この記録を再生してくれている、どこかの誰かへ。
 少し時間を取らせてしまうけれど、どうか僕と彼女のことを、ふたりの物語を、聞いてはくれないだろうか。
 僕と彼女が、この荒廃した大地で確かに生きていたこと。
 このどうしようもない世界で、アンドロイドと人間が心を通わすひとときがあったこと。
 僕はこのログを、彼女に教わった言葉と感情表現を用いて記している。彼女は僕にあらゆることを教えてくれた。兵器としての運命を背負った僕の中に、彼女の言葉や知識は、粛々と舞い落ちる雪のように降りつもっていったんだ。
 どうか願わくば、このログを知覚しているあなたの心の中にも、彼女という存在が降りつもりますように。


 だらだらと長く続いた最終戦争はなあなあに終わった。国家も民族も維持できなくなって、それまでの世界はいつの間にやら瓦解していた。破滅的な戦争に勝者も敗者もない。都市は瓦礫の山になり、いつしか自然に侵食されて、何千年か続いた人間の文化的営みは儚く無に帰した。
 僕らのような、戦争の終盤になって生まれた殺戮兵器たちは、一度も戦場を見ることなくお払い箱になった。戦うための知識しか持たない存在だったわけだから、存在意義をまるごと失ったのだ。
 彼女に出会ったのは、そんな荒廃した世界をあてどもなくさまよっているときだった。
 瓦礫の山の中から使えるものを物色していると、すぐそばで物音がした気がして、僕ははっと振り返った。人類という抑圧から自由になった野生動物たちはみんな凶暴化していたから、僕のような兵器といえど用心は必要だ。
 近づいてきた影の正体を見て、僕は思わず瞠目した。きっとそのときの感情は驚きや、動揺といったものだったろう。相手は可憐(かれん)な姿の少女だった。長い髪を微風にそよがせ、ワンピースの裾はひらひらとはためいている。外見は10歳未満ではなく、15歳以上でもないといったところ。
 おおよそ廃墟には似つかわしくない姿に、僕はぽかんとした。敵味方の識別票を身につけていない対象を発見したのも初めてだったから、どうしていいものか判断をつけかねた。
 反射的にそのへんの石を拾って握りこみ硬直する僕に、彼女は「こんにちは」と涼しげな声で朗らかに挨拶してきた。
 話しかけられるという想定は微塵もなかった。しかも、友好的に。思考回路はめちゃめちゃに乱れ、狼狽が態度に出る。

「だれ……きみ、なに?」

 最低限の言葉しか知らなかった僕は切れぎれに尋ねた。

「大丈夫、私は敵じゃないから。安心して。あなたと友達になれないかと思って、話しかけたの」
「ともだちって?」

 訊き返すと、相手は表情を曇らせる。今の僕には分かるが、それは明確に悲しみの表れだった。
 彼女は気を取り直したようににこりと笑みをつくる。

「意味はこれから知っていけばいいと思う。良かったら、私の話し相手になってくれない? もう長いあいだ、誰とも喋ってなくて退屈なの」

 僕のような存在と会話することに何の意味があるか分からないが、敵意も感じられないし、拒絶する理由もない。呆気(あっけ)に取られたまま僕が曖昧に頷くと、何が嬉しいのか、彼女の顔がぱっと華やいだ。



「退屈」との言葉は本当だったらしく、彼女はとにかくよく喋った。そして底知れないほどに、あらゆることを知っていた。

「まず拠点を探しましょう」

 出会ってすぐにそう提案された。彼女が目をつけたのは、瓦礫と化した都市の外れにぽつんと建つ、ログハウス風の一軒家だった。ガスは使えなかったが、庭に井戸があって、自家発電機も備わっていた。家の外も中も荒れ放題だったが、彼女はてきぱきと片付けていく。

「雨風を凌(しの)ぐために、持ち主が戻ってくるまでのあいだ、ここを貸してもらうことにしましょう。私たちは、部屋に手を入れたり道具を整えたりしておくの。それでもし、元の家主さんが戻ってくれば」
「攻撃する?」
「あら、そんなことをしたら駄目。戦争はもう終わったんだから、これからは言葉を使わなくちゃ。説明すればきっと分かってくれるはず」
「ことば……」

