(1/1)□□
 大切なひとの笑顔を見るのが好きだ。
 そう言ってしまうと、よくある惚気のように受け取られるだろうか。
 彼女の表情はころころ変わる。知人と話しているとき、道端で可愛らしい犬に遭遇したとき、好きなドラマや映画を観ているとき。優しく目元を緩ませ、弾けるように笑い、口元から白い歯をこぼし、時には目を丸くして、驚きや興奮や喜びを全身で表現する。
 その表情はいつでも真新しく耀いている。内から湧きだす溌剌としたエネルギーに満ちている。この世界はすばらしいものであふれ、好奇心を刺激するものばかりあるので、とても反応が追いつかないと言うように。
 彼女の様子を見て、私は安心する。生まれてから今までずっと、たくさんのひとに深く愛されて生きてきたのだと実感できるから。
 好きだと思える笑みを、自分は一歩引いたところで見守っていられれば満足だった。彼女がつくりだす清浄で晴れやかな光の輪に入れずとも、彼女に忍び寄る影をひそやかに払うえればそれでいい。それが自分の役目だと。

「どうかした?」

 彼女が私に笑いかける。こんな私を、すぐそこからまっすぐ見つめている。

「そんなに遠くを見なくても、私はあなたの隣にいるのに」

 彼女が私の手を取る。両の掌に温かく包まれ、改めて自身の手のかたちと冷ややかさを知る。
 ――独りでいるときの、自分の手のかたちのなんと曖昧なことだろう。

「もう、寂しそうに笑わなくてもいいんだよ」

 私のことなど、彼女はすべてお見通しのようだった。光の輪に入るのを畏れていたのは自分の心、ただそれだけだったのだと、私は教えてもらう。
 彼女はもう、遠くにある眩しい光ではなかった。
 私を隣で照らしてくれる、聡明で暖かい光だった。

「これからは、私があなたのことをたくさん愛します。だから……ふふ、楽しみにしてて」
「……君には敵わないな」

 この蜂蜜色の、まどろみのようなとろりとした感情を、幸福と呼ぶのだろうか。
 彼女に出会うまで、私は自分が幸せになる必要などないと思っていた。他人に愛される権利が、己にあるのかも疑っていた。
 深い海のような愛を受けて、これ以上幸せになってしまうのは怖い気もするけれど。
 私の手が震えたら、きっと指先を優しく握ってくれる人がいるから。
 この先も迷いながら、ずっと一緒に歩いていきたいと思う。


 幸福とは終着点ではなくて、その道行きのことなのかもしれない。

――いつかの幸福論

back


(C)Spur Spiegel


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -