「そんなことを言って……知らないですよ、どうなっても。俺自身、今の自分が何をするか予想できないんですから」
「ふふ。大丈夫ですよ、何をされても。あなた相手なら」

 熱い血液が全身を駆け巡っていく。自分の息がびっくりするほど荒くなっている。
 相手のシャツをはだけさせ、ややくすんだピンク色の胸の尖りに舌を這わせた。入谷の体が驚いたように身動ぎする。
 舐め上げ、甘噛みし、口に含んで、舌先でつつく。反対の胸では指で摘まんだり、掌でころころ転がしたりする動作を。そうしているうち、入谷の顎が徐々に天井を向いた。
「ん、ぁ……」というそれは、初めて聞く入谷の甘い喘ぎ声だった。まるで小鳥が囀(さえず)っているような控えめな調子だ。
 ――どうしよう。可愛い。

「胸、気持ちいいんですか?」
「は、い」

 入谷の顔色を確認すると、白皙の頬は上気して朱が散っていた。
 彼の言葉を裏打ちするように、俺の腹のあたりには硬く昂ったものが当たり始めている。胸を弄りつつ、手を伸ばして下着の上から下腹部に触れると、入谷の全身が跳ねた。ベルトを外し、昂りを外へと導いてやる。肌の冷たさに反してそれは熱っぽく腫れており、既にたっぷり濡れていた。上下に扱いてやると簡単に固さが増す。

「は、あ、んん……柾之さんのゆび、気持ちい、い……」

 恥じらい混じりだった喘ぎはどんどん甘やかに蕩けていく。入谷はこちらの首に腕を巻きつけ、しがみついていた。まるで水に溺れないよう抗うみたいに。そんな初心(うぶ)とも言える様子に、俺の内心はざわざわと落ち着かなかった。果たしてこの人は、俺の上に乗って勝ち誇った表情をしていたあの入谷紫音と同一人物なのだろうか?
 こうして善がる様子も演技かもしれないが、それに騙されてもかまわない、という気持ちに今はなっていた。
 入谷の声が高くなり、吐息が切迫し始める。そろそろ出るかな、と予期し始めた頃、彼の目元を見た俺ははっとした。涙で眸(ひとみ)が潤み、滴が今にも目尻から流れ出そうになっていたからだ。
 正直言って、怯んだ。本当は泣くほど嫌だったのか? 手が止まってしまう。相手の嫌がることを無理にしたら、それは犯罪だ。

「す、すみません。大丈夫ですか?」
「やめないで……」

 気遣えば、返ってきたのは懇願とも言える必死な声。その差し迫った空気に、弾かれるようにして手の動きを再開した。
 はああぁ、という盛大な溜め息とともに入谷が達する。身を丸めるようにした入谷は、びくびくと吐き出される白濁を自身の掌で受け止めた。と同時に、とうとう涙がつうとこぼれて顔に筋を作る。
 サイドテーブルにあったティッシュの箱を差し出しながら、決まり悪い心持ちで俺は弁解した。

「あの……申し訳ない。泣かせるつもりじゃなかったんですが」
「謝らないで下さい。柾之さんから触ってもらえたのが、嬉しかったのです」
「え? な、泣くほどですか?」

 予想外の理由に、びっくりして相手をまじまじと見てしまう。確かにこれまで、こちらから入谷に触れることはほぼなかったのは確かだが――。
 いつも掴みどころのない青年の実像が、また分からなくなった。殊勝な言葉の裏で何を考えているのか、と勘繰ってしまう。

「信じておられないようですね」
「それは……その。慣れているようにも、簡単に触らせてるようにも見えたので」
「そうか」簡単に見えているんですね、と入谷は自らに聞かせるように呟く。「これでもずっと緊張しているんですが」

 入谷の手に手首を取られた。今度は左胸の上へと、ぎゅっと掌を押しつけられる格好になる。行動の意味を理解して、息を飲んだ。
 先ほど触れた際には気づかなかったけれど、入谷の速い心臓の鼓動が直接肌に伝わってくる。これが早鐘を打っているということか、と感心してしまうほどの速度だった。
 入谷は遠いものを思うように、寂しげに笑う。

「緊張が顔に出ないというのも、考えものですね」
「入谷さん――」
「ね、紫音と呼んで頂けませんか」
「……紫音、さん」
「もう一声」
「紫音……くん」
「まあ、及第点としましょう」

