列車が速度を落とす。ガラス屋根のアトリウムの内部へ、甲高い制動ブレーキ音を響かせながら、機関車は乗客を焦らすようにのろのろと進んでいく。
 終着駅に降り立つと、三日間ぐらぐらする床に慣れきったあたしは、不動の大地の上でしばしふらついた。
 人の波に従い、駅の大広間コンコースから外へ出る。初めて見る王都の壮観に、あたしは驚嘆の声をあげた。
 煉瓦造りの道路に、煉瓦造りの家々。道をひっきりなしに行き交う人々、馬車、ところどころに最新鋭の乗り物である車。都の中心は小高い丘になっていて、そこに、いくつもの尖塔を抱えた、眩しい白壁の王宮がある。あそこに、この大陸の王が住んでいる。
 しかしその城自体より、あたしの目を奪ったのは、城へ向かう荷馬車の多さだ。馬に引かれた大小様々な幌が、列をなして続々と王宮を目指している。きっと中身はほとんどが王への貢ぎ物だろう。
 といっても、王族が道具や食品や宝飾品などの品々を、強制的に献上させているわけではない。大陸全土の商人や農民たちが、ぜひ国王陛下に使ってほしい、食べてほしい、と品物を運んでくるのだ。王族御用達の箔がつけば、同品質のものより三割ほど高価でも飛ぶように売れる。あたしの街からも、物品を運んでいたから分かる。人間、みんな考え方は一緒だ。
 駅前を散策する体を装いつつ、ジーヴとこそこそ作戦会議をする。
 
「兄さんはどこだろう、やっぱり王宮かな。どうやって助けだそうか」
「俺がまた、頭突きで壁をぶち破るのではいかんのか」

 額にまだ傷を残した竜の御仁は平然とのたまう。

「駄目に決まってるでしょ、それじゃ兄さんを助けに来たんだって教団の奴らに報せてるようなもの。兄さんを人質にでもされたらどうするの」
「ふむ。そういえば、俺たちの情報が王都まで伝わっているかもしれんな。教団の人間に見つからぬようにせねば」

 ひそひそと思案をこねくり回していると、

「お二人さん、王都は初めてかい? 記念の土産に、王都名物なんていかがかな」

 後ろから、首にたっぷりと肉を蓄えた、にこやかな商人に声をかけられる。
 見ると、彼は馬を牽いており、さらにその馬は巨大な棚型の荷台を牽いている。移動式の店舗だろうか。それぞれの棚には、香水の瓶を二回りほど大きくしたような、コルクで栓をした小瓶がずらりと並んでいた。
 コルクと瓶のあいだには色とりどりの蝋引き紙が噛ませてあって、目に賑やかだ。中身は黄金色や琥珀色、黄褐色をした液体のようである。何気なくそのうちの一本を手に取って傾けると、液面がそろりと動く。鉄道で抜けてきた王都周辺の花畑を思いだし、ぴんと思い当たった。

「なんだそれは」
「蜂蜜だよ。色んな種類の花の」

 さして興味もなさそうに尋ねるジーヴに、あたしは答える。商人が満足げにうんうんとうなずく。

「蜂蜜は王都の特産品なんだ。旅人さんには特別にお安くしとくよ」

 昔から蜂蜜は好きだった。純正の蜂蜜は独特のえぐみがあるけれほど、水飴とあわせればぐっと食べやすくなる。もちろんそのまま飲み物に入れても、焼きたてのパンに塗ってもいいし、料理に使えば味がまろやかになる。見映えよく仕上げるための、つや出しとしても使える。
 それにしても、これほどの種類の蜂蜜を一度に見たことはなかった。圧巻である。
 いつも自信たっぷりの黒竜が、不可解そうな顔をして小首を傾げる。

「花の種類ごとにそんなに色が違うのか?」
「味だって全然違うぞ。そんなことも知らないで、よく今まで生きてこれたな?」
「……」

 いつかのジーヴの台詞を真似する。さんざんあたしを馬鹿にしてきた黒竜の大男は、むっつりと押し黙った。イゼルヌ教団の時の仕返しだ。胸がすく。
 商人はあたしたちが興味を持ったと判断したのか、営業用の笑顔とともに、荷台の棚からなにがしかの商品を寄越してみせる。

「最近売り出したばかりの新商品があってね、紅茶の抽出物エキスと蜂蜜を合わせたものなんだけど。お湯に溶かすだけで、手軽に色々な味を楽しめるよ。味見だけでもしていって」

