白と金色を基調とした豪奢なホテルのレストランで、美しい青い肌をした一組の男女が、折しもメインディッシュに舌鼓を打っていた。
 男と女は肌つやもよく健康的な容姿で、今や高級品の天然素材のスーツとドレスを身にまとっている。凡人なら気圧されそうな雰囲気の店内においても変わらない落ち着きといい、ナイフやフォークを繰る洗練された手つきといい、見るからに特権階級の人間だ。
 ふたりがじっくり味わっているのは、赤ワインで煮込まれた赤身肉の、芳醇な香りの一皿である。
 料理を味わうにはまず鼻からだ。男女のつんと尖った鼻梁へ、馥郁たる香りが吸い込まれていく。鼻腔を埋める濃厚な芳しさに、彼らはくらりとしたに違いない。
 長時間低温で煮込まれた肉は、ナイフで軽く押しただけでほろほろと崩れていく。柔らかくなった繊維は舌の上で優しくほどけ、まろやかな旨味と脂のコクが一体となって口いっぱいに広がる。男女の繊細な味覚を成す数万もの味蕾のひとつひとつが、その刺激に歓喜していることだろう。
 美味しいね、とふたりは目配せをして頷き合う。

「これから問題なく活用できそうだね」
「本当だね。使い道があって良かった」

 実はこの食事は、新奇の食材が彼らのお眼鏡――正確には舌だが――に敵うかのテイスティングの意味もあったのだった。
 赤身肉を平らげた男女は次の皿へと移る。このようにして、食事会は和やかに過ぎていった。

* * * *

 二一世紀、人類は危機に瀕していた。人類のみならず、地球そのものが人類の悪徳によって瀕死の状態に陥っていた。
 気候変動、食糧危機、環境汚染などの問題提起は早くからなされ、対策の急務が長く叫ばれていたにもかかわらず、人類はついぞ重い腰を上げることはなかった。代わりに、それまでの人類の短い歴史を、自らの手で縊ることに決めたのだった。
「新人類」というまったく新しい人類をデザインすることによって。


 もっとも、旧来の人類が新たな人類を生み出したのは、何も自らの首を絞めることを目的としていたのではない。彼らは純粋に人類が生き延びる術を模索していたのだ。無策に人口が増加したせいで、もはや人類の未来は袋小路に追い込まれていた。
 ゲノム編集という画期的な技術が、その折に誕生したのは唯一の僥倖と言ってよかった。あらゆることが手遅れになる直前に、本当にぎりぎりのタイミングで人類は「間に合った」のだ。
 人類はヒトの遺伝子に大胆に改編を加えていった。劣悪な環境でも生きていける高温・低温抵抗性や病原抵抗性は必須だったし、少ないエネルギーで生存できる代謝効率の良さも求められた。諍いや戦争の引き金となる狡猾さや暴力性や過度な利己性はヒトゲノムから慎重に取り除かれた。
 こうして幾度もの試行により、まったく新しい人類――新人類――が誕生した。ヒトが初めて、己の手で進化させた、最初の動物である。
 新人類の一番の特徴は、その深い海のような美しい青い肌だった。知能は極めて高く、従来で言うところのIQテストでは平均一八〇以上の高い数値を叩き出した。同じ種の感情の機微を表情から読み取ることに長け、言語を操る能力にも優れており、何事も話し合いによって解決できた。彼らの思考は常に理知的で穏やかに安定しており、地球という大きな物差しですべての事象を判断した。新人類が世界通貨の多くを所有し始めると、野生動物保護や自然保護に多く資金が流れ込むようになった。
 旧人類と新人類とのあいだに、子孫はできなかった。生殖が不可能という事実はつまり、両者が別の種になったことを示している。人類は自身の種の進化を促進したのみならず、新しい種を自ら創出したのだった。
 このようにして、旧人類と新人類の道ははっきりと分かたれたのである。


 人類のゲノム編集を推し進めた、遺伝子研究の第一人者であるM大学の教授はとても満足していた。自分の人生の功績に。
 地球環境は緩やかに回復しつつあった。彼は余生をのんびり送りながら、自身が作り出した理想郷となるはずの地球の様子を見届けるつもりだった。彼には地球という星そのものが、自分の耕した庭のように見えていた。
 ある日の正午、彼の脳内に埋め込まれた通信デバイスに臨時ニュースが飛び込んできた。教授は耳を疑った。
 そのニュースとは、本日から新人類は旧人類を糧食として扱うことを決めた、というものだった。
 誤報だろう。彼は当初信じなかったものの、訂正はいつまで経っても送られてこなかった。長らくつけていなかったテレビジョンの電源を入れてみると、やはり市井は旧人類の糧食化のニュースで持ち切りになっていた。こんなのはおかしい、と憤りが湧き上がってくる。

 ――新人類たちは恩知らず、恥知らずだ。我々が生んでやった恩を感じるどころか、食糧にするなんて! 親を家畜扱いなど、許されるわけがない。家畜! 私たちが家畜!

 怒りを通り越し、教授は笑いそうになる。しかしながら、声明の場で記者質問に答えている新人類の代表者の言葉を聞いて、それもすべて引っ込んでしまった。

「地球上に百億個体以上存在する旧人類は、長年我々の悩みの種となってきました。彼らは地球のエネルギー源を無駄に消費してしまうばかりか、環境を汚染し動植物の絶滅を引き起こすことに何の罪悪感も覚えない化石的思考の持ち主です。存在自体が地球にとって害になるのですから、それは彼らも望まないところでしょう。地球をさんざん蹂躙してきた旧人類も、我々新人類の血と肉になれる道が拓けて、さぞほっとしているはずです。私は彼らを食材とした料理を味見しましたが、幸運なことに、旧人類はきっと新人類の新たな好物となり得るでしょう」

 その新人類は、柔和にほほえみながら発言していた。そのあまりの善性に、彼らが言うところの化石的思考の持ち主である教授が反論する余地はなかった。
 教授はテレビジョンの前で項垂れた。きっと、我々の脆弱性や利己性、暴力性など負の要素と思われたものが、旧人類を人類たらしめていたのだろう、と悄然とした。何という皮肉だろう! 旧人類はある意味、自らを滅ぼさんとする新人類をその手で創り出したことで、地球上でおこなってきたあらゆる悪行に対して落し前をつけたと言えるのかもしれない。
 こうして人類史は、自身を縊り殺した旧人類によって一旦終焉を迎える。歴史の新たなる一ページは、調和の取れた新人類の総意によって綴られていくだろう。

――地球における新人類の新奇糧食についてのレポート
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