クリスマス



「貴方の事を軟禁しているような状態だからな。街の賑わいに合わせて何かをしようと思う」

 ポツリ言葉を洩らして彼の反応を窺った。人の事を想い作り上げられた料理を彼は徐に口にして、茫然とそれを見上げる。赤黒い右目に金色に輝く左目、黒髪に混じる赤い髪が時折電気の明かりに照らされて艶めきを放っている。その髪とは対照的に日の光を避け続けたのであろう肌の色は白く――頬に刻まれた青紫の模様は一際目立っている。部屋の中に居るとしてもひたすらに露出を拒む体が、手が白い頬に添えられた。「どうする」とぶっきらぼうな問い掛けが彼に投げ掛けられる。
 もぐ、と彼は咀嚼を一つ。仄かに染みる野菜特有の甘味が舌を伝った後、丁度良い塩気や酸味等の味付けが追い掛けるように口一杯に広がっていく。それが、どこか妙に懐かしくて再び咀嚼を繰り返しては、やたら目を惹くその顔をじっと見つめていると、再び男は目の前の彼に問う。

「今夜は聖夜祭だろう。本来なら前日に用意すべきだったが、俺としたことが貴方の欲しいものを訊ねるのを忘れていたのだ」

 やはり慣れない事はするものじゃないな、なんて小さな溜め息を交えながら男は切れの長い両の目で彼を見やる。乱雑に伸ばされた白い髪。何かを抱えているかのように薄暗い瞳は常人とは違い、結膜は黒く夜を象徴とするかのように紫に彩られた角膜が酷く印象的だ。時折月と連動するように満ち欠けする光が見えるが――、男はそれを一切の興味も持たなかった。そんな瞳と同様に目元には小さな模様が白い肌に映えているが、首元にあるそれと比べてしまえばちっぽけなものように思える。
 そんな彼に徐に手袋を着けたままの手を伸ばし、口許に付いた汚れを拭う。「……汚れる」彼が一瞬怪訝そうに表情を歪ませた気がしたが、より一層無表情を貫く男は「構わん」と言葉を吐き捨てる。「口に合うようで何よりだ」そう言って彼の口許から手を離した先にあったのは、小皿に乗った形の良い艶やかなチョコレートケーキで、やけに小綺麗な金のフォークでそれを刺し、形の良い唇へと運ぶ。
 それは端から見ても異様な光景だった。彼の前に用意されたたった一人分の夕食に、男の前に置かれた一切れのチョコレートケーキ。彼の首に巻かれた輪を見る限り、男が主人であるとしか思えないのだが――、何故だか丹精込めて作ったであろう程好い旨味の効いたそれは、彼の目の前にだけ広げられているのだ。まるで、男はまともな食事など興味も無いと言わんばかりにチョコレートケーキを口へと運んでいく。
 生チョコレートの濃厚な甘味が口一杯に広がると、男の喜びを刺激したのだろう。微かに口角が上がったような気がした。あ、今少し嬉しそうにした――なんて思ったのだが、その小さな変化も束の間。いや、寧ろ気の所為だったのかも知れない――そう思ってしまう程男の変化はあまりにも小さく、一瞬のものでしかなかった。男のその顔はどこか遠くを見ているようなもので、ただの無表情の中にも見える筈の感情そのものが欠如しているように見える。
 その中で男は「何が欲しい」と言った。ものによっては今日中に用意は出来ないが、望むものをやろう、と。彼はそれを無機質な瞳でぼうっと見上げていた。一口サイズに小分けされ、口の中に運ばれるそれをただじっと。気が付けば彼の目の前にある皿の上に食べ物は一つも残ってはいない。それに気が付くや否や、男は先程と同じように金のフォークでケーキを刺し掬った後、彼の口許へと運ぶ。真一文字に結んでいた唇が小さく開かれた。男が使っていたフォークだというのにも関わらず、彼は平然と受け入れ、それを口にする。

「甘いものは良いな。心が踊る」

 彼の口からそっと抜いた金のフォークを再びケーキへと向けながら、男は小さく呟いた。――とは言え、男の表情に一切の変化が見受けられない所為で虚言とも取れる薄い言葉だ。しかし、続けてその艶やかなケーキを口にする様子を見るに、男はそれはもう上機嫌なのだろう。彼は口の中へ落ちたそれを二、三噛み締め「……甘い……」と口を洩らす。
 野菜の甘味など打ち消してしまうように濃厚で、口の中に残り続けるような甘みだ。甘い程度の言葉では済まされない筈なのだが――男はそれを平然とした様子で立て続けに口へと運び続ける。普通なら数回口にすれば飽きが来てしまうような甘さを、男は躊躇いもなく、途中で味も変えずに食べていた。
 「本当に甘いものが好きなんだな」彼がそう思うと同時に男が再び口を開く。「何か欲しいものは」と。「死を与える事は拒否するが、それ以外なら何でも」と。彼はそれに何度目かの視線を向けて男を見る。切れの長い猫のような瞳に光が一切見えやしない。何でも良い――それは、自らの人権さえも無視した軽率な発言だった。
 彼はそれを無気力な瞳で見つめていて――やがて静かに唇を開く。

