春の風は暖かくて、冬で冷えた世界を包み込むようだった。その柔らかな季節はあっという間に過ぎてしまい、気が付けば新緑の美しい季節を迎えている。高専の木々もそれはそれは美しい緑色に染まっていて、高い青空と相性がいい。








「で、もう入籍したのかい?」
「ううん、まだ。」
自動販売機からガコンという音がして缶コーヒーが出てくる。それを夏油に渡しながら話すのは可憐だ。ほんの数分前に二人揃って任務から戻り、報告のために教員室に行く前に自動販売機が立ち並ぶ校舎裏で立ち話をしているらしい。




「なんでまた?」
「学長に長期休み取っていいって言われてて、まぁ春先は新入生のこともあるし難しいだろうし?夏は繁忙期だから、秋頃がっつり休む予定なんだけどさ」
「その時に入籍するってことかい?」
「結婚式、やろうかなって思ってて。」
「いつ?」
「だからその長期休みの時に。二人で式だけね。その時入籍しよっかなって感じ。」
「あぁ、なるほどね。式は何処で?」
「海が目の前にある綺麗なチャペルがハワイのオワフ島にあるの、そこに行きたいなって思って。」
「ハワイかぁ、あったかいんだろうね」
「もう常夏よ!」
「真っ黒に日焼けして帰ってこないでくれよ。」
「はは!生徒たちに笑われちゃうね」




可憐は自動販売機に寄りかかる夏油の前に立ち、服についた汚れを見つけたらしく軽く叩きながら話す。夏油と彼女が別れてから約四ヶ月ほど。二人で任務に行くことも多く、関係性は変われど信頼できる仲なのは変わらない。七海と暮らす様になった可憐がより笑うようになったことに夏油は気が付いていて、内心とても安心していた。







「いいじゃないか、二人で結婚式。」
「ふふ、ドレス似合うかな」
「可憐はきっとなんだって似合うさ」
「ははっ、傑ってほんと人のこと調子に乗せるの上手いよね」
「事実を言ってるだけだよ」
「はいはい」
「信じてないだろ」
「半分信じてる」

揶揄うように笑いながら可憐は缶コーヒーを飲む。夏油はもう飲んでしまったようで手持ち無沙汰なのか、煙草をポッケから取り出し火をつけた。




「傑も硝子も煙草似合うよね、」
「そうかい?」
「うん、でもたくさん吸わないように。」

「校内禁煙です」と悪戯に笑いながら夏油のくわえていた煙草を取ると飲み干したらしいコーヒーが入っていた缶にそれを押し込んだ。



「好きな人が結婚するから傷心なんだよ、」
冗談めいて肩をすくめる夏油を見て可憐は困った様な顔をしてからすぐに明るく笑うと、夏油の頬を軽くつねった。






「傑、ありがとうね」
「..はい、どういたしまして」
夏油もまた優しく笑い頬をつねる手を制し、下されて風に揺れる彼女の髪に軽く触れる。







「どこかに行ったら、一番に傑に写真送るよ。帰ってきたら一番に感想伝えるからね」

「あぁ、まずは綺麗な海からよろしく頼むよ」
「約束、忘れないから安心して」
「大丈夫、もう可憐は忘れたりしないよ」



優しくゆっくりと自信たっぷりに言う夏油の言葉に可憐は嬉しそうに笑った。










髪に優しく指を絡め守ってくれるそんな温もりだったりとか
この世で一番やさしい手を知っている












「あれっ!藤堂せんせー!と..えっと、」
「夏油さんだろ。」

そろそろ報告しに行くかと歩き出そうとした時、明るい声と冷静にツッコミを入れる静かな声がして夏油と可憐は揃って振り返る。そこにはすっかり制服が身に馴染んでいる虎杖悠仁と伏黒恵の姿があった。




「わかってたっての!」
「本当かよ。
...お疲れ様です。夏油さんに藤堂先生。もう戻って来たんですか」
「五条先生が今日は任務だから藤堂先生はいないって言ってたよ」


夏油の隣に可憐が立ち向き合う様に一年生二人が立つ。虎杖は頭の後ろで指を組んでいたが、失礼だろと伏黒に一瞥されて手を下ろした。伏黒のその注意は、特級を持つ夏油への配慮なのだろう。




「いいよ、気にしなくて。
虎杖くんに伏黒くんだよね。授業終わったのかい?」
「ほら!伏黒!いいって!!」
「あれ、野薔薇は?」
「授業終わってすぐに禅院先輩と一緒にグラウンドに行ってます。俺たちも今から向かおうかと。」
「自主練?」
「はい。パンダ先輩と狗巻先輩も来るそうです。」
「へぇ、二学年仲良いんだね」
「今の二年生は実は面倒見がいいメンバーだからね。憂太がいればもうちょっと安心感あるんだけどなぁ、まぁパンダがなんだかんだまとめてくれるかな」
「あぁ、乙骨くんね」
「そ。」


