入谷が腰を浮かせ、俺自身に手を添え、ゆっくりと彼の中に迎え入れていく。自分の表情筋が喜びか快感か感動か、何か大きい感情で歪むのが分かった。早く中に入りたい気持ちと、この時間が永遠に引き延ばされてほしい気持ちが、胸の内側で複雑に入り交じる。
入谷も眉をひそめ、噴出しそうな何かを堪えているような顔を浮かべる。は、と熱っぽい息を逃がして、こちらを見下ろし、艶然と微笑する。
肌と肌とがぴったり重なっているのを感じた。全部、入ったのだ。俺はいま、入谷とセックスしているんだ。
彼の入口はやはり、きつく俺自身を締め上げてくる。それなのに中は柔らかく、熱く、優しく吸いついてくるようだ。率直に、腰が溶け落ちそうなくらい気持ちいい。挿れただけで達きそうになるのをなんとか耐えられたのが、不思議なくらいだ。
「すごい、柾之さんの……良い。おっきい……」
泣き笑いみたいな、悦びに浮かされた表情の入谷から、陶然とした呟きが降ってくる。彼の右手の指先は受け入れたものの到達点を示すように、さわさわと下腹部に這わされている。その様子に、ぶわ、と自分の中の何かが目覚める感覚があった。
わし、とすべすべした太腿を両手で掴む。湧き上がる情欲にそのまま従い、腰を二度三度と突き上げた。
入谷の上半身が背中側に反る。ゴムに包まれた彼自身もぶるぶる揺れた。
「え、あ……柾之さ、それだめ……ッ」
「う、もう……出る……っ」
焦らされ続けたそこが簡単に中身をぶちまける。絶頂の瞬間、何もない中空に投げ出されたみたいに、快感以外の感覚がなくなる。すべての感覚器官が気持ちよさだけに染められたような、激しい悦楽だった。
我に返ったときにはほとんど息も絶え絶えで、肩でやっと呼吸をしていた。相手が何か手に持っているのを遅れて知覚する。それは入口を既に縛られたゴムで、うっとり笑う恋人が楽しげにたぷたぷと揺らす。
「ほら、見て下さい。いっぱい出ましたね……。今夜は二人で何回できるか、数えましょうか」
色っぽく艶麗な空気を纏う入谷に、また腹の奥がじりじりと疼く。夜はまだ、始まったばかりだ。
片手を握り合わせ、指を絡めながらキスをする。今度は俺が上だ。互いの体表は汗ばんでしっとりと湿り、そのおかげで肌同士が吸いつくようで、それだけで脳髄が溶けそうに気持ちがいい。
「柾之さんの匂い、安心します」
と言われても、同じシャンプーとボディソープを使ったのだから、二人とも香りは一緒なのではないだろうか。ただ、入谷と同じ匂いをまとっていると思うと、心臓のあたりが温かくなるのは確かだ。
下から伸ばされた腕がしがみつくように俺を抱く。たおやかな手は愛しげに髪を混ぜ、切なげにうなじをくすぐり、物欲しげに脇腹を刺激し、如実に感情を伝えてくる。
手だけでたまらないのに、彼には目眩(めくるめ)くような舌遣いもある。敏感な粘膜同士は絡まると淫蕩な水音を立て、それが蓋のない耳を侵し続ける。何回しようが、入谷とのキスは慣れることがない。それどころか回数を重ねるほど、俺の体はたやすく快感を得るようになっていく。
呼吸を奪われ、酸欠に陥りかける瀬戸際で唇が離れる。混じり合った唾液が糸を引き、暗がりの中できらりと光を放った。
「ずっと思ってたけど、紫音くん、キス巧いよね」
「そうですか?」嘯く恋人は嬉しそうだ。
「童貞で処女だって言ってたけど……キスは他の人としたことあるんでしょう?」
「そんなの、聞かなくてもいいじゃないですか。今はあなただけなんだから……」
むう、と可愛らしく唇を尖らせて俺の頭を抱き寄せる。また口づけに溺れながら、確かにそれもそうだと納得する。はぐらかされた印象もあるけれど、いま彼と交わっているのはこの世で自分以外に誰もいないのだ。そんな当たり前の事実によって、なぜだか余計に体が熱を帯びる。