 青年写真家は今度はいたずらっぽい表情を浮かべ、口元を弓形に笑ませる。
 そして、ひたり、と心に這い添ってくるような声音で続けた。

「実を言いますと、このあいだからあなたに会う前には、準備をしてきていたんですよ」
「準備、ですか?」
「見れば分かります」

 ご覧になりますか……、と入谷が息混じりに問いかけてくる。頷けば取り返しのつかない事態になることは明白だった。体は硬直するものの、心は好奇心で疼いた。
 俺の眼前で、入谷の両手の長い指が、立てた膝の上からあらわになった太腿へと舐めるように辿っていく。俺に見せつけ、欲を煽るための、それは扇情的な動きだった。
 入谷の敏感な部分を隠していた下着が下ろされ、無造作に脱ぎ捨てられる。腿が大きく開かれて、掌は内腿の奥へとするりと滑り込んでいった。腰が浮き、後ろへと伸びた指先は、とうとうそこへ到達した。
 体の一番奥。後孔からは既にとろりとした液体がこぼれそうになっていて、俺は入谷の言った"準備"の意味を知る。孔(あな)はこちらを誘うようにひくりと動いて、今まで目にしたどんなものより淫靡に感じた。

「ほら、ここ……お分かりでしょう?」

 激しく胸が高鳴っている。見ているだけなのに、呼吸が荒く、熱くなる。股間が痛い。心臓が破れそうだ。
 美食を前にしたときのように、込み上げてきた生唾をごくりと飲み下す。
 ――この人の、もっと乱れた姿を見てみたい。
 入谷は身を起こして、ベッドの上で立ち膝になっていた俺へ手を伸ばした。膨らんだままの股間をつうと撫で上げ、色っぽくほほえむ。

「柾之さん。この前の続きをしましょう?」

 砂糖よりも甘い誘惑に、俺は抗えなかった。


 心臓が激しく肋骨の内側を叩く。
 俺は入谷に導かれ、緊張と興奮で震える指先を相手の後ろへと伸ばしつつあった。

「僕のいいところ、柾之さんに知ってほしいんです」

 入谷は何かをねだるように言う。手首を掴んだ入谷の手には力が入って強ばっており、それでも逡巡することなく後孔を目指す。
 焦れるような数秒間。
 そして、遂に。決定的なところへ、指が届いた。
 緊張しすぎて唾もうまく飲み込めない。入り口へと指の先を押し当てると、蕩けていたそこは待ち構えていたように、容易く指を飲み込んだ。
 柔らかい。柔らかくて、熱くて、包まれる。頭がぼうっとなった。
 入り口付近はきゅうと締まって指の腹を締め付けてくるが、それより中はふわふわとした感触だ。彼の体の内部を、俺の指が犯している。そう思うとたまらなかった。
 俺を想い、準備してきた入谷の姿を、脳が勝手に想像してしまう。シャワーで体の隅々を丁寧に洗い、後ろを念入りにほぐしてきた彼の一連の行動を。
 入谷は、はっ、はっ、と浅く速い呼吸を繰り返している。やや苦しそうにも見える。

「大丈夫、ですか? 痛くない?」
「はい……。他人(ひと)に触ってもらうのが、初めてなので……刺激が強くて。気持ちいい、です」
「え……」

 本当に? てっきり場慣れしているのものだと思っていたので意外だったが、こんなところで嘘をつく必要もないのは確かだ。切なそうな色を浮かべる入谷の表情を見ると、心臓のあるあたりがきゅうと締め付けられる。
 入谷はもっと、もっと奥、と呻くように嘆願する。中のうねるような蠢きに急かされて指をぐっと押し進めると、周りとはなんとなく感触の異なる部分があった。そこを刺激した途端、身を閉じるようにしていた入谷の全身がびくりと外側に反って、こちらの脳髄を甘く引っかくような喘ぎがこぼれる。

「気持ちいい? ここですか?」
「はい……そこの、感触が違うところ……分かりますか」
「うん、分かる」

 先ほどより心持ち強めに刺激してみる。入谷は何かに耐えるように目を閉じながら、いやいやをする子供みたいに頭をふるふると横に振る。

「あ、あ……っ」

 入谷の手が背中に回ってきて、切羽詰まっているようにぎゅうっと力がこもる。そんな可愛らしいことをされて、自分の理性がどこかに遠退いていくのを感じた。
 相手が嫌がっていないなら、別にいいじゃないか。お互いに気持ちよくなるのに、小難しい理由をつける必要があるのか? 何をそんなに思い悩むことがある?

