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 あと25分。長い。
 わたしは壁の時計の長針を睨みながら早く早くと念じてみる。そんなことをしたって針の遅々とした速度はもちろん変わらない。ふうと軽く嘆息して、机に目を落とす。



 高校で初めての模試の最中だった。机の上にはほぼ白紙状態の数学の解答用紙がある。だだっ広い空白が、お前にできるもんなら埋めてみろとわたしを嘲笑っているように感じる。これでも頑張って分かるところは解いたのだ。合っているかどうかは怪しいが。泣ける。
 やることがない。見直しだって3回した。だけど分からないものは何度見ても分からないのだ。
 試験監督をしている桐原先生がゆっくりと回ってきて、わたしの手元を覗こうとする。わたしはばっと腕をかざしてそれを阻止する。先生の方をキッと見上げると、呆れたような顔をして前方へと歩いていった。
 あと22分。あーあ。早く終わんないかな。なんでやることもないのに机の前に大人しく座ってなきゃなんないの。馬鹿みたい。
 龍介の様子はどんなかな、とサボり癖のある幼馴染みの席を見遣ると、当の龍介は机に突っ伏して寝ていた。丸まった背中が呼吸に合わせてわずかに上下している。
 なーんだ。龍介だって同じじゃん。わたしはちょっとほっとして、窓の外を眺めた。澄んだ薄い空色に、綿のような白い雲がぽこぽこと浮かんでいる。いい天気だなあ。走りたい。こんな教室の中でじっとしていたくない。
 相変わらず時計の針はのんびりと進んでいる。



 模試の後、すぐに模範解答が配られて自己採点をした。国語と英語はまあまあかなと思うが、数学はひどい。目も当てられない。まあ、ほとんど白紙だったんだから当然だけど。

「あ! 龍介、どうだった?」

 真っ先に荷物をまとめて帰ろうとしている龍介に声をかける。龍介は冷めた目をわたしに向けた。

「さあ。結果が戻ってきてからのお楽しみでいいだろ」
「なにそれ。少しは教えてくれたっていいでしょ」

 実はわたしと龍介は賭けをしている。賭けって言うほど大ごとじゃないけど。わたしの3教科の合計点と、龍介の数学の点数を比べて、高い方が低い方にアイスを奢るという約束なのだ。
 その賭けを提案したとき、お前にはプライドはねーのかよ、と龍介は言っていた。プライドなんてどうでもいい。プライドよりもアイスの方が大切だ。
 それから幾週かが過ぎ、模試の結果が返ってきた。国語と英語は部分点が加算されていて自己採点よりも高かったけど、数学は1点の差もない。数学は答えがひとつしかないから嫌い。適当に書いたって絶対に当たらないもんな。
 結果が書かれた用紙には、偏差値や順位、偏差値を三角形のグラフにしたものなどが印刷されている。わたしの三角形はすごく小さい二等辺三角形だ。悲しい。言わずもがな、引っ込んだ頂点は数学である。

「どうだった?」

 かけられた声に顔を上げると、にこにこと笑みを浮かべた輝だった。傍らには龍介がいる。笑顔の輝とは対照的に、むっつりした仏頂面をわたしに向けていた。

「先に龍介の見せて」

 わたしは返事を待たず、龍介の手から用紙をひったくった。
 どれどれ、と数学の点数の部分を探す。わたしの用があるのは数学だけなのだ。
 そこには、100/100とあった。
 え。なにこれ。100分の100ってことは、つまり……。

「え、嘘、満点!?」
「馬鹿、声がでけえよ」

 少し焦ったように龍介が言う。
 教室にはまだ多くの生徒が残っていて、わたしたちの方を、正確には龍介をちらちらと見ている。満点だって、茅ヶ崎くん、すごいね、と囁いているのが聞こえる。
 わたしは思わず、えーっと声を上げてしまった。模試中に熟睡する龍介の背中が脳裏に甦る。

「だって龍介、解答時間の半分くらい寝てたじゃん! どうして?」
「どうしても何も、終わったから寝てたんだよ」

 龍介が不機嫌そうに答えた。

「龍介、すごいよねえ。さすがって感じ。点数少し分けてほしいよ」
「輝だって、国語の点数9割近かったじゃねーか。記述式でそんなに取れる奴そうそういねえって。国語なんて答えが何個もあるのに、すげーよ」
「いや、数学の方が難しいって。国語なら何か書けば当たるかもしれないけど、数学は答えがひとつしかないもんね」

 互いを褒めあう龍介と輝の言葉を、わたしはぐぬぬと思いつつ聞いていた。どうせわたしには運動しか取り柄がないですよーだ。
 中学校まではスポーツができる人が男女問わず人気者だったけど、高校はそうではないみたいだ。ため息が出てしまう。俯くと、手に持ったままの用紙のある部分に目が留まった。
 数学の全国順位、1位とある。

「えっ、ねえ龍介、全国1位だって、数学の順位!」

 慌てるわたしを尻目に龍介は、はあ?と言いながら首を少しばかり傾けた。

「なんで驚いてんだよ。満点なんだから1位なのは当たり前だろ。満点取れる奴が全国に何百人いると思ってんだ」
「えーでも、すごいじゃん!」

 龍介にとって当然のことでも、1位が全国に何百人いようとも、わたしからすればそれは本当にすごいことだ。
 勢い込んで言うと、龍介は反対に押し黙った。そんなことを言われるなんて予想外だった、と言わんばかりの表情だ。返すべき言葉を探しているらしく、目がわずかに泳いでいる。

「……別に、そんな特別なことじゃねーよ。……それよりも、お前さ」

 龍介が鋭い目をすっと細めた。尖った視線がわたしに向けられる。なぜだか瞳の奥に、悲しみが見え隠れしていた。

「たまにそういうこと言うの、やめてくれよ」

 ほとんど懇願するような調子だった。
 わたしはそう言う龍介の本心が掴めなかった。どうしてそんなことを? どうしてそんな目をするの? わたし、何か悪いこと言ったかな。

「な! なんでよ、せっかく褒めてるのに、何が不満なわけ」
「俺は――いや、それより、早くアイス食べに行こうぜ。食べたいんだろ」

 開きかけた口を一旦閉じて、龍介が通学鞄を手に取る。そのまま、すたすたと教室の外へと歩き出す。輝がやれやれ、といった様子で肩をすくめ、苦笑した。

「僕は二人の邪魔しちゃ悪いから先に帰るよ。二人っきりでゆっくりしていって」
「だから、そんなんじゃないってば! ちょっと龍介、待ってよー!」

 わたしも鞄を引っ掴み、無愛想な幼馴染みの背を追った。

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