複数の足音がばらばらと響き、近づいてくるではないか。きゅ、と喉が締まる心地がして、心臓さえも数瞬止まったかに思えた。
 それでも、入谷の舌遣いは止まる気配がない。
 ――嘘だろ……!
 咄嗟に掌で口元を押さえる。荒くなった息が鼻から抜け、指の表面を熱くくすぐった。こちらの淫らな水音が、あちらの物音に紛(まぎ)れているといいのだが。いや、紛れていないと困る。早く、早く用を足して出ていってくれ。
 内腿のあたりが震えてくる。限界の二文字が脳裏に閃いた瞬間。扉の向こうから伝わってくる流水音と一緒に、俺は達した。
 熱く濡れた、入谷の咥内へと。

「――ッ!」

 迸りそうになる声を必死にこらえ、びくりびくりと繰り返す痙攣に一時(いっとき)身を任せる。
 入谷が俺のぺニスから唇を離したときには、もうトイレは静まり返っていた。

「ご、ごめん……! 大丈夫だった?」

 彼の口の中に出したのは初めてだった。音を出せない状況だったため、達(い)くタイミングも教えられなかったのは不可抗力とはいえ歯がゆい。
 入谷は丸めたトイレットペーパーに白濁を吐き出した後、やや潤んだ目を俺に向け、うっそりとほほえんだ。

「大丈夫ですよ。ずいぶん興奮したみたいですね?」
「うっ……」

 揶揄するような言葉を即座に否定できない自分がいる。
 入谷は手持ちのウェットティッシュで手を拭いてから、新品の下着を紙袋から取り出してきた。それを受け取り、汚れた下着を脱いで着替えるあいだ、入谷は俺をじっと見つめていた。もう今さら恥じらってもしょうがないと思って心を無にしたのだが、入谷に外へ出てもらえば良かったのでは、と気づいたのは着替えが済んでからだった。

「それでは、行きましょうか」

 入谷が促してくる。彼の頬はまだ、上気してほんのり染まっていて。その様子にそそられた。
 相手が荷物に手を伸ばす前に、後ろから体を抱き寄せる。腕の中にいる総身がぴくりと震えた。
「次は紫音くんの番じゃない?」先ほどの彼を真似て、耳元で吐息混じりに囁く。入谷は身動(みじろ)ぎするが、本気で逃れようとはしていないのが伝わってくる。

「あの……、僕のことはお構いなく」
「そうかな? こっちは構ってほしそうだけど」

 右手で入谷の下半身をまさぐると、それは厚手の布の下でしっかり存在を主張しているのだった。布越しにつうと撫でてやれば、入谷の喉から熱くなったため息が漏れる。

「自分で言ってたじゃない。溜まってるって」
「それは、そうですが」

 窮屈そうにしている昂りを外へ導く。既に濡れそぼっているそれは、何回か扱くだけで急速に固さと大きさを増した。

「紫音くん、咥えながら感じてたんだね。可愛いなあ」
「はあ……柾之さ、ん……」呼ばう声は切なげだ。
「ほら、思いっきり出したらいいよ。ここから後始末も簡単だし。ね」
「……!」
「いやらしいのは、紫音くんもでしょ?」

 わざと音を立てて項(うなじ)に口づけしながら、竿の部分を前後に刺激する。それに合わせて入谷の腰も妖しく蠢く。
 普通のデートってけっこう辛いものなんだな。自分のどこか冷静な部分でそんなことを考える。今すぐにでも入谷の中に分け入って彼を感じたいし、彼にもセックスで気持ちよくなってほしいのに、ここではそれは叶わない願いなのだ。
 入谷の呼吸が切迫してくる。いい年をした男二人がこんな場所でいかがわしい行為に耽(ふけ)っているなんて、良識ある人なら絶対に非難し、糾弾し、断罪するだろう。良識に反しているからこそ、こんなにも気持ちいいのだ。

「っあ、ああぁ……」

 嘆息するように甘い声を漏らし、身を捩(よじ)りながら入谷が絶頂を迎える。性器の激しい収縮とともに吐き出される精液が、トイレの中の水面をびちゃびちゃと叩いた。
 肩を上下させる入谷の体からくったりと力が抜ける。彼を支えながら、首筋にキスをした。

「いっぱい出たねえ。本当に溜まってたんだね。紫音くん、気持ちよかった?」
「だめ……」
「ん?」
「耳元で囁かれると、力が抜けてしまうので……駄目です」
「あ、その、ごめん……?」

 濡れた瞳で見上げてくる様子がいじらしいのに艶かしく、どぎまぎするのを隠せない。
 入谷をしっかり立たせてから視線を落とすと、俺の股間は再び布を持ち上げていた。このトイレから抜け出すのはなかなか骨が折れそうだ。


 身なりを整えた俺たちは先ほどのショップに戻り、試着の続きを再開した。残りは入谷が選んだ俺のボトムスだけだったので、彼には試着室の外で待っていてもらい、着終えたところを見せる形に変えた――また変な空気になったら色々と困るので。
 お互いに気に入った服は選んだ本人が会計した。俺が購入したのはライダースジャケット一着で、入谷にコートやらシャツやらパンツやら買ってもらったので心苦しかったが、きっと恋人はいつものように「気にしないで下さい。僕がしたくてしていることなので」と微笑するだけだろう。だとしても、何かしらの形で彼に返す手段を考えたかった。
 俺は今、満足げな顔の入谷と連れ立って、二人でぶらぶらとウィンドウショッピングをしている。恋人はほんの数十分前まで乱れていた気配などまったく見せずに、普段どおり涼しげな様子で俺の隣を歩いている。
 一方、自分は。
 ――き、気まずい……。
 トイレで何かしらのスイッチが入り、それがまたオフになった今、どんな顔をして入谷の傍らにいればいいのかが分からない。フロアにはしっかり暖房が入っていて、変な汗で全身が湿ってきている気がする。脱ぎ着できないニットを身につけてきたことが恨めしい。入谷が選んでくれたシャツにトイレで着替えた方がよいだろうか。
 歩きながら考え事をしていたところへ、「柾之さん」と出し抜けに声をかけられたものだから驚く。

「うっ、うん!? 何かあった?」
「おなか空いてませんか? 昼食はどうしましょう」

 腕時計を見れば既に13時を過ぎている。気を取られることが多すぎて、そこまで頭が回っていなかった。だがひとたび入谷に問われると、急に空腹を感じるようになってくるのが不思議だ。

「紫音くんは何か、特別食べたいものある? それか、フードコートに行ってみようか」
「フードコートもいいですね。行ってみましょう」

 うなずき合って足先をフードコートへと向ける。昼食には少し遅い時間だからか、そこは休日の割に混雑はそれほどでもなく、空席もちらほらと目についた。
 並ぶ店名とメニューをひととおり眺め見て、俺はサーモンといくらの親子丼、入谷は豚骨ラーメンに決めた。
 ちょうど相対する席に座れたのは僥倖だった。湯気を立てる丼を前にした入谷がいただきます、と丁寧に手を合わせるのに、俺も一拍遅れて続く。
 醤油にわさびを溶き、それをつやつやしたサーモンの切り身に回しかけながら、入谷の方を盗み見る。少し多めの麺を持ち上げ、ふうふうと息を吹きかけてから、一本も噛み切ることなく一気に最後まで啜る。ジャンクなものを食べる彼の姿は新鮮であり、それでいていつも纏っている上品さも失われてはいない。
 ――ラーメンも綺麗に食べるんだなあ……。
 熱いご飯とひんやりした魚介を頬張りながら見とれてしまう。入谷と他の人はどこが違うのだろう。俺の好意が彼に向いているから、彼の仕草が特別に見えるとか? いや、客観的に見ても入谷の所作は洗練されているに違いない。こんなに上品に見えるのに、二人きりの時は大胆なんだよな……。
 そこまでつらつらと考えたところで、いかんいかんと妄念を振り払う。人の目がたくさんあるのに、何を連想しようとしているのか。
 普通のデート、難しくないか? 親子丼にセットでついてきたあおさの味噌汁を啜りながら思ってしまう。どうしても恋人を前にすると不健全な想いが湧き水のようにあふれてくる。昔、彼女がいた頃でさえこんなに悶々とはしなかったのに。街中でデートしているカップルはみんなこの不埒な感情に耐えているのか。それとも俺がおかしいのか?

