体を持った人間なのだ。
 人が人を喰らう様を見ると言うものはなかなか精神的に来るものがある。腹を裂いて臓物を、頭蓋骨を割って脳味噌を、四肢をもいで喰らう姿を目の当たりにすれば恐怖さえも覚えてしまうのだ。
 それを懸念しているのだろうか。終焉は滅多に人を喰らう事はない。ただ喰いたいものがないだけと言われればそれまでだが、彼の言う「最愛の人」であるノーチェの事を想っての行動だろう。ノーチェもまた人間であり、終焉にとって格好の餌でもあるのだ。
 ――人間以外であれば甘いものばかり。それ以外のものを一切口にしようとはしない。

「……飯、食えないのか?」

 ――以前ノーチェは終焉に何気なく問い掛けてみた。微かに首を傾げ、短い白髪が小さく揺れる。頬には微かにだがピアスが当たったような気がした。それをも気にせず終焉を見上げていると、冷めたような赤と金のオッドアイが小さく伏せられる。「特別口に出来ない訳ではない」そう言って興味無さげに顔を背けてしまった。
 「食べられない」のではなく、終焉はあくまで「口にしようと思っていない」だけ。ノーチェは惜し気もなく背を向けて歩いてしまう終焉の後を茫然と見つめている。意図的に食べないのは自分と彼は同じ存在ではないのだ、と知らしめているように思え、ほんの少しの嫌気がノーチェの胸の奥に、蟠りとして残っていった。
 若しくは、自分と同じものを食す事を拒んでいるのではないだろうか――。

 涼しげな気候に見舞われたある夜の日の事。普段のように夕食を口にした後、ノーチェを置いて外出して行った終焉は相変わらず行き先も告げず、何時に帰ってくるかも分からなかった。
 その合間にノーチェは慣れた手付きで、尚且つ勝手ながらも食器を洗い、風呂を沸かして、一人の時間を過ごしていく。その間に異様な静けさと屋敷の広さにどこか虚しさを覚え――彼は頭を横に振りながらいそいそと足早に浴室へと向かった。
 絢爛豪華、とは言い難いがまるで金持ちを沸騰させる程には大きな屋敷だ。やはり浴室もそれなりの見た目をしていて、一際目を惹くのは黒い浴槽だろう。そして、一人で居るにはやはり物寂しいのだ。世界を滅ぼす終焉の者と謳われる男は、自分に会う前はこんな広い屋敷に一人で身を寄せていたのだろう――そう思えば思う程心のどこかであの男に自分を頼って欲しい気がして、何が出来るのかと己に問い掛ける。何せ終焉は大抵の事は一人でこなせてしまう人物なのだ。今更奴隷であった自分が口を挟める事ではない――。
 ――ぱしゃん、とタイルに足を着いたと同時に水が跳ねた。脱衣室で体を拭く為に用意したタオルは柔らかく、顔に寄せればあの男の香りが鼻を擽る。
 ――当然だろう、ここはあくまでノーチェの自宅ではなく、終焉の屋敷なのだから。押し入るように終焉の傍に身を寄せるノーチェにはその香りはいつまでも新鮮なもので、微かに酔いしれるような感覚に陥る。自分の知らない香りだ。そして、血生臭くもなく、纏えば香りに包まれているような――誰よりも男の傍に居られているような喜びがあった。
 そうした後、不意にこんな事をしている場合ではないと顔を上げれば、洗面器の鏡の自分と目が合う。相変わらずの瞳に顔付き。以前と異なるのは体付きだろうか――あの頃に比べれば随分とがたいが良くなり、軟弱さなど微塵もありはしない。首元にあしらわれた首輪の代わりになったのは、薄ら残る首輪の痕。自由の身になり生活に不自由もなくなったとはいえ、時折不安も不満も抱いてしまうのが人間というものだろう。

「…………今日も遅いのか……」

 時刻を確認するには脱衣室を出なければならない。けれど、普段通りならばあの広い屋敷にまだ終焉は帰ってきてはいないだろう。良い大人と言われるような外見であるとはいえ、やはり寂しさは募るものなのだ。
 「こうしちゃいられない」ノーチェはそう言って鏡から目を離すと、慣れたように自分の衣服を纏い、ピアスを耳に付け直し、タオルを籠に入れて颯爽と脱衣室を後にする。
 玄関が広い、おまけにリビングもキッチンも広い。人が一人居ないというだけで異様な静けさが付きまとってくるようで、彼は足早に一階にある隅の部屋へと駆けていく。ノーチェに与えられた部屋は二階にあるのだが、そう素直に自室へと戻る気にはならないのだ。その上終焉もまた拒むようにも見えない。折角だ、彼の自室で出迎えてやろう、と自分を視界に入れた時の終焉の表情を期待しながら、ノーチェはその部屋の前に来た。

「…………?」

 何かが可笑しい。普段なら閉め切られている筈の扉が微かに開いている。「完璧」を体現したかのような男の事だ、絶対に扉を開けっ放しにするという事はまず有り得ない。微かな変化にもすぐに気が付いて無表情のままで淡々と言葉を紡いでいくような人物だ。その男の部屋の扉が開いているという事は、既に帰宅してしまっているのだろう。物音も立てず、ノーチェへの挨拶もせず――そんな事実に疑念も抱かないまま、いつの間に帰ってきたのか、とノーチェはゆっくりと扉を開けた。

「なあ、帰ってんなら声掛けてくれても良いじゃんか」

 部屋の中は嫌に暗く、月の光も差し込んでは来ない。恐らく雲がかかっているのだろう。その中で佇む人影はやはり見た事があって、それが見慣れた背中だと知るや否やノーチェは平常通りに声を掛けながら部屋に入り込む。風呂上がりの白い毛髪は短さが項を奏してか、乾くのに時間は掛からないのだ。それでも洗髪剤の良い香りが彼の鼻を擽り、暗闇に溶け込んでいる手指がピクリと動く。
 ――可笑しい。先程感じた感覚が再び振り返すように胸騒ぎがノーチェを襲う。あまりにも静かで、人間という雰囲気をまるで感じさせてくれやしない。何か調子が悪いのだろうか――終焉という人物は蓋をするように成された無表情で全てをひた隠しにするからこそ、体調の悪さに気付くのが遅い時がある。けれど、それでは良くないのだ。
 いくら待とうが彼は振り向いてくれない気がした。それがどこか遠くに行ってしまうような前触れに見えてしまって、咄嗟にノーチェは手を出す――。

「――なんて……美味そう、な……」

 赤い筈の瞳が怪しく煌めいていた。男が振り返った先に見えた表情は無ではなく、愉快この上ないと言いたいような奇妙な笑み。煌めいて見えたその瞳はまるで昼間の青空のように輝いていて、知らない間に不思議と見とれてしまう感覚に落ちた。
 ――しかし、その感覚も束の間。体を押し倒さんとばかりにノーチェの肩に終焉が手を置き、その勢いのまま床に強く背中を打ち付ける。全身を駆け巡る振動と痛みはノーチェから呼吸を一瞬だけ奪い去り、微かに息が止まった。
 一瞬の思考の剥奪――それが仇となり、頬の近くを微かな吐息が掠めた事に気が付くのが遅くなってしまう。

「いっ……!?」

 ノーチェの左の首元に異常な痛みが迸った。それは目にしなくても分かるようなものだ。――そもそも、ノーチェの目の前にあるのは終焉の黒い衣服。周りを見ようにも覆い被さるような体勢がそれを許してはくれやしない。その後に認識する喉を鳴らすような音。そして、未だ深く――肉を食い千切ろうとする程に深く突き立てられた歯は鋭く、ノーチェは反射的に男の肩を押し戻すように力を込める。
 まるで野生の獣に喉を噛み付かれているようだった。人よりも遥かに強い力を持っているとしても、痛みで左半身に思うように力が行き届かない。獣が唸るような声が耳元から聞こえてきてしまう――それは、彼と男が全く違う人種だと象徴してしまっているようで、痛みに呻く声など上げたくないと言わんばかりにノーチェは歯を食い縛る。
 いけないと思った。このままこの人を「人」でなくしてはいけないと。力でものを言わせて良い。男と同じ「人間」でありたいと思った。
 ――不意に雲の隙間から月が顔を覗かせる。淡く、どこか青い月明かりだった。その光で映し出された男の影は奇妙な形をしていて、ノーチェは思考が奪われる。
 ――光の向きで見えない筈の影が一際大きく見えていた。その中でゆらりと蠢く尻尾のような影が六本。脈打つように鼓動とざわめきを繰り返していて、やはり根本的な違いは覆せないのだと、――痛みからか、それとも気付かされた所為か――視界が少しだけ涙ぐんだような気がした。

「……これは……これで、良いんだろうな……」

 ふと呟いた言葉にノーチェは微かに苦笑して、押し戻そうとしていた手の力を緩めてしまう。――奴隷であった頃よりは遥かに良いと思ってしまったのだ。屈辱的な環境下で死ぬより、充実した中で死んでしまう方が。
 ――一切欲しがらない男が今、自分を欲しているという事実が妙に心地好くて、「そのままで」と言わんばかりに終焉の首元に手を回す――。

「――っ!……あっ、ぅあ……」

 それは突然だった。一瞬だけ終焉が意識を取り戻すと、抱き締めていたノーチェの手を振りほどき、彼の体を突き飛ばすように彼と距離を取る。咄嗟に振り払われたノーチェは再び床に頭を打ち付け、「いってぇ……」と次こそ痛みに声を上げた。深く突き刺さっていた歯があった筈の首元からは血が絶え間無く溢れ出ていて、このまま放置してしまっていては危険ではないかと思ってしまう程。
 ――それでも以前よりは頑丈になったのだ。徐に体を起こせば、自分を押し倒していた筈の終焉がノーチェを見下ろして、恐ろしいものを見てしまっているかのように目を丸くしている。その瞳は青ではなく、普段の血のように赤い瞳だった。

「ち……違う……私……私、は……」

 何かを弁解するように終焉は言葉を紡ごうとしていたが、その度に舌に伝わる錆びた鉄の味が男の言葉を掻き消してしまって、徐に口許に滴るそれを黒い手袋を付けた手で拭う。
 ――明らかに動揺が隠せていなかった。普段の冷静な終焉はふとした時に動揺してしまうようで、それの対処をする事は苦手にも見える。だから、だろうか――ノーチェには終焉がどんな行動を取るのか、手に取るように分かってしまった。
 暗闇でも簡単に辺りを見渡せるノーチェの瞳はしっかりと終焉の目を見ていた。赤い瞳と、布の下に隠されているであろう、もう見る事は叶わない金の瞳。――ふと、男が扉の向こうへと視線を投げたのが見えた。それにノーチェは反射的に体を起こす。微かな目眩が襲ったが、そんなものを気にしていられる余裕はなかった。
 終焉は気持ちを落ち着かせる事が苦手なようだった。だが、男なりの簡単な落ち着かせ方が一つだけ確かにあった。男だけに与えられた「永遠の命」を使った方法――禁じられているという自殺。何らかの形で男の体は死を認識すればリセットされ、負った傷痕も残されないというのだ。その分いくらかのリスクを伴うが、――如何せん、今の終焉にはそれしかなかった。
 朧気な足取りで男が目指したのは扉の向こう――刃物が集い揃うキッチンの方。駄目だと分かっていても尚、罪悪感からか、終焉は自分から死ぬという選択肢以外を選んではくれやしない。――それをノーチェは知っていた。自分の姿に見向きもしないで一直線に目的に向かおうとする。それが嫌で、嫌で、嫌で、嫌で――ノーチェは咄嗟に男の足に縋るようにしがみついた。

「頼む! 頼むから……死なないでくれよ……」

 決死の思いで紡いだ言葉は終焉に届いてくれたようで、扉の向こうへ向かおうとする足がピタリと止まる。「死なないで」と悲痛な叫びのように紡がれた言葉は終焉の胸に重くのし掛かったようだ。ゆるゆると動揺を隠せない赤い瞳がノーチェの姿を捉えていく。足元にしがみつく成人男性の首元に赤い血がこびりついていて、鼻を突く針を刺すような強い香りが終焉のしでかした事を目の当たりにさせてしまう。
 誰よりも大事に扱っているつもりだった。それを自らの手で傷付けてしまったという事実が終焉の体から力を抜き取ってしまうようだ。「……すまない」――そう言って力無く床に膝を着いたと同時にノーチェは手を離した。こうなれば終焉が行動に出ない事が分かっていた。徐に手を伸ばしてみるが、その手を終焉が振り払う。

「すまない、こんな、こんなつもりじゃ……」

 何度も謝罪の言葉を口にして終焉は顔を手で覆い隠してしまう。端から見れば泣いているような姿をしていた。何故手を払われたのか――恐らく終焉がこれ以上の衝動でノーチェを傷付けてしまわないように、と考慮してのものだろう。「なあ、俺平気だよ」とノーチェは言葉を紡ぐが、終焉はそれを否定するように「そんな筈はない」と言った。

「平気だよ。ちょっとまだ痛むけど、アンタがそこまで気にする程じゃねえ」

 未だに出血は治まる事を知りはしないが、以前に比べれば確かな確信があった。手当てさえすれば何とでもなるのだ。風呂に入った後、というのが懸念される点だが風呂など入り直せば問題はないのだ。ただ、傷が治るまで入れないというのが難点ではあるのだが。――いずれにせよ、男の責任ではないのだ。
 そう言い聞かせるように終焉へ語り掛けながら再度男に手を伸ばす。また同じように手を払われるのかと思えば、次は大人しく触れられてゆっくりと手を下ろしていった。手の下にあった顔は今にも泣きそうな表情をしつつ、無表情を保ったままノーチェを見つめる。

「……結構頑丈になったんだぜ……なっ?」
「……………………」

 何とか終焉を宥めようと頬に手を添えてやる。彼の頬は変わらず人間と同じようなものを持っていて、口許には微かに拭った血痕が残っている。それ以外は全く違和感のない人間だ。月明かりで見えていた影も気が付けば獣のような面影など全くない。終焉の反応は今一つであるが、いやに申し訳なさそうな表情がノーチェの胸にのし掛かる。
 タダで事を済ませられる性格の人物ではないことは知っているつもりなのだ。ノーチェは不思議と自分自身がやたらと男に大事に扱われている事は知っている。それが、男にとって重要な意味を孕む事も知っている。その為に終焉はノーチェを傷付けるという行為だけは絶対に許しはしないのだ。

「……なあ……」

 だからそんな顔しないでくれ、といくらノーチェが宥めようとも、終焉は首を横に振って「すまない」と何度目かの謝罪を口にする。それは、自分自身を決して許そうとしない制約にも聞こえてしまうのだ。

「分かった……分かった、じゃあ……一つ聞いてくれ。それで許してやる、で良いか……?」

 何度もすまないと謝られるのはノーチェにとっても酷く気分が良くなかった。一度目を閉じてから思い立ったように口を小さく開いた。

◇◆◇

「頂きます」

 両手を合わせて礼儀良く目の前の食事に言葉を紡いだノーチェは相変わらずやけに嬉しそうな表情のまま、金のスプーンを手にスープを口にする。やはり完璧と言わざるを得ない味に彼は満足していた。「早く食えよ」そう言って催促するノーチェの目の前に居るのは、他の誰でもない終焉の者と謳われる男。テーブルには甘味を施した一足違った異色の食事――ではなく、 ノーチェと全く同じの食事が取り揃えられていた。
 彩り豊かな野菜と温かなスープがそこにあって、覗き込む終焉の端整な顔が薄ら映し出されている。とても不思議そうな表情をしていた。それは、向かいから見るノーチェにもよく分かる程。ノーチェが条件に出したのは「同じ食卓で同じ食事を摂る事」それで傷痕が残ろうが何だろうが、チャラにしてやると言うのだ。
 終焉の手によって与えられた傷は運良く殆ど痕も残る事はなく、後遺症もまるでない。それはそれでどこか虚しい気持ちになるものだ。

「んー……んまい」

 あどけなさが残る子供のような笑みを浮かべながら、ノーチェは終焉の様子を窺っていた。ただ茫然と食事を見つめながら一切手をつけてないのだ。その様子は謂うならば、初めての食事を目にしている子供のようで、やたらと愛しく思える程だ。男はノーチェの視線に気が付くと、ほんの少し目を逸らしつつ同じようにスプーンを手に取り、怯えるような手付きでゆっくりとスープを口にした。

「いつもより美味いなぁ」
「…………よく分からん」

 知らない味がする。終焉が何気なくそう呟けばノーチェは満足げに「そっか」と呟いて、もっと別の条件も出せば良かったな、と頭の隅に小さな欲を押し留めた。


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