「……アンタと一緒に居たい……」

 それは男にとって予想も出来なかった言葉だったのだろう。啄むようにケーキを食べ進める手が止まり、ほんの少しだが目が軽く開かれる。その彼の言葉は男にとって予想もしなかったもののようで、この人も驚くのか――と、仄暗い瞳で見つめ続けている。
 正直に言えば彼もまた自分で何を言ったのか理解していない、――と言えば語弊がある。彼は自分が発した言葉の意味を理解していたが、何故それを言うに至ったのかを理解していなかった。見た目は良くはないがいい歳した大人と言われるような見た目だ。それが、よく知りもしない男に対して「一緒に居たい」なんて呟いた理由が解っていない。
 なんて恥ずかしい人間だ。そう思う彼とは裏腹に男もまた悩む素振りを見せる。先程の表情は見る影もない――、ただ虚無にも似た無表情が湛えられているだけだ。その男が「本当にそれで良いのか」と呟く。

「不自由な貴方に贈り物を、と思ったのだが……それでは俺が贈り物を貰っている気分になる」

 「もっと欲張ってくれて問題ない」そう言って男は彼の顔を見る。綺麗になれば端正だと言えるような顔を。平然と「自分が貰っている気分になる」なんて言ったその言葉に、彼と居るだけで自分は幸せだという心理が隠れているとは気が付かずに。
 そんな男のいやに綺麗な顔を彼は見つめた後、静かに目線を逸らし「たまに居なくなるだろ」と言葉を洩らす。

「……アンタ……いつもじゃないけど、夜、居なくなるだろ」

 それは確信を得ているような一言で、男は「知っていたのか」と呟くや否や、再び小皿に盛られた艶やかなケーキに手を付ける。金のフォークがスポンジを突いて、掬い上げられたそれを口の中へ運ぶ――そんな、見慣れた一連の動作。少しずつ無くなっていくケーキを見ては「はぐらかされたのか」と小さく目を伏せて、自分の軽率な発言に後悔を覚える。部屋の一室に漂う異様な空気に彼は手を握り締め――「やっぱ、何でもない」と呟こうとした。
 不意に鳴り響いた金属音。小皿の上に金のフォークが落とされた事を指し示す甲高い音だ。それに彼は一度肩を震わせて、男をまた見やる。二人で使うには広いテーブルに肘を着いて、額を抑えるように項垂れている頭を支える。フォークを握っていた手は口許を拭っていて、端から見れば不機嫌になっているのではないかと思える程、いやに静かな無表情だった。

「……あの」
「………………」

 機嫌を窺う為か、彼が小さく声を発する。すると、同時に男は席を立ち徐に長く黒いコートに手を伸ばす。逆十字の留め具を外したと思えばそのまま脱ぎ捨て、稀に見るベスト姿になる。白い肌と同じように白いシャツが漸く顔を見せた。皺が一つもなく、上に着ている黒のベストを一際目立たせている。そう――金持ちを思わせるようなその姿は滅多に見られるものではない所為か、唐突に取った男の行動に彼は妙な不安を覚えた。
 そんな彼の心中とは裏腹に男は満月にも似た金色の瞳で彼を見て「食事は十分か」と問う。無意識のうちに威圧感を漂わせるそれに萎縮しながら彼は「……まあ……」と一つ頷くと、男は「そうか」と言って長い髪を靡かせながら踵を返す。

「今夜は雪が降るそうだ。外ももう、昼間とは全く違う冷え込みを見せているぞ」

 俺は寒いのは嫌いだ。――そう言いながら徐に黒い手袋を外し、再び彼を見た。そうして、いやに綺麗な手を差し出し、「何故座っている」と呟く。どれだけ光に当てても透き通る事がなさそうな黒い爪が特徴的だった。それが自分に向けられいると知ると躊躇いを見せるが、男が首を微かに傾げながら彼の背中を押すように言葉を投げる。

「一緒に居てくれるのだろう。コートを着たままでは十分に寛げない。――この程度の事で貴方は満足してくれるなら、いくらでも傍に居てやるぞ。強情るが良い」

 歩み寄って茫然と見上げるだけの彼の手を引き、強く抱き寄せる。生きているとは思えない程、氷のように冷たい感覚が彼の身体中を迸った。――しかし、それすらもまたやけに心地好くて、彼は徐に男に擦り寄って「怒らせたかと思った」などと口を洩らす。男の無表情から感情は読めないものだから、つい怒らせたのかと。そう呟くと、男は「貴方に言われて怒りを抱いた事はこれっぽっちもない」と答えた。

「よく分からない」
「そうか」
「……アンタ、冷たいな」
「嫌なら離してやる」

 なんて他愛ない言葉を交えていた。「離してやる」その言葉に彼は瞬きをすると、「別に、嫌じゃない」と言う。まともに温まらないその体に身を委ねて、これで温まれば良いと言いたげに男の背に手を回す。その行動に男は目を丸くして――自分自身さえも気が付かない程、微かに柔らかく微笑む。

「ああ、全く……ノーチェ……貴方という人はどうしようもなく愛しいな……」
「……それこそよく分からない……」

 ほんの少し、満足げに微笑みを湛える中、外では雪がちらついているように見えた。


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