年が明けて早くも一週間以上が過ぎた、気持ちのいい晴れの日のこと。俺は入谷と約束をして、彼がいつも初詣に来ているという神社に来ていた。
 鳥居の傍に立って時計を確認すると、待ち合わせの時刻まで十分以上ある。晴れてはいるがそのぶん気温が低いため、近くのカフェにでも入って時間を潰すか迷うところだ。
 両手をトレンチコートのポケットに仕舞って待ち人の姿を思い浮かべる。入谷とはメッセージで新年の挨拶を交わしたが、まだ直接顔を合わせてはいない。無闇に気が逸(はや)って少し早くつきすぎてしまった。経験上、待ち合わせ場所には彼の方が先に到着していることが多かったから、こうやって相手を待つのはなかなか新鮮な気分である。
 ほ、と白い息を吐いて恋人を思うと、昨年の暮れに二人で過ごした時間が想起された。
 クリスマスイブ――入谷の誕生日の12月24日――に店で祝うことは彼の提案で避け、前倒しでお祝いをした。店を選んだのはもちろん俺だ。不慣れなリサーチを重ねて選んだ店は落ち着いた雰囲気で味も良く、入谷も「とても美味しかったですね」と言ってくれた(ちなみに彼の好みに合わせ、店はネタが全て時価の寿司屋にした)。
 彼の誕生日当日は俺の家でゆったりと過ごした。
 なんとなくクリスマスっぽさのある出来あいの料理に、入谷が持ってきたワインを飲みつつ、彼のおすすめだという映画――映像が綺麗でやたらロマンチックだが、話にはあまり起伏のない洋画――を観た。やや緊張しながら渡した臙脂色のマフラーは、彼の好みから大きく外れていないことを願いたい。それ以降の出来事については割愛する。恋人同士が二人きりで夜にすることといったら限られているので。
 それにしても、と思う。クリスマスを口実に恋人と食事を楽しみ、誕生日にはプレゼントを贈って一緒に過ごし、新年にはこうして共に初詣に来ている、というのは。
 なんというか――。

「普通のカップル、だよなあ……」

 思わず声に出てしまう。
 入谷との思い出を並べてみると不思議な気分になる。相手から誘ってもらう割合が多いとは言え、いわゆる恋人っぽいあれこれを彼とすることになるとは想像だにしていなかった。よりにもよって誰かを大切にする、という気持ちが分からなかった自分が、だ。俺にとって世間一般の"普通"は、他人事のように馴染みのない概念であったのに。
 去年の夏、入谷紫音と出会わなければ、今年の俺も前年と変わらぬ日常を淡々とこなしていたに違いない。初詣だって、年末年始に実家に帰らなくなってからは、一度も行っていなかったくらいだ。

「普通のカップル、とは?」
「わっ」

 突然横から耳に飛び込んだ声に、その場で飛び上がりそうになる。
 反射的にそちらを振り向くと、朗らかに笑む入谷がすぐそこにいた。寒さのせいか少しだけ鼻先が赤い。
 俺と目が合うと、相手は眉尻を下げてすまなそうな表情をつくる。

「すみません、驚かせるつもりはなかったのですが」
「いや、気にしないで……こっちの話だから」
「そうですか?」

 そこでふと会話が途切れ、俺たちはどちらともなく、深々と腰を折ってお辞儀をした。

「明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとうございます。旧年中は格別のお引き立てを賜り――」
「ちょっと、何それ」

 入谷が堅苦しい口上を述べようとするので噴き出してしまう。
 面(おもて)を上げた相手はにやりと笑ってみせた。

「だって我々はお互い取引相手であることに違いありませんから。別段おかしくはないでしょう?」
「それはそうだけど、やっぱり変だよ」

 それが入谷なりのジョークだということは理解している。無性に可笑しくなってきて、二人して一頻り笑い合う。彼はマフラーに口元を埋(うず)めたが、目元が隠しきれない笑みの形に緩んでいる。
 入谷のマフラーは――俺がクリスマスイブにプレゼントしたものだ。それを二人で会うときに巻いてくれている。とても嬉しくて、心が浮き立って、舞い上がりそうになるのをなんとかこらえる。
 入谷は今日、厚手のチェスターコートの下にどんな服を着ているのだろう。今はこうして何枚も着込んで向かい合っているけれど、俺は何度も彼の肌を暴いたことがあるのだ――と不意に思考がそちら方面へ揺れ、いかんいかんと舵を切り直し、我に返る。神社の鳥居の前で考えることではない。

「それでは立ち話もなんですし、早速行きましょうか」

 不埒な俺の内心を知ってか知らずか、入谷は先を促すように手を差し伸べた。


 境内は新年の真新しい空気に洗われたように、厳かで清浄な雰囲気に満ちている。初詣を既に終えた人がほとんどなのだろう、人の影はごく疎(まば)らだ。
 元日に来たら種々の食べ物や飲み物も売られていたのだろうが、今やそんな喧騒など存在もしなかったようにひっそりと静まっている。ざ、ざ、とどこかから聞こえる掃き清めの音が、いっそう静けさを強調していた。

「柾之さん、その格好でお詣(まい)りするのですよね?」

 参道を歩いていると、入谷が出し抜けに訊(たず)ねてきた。
 えっ、と焦って胸から下を見下ろすが、少なくとも自分の目でおかしい箇所は見当たらない。

「う、うん、そうだけど。何か変かな」
「いえ、おかしくはないのですが……それは後で言いますね。何を願うかは決まってらっしゃるのですか?」

 意味深長な台詞を唇に乗せてから、相手は話題を切り替える。

「うん、一応」俺は神妙な顔を取り繕って頷いた。今の俺の願い事といったら、来年もこうして入谷と初詣に来れますように――そのひとつしかない。
「あなたの願い事、分かる気がします」
「え?」
「来年も僕と初詣に来たい……そういった内容ではないですか」

 入谷に唐突に切り込まれ、足が止まる。あまりに驚いたものだから、目を瞠ってまじまじと恋人の横顔を見つめてしまった。
 黒髪の青年も歩みを止め、俺と視線を合わせる。

「当たっていましたか? 無粋なことをしてしまってすみません。これで外れていたら完全にナルシシストでしたね。……あなたがそう願って下さるのはとても嬉しいですが、できればその願いは神仏でなく、僕に直接伝えて頂けませんか。そうすれば、僕は全力であなたの願いを叶えますから」
「かっ……」
「か?」
「いや……、何でも」

 待ってくれ。なんだ、この人は。男前すぎないか?
 格好いい、と動揺して口走りそうになったものの、なんとか踏みとどまる。それなのに、入谷のたおやかな手が伸ばされて、細い人差し指が唇にそっと触れてきたものだから、寒風に吹き晒された耳がかっと熱くなった。確実に耳の先まで赤くなっているはずだが、それを隠すものは何もない。

「今度から言って下さいますか?」
「うん……そうする」

 顔を逸らしながら返すので精一杯だ。
 入谷はありがとうございます、と和やかに言うだけで何も指摘してこない。それが逆に気恥ずかしい。
 俺の恋人は外見は美人で、内面は男前だ。再び歩き出した入谷の一歩後ろを進みながら、そんな風に噛み締める。
「全力であなたの願いを叶えます」だなんて、さらりと気負いなく言葉にできる入谷が眩しい。俺も彼の隣に立つのに相応(ふさわ)しい人間になりたい。初詣で願うべきことが今、決まったと思った。


 お詣りを済ませるとどことなく晴れやかな心持ちになった。
 おみくじを引いていきましょうか、と入谷に誘われ、そちらへ足先を向けながら、「紫音くんは何を願ったの?」と訊いてみる。

「僕は生業(なりわい)の腕の向上を祈願しました。新年は昔から芸事の上達を願う習わしですから」
「え……そうなんだ?」

 それは初耳だ。己のあまりの物事の知らなさに目の前が暗くなる。それが顔色に出ていたのだろう、入谷がいたずらっぽく笑った。

「まあ、自分なりの持論ですけれどね。柾之さんはいかがですか?」
「俺のは――ええと、秘密」
「おや、そうですか」

 はぐらかした俺に対し入谷はすぐ引き下がる。気を悪くしただろうか、と表情を窺うが、変わらず楽しげにほころんでいたので安堵する。
 おみくじを引くのも数年ぶりのことだ。ちなみに俺は生まれてこのかた、大吉とか大凶を引いたことがない。逆に姉のおみくじは、起伏の激しい彼女の性格や生き方が表れているように、毎年そのどちらかが多かった。もしかして無難で特徴のない自分の人生は、天に見透かされてでもいるのだろうか。
 折り畳まれているおみくじをそっと開く。見た瞬間、口の端が苦笑に歪んだ。

「どうでしたか? 僕は吉でした」
「俺は小吉。良いのか悪いのか分からないな」
「小吉と吉ってどっちが良いんでしょうね」
「うーん、どうなんだろ」

 二人とも答えを知らないので、やり取りは自然と堂々巡りに近くなる。それでも、お互いにスマホを出して調べようとはしない。こんな不毛とも言えてしまう会話ですら、心地好く楽しいからだ。
 小吉のおみくじは、一人で来たなら境内の木の枝に結んで帰ったかもしれない。でも今日の俺はそれを畳み直して財布に入れた。このおみくじを目にすれば、今年の初詣の出来事をきっと鮮明に思い出せる。入谷との思い出が自分だけのお守りになってくれそうな気がした。
 他愛ないお喋りをしながら神社をあとにする。鳥居をくぐったところで、入谷が若干声を低くした。

「さて、神域を出ましたね。先ほど『後で言う』と伝えたことがあったかと思うのですが」
「ああ、あれって結局何だったの?」
「今日に限らず、昨年の冬から感じていたのですが――」

 そこで足をとめた入谷がくるりと振り返った。両手の指をカメラのフレームの形にして、構図の中に俺を収める。片目を眇(すが)めるのが、ウインクしているみたいに見えた。茶目っ気と清純な雰囲気にあふれた一連の仕草に、呆けたように目を奪われる。

「あなたのその格好はえっちすぎるので駄目です」
「えっ!? な、なに?」

 あまりにちぐはぐな言動に、一瞬言われたことを理解できなかった。聞き間違え……ではないだろう。えっちすぎるので駄目、という強いワードがこだまのように脳内に響き渡る。えっちすぎるので、駄目……なんだ、それは……。
 別に、俺の格好は普通だと思う。平日と兼用のトレンチコートにハイネック(今日のは黒)、革手袋にタックパンツ。街を歩いたら百人くらいすれ違うであろう無難な服装だ。そう控えめに反論してみるが、それでも入谷は「分かってないですねえ」と謎の余裕を崩さない。まあ、彼が楽しそうならなんでもいいのだ。貶されているわけではなさそうだし。さすがに「僕が警察なら逮捕していましたよ、性的すぎるので」という発言には「またそうやってオヤジみたいなことを……」と苦笑いを隠せなかったが。
 この後の予定を特に決めないまま、そぞろ歩いて大通りへと戻ってきた。時刻はまだ昼過ぎ。入谷の用事が何も入っていないのなら、もっと一緒に過ごしたい。

「紫音くん、これからどうする? 予定がないならここらへんをぶらぶらしてみようか」
「そうですね、それも良いのですが……」
「ん?」

 語尾を濁した返答に誘(いざな)われるように目線を移せば、入谷の深い色の瞳が熱っぽく俺に注がれていて、どくりと心臓が強く跳ねる。
 二人きりの時にしか見せない、艶っぽい表情。

「正直なところ、会った時からあなたを暴きたくて仕方ないんです」

 吐息を含んだ抑えた声が、密やかに囁いた。は、と息が詰まる。体の内側から耳にごくり、と響いたのは、自分が唾を飲み込む音だ。
 驚きと同時に喜びも感じた。入谷の姿を今日初めて目にしたとき、自分が思い浮かべてしまったことと似ていたからだ。
 俺の沈黙を何と捉えたか、入谷がふ、と遠いものを見つめる目になる。

「すみません。新年早々からこんなことを口にする人間で」
「いや……実は俺も、同じことを思ってたから。ちょっとびっくりして」
「そうなんですか? 僕たち、似た者同士ですね」

 俺が告白すると、入谷は安心したように口元を緩める。彼の指がすっと伸びてきて、手袋の上から俺の手の甲に触れる。直接的な温度は伝わらないのに、熱い、と感じた。

「やっぱり、鐘を108回衝いたくらいで煩悩なんて祓えませんよね」
「ふふ、確かに言えてる」

 新年早々、こんな昼日中から不道徳なことを考えていたら罰(ばち)が当たるだろうか。入谷と共に与えられる罰なら悪くないかもしれない。なんて、自然と思ってしまう俺の頭はかなり重症だ。
 俺たちは含みのある視線を交錯させてから、同じ方向を向いて歩き出した。
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