手のひらにおさまってしまう

ちいさな
世界の世界地図








「しょーこー」
「あ?」
「硝子ー」
「あぁ、可憐」
「待って待って!僕への対応おかしくない?」
「へっへー!わたしは硝子に愛されてるの」


昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴り響いたばかりの高専の保健室に、五条と可憐がやってくるとそれまで静かに家入が珈琲片手に仕事をしていた部屋はあっという間に賑やかになる。





「こんな時間に二人してどうした?」
「外雨降ってるから、お昼ここで食べようと思って!」
そう言って嬉しそうに笑いながら可憐は家入の分のおにぎりを二つ渡す。

「わたしのと傑のと、二人の作ってきたから食べよ!」
「夏油は?」
「さっき急遽呼び出されて任務へ行きました、わたしはここでお留守番!おにぎりは車で食べるって。」
「可憐は行かないのか?」
「今日は悟の授業手伝う日で傑と高専に来てたの。傑は事務仕事やるって言ってたんだけど、結局伊地知くんに泣きつかれて出勤したって感じかな」


五条と可憐は保健室内にある茶色の皮張りのソファーに腰掛けておにぎりを頬張る。一方家入は自分の椅子に座ったままラップに包まれたおにぎりを眺めていた。







「硝子のは、鮭と明太子だよ」
「あぁ、ありがとう。」
「なー硝子、この前の傑びっくりしたよね?」
「ねぇ!もうその話よくない?」
「可憐のこと突然抱き締めた件な」
「いやぁ、あんなに二人がラブラブとはなー!僕もびっくりだよ」
「特に夏油があんな人前で、なぁ?」
「なぁ?じゃなくてさ!」
「実際どうなの?二人でいると結構違うのか?」
「あー!それ、僕も聞きたーい!」


悪ノリを始める二人に可憐は深いため息をついて、背もたれに身体を預ける。少々だらしない体制だがそのままおにぎりを頬張る。









「傑はさ、いつも優しいよ。優しすぎるくらい優しい。なんだろう優しさで出来てる」
「おーおー、ベタ褒めだな」
「僕も傑に優しくされたーい。」
「ふふ、あげない!」
「じゃ、家でも甘々ってことか」
「そんなお砂糖じゃないんだから」
「優しさで出来てる夏油があんな人前で抱きしめるなんて余程なんかあったのかね」
「最強の男、五条悟にはわかるよ!!」




両手をあげてハイテンションな五条に家入と可憐は深い溜息を吐くがそんなことを気にする五条ではない。二つあったはずのおにぎりはあっという間に食べたらしく、隣に座る可憐の肩に腕をまわしニヤニヤと笑う。




「なに?近い。」
「傑はさ、ちょっと甘過ぎんの。」
「悟に?」
「ははっ!確かにそれはあるな。」
「なんで僕なの、おかしいでしょ」
「じゃあだれに?」
「可憐に。」
「あっ、わたし...」
「甘いわけじゃないだろ、可憐のことになると夏油は自分の優先順位が下がるって話だろ」

家入の言葉に可憐は少し首を傾げ、肩に腕を回してきていた五条を制してから天井を見上げる。頭の中に浮かぶのは、いつだって自分のことを優先して動いてくれる夏油のことだった。






「傑って、自分のことよりわたしのことを先に考えてくれるの。


大切にしてくれてるってわかってるけど、傑の人生はそれでいいのかなってたまに思う。」






「みんなに守ってもらってるわたしが、言えることじゃないんだけどね」と、言葉を続けた可憐の表情を五条と家入はちゃんと見ることは出来なかった。






「可憐!」
「っいた!痛い!いたい!」
隣にいた五条に突然頬を引っ張られ、彼の方を向くと両頬を片手でグッと寄せる。あひるのような口にされて可憐は不服そうに五条を睨む。






「傑は、可憐が笑ってんのが一番なんだよ」








「あっ、ちなみに僕もね。」
「もちろん、私もだ。」






二人の言葉が眩しくて、可憐は五条の手を制してから、嬉しそうにでも恥ずかしそうに礼を言う。







「ね、悟、無下限切って」
「絶対ほっぺつねるでしょ」
「仕返しさせろ」
「おら、切れ五条」
「口悪いから二人ともモテないんだからな!」






どんな時も、馬鹿みたいなことを言って笑えるこの場所も、きっと優しさで出来ていることを可憐はちゃんと知っている。









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五条が授業に行き、家入の下にも任務から怪我をして戻ってきた呪術師が来たので、可憐はとりあえず教員室に向かった。


