知っておかなきゃいけないことがある
かみさまとのひみつ





呪術高専の学生の日々は忙しく、訓練に任務に毎日慌ただしく過ぎていく。


「あーーー、暑い。」
世間は猛暑日が続くと連日ニュースになっていて、高専の学生たちも教室で溶けそうな声を出す。クーラーをどんなに効かせても外の暑さですぐに意味がなくなる。








「そうだ、可憐。明日の任務の件なんだけど」
「えっ?なんの話?」
「いや、だから明日の私と一緒に行く任務の話。」
「明日私、傑と任務だった?」
「あぁ、昨日打ち合わせしただろう?」

二年生の教室で手持ちの扇風機で涼む可憐に夏油が声をかける。しかし首を傾げてぽかんとする彼女の言葉に、教室にいた五条と家入も顔を見合わせた。






「夏油、昨日可憐と打ち合わせしてないだろ?夜蛾先生から聞いた任務説明と勘違いしてるんじゃないか」
「.....あー!そうか。すまない。私の早とちりだった。」
「なーんだ!全然いいよ!わたし先生から話聞いてないから、ちょっと聞いてこようかな。傑、今から灰原の練習付き合うんでしょ?」
「あぁ、そうなんだ。そしたら、先生から一度話聞いてきてくれ。あとで詳しく打ち合わせしよう。」
「ん!わかった!じゃあ行ってくるー!」



パタパタと走って可憐が教室を出ていき、足音が遠くなったのを確認してから教室に残された三人は顔を見合わせる。










「やっぱ....そーいうこと?」
五条が心なし不安そうに口を開く。
「だろうね。」
「そろそろ本人にも話すタイミングかー」
「先生から話すんじゃないかな」
夏油と家入の反応は比較的冷静だ。二人の反応に五条は少し不満そうだったが、冷静とはいえ二人の顔色は暗く五条も何かを言おうとして飲み込んだ。















【天与呪縛】 
生まれながらにして、強大な力を得る代わりに何かを強制的に犠牲にしてしまう現象。
天与呪縛で失うものは呪力以外にも体の感覚など複数の種類がある。

可憐は、この天与呪縛によって莫大な呪力量と圧倒的な動体視力を得ているのだ。犠牲になっているものは、「記憶」




本人の自覚なしに、ランダムに記憶が消えていく。小さく言ってしまえばどうでもいい記憶の時もあれば、大きな記憶つまりは大切な記憶までなにを失うかはわからない。
高専に保護されてから夜蛾がそれに気がついてからずっと様子を見てきているが、彼女の成長とともに呪力量、動体視力共に向上するのと比例して失う記憶は少しずつ変わってきているようだ。











「一年に十回。
それが可憐が記憶を失う回数。
でもそれはあくまでも確認できたものの平均だから実際はもっと多いのかもしれない。年々実力が上がっているのを見ると、おそらく大きな記憶を失う確率も今後は増えてくるだろう。」

「もう本人に黙っておくのは限界がきてるな」
「じゃあ、お前は何かをこれから忘れていくってあいつに言うのかよ」




夏油、五条、家入の三人だけは入学当初から夜蛾にこのことを聞いていて、可憐に知られないように気を回してきていた。とは言ってもこれまで生活に支障が出ることはなく、ちょっとしたもの忘れ程度だった。なので、今日のように任務のことをわすれてしまうなんてことはなかったのだ。





「...悟、落ち着いて。ひとまず先生の判断を待とう。」
「.........チッ。」











それから数日後、朝から昼過ぎまで大雨が降ったせいで真夏なのにやけに空気がひんやりと冷たい日。授業のあと可憐だけが、夜蛾に応接室に呼び出された。




----------








「.....えっ。どういうこと」
「話の通りだ。お前の呪力と並外れた動体視力は天与呪縛によるもので、」
「それはわかったけど、私なにかを忘れるの?」
「.....あぁ。」
「ずっと忘れてきてるの?なにかを」
「でも日常に支障が出ていない低度の記憶だ。」
「これからは出るの?」
「.....恐らくな。実力も向上していることからも呪縛が強まるなら失う記憶が大きくなるのが道理だ。」
「何を忘れるの?」
「それは、誰にもわからないんだ」
「....じゃあ、明日わたしが先生のこと忘れることもあるってこと?」
「........それは」
「傑のことも、悟のことも、硝子のことも、?」
「.....可憐。」
「七海や灰原のことも?」












「私が、わたしであることも?」











震える声で、涙を溢さないように耐えながら真っ直ぐに夜蛾を見て問いかける可憐にかける言葉が見つからず、夜蛾はただただ頷く事しかできなかった。












「私はこれから先、知らないうちに誰かを忘れて、誰かのことを傷付けるの?」






(あぁ、どうしてこの子は。こんな時も、)







「私、誰かのこと傷付けたくない」








(自分のことより人のことを考えるんだろうか)















「いいか。可憐。

もし何かを忘れたら、誰かにまた教えて貰えばいい。いいか、いつ記憶が無くなるかはわからないが、わからなくなったらどんなに小さなことでも誰かに聞くんだ。

傑と悟と硝子は、このことを知っている。仲間を信じろ。それがお前を守る事になる。」




「....でも私が、みんなのことを忘れたら?」
「また、教えるよ。誰も可憐のことを忘れないんだから。」












「......先生、」「うん?」

「教えてくれてありがとう」
「あぁ。」
「呪術師になんてなりたくなかったって、私絶対言わないよ。」






可憐は最後まで涙をこぼすことなく、夜蛾にそう言って立ち上がると挨拶をしてから静かに応接室を出た。













「....よっ、可憐。」
「硝子!」
「いっしょに寮もどろ。」
「ん、ありがとう」

応接室を出たところに家入が立っていて、可憐は少し安心したように笑う。家入は何かを言うわけでもなく彼女の背中を少しさすってから並んで寮へ歩き始めた。















「じゃあ、また明日な。」
「うん、また明日。」
寮に着くと家入はいつも通り別れの挨拶をして部屋に入っていく。一緒に夕飯を食べてもよかったのだろうが、家入はいまの可憐は一人になりたいだろうと思いあえて何も言わなかった。そんな彼女の優しさに可憐は安堵して手を振ってから自分も部屋に入る。





(いまは、どんな顔したらいいかわからなかった)
何をする気にもなれず、制服から着替えもせずにそのままベッドにうつ伏せで寝転び、目を閉じる。







記憶が消える。
一年に十回程度。
どの記憶がなくなるかはわからない。
誰かなのか、何処かなのか、何かなのか、自分なのか。
夜蛾に教えてもらったことを頭の中で何度も何度も繰り返す。何処かに逃げ場がないかと考えるけど、何処にも逃げ場はなさそうで。







「....おいで、猫瓏」
縋るようにいつもそばにいる猫瓏を呼び出した。寝転ぶ彼女に猫瓏は擦り寄り、触れると冷たい身体からさえ可憐は温もりを感じる。

「お前のことも、忘れるのかなぁ」
言葉に出して初めて気付いた、何かを忘れてしまうことの怖さ。気が付いたら頬を涙が伝う。その様子に気がついて、猫瓏はその涙を優しく舐めた。



「....舌がざらざらしてるんだから、痛いよ」
優しくそう言って猫瓏を撫でながら、可憐は色んなものから一度逃げるように、崩れそうな自分を守るように、目を閉じた。








------------









「...んん、」
よくある着信音で、目を覚ます。どのくらい寝ていたのだろうか、寮の部屋にある小さな窓から見える外はすっかり暗くなっていた。


ポッケに入っていたスマホを取り出して液晶を見るとよく知る人物の名前が出ていて、手慣れた手つきでスライドして電話に出る。






「もしもし、」
「おー...寝てた?」
「うん、起きた」
「....そ。」
電話の相手は五条で、少しだけ沈黙が続いてしまう。

「可憐、飯は?」
「んーまだ食べてない」
「腹減ってる?」「うん」

「したら、なんか買ってく。部屋にいて。」
「え、」


何を答える前に電話が切れる。無機質な音を聞きながら不器用な優しさを感じて可憐は身体を起こしてスマホを握りしめたまま体操座りをして膝に顔を埋めた。














「悟、」
「よー。飯食べよ」
暫くして部屋のドアをノックされたのでドアを開けると紙袋を持った五条がいて、可憐は小さく笑って部屋の中へ彼を入れた。



「いい匂いする」
「中華屋で買ってきた。肉まんと、エビチリと、チャーハンと、餃子と、あと、春巻き。」
「...買いすぎ」
「いんだよ。好きだろ。」
くしゃと可憐の髪を撫でる五条は無愛想だが優しい目をしているのを彼女はよく知っている。紙袋を小さな机に置くと、五条はサングラスを胸元に引っ掛けて、その場に座る。


「ほら、冷めないうちに食うぞ。」
「ん、ありがとう。」




温かい食事と一緒に入っていた割り箸と、手拭きを出して、食事が入っている容器を開ける。面倒だし直箸でいっかと話してから、二人は並んで手を揃えた。






「「いただきます。」」











なんて事のない話をしながら、テイクアウトの中華を食べて、何も詮索しない五条とのこの時間をきっとこれから先、可憐は忘れないだろう。








-------


「あー、食った食った!」
「やっぱり買いすぎ。
んー、でもおいしかったー!ありがとう、悟」
「おう。」
「そろそろ、戻る?」
「んー、そうだな。そろそろもどっかな。」
「ありがとね」

可憐は立ち上がった五条を見上げて笑う。五条は彼女を見てからサングラスをかけて玄関へ足を向ける。可憐も立ち上がって彼のあとを行く。











「じゃ、ちゃんと寝ろよ」
「ふふっ、子供じゃないんだから」
「歯も磨けよ」
「あはは、悟もね」
「ん。じゃあまた明日。」
「うん、ごちそうさま」





靴を履いて玄関のドアに手をかけた五条の背中を見て、きっと殆ど無意識に、何かに縋りたくなって、もしかしたら一人になるのが怖くて、何かを落としてしまいそうな気持ちになって。

気が付いたら彼の腕を可憐は掴んでいた。何かを言う訳でもなく、でもその手を離すこともできず、ただ俯く可憐を驚いた顔で見てから五条は優しく彼女を引き寄せて抱き締める。









「......どした?」
「...ごめん、」
離れようとした可憐を制して、五条は少しだけ抱き締める力を強くした。

「泣けよ。無理しすぎ」
「......っ...」





「俺しか見てねぇよ。」
「....っ、...でも....っ」
「でもとかじゃなくて、泣いていんだよ。バーカ。」



憎まれ口ばかりなのにどうしてか五条の腕は優しくてあたたかくて、可憐の中でふと何かが緩んでしまう。それによって、それまでどうにか堪えていた涙は一度溢れたらなかなか止まりそうにない。五条の胸に顔を埋めて、可憐は子供のように声をあげて泣いた。止まらない涙はもう自分自身ではどうしようもできなくて、どうにか呼吸をする。五条は何も言わずに抱き締めたまま彼女の頭を優しく撫でた。









少し可憐が落ち着いたのを見計らって、五条は靴を脱ぎ彼女を抱き上げると優しくベッドに寝かせる。押し倒されるような体制になって目の前にきた五条の顔を彼女は驚いた顔をして見つめた。







「....可憐」
「ん..なに、」
「ひとりで、平気か?」
「....うん、」
「嘘が下手。」
五条は目元に残った涙に触れるだけのキスをする。

「...悟?」
「あー、もう...っ」
彼は横になる可憐の腕を引き起こすとベッドに腰掛けたまま抱き締める。それはあまりにも真っ直ぐに自分を見つめる彼女から逃げるようで。でも優しい五条の温もりに、可憐は身を委ねた。






「一緒にいてやるよ。」
「......ありがと、悟」










何かが変わる音がする、
暗闇の中のぬくもり















- ナノ -