この大陸には人間と竜が暮らしていて、普段交流することはほとんど無いけれど、人間であるあたしと、竜の男であるジーヴは、のっぴきならない事情により、現在一緒に旅を続けている。
あたしには左腕がなく、ジーヴには右目の視力がない。
あたしは生き別れた兄を捜し、黒竜のジーヴは同族の生き残りを捜している。
それだけが、あたしとジーヴを結びつけるもの。
その日、あたしと旅の相棒であるジーヴが足を踏み入れた街には、賑々しい音楽が満ち満ちていた。
時刻はお昼前。通りには楽しげな表情の人々がそぞろ歩き、店屋の前では客引きが声を張り上げている。そして、燦々と降り注ぐ陽光に負けず劣らず、陽気な旋律がそこかしこから聞こえてきている。耳を傾けてみると、弦・管・打楽器など、使われている楽器は多岐に渡っているらしい。演奏者の姿が直接見えないのは、道端の人だかりのその向こうに彼らがいるからだろう。
道を行き来する人々より、頭ひとつ以上抜けたところにあるジーヴの口から、騒々しいな、と言葉が漏れる。
人型になった竜はほとんど人間と区別が付かないが、それでも尖った耳や口から覗く牙から、竜と気づいた人がジーヴに好奇の視線を向けている。それとも、たっぷりと金刺繍の施された貴族然とした黒い長衣と、彫りの深い端正な顔立ちに目を奪われているのかもしれないが。当の彼はそんな視線を気にする風もなく、大通りに向かってすたすたと歩いている。
目下のところ、向かうのは街の中心だ。今まで兄さんの手がかりを求めてたくさんの村や街を回ってきたが、飲食店や宿などは大概、家並みの中心にあることが多い。そろそろお昼時だから、今日泊まる宿を決めて、空いた腹を満たさねばならない。
街の大通りに出て二頭立ての馬車を止め、御者に行き先を告げる。赤土色の煉瓦が敷かれた道を、足音も高く馬が軽快に闊歩する。
進めど進めど、耳に届く音楽は止むことを知らなかった。故郷が灰となった日に兄と生き別れてから、たくさんの街を巡ってきたけれど、こんなのは初めてだった。
誰にともなく、ぽつりと呟く。
「変わった街だな、ここは」
「そうだな。何かの祭りでもあるのではないのか。人間の祭りがどういうものかはよく知らんが」
応(いら)えのぶっきらぼうな口調に反し、ジーヴは辺りに漂う音楽のことを嫌がってはいないようだった。
街の中心は円に近い形の広場になっていた。噴水の飛沫がきらめいている。そこでは一際賑やかな音が流れていて、それもそのはず、広場の一角に三十人はいようかという楽団が二列になって、一糸乱れぬ弾きぶりを披露していた。歌劇場の壇上で身に纏うようなかっちりとした黒い服を着込み、思い思いに楽器に向き合っている。彼らの足元は周りより一段高くなっているようだった。
あたしはしばし聞き惚れたが、ジーヴはさっさと歩みを進めてしまう。その広い背を慌てて追うと、噴水のそばに人の背丈ほどの塔のようなものがあるのに気づいた。塔の脇には警邏隊(けいらたい)の制服姿の若者が二人、まるで宝物を守るように背筋をぴんと伸ばして屹立(きつりつ)している。ジーヴはそちらへ向かって歩み寄っていく。
近寄ると、塔は木でできた台座で、その上部に箱の形をしたものが鎮座しているのが分かった。
「旅人さんかい」
あたしたちが何か言うより先に、警邏隊の一人が口を開く。ジーヴは首肯して、宿と昼食を摂る場所を知りたい旨を話した。その会話が終わると、今度はあたしが兄の似顔絵を若者に見せる番になる。反応は芳しくなく、心当たりはないとのことだった。
その後は自然と、鼓膜を打つ音楽のことへと話題が移る。この街はいつでもこうなのか、とジーヴが訊くと、
「ああ、この街は音楽の街として古くから有名なんだ。昔、高名な吟遊詩人がこの街から出たそうでね、彼を嚆矢(こうし)として音楽家がこの街には多いんだ。吟遊詩人なんて、蒸気機関が白煙を吐く現代じゃあ、もはや伝説的な存在になっているけどね」
若者はのんびりとした口調で言う。吟遊詩人、という言葉は聞いたことはあるけれど、血肉の通った人間として明確な像が浮かぶ存在ではなかった。お伽噺の登場人物がそうであるのと同じように。
ジーヴが小首を傾げる。
「その吟遊詩人というのは、青い髪をしていたか?」
「え? ああ、海で染めたような髪を豊かになびかせて各地を旅していた、と聞くけど……」
「ならば、俺はその吟遊詩人に会ったことがある。いつだったか、我が黒竜の里に何日か逗留していた。穏やかで機知に溢れた、人間にしては感じのいい小僧だったな」
永い時を生きる黒竜の元族長は、途方もない話をさらりと口にする。警邏隊の若者は伝説上の人物の実際の話を聞いて感銘すればいいのか、自分の街が輩出した偉人を小僧呼ばわりされて憤慨すればいいのか迷ったようで、どっちつかずの困惑したような曖昧な顔つきになった。
「それは、なんというか……すごい話だね。ああそれで、さっきの話だけど、街がこんなに賑やかなのは今日が特別な日だからなんだよ」
「今日はその吟遊詩人の誕生日とされる日でね」
二人がどこか誇らしげに胸を反らす。
ここに箱があるだろ、と若者の一人が台座の上に置かれた箱を指差す。
あたしはそこにある小箱に目をやった。箱は掌から少し余るほどの大きさで、材質は木であるらしい。そばで見ると細かい彫刻がしてあるのが分かり、その上表面が虹色にきらきらと光っていた。螺鈿(らでん)細工だろうか。上品であると同時に愛らしくもある意匠だった。取っ手がついていることから、中にものを入れられる小箱だということが分かる。
それを指差して、警邏の者に問うた。
「この箱がなに?」
「これはね、今日の夕刻から行われる、舞踏大会の景品なんだよ。一位になると貰える品で、職人が丹精込めて作った一点ものだから、なかなかの値打ちがあるんだ。男性ならカフスボタンやネクタイピンを入れるのもよし、女性ならアクセサリーを入れるのもよし、実利にも優れているってけっこう評判になっていてね。旅人さんたちもそれを聞きつけてやってきたのかい?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「なあんだ、そうか」
あたしのあっさりとした否定により、彼らは目に見えて肩を落とし、落胆を表現する。
「でもこれ、本当にすごく綺麗……」
取り繕うためでもなかったが、箱を見つめて感嘆を漏らす。あたしの目に、その箱は単なる容れ物には映らなかった。
自分ならこの箱にどんなものを入れるだろう。この取っ手をそっと摘まんで開いたら、どんな素敵なものが入っているんだろう。そんなわくわくする想像が、眺めているだけでどこまでも広がっていくように思えた。
ふと、そんなあたしの様子をむっつりと傍観していたジーヴが不意に問いを口にする。
「その舞踏大会というのは、申し込みの締め切りはいつなんだ?」
「夕方、ぎりぎりまで受け付けていたはずだけど……」
そんなことを訊いてどうするんだろう。胸に浮かんだ淡い疑問は、その次のジーヴの言葉で粉々に粉砕される。
「なら、俺たちの名前も参加者に連ねておけ。俺の名前はジーヴとでも書けばよい」
え、この竜(ひと)、今なんて言った?
聞き間違えでなければ、俺たち、ととんでもないことを言ったような――。
動転したあたしがちょっと何言ってるの、と抗議の声を上げるより、若者たちがジーヴの言を受けて相好を崩す方が早かった。
「はいはい、ジーヴね。主催者に伝えておくよ。そっちのお嬢ちゃんの名前は?」
きらきらした二対の目に熱い視線を送られる。否定の一言で切って捨てられる雰囲気ではない。いや、あたしは、などと言葉を濁していると、ジーヴに肩を軽く小突かれた。
「早く言え」
二つほど季節を跨いでも旅の相棒の名前も覚えようとしない、無礼な竜の男が睨みを利かせてくる。
「お前の名は、なんだ」
「……あ、アイシャ」
促されて、引きずられるように答えてしまった。
アイシャね、了解、と鷹揚に頷く若者を見るか見ないかのうちに、ジーヴはくるりと踵を返す。自分勝手な竜の肘のあたりをがしっと掴んで、詰問する。
「ねえちょっと、何考えてるんだよ! あたし、ダンスなんてやったことないぞ! なんで勝手に――」
「お前、あの箱が欲しいのだろう」
返ってきた言葉は端的だった。
え、と喉元でぶつけるべき台詞が詰まる。
「お前はあの箱を欲している。あの箱を手に入れるには、舞踏大会に参加するしかない。だから参加すると伝えた。それだけのことだ」
にべもなく言い放ち、停滞もそこそこに宿への歩みを進める。
あたしは呆然としてその場に棒立ちになった。めちゃくちゃだ。大体大会に出たって、一等になれなければ賞品は貰えない。ジーヴはどうだか知らないが、あたしはダンスなんて踊れないのに。大勢の前で恥をかくだけだ。身勝手すぎる。
でも、あたしが箱を熱心に見ていたから参加しようと思ったのだろうか。やり方は自分本意にすぎるが、それは気遣いとも呼べるものではないのか。常に人間を見下している竜らしからぬ唐突な振る舞いに、あたしは背筋にうすら寒いものを感じた。
ジーヴはどんどんと離れていく。慌てて追い縋り、またも異議を申し立てようとする。
「ねえ、ジーヴ! あたしは踊れないぞ! 大会に出たって一等になんかなれないって!」
ぎろり、と凄みのある隻眼があたしを捉える。ジーヴの右目は白濁しているが、残った左目の光は射るように強い。ひっ、と漏れそうになる悲鳴をなんとか喉元で抑えた。
「喧(やかま)しい小娘だ。それについてはお前が案ずる必要はない」
「必要ないって――」
「とにかく今は食事を摂るのが先決だ。夕刻までに済まさねばならん用意がごまんとあるからな」
ジーヴは全く聞く耳を持とうとはしなかった。まあ、彼が傍若無人なのはいつものことなので、その点に改めて腹が立つことはなかったけれど。
あたしは仕方なく、尊大不遜な竜の男に付き従った。
こうしてあたしはなぜか、やったこともない舞踏の大会に出場する羽目になってしまった。
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