「親子丼、美味しいですか?」

 いつの間にかこちらを見ていた入谷と目が合う。目が合うということは、俺が先に彼を見つめていたということに他ならない。頬がじわりと熱くなるのを感じつつ浅くうなずく。

「うん、それなりに。紫音くんのは?」
「ええ、美味しいですよ。もっと熱々だったらより良かったですが、それは高望みでしょうから」
「紫音くん、ラーメンも食べるんだね」
「もちろん。何でも食べますよ」

 次はあなたを食べたいですね、とはさすがの入谷も憚(はばか)って言わなかった。だが、こちらをじっと見据える深い色の瞳が、口ほどに感情を訴えているのが俺には分かった。
 器を綺麗に空にして、二人でごちそうさまと掌を合わせる。席を立つ前、入谷がぺこりと小さく頭を下げた。

「なんだか今回、学生同士みたいなデートプランになってしまいましたね。申し訳ないです」
「謝る必要なんてないよ。俺は紫音くんとならどこに行っても楽しいから」

 それは偽りのない本心だったのだが。

「そうですか? ……言質(げんち)は取りましたよ、ふふ」

 蠱惑的にほほえみながら、双眸をきらりと輝かせる恋人を前にすると、不用意な発言をした気になる。俺の貧しい想像力を軽々と超えてくる、とんでもないところへ連れて行かれそうな予感がするも、ここで発言を撤回なんてできるわけがない。思わずごくりと生唾を飲みこめば、喉の奥がわざとらしいほどに大きく鳴った。
 食事の後も、特に目的もなく色々なフロアを見て回った。それが意外にも楽しかったのは、入谷がそばにいてくれた賜物だろう。俺一人ではきっと早々に飽きていた。そもそも、面倒くさがってこのような場所に来ることもなかったはずだ。
 そのような心持ちで雑談を交わしながら歩いていたとき。
 ふと顔を上げると、前方20メートルほど離れた場所にいる男と、目が合った気がした。人混みより頭半分抜けたところから、自分へまっすぐ届くその視線。
 反射的に体を反転させると、一瞬で全身から冷や汗が噴き出る。周囲のざわめきがすうっと遠くなった。代わりに、自分のどくどくという鼓動の音がいやに大きく聞こえる。
 なんてことだ。いや、あり得ないことではない。
 今いたのは……後輩の常葉(ときわ)ではなかったか?
 見られた? 入谷と共にいるところを。

「――さん、柾之さん。どうかしたんですか」
「……っ紫音くん、ちょっとこっち来て」

 逸(はや)る気持ちのまま、彼の腕をぐっと引き寄せて人混みの端(はし)へと突き進む。焦りがぐらぐらと足元を揺るがしている。
 そのうちに赤熱した頭が徐々に冷え、少しずつ混乱も落ち着いてきた。まあ待て、あそこにいたのは本当に常葉だったと断言できるか? そこそこ距離もあったのに? 常葉は背が高いとはいえ、これだけ人がいれば似た背格好の男などいくらでもいるだろう。それにもし本人だとしても、俺の隣にいる人には気づかなかったかもしれないし、ましてや俺と入谷が恋人同士なんて一目では分からない、はずだ。
 気づけば俺たちは、非常階段の前にいた。喧騒から隔絶されたようなそこはどこか寒々しく、人気(ひとけ)がない。

「ごめん、紫音くん。いきなり――」非礼を詫びようとして彼を見やる。すると、入谷はなぜかとろんとした目をこちらに向けていた。
 するり、と腰に腕が伸びてくる。

「どうしたんです? 急にこんなところに連れこむなんて、大胆なことをして」
「い……いや、その」誤解しているらしい。でも、と俺は思う。
「僕、行きたいところができました。少し早いですが、ここでのデートは切り上げませんか?」

 湿度を増した囁きが間近から聞こえる。
 俺は別に、突然襲おうとしたわけじゃない。断じて、誤解だ。でもこれは、渡りに舟だとも言える。

「うん。じゃあ、行こうか」

 入谷に囁き返すと、恋人はとろりと溶けるような笑みを浮かべた。
 車に荷物を乗せ、運転席と助手席に乗りこんだあと、俺たちは二人とも言葉少なだった。車内に漂ういやに艶(つや)めいた空気を、ひしひしと肌で感じていたかもしれない。ハンドルを握る入谷の涼やかな横顔を横目でうかがう。もしかしたら、彼も素知らぬふりをしながら、噴出しそうになるものを抑えていたのではなかろうか。
 二十分ほど沈黙が続き、車が幹線に乗ったあたりで、入谷が出し抜けに呟いた。