 武器の代わりに言葉を使う、というのがどういうことか、そのときの僕には全然理解が及ばなかった。
 そんな僕に、彼女は様々な言葉を教えてくれた。言葉だけじゃない、色々な分野の知識や概念や感情までも。
 彼女に出会う前も、僕は別に困っちゃいなかった。空と大地があって、植物が繁り、生物が息づいていて、今は彼女と僕がいる。それで充分だと思っていた。けれど、彼女の傍らで草花や鳥や昆虫や動物の名前を少しずつ教わるほどに、僕が知っている世の中の物事はほんの少しで、この世界は僕の貧弱な想像力に余るほど広いのだという途方もない気持ちになった。
 知れば知るほど世界の複雑さを思い知らされる。それは不思議な感覚だった。
 彼女は様々な知識を持っているだけでなく、料理上手でもあった。
 僕らは森で野生化していた鶏を飼い始め、安定的にタンパク質を摂ることができるようになった。彼女は卵が手に入ると、火を通してふわふわの料理を作ってくれた。オムレツというのだそうだ。
 彼女が皿に手を合わせ「いただきます」と言うのへ「それはなに?」と訊き返す。嫌な顔ひとつせず「いただきますはね、食べ物すべてに感謝を表す言葉なんだよ」と教えてくれた。僕も、彼女の真似をしていただきます、と言ってみた。
 オムレツを口に入れると、舌の上の受容器が味を感じ取って、なんだかほわっと胸のあたりが温かくなった。無意識に目を見張り、口元をほころばせてしまう。そんな反応が自分の中から出てくるのは初めてで、うまく言葉にならない。

「美味しいね」

 彼女は自身が作ったものを食べて嬉しそうにしている。この気持ちが果たして"おいしい"という感情なのか、僕には判断できない。
 僕の体には食べたものを消化する機能は備わっているけれど、彼女と気持ちを共有できないのが少し悲しかった。


 彼女と過ごすうちに、言葉や感情が僕の中に降りつもり、層となっていった。僕も彼女ほどではないけれど、前よりは上手に言葉を使いこなせるようになった。
 彼女と過ごす毎日は穏やかで、それでいて新鮮な驚きや発見に満ちていた。
 僕は特に、黄昏時(たそがれどき)に丘の上へ出掛けていって、彼女の隣に座りながら夕日を眺めるのが好きだった。毎日表情を変える夕焼けももちろん綺麗だったけれど、茜色に照らされる彼女の横顔は、それよりもっと荘厳な雰囲気を纏っていて美しかった。じっと空を見つめる彼女の姿に僕は何度も見とれた。これが憧れというものだろうか、とどこか切ない気持ちが胸の内にあふれた。
 ある日、丘を降りているとき、彼女の指が僕の手に絡んできた。その仕草は優しげで、思慮深く、自然体だった。彼女の手をそうっと握り返すと、僕の手に備わった触覚センサーが、彼女の掌の感触を伝えてくる。
 僕が握るべきなのは武器ではなかった。彼女の手をこそ握るべきだったのだと、その瞬間に理解した。僕は温かい気持ちに満たされた。
 しあわせ、とはきっと、たくさんの色をした温かい気持ちすべてを包括した概念なのかもしれない。
 僕は充足した日々を送っていたし、彼女も毎日ほほえんでいたのに、こういった日常は永(なが)くは続かないんじゃないか、という漠然とした疑念が生まれたのはいつからだっただろう。
 違和感があっても最初は気づかないふりをしていた。たまたま調子が悪いのだ、と無理やり自分を納得させていた。でも、いつしかそれが無視できないほど顕著になっていった。
 彼女が壊れる予兆が、だ。
 彼女は長い時間黙りこんで遠くを見つめる時間が増えた。会話の文脈が支離滅裂になり、彼女自身も困った顔をする頻度が増した。手足の連携が上手く取れず、物を落としたり転倒したりする回数が増えていった。
 でもきっと、大丈夫。だって昨日もその前も致命的なことは起こらなかったんだから、明日もその先もこの日常は続くはず。そう思いこんだ。思いこもうとした。
 僕は愚かにも本質から目を逸らし続けたのだ。別れは突然やって来た。
 その日、僕が鶏の鳴き声で目覚めると、リビングの椅子に彼女が座って俯(うつむ)いていた。