物理的な刺激がないのに、キスだけで下半身が再び臨戦態勢になっていた。入谷の膝裏に手を差し込み、艶かしい体を開く。目の前の青年は期待に燃える目で俺を見上げている。
「挿れていい?」
「はい……来て下さい、僕の奥まで」
臆面もなく囁かれる誘惑に引き寄せられるように、あらわになった後ろに尖端を押し当てる。さっきは見えなかったが、そこはとろとろにとろけ、刺激を欲してひくひくと蠢いている。
――エッロいなあ……。
今まで見たものの中で、飛び抜けて一番に淫らだと思う。
ぐっと腰を進め、昂りを最後まで中に沈ませる。「動くね」と断ってから、ゆるゆると前後に体を反復させると、入谷の喉から声にならない喘ぎが漏れ始める。
俺ので気持ちよくなってくれている。そのことに無上の愉悦を覚えた。
腰の動きを徐々に激しくしていくと、相手がいやいやをするみたいに身悶えする。ふと、彼が掌で口を押さえているのに気づき、動きを継続したまま身を乗り出した。
「声、我慢しなくていいのに」
「……っ、萎えませんか? 男の喘ぎ声を聞いたら……」
うっすら涙で覆われた目をこちらに向けて、いつになく弱々しく訊いてくる。
そんな彼の不安を笑い飛ばしたくなった。萎えるわけがない。俺は君のことなら何でも愛おしいと感じられるのだから。
入谷の喘ぎ声なんて、興奮を燃え上がらせる薪にしかならないに決まっている。
「聞かせてよ、紫音くん。萎えたりしないって証明するから」
「柾之さん……いま、すごく雄の顔になってる」
繋がっている相手が、慈しむように俺の頬に指を這わせた。汗が浮いた額に黒髪が張りつき、乱れている様はえもいわれぬほどの色気を放っている。その上双眸は獰猛な光を宿しているのだからたまらない。
「紫音くんだって、そうだろ」
「ふふ……そうですね。もっと……」
「もっと?」
「あなたのこと、めちゃくちゃにしたいです」
不意に紡がれた言葉に、異様な感覚がぞくりと背中を伝い走る。
「それ、は」
「もっと、めちゃくちゃになってほしいです。僕の中で……」
「……ッ」
そんなことを言われたら、もう駄目だ。抑えきれない欲望をぶつけるように、腰を勢いよく突き入れる。良いところを切っ先で探り当てようと、ぐりぐりと抉りながら。
教えてもらったのは確かこのあたり、と思った刹那、全身がびくりと大きく痙攣する。
「あ、んんっ、そこ……」
「ここ、良いところ?」
「や、そこばっかり……だめ、だめ……っ」
入谷が悶え、歓びに堪えるみたいにぎゅっと眉を寄せる。
その表情も、欲情を引っかく声も、結合部が立てる水音も、体温も、匂いも、高められる鼓動も、何もかもが興奮を煽る。ブレーキが利かなくなった列車のように、彼の中に熱を叩きこみ続けた。
「ごめんっ、ちょっと……抑えが利かない……ッ」
入谷は揺さぶられながら、ふ、と優しい笑みを浮かべる。
「いいんですよ……どうぞ、すべて解き放って下さい。僕の中で……」
「紫音くん……ッ」
一際強く襞を抉ったとき、中がぎゅううと強く締まった。入谷の顎が天を向き、体を波打たせながらびくりびくりと達する。自分も彼に少しだけ遅れ、二度目の射精を迎えた。気持ちよさが大波となって体を翻弄する。
お互いのはあ、はあ、という荒い息が夜気に霧散していく。体の内を温かい気持ちが満たしていた。二人で一緒に達けた。それがこんなにも嬉しい。
とろけきった目が俺を捉える。側頭部をゆったりと撫でられ、心臓が甘く締め付けられた。
「ふふ。上手、上手」
急に褒められて瞠目する。こんなときまで、この人は。
「はあ、もう……」
どっと力が抜けて入谷の隣に倒れこむ。彼には敵わない。ゴムの処理をしながら、とろとろとした眠気がやってくるのを感じるが、まだ寝てしまいたくはなかった。