「紫音くん……挿れてほしいの?」

 一瞬、それが誰の声なのか分からなかった。さらりと自分の口から流れ出たそれは、いつもの己の声とは温度がまるで違っていたからだ。脳は焼き切れそうになって、思考は茹(ゆ)だってぼんやりしているのに、声だけが冷徹とも言えるほど冷めている。そんな声音で問いかけたことに、内心自分でもどこか驚いていた。
 入谷は目を少し丸くしたが、それも刹那のことだった。すぐにほくろのある目元をまろやかに溶かして、柔らかい絹のような調子で言う。

「はい、柾之さんの……奥まで欲しいです」

 とろりと微笑する入谷は、乱れたシャツを肩にひっかけた状態なのも相まって、言いようもなく淫靡な雰囲気を纏っていた。
 彼の中に挿れたら、きっと気持ちがいいのだろう。想像すると下半身が溶け落ちそうになる。何せ、指だけでこんなに気持ちいいのだから。
 セックスなんていつぶりか忘れてしまった。彼相手のセックスは、きっと格別だろう。

「ゴム、あったかな」

 そう呟く冷静な声は、本当に俺のものなのだろうか。
 視線が交錯して、そのあいだだけ時間がしばし静止したように思えた。
 そして、唐突に。
 インターホンの音が鳴り響く。示し合わせたように二人の体が同時に跳ねる。
 なぜこんなタイミングで。配達か? セールスか? 施設の点検か? しばらくしたら立ち去るだろうか。
 そんな予想を裏切るように、インターホンはやかましく何回も鳴らされる。どうやら出てくるまで諦めるつもりはないらしい。俺は入谷と目を合わせて苦笑する。すっかり場が白けてしまった。こんな雰囲気では続きをしようがない。
 洗面所に寄ってからドアへ向かう間にも、招かれざる訪問者はずっとインターホンを押しまくっている。あまりにも遠慮のない音の間隙を縫うように、

「まーくうん、いるんでしょー? 私だよー、居留守は通じないからね〜」
「げ、つぼみ……」

 ドアの向こうから聞こえてきた声に、俺は思わずげんなりした。自分をまーくんと呼ぶ人物はこの世に一人しか存在しない。
 観念するように扉を開くと、思った通りそこには見知った顔があった。能天気に片手さえ振って見せる姿に、ぐらっと憤りが湧く。

「やっぱりいるんじゃん。久しぶりー」
「あのさ、何回も鳴らさないでくれる? 聞こえてるから」
「ごめんごめん、お邪魔しまーす」
「おい、勝手に……」

 家主の制止も聞かず、ボストンバッグを肩に提げたつぼみがずかずかとリビングへと上がり込んでいく。何回も来ているから自分の家と同じような感覚なのだろう。勝手知ったるなんとやら、だ。

「あれ?」

 リビングのドアを開けたつぼみが高い声を上げる。嫌な予感がして肩口越しに部屋の中を覗くと、衣服を綺麗に正した入谷が背筋を伸ばし、ダイニング部分のテーブルに就いていた。
 この二人をこのタイミングで鉢合わせさせてしまうなんて。最悪だ。頭を抱えて蹲(うずくま)りそうになる。
 こちらへにこやかに振り向いた入谷の顔には、柔らかだが有無を言わさない調子で「どなたですか?」と書かれていた。
 つぼみはそれには気付かずぷりぷりと怒り始める。怒りたいのはこっちなのだが。

「ちょっと、まーくん! お客さんが来てるならそう言ってくれないと。恥ずかしいでしょ」
「はあ……そっちが言わせなかったんだろ。すみません、入谷さん」

 こちら、俺の姉のつぼみです。
 と紹介すると、彼の目がひどく驚いたように見開かれる。そういう反応には慣れていた。俺たち姉弟を始めて目の前にする人は、大抵がそんな表情を浮かべる。

「そうでしたか。初めまして、僕は橘さん――柾之さんの友人の入谷紫音といいます。……ええと、何と言いますか」
「あー、仰りたいことは分かりますよ」
「全然似てないと思ったでしょう? 私たちも似てないと思ってます」