「おはよう……?」

 ただならぬ雰囲気を感じつつも僕は朝の挨拶を投げかける。相手は答えなかった。さらにそちらへ歩み寄って、気がついた。


 彼女――ヒトの心をエミュレートした完全自律型汎用アンドロイド――は、椅子に座った姿勢のまま、全ての機能を停止させていた。


 僕は呆然とした。ぴくりとも動かない彼女を前に、馬鹿みたいに立ち尽くした。
 彼女がいつも身につけていたワンピースは机の上にきちんと畳んで置いてあって、服の下に隠れていたアンドロイドの無機質な素体表面があらわになっていた。僕は、昨夜寝る前に彼女と交わした最後の会話を思い出した。

「私のすべての機能が完全に停止したら、このワンピースを君にあげるね」

 突然切り出された話に僕は仰天する。

「え……どうしていきなり、そんなに悲しいことを言うの?」
「近いうちに必ず来ることだから。私たちはやっぱり、人間ほどは長く活動できないみたい。純正の部品がなければ余計ね。頑張って自己修復を重ねてきたけれど、それももう限界みたいなの」

 彼女は悲しみを強(し)いて抑えるように、淡々と話している風に僕には見えた。その姿は思い返すとどこか痛々しいものだった。
 僕は混乱しすぎて、何を言えばいいか分からなくなってしまう。

「でも、でも……でもそのワンピース、お気に入りなんでしょう? 貰えないよ」
「そう、とってもお気に入り。お気に入りだからこそ、君に貰ってほしいの。丘に座っているときとか、よく見ていたでしょう?」

 彼女が微笑して僕の顔を覗きこむ。
 顔が熱くなった。そうだ、僕は彼女の綺麗なワンピース姿に憧れた。それが似合う彼女に憧れたのだ。その気持ちを悟られていたなんて。頬から火が出そうなほどの気恥ずかしさを覚えた。
 僕は自分の擦り切れた服の裾を掴む。

「でも、僕は……僕には、似合わないよ。着る資格がない。兵器だから」
「そんなことない。君はもう兵器じゃないし、とっても可愛いんだから」

 ふわり、とたおやかな腕が背中に回ってきて、抱き締められる。

「君はきっと、これからどんどん可愛くなっていくよ。本当は君が成長していく様子を見守っていたかったけれど、その願いはどうやら叶わないみたい。でも、なにかを楽しみにしながら眠るのだって悪くない、そう私は思ってる」

 僕らは長らくそうしていた。あれは彼女の遺言だったのかもしれない。
 活動を停止する前に彼女がワンピースを脱いだのは、きっと僕の心情を慮(おもんぱか)ってのことだろう。昨夜の言葉があっても、彼女のワンピースを脱がすなんて自分にはできなかったと思うから。
 彼女は僕のもとから旅立っていってしまった。僕は声をあげてわんわん泣いた。記憶にある限り、初めて流した涙だった。


 これが僕と彼女が出会い、そして別れた顛末だ。
 別れたというのは正確じゃないかな。彼女の存在は僕の中に、ずっと生き続けている。
 彼女から貰ったワンピースには未だに袖を通せていない。今の自分にはまだ、あの可愛いワンピースは似合わないと思うから。
 彼女と過ごしていたあいだに深層心理で望んでいたような、可愛らしい女の子に僕がなれるかはまだ自信がない。でも、僕の中には素晴らしいお手本がいるのだからきっと大丈夫だと思う。僕も彼女に倣(なら)って、自分を私と言ってみようか。でもそんな清楚な感じの言い方は、僕らしくない気もする。
 僕と彼女は、この荒廃した大地で確かに生きていた。
 このどうしようもない世界で、彼女(アンドロイド)と生体兵器の僕(人間)が心を通わすひとときが確かにあったんだ。
 僕はこのログを、彼女に教わった言葉と感情表現を用いて記してきた。あなたの心の中にも、彼女という存在が降りつもり、息づいていてくれたらとても嬉しい。
 それが今の僕の、たったひとつの願いだ。

――兵器にワンピース

- 1/1 -

back


(C)Spur Spiegel


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -