「用意って、何をするんだ?」

 昼食を食べ、お腹が膨れていくぶん機嫌が上向きになったあたしは、ずいぶん高いところにあるジーヴの顔に向かって尋ねる。毎日の糧食を得るために持ち歩いている槍筒やらテント用の布やらの荷物を宿に置いてきたため、心と同時に体も軽い。
 ジーヴはいつもの仏頂面で、黙々と足を動かすばかり。どこに向かっているかさえ分からなかったが、心配するなと言われたので、この男に任せてやれるだけやってみようという捨て鉢の気持ちになりつつあった。思いきりのよさは他人(ひと)より持っている自負がある。
 ジーヴはとある店屋の前で立ち止まる。店先のショーウィンドウの中に、フリルが幾重にも重ねられたきらびやかな白いドレスが飾ってある。裾は大きく広がり、その上に色とりどりの花が散らしてあった。その絢爛さに思わず目を見張る。ここは仕立屋だ。

「まずはお前のその薄汚れた格好をどうにかせねばならん。そんな格好で俺の隣に立たせるわけにはいかぬからな。行くぞ」

 流行を追う代わりに、普段鳥や獣ばかり追いかけているあたしの服は、ジーヴが冷ややかに言うように泥だらけだ。しかし彼だってそうして得た動物の肉を日々の糧としているのだから、何もそんな言いがかりめいた言い方をしなくともいいだろうに。憤慨で腹の底が熱くなったけれど、こんなところで言い争いをするわけにはいかないとぐっと文句を飲み込む。
 尖った爪が揃うジーヴの大きな手が仕立屋の扉を開けると、中でからんころん、と軽やかにベルが鳴った。
 店の内装を見て(ショーウィンドウの中身で気づくべきだったけれど)、ここが至極上等な店であると悟る。あたしのように小汚い格好をした人間が足を踏み入れていい場所じゃない。入り口で二の足を踏むあたしに対し、ジーヴは毛ほども臆することなく、出迎えた女主人につかつかと歩み寄った。

「この連れに一着、ドレスを仕立ててやってくれ。大勢の中でも映える服を頼む。夕刻までに仕上げてほしいのだが、できるか?」

 ふくふくとした女主人は、ジーヴの居丈高な物言いにも気を悪くした様子もなく、竜の背に半ば隠れているあたしの顔をにこやかに覗き見た。

「まあ、もしかして、婚礼の衣装かしら?」
「っち、違います!」

 予想だにしない問いかけに顔がかっと熱くなる。全力で手をぶんぶんと振ったあと、びしりとジーヴの顔を指差す。

「だってこのひと、竜だし……っ」
「あらあら、誰もこちらの殿方と式を挙げるの、なんて訊いていないのに」
「――!」

 どこか楽しげに口元を押さえる女主人。
 自分の思い違いが恥ずかしい。全身が火照っている。もう穴がなくても掘って入りたい。引合いに出されたジーヴは呆れた様子で首を振っている。

「まったく馬鹿馬鹿しい……どうした、小娘。顔が赤いぞ。こんな時に病気か?」
「違うから! こっち見るなって!」

 火が出そうな顔の半分ほどを、左肩を覆う布に埋めて隠す。人間の心の機微を理解しない竜に見られたくなかった。

「どうでもいいが早くしろ。採寸から頼まねばならんのだ。時間がないぞ」
「うう……誰のせいだと……」
「お前の早とちりのせいだ」

 ぴしゃりと言葉で叩かれる。正確な指摘にぐうの音も出ない。
 導かれるまま、すごすごといった体で店内の奥へ進む。ソファに身を沈めたジーヴを残し、あたしは衝立(ついたて)の先へと案内された。店の壁紙は淡い草花の模様で、店内の空気は清潔そのものであり、どこかから花の匂いが漂ってくる。洗練された雰囲気に飲まれながら大人しく採寸台に立つと、体の周りにてきぱきとメジャーが当てられ始めた。
 こんな体験は初めてのことだった。子供の頃、新しいおもちゃを貰ったときのように、真新しい期待でどきどきと胸が高鳴る。
 主人が目盛りを読みつつ、何気ない様子で会話を切り出した。

「夕方までにってことは、舞踏大会に出るんでしょう」
「あ、はい」
「でもねえ、今から裁断して間に合うかしらねえ……」
「絶対に間に合わせろ。金なら積むぞ」

 唐突に、衝立の向こうからジーヴの重々しいバリトンが割り込んでくる。
 お金なら積む、というジーヴの言は嘘ではないだろう。あたしも、ジーヴも、お金なら潤沢に持っている。黒竜の鱗は珍しいため高く売れるのだが、以前にジーヴから彼の鱗を貰い、それを換金した残りがあるのだ。彼は場合によっては、鱗を追加で換金する腹づもりであるらしい。
 黒竜の一族が滅んでしまった今となっては、その珍しさも破格のものになってしまったが。
 それじゃ頑張らなくちゃねえ、と呟いたあとは粛々と採寸を続ける婦人が、あたしの左腕を覆う布を取ったとき、はっと息を飲むのが分かった。
 あたしのそこには、肩から先が丸ごとない。故郷が焼き尽くされた夜に、自分で切り落としたからだ。
 彼女の視線はそこに釘付けになっている。