 そう、自分たち二人は似ていない。誰しもが驚くくらいの似ていなさなのだ。
 年齢は三才違いで、姉は既婚者、実家暮らし。顔の造作はそこまでかけ離れているわけではないが、とにかく性格が違いすぎる。
 能動的に目立たない生き方をしている弟とは対照的に、姉は耳目を集めるのが何よりも好きで人前に出たい目立ちたがり屋。つぼみという名に反し、蕾のような奥ゆかしさは微塵も持ち合わせていない。弟が評するのもなんだが、顔立ちは十人並みなのに、立ち居振る舞いにどこか人目を惹く華やぎがあるのは確かだ。
 中学の時に姉が務めていた生徒会長の仕事ぶりは、保護者の耳にも届くほどだった。姉の卒業後に入学してきたあまりに性格の異なる弟を目の当たりにし、教師陣が肩を落としたというエピソードもある。思えば中学三年間は姉との比較に反発して周囲に刺々しい態度を取っていた。今となっては未熟だった青い春の黒歴史そのものだ。

「でもちょっとびっくりしたな。まーくん同世代の友達いたんだねえ、意外〜」

 さも驚いたようにつぼみがまじまじと俺の目を見てくる。姉は良くも悪くも思ったことをストレートに口に出す人だった。
 頼むから余計なことを言わないでくれ。

「それで入谷さん? とはどういったお知り合いなの? 仕事関係?」

 尋ねてくるのを無視するわけにもいかず、俺は一旦押し黙って考えた。仕事上の付き合いと言えばそうだが、そもそもの出会いはギャラリーだ。取引先の責任者が友人としてこの場にいる、と説明したら少々不自然に思われるかもしれない。この図々しい姉にどこまで説明すべきか?
 言い分をまとめていると、先に口火を切ったのは入谷の方だった。

「僕は写真家でして、街のギャラリーでやっていた個展を偶然見かけた柾之さんが、写真を気に入って下さったんです。そこから交流が生まれて、今は仕事で使う薬品も柾之さんの会社から納入してもらっています」
「写真家の方なんですか、すごい! 弟には縁がなさそうな世界ですけど、ちゃんと仕事やれてます? 芸術とか全然興味ないから、この人は」

 それは自分もだろ。
 無言で突っ込みを入れながら俺は勝手にハラハラしていた。入谷がどこまで説明するのか、耳を大きくして聞いていたからだ。入谷の言葉はすごく清廉で、爛れた関係の気配すら漂わせていない。ひとまずホッとしたのも束の間、入谷が立ち上がって辞去の旨を口にした。

「ご姉弟の邪魔をするのも恐縮ですから、僕はそろそろお暇させて頂きますね」
「あ、いや、そんな」

 目礼をしながら入谷が自分の脇をすり抜けていく。
 俺は慌てて玄関までその背を追った。前回に続き再びこんな形での別れになるとは、そういう星の下にでも生まれたのかと疑ってしまいたくなる。

「入谷さん、こんな形になってすみません。姉のせいで……慌ただしくて申し訳ない」
「いえ、今日はあなたのおうちに来られて良かったです。では、またオフィスで」
「はい……また」

 入谷は蝶が飛び去るように呆気なく、残念な素振りを見せることなくさらりと帰っていった。俺はなんだか拍子抜けして、取り残された気分になった。自分でもなぜ、心の栓が抜けたような気持ちになるのか分からない。
 未練がましくしてほしかったのか? 姉に対して怒りを見せてほしかったのか? 俺は、入谷に執着してほしかったのだろうか。
 釈然としない心のまま、リビングに戻る。姉は既にリラックスした様子で二人掛けのソファに座り、スマホを弄っている。小言のひとつやふたつ言ってやらないと気が済まなかった。

「来るのはいいんだけどさ、事前に連絡してくれない? こっちにも都合があるんだから」
「電話したよ〜? 今から一時間前くらいに」

 それは事前と言うのか? 一時間前といえば既に入谷が来ていた時分だ。スマホはサイレントモードにしていたので気づけなかったのだろう。
 溜め息を吐きつつ自分も一人掛けのソファに座る。姉はどこかに連絡をとっているらしい。スマホの操作に合わせて明るい色のボブカットの毛先が揺れている。

「で、また旦那さんと喧嘩したわけ?」
「旦那さんて。他人行儀だなあ。そろそろお義兄(にい)さんって言ったら?」
「そんな風に呼べるほどまだ親しくないよ」
「まあ、まーくんもうちのも人見知りだからねえ」

 つぼみは訳知り顔でうんうんと頷く。人見知り、なんて三十路過ぎの男に使う言葉ではないが、反論もできないので黙っておいた。姉と比べればほぼすべての人間は人見知りの範疇に入ってしまうだろうが。