傍らを見やると、切れ長の目はじっとこちらに向けられていた。
「一生懸命に僕を求めてくれる柾之さん、可愛かったですねえ」
「や、やめて……皆まで言わなくていいから」
改めて言葉にされると恥の気持ちに襲われ、ぼふりと枕に顔を埋める。心地よい疲労感とともに、喉が乾きを訴えていた。
好ましい気だるさを感じながら、「ごめん。ちょっと水飲んでくるね」と身を起こす。
洗面台の鏡を見ると、自分とは思えないほど締まりなくにやけていて遠い目になる。でも、仕方ない。一緒に気持ちよくなれたことが、途轍もなく嬉しいのだ。
コップ一杯の水をごくごくと飲み下し、何枚か重ねて用意されているタオルで汗ばんだ体を拭く。
ベッドのある部屋へ戻ると、恋人は先刻とは逆に上半身裸の姿で窓辺に立ち、カーテンを開けて大きなガラス窓から外を見ていた。
宝石をばらまいたような夜景よりなお美しいシルエットに何秒か見とれる。入谷の後ろ姿はほっそりとしているが、肩や背中などに男性的な筋肉の隆起もちゃんとある。さっきまであの体を抱いていたのか、と思うとまた、下火になった炎が赤熱する心地がした。
「何か、面白いものあった?」
低くゆっくり尋ねつつ、後ろから全身を抱きすくめる。腕の中で肩が跳ね、総身が身動ぎした。
「いえ、特には……」
そっか、と応えながら入谷の寝間着のボトムスの中へ右手を差し入れる。股間に手を伸ばして、下着の上からそこを扱いてやると、先ほど出したばかりだというのにすぐに反応して固くなってきた。ギャラリーで二回目に会ったときとシチュエーションは似ているが、位置が完全に逆転している。
俺の鼻先でしっとりした黒髪が悶え、乱れる。
甘く、高くなった声が入谷の声帯から絞り出された。
「や、柾之さん……」
「嫌? だったら、やめる?」
優しく問うと、相手はふるふると小刻みに頭を横に振る。何かを我慢しているような、本当に小さな動きだった。
「そ、うではなく……直接、触ってほし……」
「うん、了解」
下着から上向きつつある昂りを取り出す。既に先端から先走りがあふれていて、俺の手を濡らした。親指でそれを塗り広げ、握った手を往復させれば、そこはくちゅくちゅと淫猥な音を立てて悦ぶ。
「すごい。もうとろとろだね」
「……っ、んん……」
吐息に熱がこもり始める。眼前にある薄い耳たぶが真珠みたいに妖しく光って見え、誘われたように優しく歯で挟む。
と、入谷の全身が突然びくりと跳ねた。こちらが驚くほど顕著な反応で、それを意外に思う。彼の息はいつの間にか、ものすごく荒くなっていた。握りこんだ昂りもぴくぴくと震え、張り詰めている。
「紫音くん……?」
「あ……名前、呼ばないで……っ」
薄明かりの下でも、彼の頬や耳の先が真っ赤になっているのが目に見えた。ふと思いついて、今度は耳介に舌先を這わせる。やはり彼は著しい反応を示し、体から力が抜けたと見えて、窓ガラスに手をついて下半身を支えた。それでも腰から頽れそうになるので、体を支えてやらないといけなかった。
ふ、と耳の裏に息を吹きかける。
「紫音くん、耳弱いんだね」
「言わないで、下さい」
「もしかして、紫音くんが俺にしてきたことって、自分にしてほしいことだったりする?」
尋ねると入谷の体がわずかにこわばる。彼は恥じらいのためか、ふいと顔を逸らす。
「……それは、どうでしょう」
「はぐらかすんだ?」
「……っ」
固まった総身を抱き寄せ、横顔を間近で見てはっとした。目の表面が潤んでいる。俺は彼を攻め立てたいわけでも、泣かせたいわけでもない。
「言いたくないなら訊かないよ。ごめん」
頬に軽く口づけて入谷の体を解放する。彼は目を潤ませたままで気丈にほほえんでみせた。
「あなたは優しすぎます。そこは"だったら体に訊こうかな"になるんじゃないですか?」