「あなた、腕が……」
「自分でやったんです」

 ここで詳細を言う気にもなれず、言葉少なに返す。主人がぐっと気を引き締め、心を奮い立たせたように感じた。腕の残骸が残る肩を、優しくそっと撫でる。

「大変なことがあったのね。大丈夫よ。片腕がなくたって、他の人に見劣りしないドレスを仕立ててみせるわ」

 その言葉に、仕立て屋としての矜持が表れているように思え、感銘を受けながら小さく頷く。この人に任せれば大丈夫。そう思わせる真摯さと強靭さがそこにはあった。
 採寸が終わると、生地の色を決める段階に移る。自分の胸元に様々な色の端切れが目まぐるしく当てられていくのを、目が回るような気持ちで見ていた。

「髪の色に合わせるのもいいけれど、やっぱり、瞳が綺麗だからそっちに合わせましょうかね」

 あたしのくすんだ桃色の髪と、深い紫の目をしげしげと眺めて言う。瞳が綺麗だという称賛は素直に嬉しかった。この目の色は、今は行方不明の兄と同じ色だ。あたしは自分の目が好きだった。
 そうして下さい、と返し、意匠はお任せにして完成を待つことにする。
 手早く上着を着て衝立から出ると、ジーヴはソファにふんぞり返り、長い脚を投げ出すように組んで窓の外の往来を退屈そうに見やっていた。
 あたしの顔を認めれば、待ちかねたとばかりにその巨躯がすっくと立ち上がる。

「済んだか。それでは、必ず間に合わせるように。支払いはその時でよいな? ……来い、小娘。次だ」

 念押しを横柄に言い捨て、女主人の返事も待たず、ジーヴは店のドアを開ける。
 高慢な竜の代わりに、あたしがぺこぺこと何回も頭を下げたのは言うまでもない。


 先を行くジーヴをととっと追いかける。その表情は伺い知れず、あたしを振り回して何を考えているのか察することができない。次はどこに行くんだ、と問うと、予想外の答えが降ってくる。

「宿に一旦戻る」
「え?」
「お前、一度湯を浴びてこい。そんな泥だらけのなりで次の場所に行くわけにはいかん」

 ジーヴの声は平坦だ。
 陽の行く先を見る。もう既にだいぶ傾きつつあった。

「そんなゆっくりしてる暇あるのか? ダンスの練習もしないとまずいんじゃ……」
「いいから言う通りにしろ」

 不意にジーヴがこちらを振り向いた。慣れていない人なら一瞬で震え上がりそうな、怒りを司る戦神のごとき苛烈な表情をしている。濁っていない方の鋭い眼でぎろりと睨まれると、不承不承に受け入れる他なかった。
 何ゆえジーヴはそこまで舞踏大会に執着しているのか分からない。あたしが欲しそうにしていた、と言ったけれど、もしかして彼自身、よほどあの箱が欲しいのだろうか?
 促されるがまま、足早に宿へ戻り、湯浴みの支度をする。宿の二階に上がる直前に見たジーヴは、階下にある食堂の椅子に腰かけていた。お酒の一杯でも引っかけるつもりだろうか。あたしを急かしておいて、自分はいい気なものだ。
 こんな中途半端な時間に浴場に来る人もあるはずがなく、あたしは大きな湯船を独占することができた。香木でできた湯船の枠が、湯気で霞んだ空間に、しっとりと落ち着いた薫りを放っている。湯は何かが溶かしてあるのか、乳白色をしていた。
 ふうと深く息をつき、少しぬるめのお湯に浸かりながら、この先の展望を思い描いてみる。ドレスを仕立ててもらって、体を清めて、あとは何をすればいいのか。もう少しで舞踏大会に出ることが、うまく実感として捉えられない。まるでちよっとした白昼夢のように、ぼんやりした夢想が靄のように脳内を漂うばかりだ。
 色々と思索を巡らせているうち、相当の時間が流れてしまったようだ。浴槽の中で我に返ったあたしは、石作りの床に足を下ろしたところで危うく転びそうになりながら、そそくさと浴場を後にする。
 手持ちのうちなるべく綺麗な服を身に付け、階下へ降りると、先刻と変わらない場所に座るジーヴの後ろ姿があった。ただし、そのシルエットがどこか妙に感じられ、訝(いぶか)りながら声をかけてみる。

「ジーヴ……? 上がったよ」
「入る前はあんなに文句を垂れていたのに、ずいぶん時間がかかったな」

 嫌味を放ちながら振り返るジーヴを見て、目を見張った。彼はいつもは真ん中で分けている前髪をぜんぶ、後ろに撫で付けていた。香油でも使ったのか、豊かな黒髪は艶々とした光を放っている。きっちりとした髪型のせいで、青年貴族めいた品格がいやが上にも増していた。それに加え、胸元のタイの上に見たこともないカメオブローチが鈍く光り、その存在を主張している。
 一瞬だけ彼が別人に見え、あまつさえどきりとしてしまう。

「どうだ、男ぶりが上がっただろう。……なんだ、俺に見とれたか?」

 前髪を撫で上る仕草をしながら、冗談めかしたようにジーヴがにやりと笑う。彼を直視していられなくて、思わず顔を逸らした。
 竜と人の種族の壁は厚い。人間は、竜からしたら瞬きのような時間しか生きられない。一緒にいられる時間は僅かだけだ。だから“俺に惚れてくれるなよ”などと、以前自分で言っていたくせに。狡いじゃないか。不意打ちでこんなことをするなんて。

「……そんなわけないだろ。誰があんたなんかに見とれるもんか」
「うむ、ならばよい。次に行くぞ」

 叩いた減らず口は、何事もなく飄々とかわされる。憮然としながら、足取りも軽いジーヴの後に付き従う。
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