俺と入谷紫音が晴れて恋人同士となって数週間が経った。そろそろ年末の気配も肌に感じられるようになった、そんな折(おり)。
 二人並んでなんとなくテレビを見ていたとき、ふと俺はある事実に気づく。

「そういえば、紫音くんの誕生日っていつ?」

 そう。俺はあろうことか、恋人の誕生日をまだ知らなかったのである。
 ソファの隣にいる彼の横顔を見ると、なぜか切れ長の双眸は虚無的に遠くを見つめている。

「誕生日、ですか……」
「え? どうしたの、何か訊いちゃ拙(まず)かった?」
「いえ……誕生日なら、12月24日です」
「へえ! クリスマスイブなんだ、素敵だね」

 その言葉は本心からのものであったし、誕生日が特に何の日でもない自分からすると少し羨ましくもあったのだが。
 入谷の表情は途端に苦さを含んだ色に変わる。目元を厳しくしながら、

「別に、素敵でもないですよ。12月24日生まれの日本人は多いんです。翌日の25日なんてもっと多いですし。誕生日がクリスマスだからって、良いことは何もありません」

 視線を合わさぬまま紡ぎ出される声は、いつになく棘を含んでいる。何と返したものか――言葉を失っていると、不意に入谷が苦笑いを浮かべてこちらを振り向いた。

「すみません、つい感情的になってしまって。誕生日にはあまり良い思い出がないものですから」
「そう……なんだ?」

 ふ、と相手が小さく息を吐き、膝の上で組んだ両手に視線を落とす。

「子供の頃は誕生日になると毎年、一緒に暮らしていない父親から家に贈り物が届きましてね。クリスマスプレゼントも兼ねていたと思うのですが、子供には相応しくない高価なものを、事前のコンタクトもなくメッセージも付けず送ってくるのです。父親の存在を感じるのは年に一度、クリスマスイブだけでした」
「……」
「使われないまま毎年増えていくプレゼントを、僕も母も持て余してしまいまして。父からの贈り物を嬉しいと感じたことは一度もありませんでした。相手の好みも知らずに選んだものを、果たしてプレゼントと呼べるでしょうか? そういう記憶があるので、自分の誕生日はあまり好きではないのです」
「そっか……」

 入谷の両手はいつしか握り拳(こぶし)になっていた。腿の上の彼の右手へ指を伸ばし、掌を優しく重ねる。恋人の手先はひんやりとしていた。

「もしかして、紫音くんが俺によく贈り物をしてくれるのって、その反動なのかな」
「その可能性はありますね」どこか寂しげに笑う入谷と目線が合う。「僕はあなたを通して、小さい頃の自分にプレゼントを贈っているのかもしれません。こんなことを言って、気を悪くされたら申し訳ないですが……」
「ううん。それならそれで良いんだ」

 そのままの格好でしばし考える。入谷にはせっかくの誕生日を「あまり好きではない」なんて言ってほしくなかった。俺が彼の誕生日を祝って楽しく過ごしたいと思うように、彼にも同じように思ってほしい。それは、我が儘だろうか。

「今まで嫌なことが多かったのなら、今年からは俺と一緒に楽しいことをしない? 君のことを考えながらプレゼントを選びたい。雰囲気がいいところで美味しい食事もしたい。毎年楽しいことを重ねていったら、誕生日を少しは好きになれるんじゃないかな……俺の勝手な考えだけど」

 言葉を継ぐうち、入谷の目は丸くなり、頬は徐々に朱色に染められていった。おや、と思う間もなく顔がふいと逸らされる。つややかな黒髪のあいだから覗く耳の先も赤くなっていた。

「……急にそういう熱烈なことを言われると、照れます」
「え、熱烈……だった?」
「いつも無自覚ですものね。はあ――罪な人です、あなたは」

 横目でいたずらっぽく笑いながらからかってくる。
 でもその自然な笑みは長く続かない。恋人は真面目な顔に戻り、「でも」とぽつりと言う。

「柾之さん……ご自身が仰っていること、どういうことか本当に分かっていますか?」
「え?」
「あなたからそう言ってもらえるのはとても嬉しいです。ただ――僕の誕生日はクリスマスイブなんですよ。そんな日に友人二人、特に男同士で雰囲気のいい店へ食事に行く人はまずいません。僕の誕生日に二人きりで祝うということは……周囲にそういう関係だと言いふらしているようなものです。そうでしょう?」

 確かに、そうだ。日本ではなぜかクリスマスは恋人同士で過ごすもの、という空気が濃い。クリスマスイブの夜、カップルで埋まった席の一角に座り向かい合う俺たち。その様子は容易に想像できる。
 想像して――その上で、言う。

「俺は……それでもいいけどな」

 入谷が小さく息を飲み、本当ですか?と訊いてくるから、俺はうんと深く頷く。
 周囲がどう思おうと、入谷が誕生日を楽しく過ごせることが一番大切なのだ。そうして一緒に素敵な思い出を作りたい。それ以上に優先すべき物事などないのだから。
 そうですか……と感嘆のように漏らして、入谷が俺の方に上体を預けてきた。自分よりややほっそりした体に腕を回して肩を抱く。

「そんな風に言って下さって、ありがとうございます。嬉しいです」
「うん……」
「ですが」
「ん?」ですが?
「雰囲気のいい店のディナーはクリスマス料金があってぼったくられますから、できればその近辺は外した方がいいでしょう。クリスマスの後ろはすぐ年末ですので、どちらかと言えば前倒しで済ませることを提案します」
「あ、ああ……そっか。ええと……」

 その先を続けられない。甘くなった雰囲気にぎこちない思いをしていたところへの、突然の現実的な意見。
 胸の中で恋人がふふっと忍び笑いを漏らす。

「すみません。リアリストっぽいことを言って、ムードを壊してしまって」
「いや……ううん。それじゃあ誕生日当日は二人で過ごすことにして――店ではその分、少し良いものを食べようか」
「ありがとうございます、嬉しいです」

 二人の予定ができたことを、俺も嬉しく思う。ムードなんて二の次だ。自然と笑みがこぼれ、入谷と至近距離で笑い合った。
 恋人の指先が伸びてきて、つ、と俺の頬に触れる。

「柾之さん。あなたの提案はもう実現していますよ」
「うん?」
「自分の誕生日が近づいてくるのが、もう楽しみになりました」
「……そっか。それは良かった」

 今の自分にとって、入谷がそう言ってくれるのが何より嬉しい。
 彼はどんなプレゼントを渡したら喜んでくれるだろう。どんな雰囲気でどんな料理を一緒に味わったら一番楽しいだろう。そういったことを張り切って計画したい。
 今年のイルミネーションもそろそろ点灯する頃だ。見慣れてしまって毎年注目すらしなくなったものを、今は心待ちにする気持ちが確かにある。
 俺は自分が思うよりロマンチストなのかもしれないな、と考えながら、傍らにいる恋人の髪をそっと撫でた。
- 23/30 -

back


(C)Spur Spiegel


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -