忠誠



 どうすれば繋ぎ留めていられるか、なんて考えていた。失った右腕の代わりにしようと、自分の一部にする気持ちで居た。縛り付ける、閉じ込める、そんな事で留まる奴だとは思わない。いっその事、(はら)の中に収めてしまおうか――自分の中に蠢く嫌な考えを振り払うかのように微かな物音が耳を劈く。
 ふと、目を覚ませばいつも通りの部屋があった。強いて言うなら、普段よりほんの少し薄暗い程度。目を焼くような強い光がまだ届かないような朝の時間。日を遮る為のカーテンの隙間から覗く筈の光が見えない事から、俺の機嫌は言う程悪くないと思う。俺の目を覚まさせる原因になった小さな物音。布が擦れた音。極力抑えられているのは、俺の事を気遣っていてだろうか。
 ちら、と朧気な意識で見やれば慣れたような手付きで髪を整える男の姿。白い髪を三つ編みに結って、髪紐を結んでいる。到底がたいの良い男がするようなものではないと思えるのだが、俺も俺で三つ編みを結う側だ。人の事は言えまい、と口を噤む。黒い、フード付きのマントが微かに揺れた。暗い紫の、月のような光を湛えた目が微かに俺を見やる。
 ――何故それが部屋に居るのかよく理解出来なかった。部屋は相変わらず俺のものだというのに、俺の領域に他人が入り込んでいる。昨日は何かあったのかと働かない頭をぐるぐると動かしていく。異様に痛む腰に、直接肌に擦れる布団の感触。――まさか、俺はらしくない部分を見せてしまったのではないか、と奇妙な寒気を感じた。
 自分らしくない部分、そんなもの初めから自覚している。身内や、況してや主にさえ見せていない俺の幼稚な部分だ。体中に駆け巡る主から移った幼児退行が原因かと言えばそうであるが、そうでないと言えばそれまでだ。時折頭に響く拒絶の声か、はたまた今まで溜め込んでいた謎の不安の所為か――見られたのかも知れない、と不気味な不安に見え隠れする安堵の情に、寝起きの俺はただ茫然とその顔を薄目で眺めていた。

「……げっ、ボス……起きてんのかよ……」

 ふと、気が付いたかのように声を上げるそれに、何の返事も返さずに居る。どこか焦った様子で「悪ぃ、今出て行くから」そう呟くノーチェに俺は息を呑むような寒気を覚えて、徐に体を起き上がらせる。布団が捲れるとか、肌が露わになるだとか今はそんな事を気にしていられなかった。余所余所しい雰囲気でさっさと出て行こうとするそれに「待て」と言葉を一つ。腰に奔る痛みに意識がゆさぶられる。
 待て、と俺の呟いた言葉に足を止め、夜空にも似た瞳でこちらを見る様は酷く滑稽にも思えたような、ノーチェらしいと思えたような。「……何か用かよ」と聞いてきたノーチェの表情は訝しげで笑いさえ込み上げてきそうだった。

「……手を……」

 そう徐に呟いて、起き上がった反動で起こる目眩を抑えようと目頭を押さえる。右手を、と付け足すと何やら怪訝そうな言葉をいくつか並べて、「これで良いのか」と俺に訊いてくる。確かめる為に顔を上げればそこにあるのは指先が露わになっているグローブをしている手で――。それに俺は強く舌打ちをして「素手だよクソが」と呟く。それに、ノーチは更に不機嫌そうに何かを呟きながら従うようにそれを取り外し、「ほらよ、満足か」なんて言う。
 ふん、当然だろう――そんな言葉を噛み砕いて呑み込んで、その手を取りまじまじと見つめる。やはり骨張っているだとか、なかなか良い手だとか、そんな事をつい考えてしまう。傍から見れば俺は無表情らしいが、特別そんな事はないのだ。
 なんて事を考えていると、もう良いかとノーチェの急かす言葉を聞く。まるで一刻も早くこの場から立ち去りたいような声に目を閉じて「……そう急かすな。すぐに終わらせてやる」と口を洩らす。

「終わらせるって何を……」
「――Ich schwöre Ihnen Treue.」

 ノーチェが言葉を紡ぐ合間に手を引いて、口元に寄せる。触れるだけの口吻をその手の甲に落として、満足するように惜しむ事もなくその手を離す。「俺から離れていけると思うなよ」そう顔を上げれば、ノーチェは目を丸くしていて、理解しきれていないような表情を浮かべていた。
 それだけで何故だか満足感を得てしまったのだ。俺は自分に掛けられていた布団を掴み上げながら「寝る」と言えば、ノーチェはハッとしたように「おう」と生返事のようなものを返してくる。日から隠れるように布団に潜れば見知らぬ香りが一つ。いやに安心感を与えてくる心地の良い香りだった。

「……俺の眠りの邪魔をしてくれるなよ」
「……わぁーってるよ…………bonne nuit.」

 扉が閉まる直前に置き去りにされた聞き覚えのない言葉。ああ、そう言えば俺はノーチェの事を何も知らないな、と落ちていく意識の中で認識を進める。腕を、無くした腕を見ては悲しそうな表情をする人間。ならば――代わりを造るべきだろう。補うべきだろう。
 朧気な意識の中で固めた決意。誓った忠誠は独占塗れの香りに包まれている。


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