求めるものなんてないと思っていた、だけど少しだけ欲が出たんだよ
ほしがることは罪ですか










年が明けて数日。年末年始という概念が呪術界にあるのかはわからないが、所謂正月期間に任務が入ることはなかった。元旦に集まれなかったため、伊地知が気をまわし数人で食事でもという話も出たが実現することはなく、もう高専は通常通りに動き始めていて。ただ、まだ学生たちの授業は始まらず少しだけ静かだ。







「やっぱり、よく寝てから任務に行くと身体よく動くね」
「確かにいつもより可憐の反応が早くて、着いていくのが大変だったよ」
「ははっ、うっそだー」

仕事初めの任務を終えて、高専を並んで歩くのは可憐と夏油だ。年末の疲れをかなり引きずり、休息を第一として過ごした正月のおかげですっかり疲れは抜けたようだった。今日の任務は昼過ぎから一件だったので負担も少なかったのだろう。






「明日は傑だけ任務かぁ」
「可憐は悟のクラスの授業をやるんだろう?」
「うん!明日から学生たちも授業始まるからさ」
「悟も明日は任務だもんね。久しぶりだなぁ、二人で任務なんて」
「特級二人で行く任務なんて絶対近付きたくない」
「ひどいなぁ、心配してくれてもいいのに」
「よく言うよー。最強のふたりなんでしょう?」
「まぁね」
「自信満々じゃん。大丈夫、絶対帰ってくるって知ってるから」

楽しそうな顔で隣の夏油の背中を叩く可憐の頭を夏油が軽く撫でると、彼女は少しくすぐったそうな顔をする。





「私は報告書出してから、学長の所で明日の任務について説明を聞いてくるけど可憐はどうする?硝子のところ行ってるかい?」
「そしたら報告書わたしが出しておくよ、教員室でしょ?伊地知くんももう駐車場から戻ってくるだろうし、そのまま教員室で待ってる。」
「わかった、そしたらよろしく頼むね。」



伊地知が運転する帰りの車であらかた作成してある報告書が入った黒いバックをを夏油から受け取り、教員室のある階に着いたので可憐は「じゃ、あとで!」と手を振り去っていこうとした。そんな彼女を夏油が引き止める。









「可憐、」
「えっ!なに?」
「学長に、教職やってみたいってこと伝えておくよ」
「....え?」
「やってみたいんじゃないのかい?教職。」

夏油の予想外の言葉に可憐は何度も瞬きをした。そんな彼女が見上げる夏油の表情は、なんとも言えないもので。優しく笑っているようで、何かを誤魔化しているようで。






「...傑は嫌だ?」
「そんな、まさか。応援するよ」
「その顔は嘘ついてる顔だよ」
真っ直ぐに目を見て彼女にそう言われれば夏油は困ったように両手を軽くあげて「参ったなぁ」と笑って見せる。








「可憐が楽しそうに悟の手伝いをしているのも知っているし、向いていると思うよ」
「じゃあ、賛成?」
「だからそうだと言っているじゃないか」
「...そう。」
「なに?」「何でもない」

僅かな苛立ちが夏油の声に乗る。可憐はそんな彼から目を逸らさず、持っていたバックを両腕で抱き締めた。







「じゃあ、なんて言ったらいいんだい」
「反対なら反対って言って欲しい」
「だから、私は」「何で嘘つくの」
「嘘なんてついてないだろう」
「傑は本当に賛成ならそんな顔しないよ」

「そんなの可憐にはわからないだろ」


珍しく少しだけ夏油の声が大きくなる。その声は怒りの色に満ちていた。その声に可憐は身体を少し強張らせたが、目を逸らすことはない。












「それがわからないほど、傑と一緒にいる時間は短くなんかない。」










可憐の言葉に夏油は自嘲するかのように笑いながら首の後ろを押さえながら目の前にいる彼女のことを見た。







「...私が七海だったら、良かったね。」


「そしたら、可憐がどんな選択をしても賛成して支えてくれる。」










夏油のその言葉に、可憐は目を見開く。そして一度だけ彼の目を見るとすぐに振り返り、何も言わずに教員室へ向かって歩き出してしまった。その背中に夏油は何も声をかけずに、そのまま彼は一つ上の階にある学長室に向かうため階段へと足を向けた。











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教員室のドアを開けれ場そこは、例の如く誰もおらず自由に使えるデスクに荷物を置いて椅子に腰掛けると、報告書と筆記用具を取り出す。ほぼ出来上がっているが、まだ記入していないところを埋めていく。何も考えないように、手を動かしていた可憐の手が不意に止まってしまう。ボールペンを握りしめたままの彼女の目から涙がこぼれ落ちて、報告書を濡らした。












―――――-あれはきっと傑の本音だ。

いつだって隣にいて、
生活も任務も共にしてほとんどの時間を一緒に過ごしてきた傑のことを一度だって七海の代わりだなんて思ったことはない。七海だけではなく、誰かの代わりだなんて思うはずがない。






わたしの記憶が蓋をされてしまうから
傑はわたしと一緒にいてくれたのだろうか
わたしのことを好きだと言ってくれたのだろうか。
















「あれ、可憐さん。お疲れ様です。」
不意に声が聞こえて、慌てて涙拭いて振り返るとそこには伊地知の姿があった。


「..あ!伊地知くんも、お疲れ様!
えと、傑は今、学長のとこにいってて待ってるんだ」
「そうだったんですね。すいませんでした、中途半端な時間に一件だけ任務で...」
「ううん、休み明けにはちょうどよかったよ」
「本当にありがとうございます。
あぁ、報告書、出来上がれば私受け取ります。」
「うん、今終わらせるね」


平然を装い、ボールペンを走らせる。報告書の涙で濡れてた部分を適当に袖口で拭く。伊地知は彼女が泣いていたことには気が付かずに自分のデスクに座った。そんな彼に可憐は安堵する。伊地知のデスクは彼女が座るそこから近いが後ろにあたるので顔を見られることはないからだ。






「伊地知くん、お正月声かけてくれたのにごめんね」
「いえ、寧ろ集まれない程疲れさせてしまい申し訳ない限りです。」
「あはは、伊地知くんこそ疲れてるのにいつもありがとうね」
「私に出来ることなんて皆さんに比べたらちっぽけなものですから。」
「そんなことないよ!」


可憐にしては珍しく少し大きな声でそう言って伊地知の方を振り返るものだから、伊地知の方がびっくりしてパソコンから顔を上げて彼女を見る。








「伊地知くんは、仕事も出来るし、いつも私たちが嫌がる事務作業たくさんしてくれるし、無理な予定変更にも対応してくれるし、優しいし、伊地知くんじゃなきゃ出来ないことたくさんあるし、ちっぽけなんかじゃないよ!」










(ちっぽけなのは、)

「....わたしの方だよ、」


「えっ?」
小さな声が聞き取れず伊地知が首を傾げるのを見て、可憐は明るく笑う。そんな彼女の表情につられるように伊地知もまた恥ずかしそうに笑った。そのまま可憐が報告書を書くべく背を向けようとすると伊地知は彼女に礼を伝える。





「ありがとうございます、可憐さん」
「当たり前のこと言っただけだよ」
「それでも、嬉しかったですから。」

「そっか」と短く答えて彼女はまた報告書にボールペンを走らせた。


「可憐さんは、いつも優しいですね」
「ははっ、なにそれ」
「記憶のことも...あるのに、いつも明るくて優しいです。それに五条さんや夏油さんと肩を並べる位に強いですし、本当に凄いです。」

「やだなぁ、あの二人と一緒にしないでよ、バケモノみたいな二人なんだから」
「そうかもしれませんが...可憐さんはとても強くて優しくて、尊敬する先輩です。

五条さんたちとはまた違って、なんだって出来てしまう人だと私は思っています。」

 




「ふふ、ありがとう」
後輩の言葉に素直に嬉しそうに返事をしてから、ふと報告書に少しだけ残ってしまった自分の涙の跡に目を落とす。








「わたしさ、何も疑わなかったんだ。呪術師として生きることも、それがずっと続くことも。

それしか選択肢なんてないと思ってたから。でも、選択肢って本当はたくさんあるって思ったらなんか欲が出て、結果的には別の選択肢選んだら誰かを傷つけるって事だけがわかってさ。



だからやっぱり選択肢はなくて。なんていうかそれしか出来ないんだよね。だから、全然すごくないの。」







可憐の表情は見えないのと、声は努めて明るかったために伊地知は彼女の真意を計りかねて何かを言うことは出来なかった。何も言わない彼に、可憐は立ち上がると書き上げた報告書を渡す。





「はい!あとはよろしく!」
「あっ..ありがとうございます!」
「じゃあ、また明日。」
そう言って荷物をまとめて教員室を出て行く彼女の背中を伊地知は何も言わずに見送った。








「...あれ、夏油さんのことここで、待たないのだろうか」
ふと伊地知は疑問に思ったが、高専の中にいる分には問題ないことも知っていたので可憐のことを追いかけることはしない。心なし彼女の目が赤かったのも、勘違いだったかなと、深く考えることもなかった。