「あれ、七海!」
「あぁ藤堂さん、お疲れ様です」
「...藤堂、」
「え?」
「いや、なんか苗字で呼ばれるのあんまりないから新鮮だなーって改めて。」
「そうですか。」



教員室のドアを開けると呪術師が作業するのにいくつか用意されているデスクに座りパソコンを開いていた七海がいた。変わらず人材不足の高専の教員室はがらんとしていて、七海しかそこにはいない。





「何か飲む?」
「...では珈琲を。」
「いえっさ!」
教員室ないにあるちょっとした給湯スペースにそのまま可憐が向かえば七海はまたパソコンに目を移す。






「お砂糖とかいらなかったよね」
「はい、ブラックで。」
「あっ全然仕事してて、わたし適当に遊んでるから」
「....遊ぶ?」
「まじめにツッコミしないで?気にしないでってこと」
「わかりました。
藤堂さんは..夏油さんと待ち合わせですか?」
「うん、傑が任務から戻ってくるまで。わたしは午前中、悟の授業の手伝いだったの。七海は?」
「泊まりの任務で今朝帰ってきて、その報告書を。」
「そっか、お疲れ様。」


使い捨ての大きめの紙コップをホルダーに入れてパソコンと向き合う七海が使っているデスクに静かに珈琲を置いた。自分用に入れた珈琲は牛乳を入れたようで、それを持ってやることもないのかとりあえず七海の隣の空いているデスクの椅子に腰掛ける。珈琲の礼を手短に伝えると、隣に座る彼女を特に気にするでもなく七海はパソコンに向き合う。可憐はデスクに頬杖をついて、その端正な横顔をなんの気無しに眺めた。






「....何か付いていますか。付いていないと思うので、そんなに見ないで頂けると助かります。」
「いやー、端正な横顔だなーって」
「お勧めの眼科を紹介しましょうか」
「ははっ!大丈夫、ありがとう。」

ふと七海のデスクに置かれた革で出来た焦茶色の小さなペンケースが彼女の目に止まる。そこには彼からは想像がつかない可愛らしいキーホルダーと、御守りが着いていた。





「かわいいね、そのキーホルダー」
「はい?」
「それそれ!」
唐突な可憐の言葉に七海は軽く眉間に皺を寄せパソコンから彼女に目線を移す。そんな彼女の指先は自分のペンケースを指していて、それを取ると可憐に渡した。






「可愛い!ほっぺがピンクの茶色い鳥!」
「....京都のご当地キャラクターだそうですよ。」
「名前は?」
「深草うずらの吉兆くんです。」
「なんか縁起がいい名前だね、出張先で買ったの?」
「いえ、お土産です。」
「そうなんだ、可愛い。七海がつけてるとギャップがあってそれももはや可愛い。」
「....はぁ。」
「こっちのお守りは、なんか色が七海っぽいね、黒に金色の文字。あれ、これ健康守りなんだ」
「はい、それも頂き物ですが」
「健康守りっていうのはちょっとおじいちゃんみたいだけど、色合いぴったりだからいいね」
「そう、ですか。」
「きっと七海のことよく知ってる人なんだろうね、」

かつて、自分が七海にプレゼントした二つを見ながら可憐は何処か嬉しそうに話す。そんな彼女が、それらをくれた時の姿と重なってしまい七海は静かにパソコンに目を戻した。






「ありがと、見せてくれて。」
「...いえ。」
「ねねね、七海って本とか持ってない?」
ペンケースをデスクに戻しながら聞く可憐に一緒不思議そうな顔をしてから七海は思い出したように足元に置いていたアタッシュケースから一冊の本屋のカバーがかけられた本を取り出すと彼女に渡す。どうやらまだ買ったばかりのようで紙で出来たカバーも綺麗なままだ。





「わ、ありがとう」
「本というよりは、写真集ですが」
「こんなハードカバーの本くらいの大きさの写真集あるんだね、見ていいの?」
「どうぞ。面白いは分かりませんが。たまたま駅の本屋で見つけたので。」







「....世界の、さんぽ道」
表紙をめくり可憐は小さくタイトルを読み上げる。
ページを静かにめくっていくと、世界各国のさまざまな路地裏や美しい道路、海へつながる道...色彩豊かなあらゆる世界の写真で溢れるその本は、まるで想像の世界だけでもあらゆる道へ連れて行ってくれそうだ。
可憐は、その本にすぐに引き込まれたかのように、何も言わずに美しい写真たちを見ていて、そんな様子に七海は少し安心したような表情をしてから、またパソコンに目を戻した。



















「...色んな景色があるんだなぁ、」
どの位、夢中でその本を見ていたかわからないがふと可憐が呟く。その隣で作業を終えたようで珈琲を静かに飲む七海は、パソコンの電源を落とすし彼女の方に体を向けた。








「なんか同じ地球にあるとは思えないね」
「文化や土地によって風土や環境で道一つとっても全く違ってきますからね。」
「ふーん..世界は広いんだなぁ、本当に」
「どんな世界にだって、行けるんですよ。」
「七海は何処に行きたいの?」
「海が美しい所がいいですね」
「海、かぁ。」
「藤堂さんは?」
「んー、わかんない。」
「...好きそうな場所、ありませんでしたか?」
「どうだろう、どれも素敵だからなぁ。
....それより、こういう写真集を七海が買ってたのが意外!」
「表紙がとても綺麗だったので。中身はあまり見ないで買ってしまいました。」
「....あぁ、なるほど。衝動買いってやつだ」





「表紙、」
可憐が紙のカバーをそっと外すと、その表紙は海辺に繋がる美しい道の写真だった。白い階段を降りていくと砂浜に繋がり、その先には一面美しい青色の海が広がっている。













「...わたしは、何処に行きたいんだろう」
小さくつぶやきながら可憐は紙のカバーを丁寧に付け直す。





「藤堂さん、」
「ん?」
「何処にだって行けますよ。世界は広いですが、繋がっていますし、今いる世界なんて実際はちっぽけなものですから。」
「ちっぽけ」
「思っているより自分が知っている範囲の世界なんて小さなものです。」
「ふふっ、七海、先生みたい」
「私も知らない場所ばかりですから、いつか色んな世界を見に行きたいと思います。」
「じゃあ、七海はまずはこの表紙のところからだね」
「そうですね、」
「感想聞かせてね」
「でしたら、」
「ん?」




「....その時は、一緒に行きますか?」








本をパラパラと見ていた可憐の手が止まる、ふと七海の方を見ればサングラス越しに目が合う。その目から目を背けることが出来ないまま、彼女は困ったように笑った。



笑顔のようで、笑顔じゃない。
何処か淋しそうな、切なそうな、見たことのない笑顔。









――――――この人は、こんな風に笑う人だっただろうか。













 
「わたしは、ずっと此処にいるよ」















可憐が本を七海に差し出すが、それを七海は受け取ろうとはしない。あまりにも切なそうな彼女の声が頭に残って上手く身体が動かなかった。彼女が不思議そうに首を傾げて何かを言おうとした時、静かに教員室のドアが開いた。そこから現れたのは任務帰りの夏油で、黒い上着を脱ぎ、黒いパンツに白いシャツを少しだけはだけさせていて、髪は一つにラフにまとめられている。













「可憐、お待たせ。あぁ、七海もお疲れ様。」
「あっ、傑!お疲れ様。」
「...お疲れ様です。」

可憐は立ち上がり、七海のデスクに静かに本を置くと、空になった珈琲が入っていたコップをホルダーごと自分のものと七海のものを二つ持ち給湯スペースに向かう。夏油は彼女が座っていた椅子に腰掛けると、我に帰ったように帰り支度をする七海に目を向ける。





「今から帰りかい?」
「ええ、報告書を書き終えたので提出してから帰ります。」
「そっか。」




「....私はやはり、反対です。」
立ち上がりながら夏油へ向けられた七海の言葉は、一見唐突のように思えた。でもその真意は、夏油には痛いくらいに伝わっていて。夏油は痛いような苦しいような気持ちを、作り笑いの中に隠した。





七海は荷物を持ち、給湯スペースに寄ると先程の本を洗い物を終えて手を拭いていた可憐に差し出す。彼女は少し驚いたような顔をしながらもそれを受け取ると七海を見上げる。






「珈琲のお礼です。後片付けまでありがとうございました。」

律儀に頭を下げてから、夏油にも挨拶をして七海は教員室を出て行った。







「なんの本だい?」
「世界のいろんな道とかの写真集!すごい綺麗なんだよ」
「じゃあ、後で私にも見せてね」
「うん、もちろん。七海に今度会ったらちゃんとお礼言わなきゃ」
「そうだね、」
「帰ろっか。」
「伊地知が家まで送ってくれるって。下で待っているよ」
「やった!伊地知くんにもおにぎり作ってきてあげたらよかったな」
「きっと喜ぶよ」
「あ、そうだ。今日の夕飯は唐揚げにしよ?鶏肉余ってたんだよね」
「それ私に揚げるところやらせたいだけだろう」
「油はね嫌なんだもん。あ、悟がいれば無下限で油に無敵?!」
「それは、無下限の無駄遣いだね」
「...はーい。」






誰もいなくなる教員室の電気を静かに消して、二人は教員室を後にした。











--------------










「ね、傑」
「ん?」
夕飯の唐揚げを向かい合って座り食べる。
にんにくを効かせた唐揚げは食欲をそそるのか二人ともいつもより茶碗に盛られた白米が多い気がする。






「傑はどこか行きたいところある?」
「どうしたの、急に。」
「七海にもらった写真集にいろんな国の写真載っててさ。傑はどっか行きたいとことかないのかなーって」
「あんまり考えたことないなぁ」
「そっか、」
「何処かいい所あった?」
「んー、もうちょっと写真集見てみる」
「まだ見つかってなかったのか」
「全部素敵だからさ、迷っちゃうだけ」
「...そう。」
「七海は海が綺麗な所がいいんだって」
「へぇ..でも七海が海辺で本を読んでる姿はしっくりくるね」
「ふふ、確かに」






味噌汁の入ったお椀を両手で口に運びながら、可憐は窓から見える夕焼けに染まる空を見る。この後太陽が沈み、夜が来て、また朝がくる。その繰り返しの中で、自分たちは呪霊を祓い、生きている。その繰り返しが当たり前になっている中で、別の世界に行くなんて感覚は彼女にはもしかしたらよくわからないものなのかもしれない。













「あ!そーいえば七海のペンケースにかわいいゆるキャラのキーホルダーついてたんだよ!」
「...七海が、ゆるキャラ..?」
「そんな眉間に皺寄せなくとも。」
「あまりにイメージがつかないからさ。」
「後お守りもついててね、どっちも貰い物なんだって。どちらにしても意外でしょ?」
「そうだね、七海はあまりそういうのはつけなそうだし。」
「今度出張いったら、ゆるキャラのキーホルダーお土産で買って行ってあげよ」
「...後輩を揶揄うもんじゃないよ」
「嫌だなぁ、傑にも買うよ?」
「...いらないよ。」
「ひどっ...」
「可憐は?」
「ほしい!」
「だと思ったよ、じゃあ今度出張の時は土産売り場見てみようか」
「やった!」




二人で作った唐揚げを頬張りながら楽しそうに笑う可憐の様子に夏油は少し安心したように息を吐く。かつて、彼女の恋人だった後輩が戻ってきてから、少しだけ自分の中で重く暗い何かがあった。でも目の前で、心を緩めて笑う彼女がいれば、それは少しずつ消えていくのだ。













―――――遠慮はしない。それでも、一番に祈るのは君の幸せに変わりない。









「明日は休みで、明後日からまた連勤かー!」
「頑張ろうね。」
「明日は何する?」
「そうだなぁ、映画でも行くかい?」
「見たいのある?」
「ご飯食べたら、一緒に調べよ」
「了解しました、ボス。」
「傑の方がボスでーす」
「えー、そうかなぁ。」
「いえす!ボス!」











探しに行けるだろうか
いきたい場所を







「それにしても、唐揚げ美味しいね」
「傑、またこれ作ろ」















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