「……それはさすがに、俺には言えないって」
本人から斜め上の台詞が提示されて笑ってしまう。請われたり命令されたりしたら言えなくもないが、真顔で言いきるにはかなり精神力を奮い立たせないといけないだろう。
入谷はカーテンを閉めて俺をベッドに誘う。
「柾之さんの、そういう優しいところも好きですけどね」
「それなら、良かった」
布の海に二人して倒れこんだ。鼻先を触れ合わせて戯れながら、夜の長さに感謝する。
カーテンを通した柔らかい光の中で目を覚まして、一瞬ここがどこだか分からなくなった。
隣ではすうすうと寝息を立てて入谷が寝ている。そうだ、昨日はホテルのレストランで食事をして、同じ部屋に泊まって、結局片方のベッドはろくに使わず終いで……。さんざん体を重ねたのが、清潔な朝日の下ではまるで幻みたいに思える。
しかし、夢ではないのだ。俺たちは恋人として、きっと一歩先に進んだのだと確信を持って言える。
まだ眠りの中にいる彼のなめらかな頬をそっと指先で撫でてみる。そういえば寝顔を見るのは初めてだ。美人は寝姿も綺麗なんだななんて、この気持ちは決して恋人贔屓ではない、はずだ。
ホテルに備え付けの時計を確認すると、8時半を少々過ぎている。このまま起きてもいいが、まだ幸福な惰眠を貪ってもいい。どうしようか、と考えを巡らせていたところで、薄い瞼がぱちりと開いた。
「おはよう、紫音くん」
「……おはようございます、柾之さん」
朝一番の挨拶の声は少し掠れていて、それが妙に愛しく思えた。
入谷が身を起こすと、布団がめくれて眩しいほど白い肌があらわになる。当然と言うべきか、彼も俺も何も着ておらず、昨夜は薄暗い部屋でしか全身を見ていなかった目に、その艶かしい肢体はほとんど毒だった。
どうかしました?と言わんばかりの流し目と小悪魔的なほほえみに、昨夜の残り火がじわりと再び熱を持つ。
「紫音くん、チェックアウトは何時なの?」
「十時ですよ」
「じゃあ、もう少しできるよね」
耳の下に手を添えながら、むくむくと湧き上がる気持ちを抑えながら囁く。
入谷には言葉の意味が正しく伝わったようだ。爽やかな好青年の顔から、ぎらついた光を目に宿す狩人の顔へ、一瞬で変貌する。
「おや、まだ足りないんですね? 昨日あんまに何度も僕を揺さぶっておいて……柾之さんのえっち」
咎めるような言葉に反し、響きは甘くとろけている。舌なめずりをするみたいにちろりと覗いた舌が、いやに生々しかった。
入谷が俺の上に乗ってくる。ずしりとした体重が好ましい。
「それは、紫音くんが相手だからだよ……君以外の人にはこんな風じゃない」
「嬉しいですね。願わくば、僕だけ見ていてほしいです」
何回目とも知れない口づけを交わす。朝の光に照らされながら交わる背徳感に、体が燃え上がるようだ。
夜と朝の累計で、消費したゴムの数は二人合わせて二桁に到達し。
その代償として、俺たちは朝食を食べ損ねることになった。自分のあまりの間抜けぶりに溜め息も出ない。
「ごめん、せっかくのホテルの朝食を、俺のせいで……」
「いえ。応じたのは僕ですから。……それにしても、あなたの絶倫ぶりは予想以上でしたね」
「い、いや、俺はそういうんじゃないから! ……たぶん」
落ち込む俺を慰めているのか何なのか、入谷はにっこり笑って平然とそんなことを言うのだった。
互いに気持ちを伝え合い、肌を触れ合わせ、セックスをして。上手くいかないことも多々あったけれど、彼が笑ってくれているから良しとしよう。
でも、俺たちの関係はきっと、これがゴールではない。
ここがスタート地点で、通過点なのだ。
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