「本当は観覧車にでも乗って、あなたにいたずらするつもりだったんですけどね。でも色々と我慢できそうになくて。すみません、こんな人間で」

 腹のあたりで組んでいた手にぐっと力がこもる。休憩≠ェそのままの意味でないことくらい、鈍い俺にだって分かる。やはり入谷も、俺と同じ熱を燻らせていたのか。そのことが、なんだか胸を熱くさせる。

「いや。実は俺も、同じようなこと考えてた」
「そうなんですか? 僕たち、似た者同士ですね」

 邪気のひとつも感じさせない笑顔の入谷と俺を乗せ、情熱の色をした車は疾走する。


 選んだホテルの選んだ部屋は、建物の派手さとは対照的に、比較的落ち着いた雰囲気を持っていた。
 まだ日没前だというのに室内はほの暗く、これからおこなわれる行為を生温かく見守るように、間接照明がそこここに光を投げかけている。
 ラブホテルなんて、本当に久しぶりに来た。最後に来た日を思い出そうとして、月日の流れの早さに打ちのめされそうになり、慌てて取りやめる。
 荷物を置いた入谷は、室内をしげしげと見回していた。

「中はこんな感じなんですね。初めて入りました」

 感心したような呟き。それは思いがけない言葉で、思わずえっと声が高くなる。

「そうなの? 平然としてるからそんな風には見えなかったな」
「ふふ。顔に出ないだけで緊張していること、あなたは知っているでしょう?」

 悪戯っぽく入谷が笑いかけてくる。そうだ、彼の心臓の拍動を掌で感じたこと、はっきり覚えている。
 しかし――受付のパネルで入る部屋を選ぶときも、彼は実に落ち着き払っていた。入谷のように動じない姿は俺には羨ましく、そして少し寂しくも感じられる。恋人同士なのだから、もっと気持ちに素直な表情も見てみたい。けれどそれは、お互いいい年の社会人になってしまった今では、叶わない願いなのかもしれない。
 入谷ともっと早く出会えていれば、何かが違っただろうか。詮ない想いがふと胸の内に湧き上がる。
 対して興味津々といった様子の入谷はいつもよりテンションが高めだ。

「こういうところって、色んな部屋があるんですね。和風の座敷みたいな部屋とか、学校の教室みたいな部屋とか」

 パネルにあった部屋を、入谷はひととおり確認したらしい。ちなみに、俺はそういうコンセプトが設定されている部屋には入ったことがない。なんとなく恥が勝(まさ)ってしまうのだ。

「あー、そうだね。俺らにはちょっと、教室とかは微妙だよね」
「そうかもしれません。教師と生徒としてプレイするには、僕たちは年が近いですから」
「どっちかというと先輩後輩だね」

 アラサーになって教室風の部屋でセックスするなど、到底集中できなさそうだと思ったのだが、入谷の考えは違ったようだ。なにやらぶつぶつと考えこんでいる。

「年齢的には先輩と後輩、ですか。ふむ、それもなかなかいいですね……」
「紫音くん?」
「いえ、こちらの話です。先にシャワーを浴びてきてはいかがですか?」

 申し出に甘えて先にシャワーを浴びさせてもらうことにする。ラブホなのに色気がない会話をしてしまったな、と若干反省しながら、やたら広くて豪華な風呂場へ足を踏み入れる。二人で入ってもなお余裕がありそうな楕円形の浴槽や、やたら面積が大きいシャワーヘッド。よそよそしいそれらに囲まれながら、しかし適温のお湯を浴びれば、モールでの緊張や無用な心のしこりなどが水に溶けて流れ落ちていく。
 そこで前触れなくドアが開く気配がして、俺は反射的に振り返った。は、と息を飲む。一糸纏わぬ格好の入谷が微笑をたたえて歩み寄ってくるではないか。
「な、ど、どうしたの」動揺でどもってしまうのが恥ずかしい。
 入谷は「お流ししますよ、背中」なんて事もなげに言ってみせる。全裸なんてお互い何度も見ているのに、湯気で柔らかくなった明かりの下では、入谷の肢体はなんだかより艶(なまめ)かしく見えた。
 しかしこんなの、不意打ちではないか。以前は準備があるからと一緒に入らせてくれなかったのに、予告もなしにいきなり来るなんて。
 年下の同性に翻弄され続ける情けなさに唇を噛む。そんな心境になど気づかないように、入谷はさっさとボディーソープを両手で泡立てている。

「いいよ、紫音くん。一人でできるから……」
「一人でもできることを他人に任せること。それが甘えるってことですよ。あなたはなかなか僕に甘えて下さらないから、もどかしいです」

 甘える。意外な語彙が飛び出してきて俺は面食らい、口ごもった。甘えるって、一体どういうことだ。彼は、俺に甘えてほしいのか。

「お嫌ですか? こうされるのは」

 入谷は後ろから、俺の肩を泡で包みながら問うてくる。嫌なわけがないので首を横に振る。こうやって身を任せるのが、甘えるということなのか。
 彼の手つきは優しかった。ぬるぬるした泡の層を挟んで肌の上をくるくると動き回る感触はくすぐったくも、気持ちよくもある。そのうちに手の動きが妖しくなってきた。胸から腹筋、脇腹のあたりを執拗にまさぐった指先が、突然尻を鷲掴みにしてくる。

「ちょ、ちょっと!」
「おや、こんなところに素敵なおしりが。これは揉まないと失礼ですね」
「なにそれ……」

 そのまま熱っぽい掌が尻の筋肉全体を揉んでくるではないか。初めての感覚に頬が熱くなる。不快なわけではないが、このなんとも言いがたい気持ちは何だろう。俺の尻なんて触っても何も得はないのに、入谷の手つきは実に楽しげだ。

「さて、こっちも綺麗にしなくてはいけませんね」

 入谷の手がついに、不可侵の領域を侵してくる。股ぐらに指が触れると同時に、俺は掌で口を覆った。そこは我知らず起ち上がりかけていて――いや、本当はとっくに気づいていたのだ。入谷に触られ、気持ちよくなって、自分がさらなる刺激を欲していることを。
 陰茎がぬるぬるした感触に包まれ、優しい圧迫感に扱かれる。トイレの個室で口でされたのより、何倍も気持ちよかった。息が荒くなり、壁に手をついて体を支える。そうでないと、腰から崩れ落ちてしまいそうだった。
 ふふ、と背後で入谷が含み笑いを漏らす。

「気持ちいいですか? でも、まだ出しちゃ駄目ですよ。これから僕の中に出してもらうんですから。無駄撃ちなんて勿体ない」

 冗談めかしたその言葉。そんな、と俺は喘いだ。一秒でも早く出して、気持ちよくなりたいのに。彼は意地悪だ。
 入谷がシャワーの栓をひねり上げる。途端に、俺の体を覆っていた泡が、熱とともにざあっと流れ落ちる。
 俺は入谷の方に向き直り、しなやかな体をやや乱暴に抱き寄せた。彼の股間のものも固くなりつつあるのが伝わってくる。歯が当たるのも構わずに性急に口づけ、咥内をこじ開けて、舌同士をめちゃくちゃに絡める。どうしようもなく熱が高まっていた。
 息が上がり、名残惜しく思いながら唇を離す。鼻が触れ合う距離で、入谷が妖しくほほえんでいた。

「準備をしてから行きますので、いい子で待っていて頂けますか?」
「……ああ。あんまり我慢できそうにないから、なるべく早くしてほしい」
「ええ。鋭意努力します」

 体の内に溜まった情欲のせいで、返答がいつもより冷たくなる。入谷はまったく気にするそぶりを見せず、むしろ喜んでいるように見えた。
 浴室を出て、バスローブを肩にかけた俺はまず、コップ一杯の水をごくごくと呷った。時間的にはそこまで長くもないのに、のぼせてしまいそうになっていたのだ。
 この部屋は鏡が多い。広く見せるためなのか知らないが、そこここに映りこむ自分の両目がやたらぎらぎらしている。まさに肉食獣の目だ。自分でも知らない俺の中の獣性を、入谷は簡単に引き出してみせる。あんな特別な人が、俺の恋人なのだ。
 ベッドに腰を下ろす。少し落ち着くべきなのか、さらに気持ちを昂らせるべきなのか、分からなかった。確かなのは、入谷と早く交わりたいということ。それだけだ。
 俺はわざと浴室に背を向けてベッドに腰かけていた。ドアから出てくる入谷の顔を、どういう表情で見ていいか分からなかったから。
 しばらくして、「お待たせしました」という聞き慣れたなめらかな声が耳に届く。俺はゆっくり三秒数えてからいざ振り向こうとした、のだが。
 入谷の肉体の気配が背中に迫る方が速かった。
- 29/30 -

back


(C)Spur Spiegel


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -