上書き



「何だこれは」

 肌を見た時、クレーベルトの目が変わった。ちらと肌を見ればそこに一つの鬱血痕。それを見るや否やノーチェは小さな舌打ちをして、「何でもねえ」と呟く。その表情はやたらと不機嫌そうで、今すぐにでも削ぎ落としてしまいそうな雰囲気さえも見せている。「お得意の女遊びか」そう男が挑発するように呟きを洩らす。神経を逆撫でるような言葉は彼の無意識か否か――「何か言いたい事あるんなら言えよ」ノーチェは半ば自棄になるように微かに頭を掻いた。

「別に」

 お前らしくて良いんじゃないか。クレーベルトはそう言ってさも興味が無さそうに目を伏せながら言う。興味が無い、と言うよりはただ無表情なだけで、裏では何を考えているのか分からないものだ。最近は読めてきた筈の表情も、無表情のままであればノーチェには理解するのは難しく、それが更に不快感を掻き立てた。
 女に痕など付けられなければ問題はなかったのだ。その刻まれた鬱血痕はまるで自分のものだという証のようで、ノーチェは脳裏に刻み付けられた苛立ちに眉を寄せる。体に痕を残して良いのは目の前に居る男だけだというのに、無表情のクレーベルトは自分から痕を付けてくるような人物ではない。
 ああ、これどうしようかな、そう思うノーチェとは裏腹にクレーベルトはやはり無表情で――と、思えば徐に手を伸ばし、ノーチェの肌に指を滑らせる。

「何」

 何をするんだと言いかけたノーチェが口を噤んだ。見ればクレーベルトがその鬱血痕にゆっくりと舌を這わせ、半ば歯を突き立てるかのように強く吸い付いた。ちゅう、と小さな音が鳴ったような気がする。微かに痛みが奔ったが、ノーチェの表情は痛みに歪むよりも驚きの方が勝っている。
 男の素肌に垂れる髪も女のように滑らかで、肌の色は日を避けている所為かいやに白い。刻まれている模様を彼は嫌っているが、消えるようなものには見えない――そんな分かりきった情報が頭の中に入り込んでいく。クレーベルトが痕に上書きをするように唇を這わせた事があまりにも予想外のようで、心のどこかで期待していたようだった。ノーチェの胸を満たす苛立ちが、優越感にも似た感情に塗り替えられていく。

「……ん、満足」

 顔を離して人知れず呟いたであろうクレーベルトの表情は、心なしか満足げに口角が上がっているように見える。

「……あんまりそういう事すんじゃねえよ……」

 誘ってると思うだろうが、と呟いてノーチェは抱き寄せてやろうかと手を伸ばした。――だが、その手をゆっくりと押し戻し、柔らかな表情を浮かべて、ボスの名を得るのには相応しくない程に優しい声色で、「風呂」と言った。そして名残惜しさも感じないようにその場から離れるのだ。

「……お預けかー」

 なんて苦笑を洩らして、ノーチェもその後を追って行った。


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