学生とは殆ど接点のない夏油は、五条と可憐が二人体制で担任をしている一年生たちには興味があるようで、何処か楽しそうな顔をする。とは言っても一年生三人が揃ったのは本当に最近だ。それでも教職として努力している五条と可憐を知る夏油からすれば、信頼関係はもうできているように見えているのかもしれない。
虎杖はなかなか会うことのない夏油に興味がある様だが、伏黒は何処か緊張している素振りを見せていた。







「夏油傑、悟の親友で特級呪術師。はい、ちゃんと挨拶。」
比較的礼儀作法にうるさいらしい可憐は夏油のことを簡潔に紹介し、教え子たちにしっかりと挨拶を促す。ふたりの教え子もそれに素直に従いきちんと挨拶をした。

その様子を見て夏油は笑いながらも、若者たちへ「よろしくね」と軽く頭を下げる。




「五条先生の親友ってことは同級生って事っすか?」
「ああ、そうだよ。藤堂先生も同期だし、家入先生も同期だね。」
「なんかすごい学年ですね」
「そう?」
「それはそうと、五条先生と藤堂先生はどう?いい先生かい?」
「五条先生は相変わらず頭おかしいなって感じですが、藤堂先生がフォローしてくれますし助かっています。」
「五条先生より藤堂先生の方が何でもわかりやすいよなー!」


まだ生徒と教師としての付き合いは短いがどうやら信頼関係はしっかりと作れているようで、心なし嬉しそうな顔をする隣の可憐に夏油はちゃんと気が付いていて。





「そう、じゃあこれからも先生たちをよろしく頼むね。」
優しく虎杖と伏黒に声をかけると、可憐に「ほら、報告に行くよ」と呼びかけ歩き始める。その後ろを「じゃあまた明日ね」と二人に声をかけて可憐が追いかけた。





夏油と可憐の後ろ姿を見て、虎杖と伏黒は顔を見合わせる。


それから「「大人だ」」と呟いた。









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休みの日に一緒に買いに行こうと話していたのに関わらず、指輪を二人で見に行くことはなく、結婚指輪は結婚式に合わせるということになったが婚約指輪は可憐の右の薬指で美しく輝いている。


というのも、ことは数日前に遡る。
それは、七海が休みで可憐だけが高専で授業があった日。
夕方授業終わりの彼女を術師のピックアップのついでで家まで伊地知が送ってくれた。帰宅をすれば、玄関を開けた途端イタリアンレストランの様ないい香りが鼻を掠める。






「うわ!めっちゃ豪華。」
「お帰りなさい。伊地知君から連絡が来ました。」
「ただいま。うん、ちょうどタイミングが良くて助かっちゃった。建人に連絡しようかなって思ってた時に声かけてくれたの」
「そうだったんですか、それはよかった。もうすぐ出来るので着替えて来てください。」
「はーい」


ダイニングテーブルに腰掛けようとした寸前で可憐は寝室へと向かう。
寝室に入り手慣れた手つきで、壁一面に設置されたクローゼットのいくつある扉のうちのひとつを開けた。
可憐は服の数を減らしていたが休みのたびに買い物に七海が連れ出してくれて少しずつ彼女の服は増えていて、寝室に設置されたクローゼットが少しずつ埋まってきて開けるたびに彼女は嬉しそうな恥ずかしいようなそんな幸せを噛み締める。



暑くなって来たので一枚で着れるラフな麻の黒いワンピースを選び出す。ノースリーブで長めの丈で首回りが詰まったデザインのそれは、七海が選んでくれたものだ。さすがにノースリーブでは寒そうだと白く薄いカーディガンを羽織るとリビングへ戻った。






「ああ、やはり似合いますね」
「...真顔で言うのやめて、恥ずかしいから」
「本当のことですから良いじゃないですか。」

ダイニングテーブルには、鶏肉のソテー、コーンポタージュ、野菜のグリル、少しずついくつかの種類が乗ったチーズと軽く焼かれたバケット。そして珍しくまだ空のワイングラスが置かれていて、椅子に腰掛けていた七海は可憐が来ると立ち上がり冷蔵庫へ向かった。





「買い物に出たら美味しそうなワインを見つけたんですよ。」
「ああ!それでこんな豪華な食卓に」
「案外簡単なものばかりですよ」
「料理男子め。」

可憐が腰掛けると七海がワイングラスに赤ワインを注いだ。葡萄のいい香りが食卓の料理と混ざり幸せな香りが立ち込める。





「少し早いですが、頂きましょうか。」
「ふふ!デートみたい」
「確かに...そうですね、」
「ご飯ありがと、乾杯!」
「いえ、お気になさらず。乾杯、」

優しくグラスをぶつければ、中のワインが揺れた。二人は静かに口をつけて「美味しい」と顔を見合わせて笑う。






最近二人揃って食事をする時の主な話題は可憐の高専での授業のことだ。任務にも出かけてはいるが、夏油か五条と必ず一緒に行くこともありあまり任務に関して余程のことがない限りは七海に話したりはしない。彼もまた仕事をあまり家には持ち込まないタイプなのか呪霊の呪の字も出さないからちょうど良いのかもしれないが。