「それで? いつまでここにいるつもり?」
「んー、明日中には帰るよ。はーあ、帰る実家がないとこういうとき困るんだよね」

 姉は言わば婿をとった形で実家に住んでいるが、たびたびこうして家出してくる。転がり込む先は弟宅だけでなく友人宅をローテーションしているらしい。
 姉によるとそこまで重大な喧嘩はしたことがなく、彼女自身が頭に血が昇りやすい性格なので少し冷却時間を設けているだけ、とのことだったけれど、それが世間一般の夫婦においてよくあることなのか俺には分からない。夫婦仲が良好なのは今のところ確かであるようだが、元は他人の家に義父母と残されている義兄の心境を思うと、同じ男として同情したい気持ちになる。
 俺の思索など想像もしていないだろうつぼみが、ぽいとスマホをテーブルに放った。そういえばさ、とワントーン明るくなった声に嫌な予感がする。

「入谷紫音さん? すごく綺麗な人で驚いちゃった。まーくんとは住む世界が違うっていうか。写真家さんって本当? なんかモデルとか、芸能人みたいにオーラがある人だよね。ねねね、そういう活動はしてないの? どんな人? どうやって仲良くなったの? もっと詳しく聞かせてよ」

 入谷への興味をあからさまに出され、頭が痛くなってくる。姉は人並みに芸能人の結婚話やゴシップが好きなタイプの人間だから、こうなるのは目に見えていたのだ。なんでこのタイミングで夫婦喧嘩なんかしたんだと夫婦共々恨みたくなる。

「そんなの聞いてどうするんだよ」

 問い返す声は自分で思ったよりもきつくなり、詰問めいた響きを帯びた。つぼみは刹那、怯(ひる)んだ表情を見せる。

「どうするって……別に、どうもしないよ。ただの世間話でしょ? 弟の友達のこと訊いて何か悪いの?」

 悪いわけでは……ないだろう。しかし三十路を超えて友人の話をきょうだい相手にするものか? そのもやついた感情を抜きにしても、入谷に関することを他人に知られるのはどことなく面白くなかった。
 はあ、と嘆息して額に手を添える。こうなると少しは情報を渡してやらないと姉は追求の手をやめない。

「別に……ちゃんとした真面目な写真家だって。ホームページに顔写真を載せてないくらいだから、芸能活動もしてないと思うよ。仲良くなったのは……向こうから色々、声かけたりしてきてくれて。それだけ」

 まさか自分が彼の写真で性的に感じてしまい、その後も友人同士ではしないような行為を繰り返している、とは口が裂けても言えない。

「へえ〜、あんな綺麗な人がね……。まーくんのどこを気に入ったんだろうねえ」
「さあね」

 一目惚れした、という彼の言葉はどこまで信用できるのだろうか。
 そこで姉が沈黙し、じっと俺の顔を見つめてきた。なんだ? 相手は眉をひそめ、不審そうにしている。

「なんか話を聞いてたら怪しい気がしてきた。本当に友達なの?」
「え。本当にって」

 まさか、これまでの話で勘づいたとでも言うのか? 冷や汗が滲み出る。背中あたりがすうっと冷えた。
 姉は一転して真面目な調子で切り込んでくる。

「まーくん、騙されてるってことはない? そのうちたっかい健康食品とかネズミ講の商品とかさ、買わされるんじゃないの? 気をつけた方がいいんじゃ」
「彼はそんな人じゃない」

 皆まで言わせず俺は途中で遮った。何も知らない姉に、入谷を悪く言われるのは我慢ならなかった。
 どうしてだろう、俺だってそんなに彼のことを知らないのに。
 厳しい否定に驚いたのだろう、つぼみは一瞬ののち表情を和らげる。

「ごめんね。怒らせるつもりじゃなかった、今のは忘れて。本気で疑ったわけじゃないから」
「……うん、分かってる」

 怒らせる? いま俺は怒っていたのか。他人のために怒ったことなど、ここ数年は少なくともなかった。入谷と知り合ってから、戸惑うことばかりだ。
 つぼみが来なかったら俺は、入谷と一線を超えていただろう。俺は、入谷とどうなりたいんだろうか。このこそばゆいような落ち着かない気持ちは、一体何なのだろう。

「ねえまーくん、何か食べるものない? お昼食べてなかったからおなか空いちゃった。カップ麺でもいいよ」
「せめて何か買ってくるもんじゃないか? こういう時……」

 能天気な姉に呆れ返りながら、食糧探しをするため席を立つ。
 俺の脳内では、入谷との関係を真剣に考えないと、という思いがぐるぐる渦巻いていた。
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