あたしたちは一路、王都へ向かう。
 兄はそこにいる。
 旅の終わりの気配。あたしはそれを、ひしひしと感じとっている。


 がたん、ごとん、と規則正しく振動しながら、王都行きの蒸気機関車が花薫る草原をひた走る。
 王都への移動は、一度乗ってみるのも一興ではないか、というジーヴたっての希望もあり(という言い方をするとまた嫌がられるのだろうけど)、鉄道を選択する運びとなった。道中ジーヴと話したい事柄もある。竜型の彼とは会話ができないから、移動しつつ話し合いが持てる列車の利用は、あたしとしても好都合で異論はなかった。
 王都行きの列車はすべて寝台列車で、客室は等級に応じて広さが違い、ひとつの部屋につきふたつの寝床が付いている。王都へ着くまでの三日三晩、ここで寝泊まりするのだ。外観から想像するより内部はずっと広々としていて、あたしはちょっと感動を覚えた。
 寝台列車は客車全体に鍍金(めっき)装飾がふんだんに施された立派なもので、本来あたしのような平民に手が届く代物ではない。ひとえに黒竜の鱗さまさま、といったところだ。この旅で、あたしはずっとジーヴに頼りっぱなしだったなと思う。いまだに彼の鼻を明かすことも、一杯食わせることもできずにいる。名前も、結局呼ばれず仕舞いになるのではないだろうか。
 兄が捕らえられ、焦る気持ちもあるけれど、焦燥感で機関車の速度が上がるわけでもない。あたしは極力この旅程に浸ることに決めた。きっと二度と経験できない数日間になる。客車の外装や内装の豪華さには驚かされたが、度肝を抜いたのは食堂車での食事だった。車内に上品な円卓と椅子が並ぶ様は、あたかも高級飲食店に来たようで、こぢんまりしたバーさえ設けてある。
 発車してから初めての食事時、あたしは落ち着かなく周囲を見回しながら席に着いた。客は正装した中高年の男女がほとんどだ。内面はともかく、見た目だけなら青年貴族にも見えるジーヴは、存外しっくりと豪華絢爛な客車に馴染んでいる。悠然と前菜を待つ姿も堂に入ったものだ。対して、薄汚れた服のあたしはどこをどう見ても浮いている。乗客たちがこちらをちらちら見ながら何事か囁く声も聞こえてくる。
 ふんと鼻を鳴らし、ジーヴが聞こえよがしに大きい声を出す。

「小娘よ、堂々としているがよい。お前は正規の料金を払ってこの列車を利用しているのだ。何も後ろめたいことはなかろう」

 竜の一声の効果は絶大で、ひそひそ話はぱたりとやむ。いい年をした男女がもぞもぞと気まずそうにしているのにも、ジーヴは意に介さぬ様子だ。
 しかしな、と今度はあたしに向かって眉をひそめる。

「その服装が場違いであることは確かだな。以前にくれてやった首飾り、まだ持っているか? あれを着ければ、少しは華やいだ雰囲気になるのではないか」

 いつぞや、ジーヴが気まぐれで買ってきた珊瑚の首飾り。あたしはそれを、まだ持っている。持っているが――この格好に合わせたら、それこそお笑い草ではないか。

「……首元だけ飾りたてて、何の意味があるの」
「くく、それもそうだ。なに、枯れ木も山の賑わいというだろう、何も無いよりはましかと思ってな!」
「……」

 憮然として、膝を打ち大笑いする無礼な竜を睨む。ジーヴの人を食った言い様には、一年間旅を共にしても慣れることがなく、いつまでだって腹が立つ。それに、乗客が怪訝な顔で見てくるからやめてほしい。
 前菜としてテリーヌが運ばれてくる。一瞬ジーヴは手掴みで食べるのではとひやっとしたが、予想に反し自然な所作でナイフとフォークを繰りだした。いくら批判的な視線を向けてみても、洗練されているとしか言えない仕草だった。

「あんた、それちゃんと使えるんだな」
「なんだ、心配していたのか? 能ある竜は爪を隠すものだ」
「あんたの爪はいつも剥き出しだけどな」

 冗談なのかそうでないのか、判別できない言葉に適当に返答する。あたしは多数の銀色にきらめく道具たちを前にし、途方に暮れた。こんな格式ばった形で使うのは初めてなのだ。そしてジーヴにはなるべく教えを請いたくない。見よう見まねで、最も外側に置いてあるナイフとフォークを手に取る。あたしの一挙手一投足を、ジーヴがにやつきながら見ている。恥をかいてなるものか、とむきになるが、あたしが食事中ずっと四苦八苦したのは言うまでもない。


 気疲れのする食事を終え、客室に戻る。これが三日間続くと思うとげんなりした。普通の人は手の込んだ料理を楽しめるとなれば喜ぶのだろうが、さっきのであたしの舌には合わないともう結論が出た。大衆食堂や宿、自分で作る大雑把な料理の方が断然好みだ。
 部屋には毛足の長い絨毯や、優美な曲線を多用した鏡台、ふかふかの肘掛け椅子などが設えてある。弾力に富んだ椅子の座面に深く埋(うず)まると、精神的な疲れが抜けていく気がした。
 ジーヴはでかい図体で二人がけのソファを独り占めしている。いつの間にか手にしていた蒸留酒のふたをきゅぽんと開け、そのままぐびぐびと口に含む。半分ほどを顔色ひとつ変えず一気に煽る鯨飲ぶりに、呆気に取られた。