三人の一年生がどういう生徒かは、生徒たちに会ったことのない七海ももう何となくわかる様になっていた。
今日はこんな事があって大変だったとか誰が何を出来る様になったかとか、小さなことでも可憐はとても嬉しそうに七海に報告する。それを七海は聞くのがとても好きで、楽しそうに話す彼女の姿を聞くのも好きなのだ。







「じゃあ、虎杖君もだいぶ高専に慣れて来たんですね。」
「そうそう。すごい明るい子だから心配もしてたんだけど、ちゃんと真っ直ぐに頑張れてるから安心したの」
「伏黒君と釘崎さんはある程度経験もあるから、これからどうなるでしょうね」
「恵は悟の秘蔵っ子みたいなものだからね、一歩リードじゃないかなぁ。
野薔薇は女の子だからここから乗り越えることも多いかも。でも二年の真希に懐いてるから案外すんなりいける気もする」
「よく見ていますね、本当に。」
「大人は子供のことをよく見てあげなくちゃ。過保護になり過ぎずいい距離感で、方向性だけ示せたらいいなとは思うんだよね」



「上手くはいかないけど」と苦笑しながらチーズをフォークに刺して話す可憐が、高専時代に後輩である七海と灰原に丁寧にアドバイスや指示をしていた世話好きな先輩と同じで、七海は小さく笑う。






「ん?」
「いえ、楽しそうだなと思いまして。」
「うん!楽しい!」
「それはなによりです。」
「ご飯も美味しいし、今日はよく寝れそう」
「いつも良く寝ていませんか」
「...そこはスルーするところだよ」
「失礼しました。では..お詫びと言ってはアレですが」
「え、なになに?デザートまである感じ?」


「少し待っていて下さい」と声をかけ一度リビングを出て行く七海を可憐は不思議に思いつつも自分が座っている席は、リビングの廊下につながるドアに背中を向けているのでわざわざ振り返ることもなく残っていたワインを煽った。






少ししてからドアの開く音がすると、後ろから七海にそっと抱き締められ可憐一瞬身体が強張る。そのまま「右手を」と言われたので彼女は振り返ることもなく右手を挙げると、自分を抱き締めていた腕が少し緩むが解放されることはなく、七海の左手が可憐の右手の薬指に指輪を通した。






「...えっ、え、えっ?」
シルバーの少しだけ幅のあるデザインのその指輪はトップの部分は丸く型取られていてその中に小さくも美しく輝く石が埋め込まれていた。

指輪と可憐から一度離れ後ろにいる七海を交互に見てから、もう一度まじまじと自分の指にあるその指輪見つめる。





「サイズも大丈夫そうですね」
余裕の笑顔を浮かべながら向かいの椅子に座る七海のことを可憐は直視できず、両手で自分の顔を隠してしまう。そんな彼女を見て七海は満足そうに笑うとワイングラスを煽った。





「....一緒に、買いに行くのでは?」
「そのつもりでしたが、予定変更です。似合いそうな指輪を見つけたので」
「ほー...」

手の指の間から七海のことを見てから、顔を隠していた手を外す。





「ありがとう、とても好きなデザイン。」
「それなら良かったです。」
「結婚指輪は、一緒に選ぼうね」
「ええ、お願いします。」

七海が可憐の手を取ると、手の甲に口付けをした。その行動があまりに予想外だったのか、彼女は声を出して楽しそうに笑ってしまう。






「あははっ!!やだ、もう、やめて、笑っちゃう」
あまりに楽しそうな彼女に七海はバツが悪そうに手を離した。


「...今のは記憶から消して頂けますか。」
「え、絶対やだ。」
「駄目です。」
「だってなんか、ある意味しっくり来すぎて逆に笑えて来ちゃって」
「...褒めてるのか貶してるのかどちらですか。」
「どっちも..!」

七海の眉間に一瞬皺が寄るが、可憐は笑いすぎて目に涙が浮かんでいてその涙を左手の指で拭っている。











---------そうだ、私はこの人の眩しい笑顔に惹かれたのだ。

心の底から笑う、楽しそうな可憐さんを好きになったのだ。










「可憐さん。」
「ん?」
「いつまでも、私の隣で笑っていて下さいね」
「ふふ...うん、任せて!」














幸せの温もりはいつだって、あなたの手から生まれるのよ
やさしく手を握っていて














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