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「はーあ。何ね新年早々僕たちで任務かねー。明日は可愛い教え子たちの授業始めだっていうのに。」
「その可愛い教え子たちは、悟より可憐に案外懐いてて、彼女が代打でいる分には問題はないんだろう?」


学長室で明日の任務について説明を受けると、夜蛾が急用で部屋を出て行ったため五条と夏油はやたらと豪華なソファに並んで腰掛けたまま話し込む。



「そーそー。何の問題もないの。」
「担任の立場がないね」
「傷口抉らないでよ。てか、可憐待ってんじゃないの?」
「...あぁ、そうだね。」



夏油は可憐を待たせていれば、用事が終わればすぐに迎えに行くことが多いのに今日は言ってしまえば無駄な時間を過ごしている。それに違和感を感じた五条が聞くが、夏油は立ち上がろうとはしなかった。ソファに身体を預けて座る夏油の表情はやはり何処か普段とは違う。それはちょっとしたものだったが、付き合いも長く親友でもある五条にはすぐわかるもので。




「何喧嘩でもしてるの?」
「そんなんじゃないよ」
「なんか余計なことでも言った?」
「...別に。」
「傑がそんなムキになるのなんか珍しいじゃん。硝子に言っちゃおうかなぁ」
「揶揄うのはやめてくれ。」
「じゃあ、何。」

少しだけ低くなる五条の声に、夏油は腕を組んだまま隣を見る。珍しく目隠しを外し、ソファに寄りかかる五条は横目で夏油の方を見ていた。







「可憐は教職をやりたいんだよ」
「あぁ、さっき学長にも話してたね。なに、それがどうしたの?」
「...手放しに賛成出来なかったんだよ。」
「へぇ...何でまた。」




「さぁ...何でだろうね。」
「可憐が、どっか行くのが怖い訳?」
「.....そうだね。」
「教職やったって高専でやるなら、大して今と変わらないでしょ。

任務は今と同じで、傑か僕と行けばいいんだし、変わらないよ。」

「教職をやりたいのは、きっかけに過ぎないんだよ。」


「きっかけ?」





夏油は座り直して、膝に肘を乗せて頬杖をついて五条を見ると小さく笑った。何かを誤魔化す様な、心の奥を隠す様なそんな顔で。









「もう、こんな狭い世界に閉じ込めておくのは無理なんだよ。


家、高専、任務地。その三箇所だけで生きて、任務で何処か遠くに行ったとしても自由に一人では動けない。

自分の命を守るためだって分かっていて、私達の考えも汲み取って可憐はそれを受け入れているけど、もう無理なんだよ。」




少しだけ乱れた髪をかき上げながら、夏油は吐き出す様に、でも静かに言葉を紡ぐ。












「世界は広いんだって、嬉しそうに言うんだ。」


 










「....可憐は、傑のことすごく好きだよ。誰かの代わりなんかじゃないだろ。」
「もちろん分かっている。

でもだからって、もう、閉じ込めておく訳にはいかないよ。」


五条も真剣な顔で夏油を見る。あまり顔に心情が出ない夏油だが、いま彼の表情はつらさと苦しさと、少しだけ諦めの色が見える。自分ではもうどうしようも出来ないもどかしさがきっと彼を苦しめるのだ。












「私は、心の底から笑う可憐が好きなんだよ。私の隣じゃ、そうやって笑えなくなってしまう。」













大切だから、護りたいから。
隣にいるのは自分じゃなくても構わない。
ただただ、笑っていてくれたらいいだけで。
自分の笑顔すら人のためにいとも簡単に投げ棄てる彼女が、どうかきちんと笑えるように。
















「ほんっと、傑って不器用だねぇ。」
「...悟もだろう。」
「ははっ!言えてる。」













自分よりも大切な人
かなわぬ恋慕












そのあと二人揃って可憐を探しに行けば、寒空の下、猫瓏と自動販売機の近くのベンチに座る彼女を見つけた。

夏油が少しだけ気まずそうに声をかけると、一瞬だけ彼を睨んだが、小さな声で謝罪の言葉を述べた夏油に可憐は明るい声で「お疲れ様」と笑った。




 

















七海さん推しのわたしですがその次に夏油さん推しなので、書いてて切なさがすごいお話でした。

離反をせずずっと呪術師としている夏油さんはひたすらに優しいんじゃないかなと思って書いています。ヒロインの可憐ちゃんも自分の優先度が低いタイプなのでそこをずっと夏油さんが支えてきています。((というお話の中で表現しきれなかった話。笑


30話まであと2話。
2話では..おわらな、い..かな?笑


感想もお待ちしてますー!
このあとも楽しんで頂けますように!



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