「なんだ? お前にはやらんぞ。これはいい酒だ」
「飲みたい、なんて一言も言ってないから……それより、王都に着く前に話したいことがある」
「うむ。俺もだ。まずお前から話せ」
「……イゼルヌ教団の奴らに捕まった時、騎士団長が気になることを言ってたんだ。確か、"理想の世界を作る"だとか"世界は新しい秩序を手にいれる"だとか。どういう意味だと思う」

 天鵞絨ビロード張りの座面にふんぞり返り、長い足を組んだジーヴは思案げに顎を撫でる。

「それだけでははっきりしたことは分からんな。が……俺も気になる話を聞き込みで得たぞ。イゼルヌ教団の最高位は大司教という肩書きなのだが、なんでも今の大司教に代替わりしてから、教義の解釈が少し変わったようなんだと」
「……どういう風に?」

 人間こそが神に祝福されし大陸の支配者である、とするイゼルヌ教の教義。それをどう噛み砕くか。
 不穏な雰囲気を感じつつ問う。
 ジーヴは獰猛で獣じみた、それでいてどこか虚無的な笑みを浮かべる。

「嘘か真か分からんが、当代の大司教のもと、教団は竜排除の動きを見せているらしい。竜の知性を否定するだけでなく、存在をも否定しようというわけだ」

 息を飲む。話の流れで薄々勘づいていたけれど、声に出して聞くと空恐ろしいものがあった。
 無意識に握りしめていた片手の拳に、じっとりと嫌な汗をかいている。

「そんな……大司教が代替わりしたのって――」
「一年と数ヵ月前だそうだぞ」

 ジーヴは遠くを見つめている。ああ、と嘆息が漏れる。あたしの街が焼かれ、黒竜の一族が滅ぼされたあの一夜。時期がぴたりと合致する。
 黒竜の元族長はさらに言葉を続ける。

「噂話という前提は付いているが、火がないところに煙は立たぬ、というからな。どこまでかは知らんが、真実も含んでいると考えるべきだろう。なれば、連中の言う"新しい世界"がどういったものか、推測できよう」

 ジーヴは既に悟っている。あたしも、予想がついている。しかしそれを口にするのは、かなりの勇気を必要とした。口内がからからに乾いていた。唇を一舐めしてから、一句一句を喉から絞り出す。言葉で、腫れ物に触ろうとする。

「――今の大司教と、イゼルヌ教団が作ろうとしてるのは……竜のいない世界」
「そんなところだろう」

 ジーヴは低い声で応じ、木製のテーブルの上に酒瓶を乱暴に置く。ごとんと重い音が鳴った。

「竜は人間に協力もせぬし、人間が何を考えているかも興味がない。人間同士で争おうが、知ったことではないと思っている。しかし、同胞に仇なさんとする者を、野放図にするわけにはいくまい」

 いつしかジーヴの口元から笑みが消えていた。代わりに、目の奥でめらめらと激情がほとばしっている。その燃え盛る感情は、アルコールランプに灯る、青白い炎にも似ていた。
 あたしはふーっと長く息をついて、より深々と椅子に沈みこむ。
 話が大事(おおごと)になってきてくらくらした。竜のいない世界を作るなんて、正気の沙汰ではない。第一そうする理由がない。竜がひとたび本気になれば、赤子の手をひねるように、人間は成すすべもなく駆逐されるだろうことは確かだ。その可能性は脅威かもしれないが、人と竜が対立した歴史はないし、竜は絶対に人間との間に禍根を残す真似はしない。ジーヴと旅をしてきて、それははっきりと分かる。
 謎はまだ残る。そんなけったいな思想の持ち主に、兄はどうして狙われたのか。彼は、捕らえられるような研究をしていたのだろうか。あの柔和な笑顔の裏で?
 あたしは自分の気持ちがぐらつくのを感じ、座面の上で膝を抱えた。

「兄さんは、どうして捕まったのかな。あいつらに追われるようなことを研究してたのかな……」

 弱々しく客室に漂う、答えの出ない問い。あたしは兄のことになると自制が利かなくなる。簡単に視界が潤んだ。
 疑問に答えたのは、ジーヴの呆れ返ったため息だった。

「手の施しようのない愚か者だな、お前は。お前の兄はきっと今頃、捕らえられた先でたった一人で耐えているのだぞ。お前が信じてやらんでどうするのだ?」

 責めるような言葉に、はっとする。そうだ。あたしは兄のたった一人のきょうだいであり、肉親なのだ。何があっても、兄が兄であることに変わりはない。
 あたしは緩んだ鼻をすする。

「ジーヴ……もしかして、励ましてくれた?」 
「下らんことを抜かすな。お前が勝手な想像で勝手にくよくよと消沈するのに、鼻持ちがならなかっただけだ」

 酒瓶がまた大きい手底(たなそこ)によって持ち上げられる。ジーヴはその透明な液体を、二回目ですべて飲みきった。
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