 商人魂を丸出しにした男は荷台からポットを取りだし、これは日光で温めただけだからぬるいんだけどね、と言いながら、水と蜂蜜とを木製のカップに注ぐ。
 あたしは無料(ただ)ならばと喜んで受け取り、ぬるま湯でも薫る芳香を胸いっぱいに吸い込んでから、口に含む。紅茶と蜂蜜の織り成す調和。自分好みの味だった。美味しさで酔いそうだ。
 杯を渡されたジーヴは気乗りしない顔だったが、渋々といった様子で口をつける。
 その瞬間、竜ははっとした表情を浮かべ、一口、また一口と飲み進めた。結局、蜂蜜紅茶は一滴残らず飲み干された。

「まあ、なかなかの味だな」

 と我に返って苦し紛れのように言う。あたしはそれを、にやにやと眺めた。


 街道沿いのカフェテラスにて、作戦会議を続行する。
 注文した深煎りの珈琲に、さっき買った蜂蜜をこっそり垂らしてみる。黄金の流体が珈琲の味を素敵に変える。こんな悠長に構えている場合ではないのだが、いい買い物をしたと思った。

「して、どうする」
「考えてたんだけど、あれが使えないかなって」

 あたしは煉瓦敷きの道を間断なく行き来する、幌馬車の列を指差す。
 あれらの行き先はすべて王宮だ。荷台に潜り込めば、自動的に城の入り口くらいまでならたどり着けるだろう。その後は多少荒っぽい手を使う必要があるとは思うけれど、膂力(りょりょく)に任せて正面突破するよりよほど効率的だ。
 ジーヴも異議はないらしく、小さく顎を引く。
 
「常套手段といえば常套手段だな。それで行くか。ただし、動物が乗せられた馬車はごめんだぞ。臭いで俺の鼻が駄目になりかねんからな」
「それ以前に、動物に騒がれたら一巻の終わりでしょ……」

 竜の男は、ひどく小さく見える陶器の器をぐいと傾ける。

「さあ行くぞ、善は急げだ」
「ちよっと待て、まだ残ってるんだって……あちっ」

 二人して荷馬車の物色を始める。あんたのせいで舌を火傷した、どうしてくれるんだ、とジーヴに不平を垂れながら。
 噴水が噴きあがる公園の一角に、馬を一時休ませるための水飲み場があって、周囲には低木が集まって茂みになっている。あたしたちはこれ幸いとばかり緑の影に隠れ、手頃な荷台がないかとつぶさに観察する。地味な外装の馬車を目をつけ、あれはどうかな、よし行こう、と囁き声を交わし、御者が一時車から離れた隙に、すばやく荷台の中に忍びこんだ。
 幌の中は真っ暗だった。土埃と、干し草と、香辛料の匂い。どうも食料品を積んだ馬車のようだ。床部分は荷物でごたごたしていて、ほとんど隙間がない。辛うじて底面が見えている荷台の隅っこに、ジーヴとぴっちり隣り合って座る。贅沢は言っていられないが、かなり窮屈だ。大の男と密着せざるを得ない。

「ふむ、ぴったりくっついているしかないな。この際だから我慢してやるが」
「それ、こっちの台詞だから……」

 兄以外の異性に、これほど接近されるのは初めてだった。よりにもよって、なぜこんな尊大で不遜な竜がその相手なのか。運命の神に文句のひとつでもぶつけてやりたい。
 すぐそばで馬が嘶(いなな)き、びくりと体が震える。そのうち車輪が軋み、車体がぎいぎいと動きだした。王宮までどのくらいかかるのか知らないが、既に狭さで体が悲鳴をあげている。一刻も早く着けるよう、内心で祈りを捧げた。
 しばらくして、三半規管が車の傾きを察知する。王宮へ一直線に伸びる坂道へ差しかかったのだろう。ここを行き過ぎれば、そこはもう王宮の領内だ。思わず胸を撫で下ろし、安堵に一息つく。
 しかし、馬車は坂を少し登っただけで、不意に止まってしまった。体に伝わるがたごとという揺れがやむ。胸に急速に広がる不安。

「おかしいな。まだ城じゃないよな?」
「何かあったようだな」

 至近距離からの、ジーヴの低い囁き。
 あたしは息を殺し、耳を澄ました。外でがちゃがちゃと金属が鳴る音がする。温度を感じさせない平坦な声がそれに続く。

「検問だ。中を検めさせてもらうぞ」

 へえ、と御者の返事。
 あたしの心臓が跳ねあがる。傍らにいるジーヴが、まずいな、と渋い口調で呟く。
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