「夏油さん、お聞きしたいことがあります。」








わかっていたことだった。いつかこの聡い後輩が何かに気が付くことなんて。不思議な違和感を見落とさないであろうことなんて。気がつかないでいて欲しかった訳ではないのだ、どうやって話したらいいかまだ決められていなかっただけなのだ。時間ならいくらでもあったのに、目の前の幸せを言い訳に先延ばししていたのだから。








「あぁ、なんだい?」









――――――全てをきちんと話そう。嘘偽りで誤魔化せるほど、私は器用ではないのだから。








情けなくてみっともなくて
しなやかな執着











京都出張から戻った日から、三日後。その日可憐は、脚の傷の経過と一時的に呪力を失ったことで後遺症が残っていないかを調べるため、朝から硝子のところで検査を受けていた。
私は付き添いで高専に一緒に行き事務仕事をしていたが出張のあとも休みがなく疲れていたため応接間で休むことにすると、七海からの着信が入る。要件は、聞きたいことがあるとのことで高専にいる旨を伝えれば報告に来ていた様で応接間に七海も来ることになった。






暫くして七海が応接間にくると、向かい合って置かれた無駄に高級そうな皮張りのソファーにそれぞれ座る。出張お疲れなんて言う社交辞令もほどほどに七海はすぐに本題を口にした。













「藤堂さんのことについて、教えて頂けませんか。」
「...うん。そうだね、聞かれると思っていたよ。

何があった?私が京都校に行っている間。」




珈琲でも買っておけばよかった、少しだけ手持ち無沙汰になってから後悔する。心の中の小さな戸惑いに気がつかれないように冷静な振りを七海を見れば、相手もこちらをきちんと見ていた。四年ぶりに戻ってきた後輩は、きっちりとしたスーツに身を包んで、身体もどちらかと言えば華奢な部類だったはずなのに鍛えられているのかとてもがっちりしていて、本当に証券会社にいたのかとやや疑わしい。でも、何かを人に聞くときに相手を真っ直ぐに見る姿勢は学生の頃から変わらないのだなと妙に懐かしさを感じた。






「帰りの車で眠ってしまい、ホテルで一度起きた時に、私が呪術師に戻った事を再度聞いたり、私の事を苗字でなく名前で呼んでいました。

その後また眠り、昼過ぎに起きた時には、いつも通り呼び方は苗字になっていましたし、態度なども普段通りに戻っていました。」

「その前は普段通りじゃなかったってこと?」
「..はい、そうですね。」
「....恋人同士の時の様だった?」



ソファに浅く座り膝に肘を置き手を合わせて話す七海を、私はソファに深く座り腕を組んだまま見れば表情こそあまり動かないが少しだけ動揺が見て取れて「図星だね」と言えば、小さく頷いた。









「...やっぱりね。」
「やっぱりと言うと?」
「昼過ぎに起きたタイミングでおそらく可憐は呪力がもう戻っていたんんじゃないかな。」
「...おそらく様子からしてもそうかと思います。脚の痛みはあるようでしたが、元気そうでしたし。」











―――――-さぁ、何処から話せばいいのだろうか。





私は一度伸びをしてから、ソファに浅く座り直す。ソファの間に小さなテーブルはあるが、言ってしまえば膝を突き合わすような体制になってから七海の方を見る。










「七海、これから私の話を聞いた後に、可憐に対して責める気持ちを持ったりしないと約束してくれるかい?」
「....というと?」
「七海にこのタイミングで話すことになってしまったのは、言ってしまえば私達のせいでもあるんだ。


可憐が話さないなら私たちが話すのは筋が通らないと思ってね、彼女の意思を尊重して、恋人だった七海にも話さないできた。

もしあの時話していたら、今、状況は違うかもしれないからね。」




七海はいまいち話の意図がわからない様子だったが余計な何かを聞くでもなくこちらの目を見て静かな頷いた。












「...まず、可憐の呪力量と並外れた動体視力は天与呪縛によって底上げされている。」

七海の目がサングラス越しに見開いたのがわかったが、そのまま言葉を続ける。止まってしまったら、もう話せないような気がして。









「その天与呪縛は記憶に関するものでね。何かあった時にという保険も兼ねて、同期の私達はその事を学長から聞いていた。当の本人が聞いたのは多分二年生の頃だったじゃないかな。


その当時はね、一年に十回くらい記憶がなくなるというくらいの認識で、どんな記憶がなくなるとか詳しい事はわかっていなかったんだ。



でも卒業してから状況が変わったんだ。その天与呪縛が特級呪霊討伐をきっかけに変化することがわかったんだよ。」












今でも昨日のことのように覚えている。
記憶を失うことを怖がりながらも、懸命に前を向こうとしていた可憐の姿を。
七海に忘れないと約束した自分を責めていた姿を。
いろんなものを抱きしめて、呪術師として生きることを決めた強くしなやかな姿を。
















「可憐の記憶は制限されるようになったんだ。

何にでもと言うわけじゃない。
【居場所】と【人】に関するものだけが制限されている。


居場所に関しては、自分に馴染みがある場所以外だと突然何処かわからなくなってしまうことがある。自宅や高専なら今の所問題は出ていない。

人に関しては、関わりが少ない人のことは覚えられず関わりが深くてもその人との記憶を一部失うこともある。」





「.....それで、」
「...おそらく、可憐は、七海のことは覚えているけど七海と恋人だったという記憶が制限されているんだ。」







七海の目が一瞬見開く。空気が揺らぐのがわかる。その表情は冷静さを保とうと必死だが、隠しきれていない。




「もちろん、それと引き換えに可憐は特級呪霊とも対等に渡り合える呪力量と、ずば抜けた動体視力を手に入れた。

でも、記憶の制限の影響で起こりうる最悪の事態を避けるために、行動範囲を最低限にして、任務は悟か私と同行。それから私と暮らす事が決まったんだ。」







「基本的にどこかに行く時も、悟か私がついていく事がほとんどなんだ。突然居場所がわからなくなると、何処から来たのかもどうやって戻ればいいのかもわからなくなってしまうらしい。



....そんなの、怖いだろう?」








サングラスの奥の目が僅かに伏せられる。昔から真面目で優秀なこの後輩は、すぐに理解して思い出してしまう。








「覚えがあるんじゃないか。七海にも。」
「....名古屋出張、ですか。」
「うん、御名答。」










――――-あの時、七海にも話していたら。
可憐は七海を頼って、生きていくという選択肢を持つ事が出来ただろうか。
呪術師という道以外も選ぶことが出来ただろうか。










「この前、呪詛師によって呪力が一時的に奪われたことで天与呪縛の影響が弱まって、七海とのことを思い出したんだと思う。

あくまでも、記憶の制限。記憶喪失ではないからね。」





「....藤堂さんは、その影響をどこまで把握しているんですか?」





「言ってしまえば、その影響が出た時点で可憐には何かしらの被害が出ると仮定しての対応をとっているからね。
誰のことをどこまで忘れているのかとかはわかっていないはずだよ。接する人間も限られているし。

居場所に関しては、わからなくなっていることはあるし、酔ってるような感覚になるらしいから自覚はあると思うよ。


どっちも自分ではどのタイミングでそうなるのかはわからないみたいなんだ。」












「.....これから先、ずっと、」
七海は考え込むように眉間に皺を寄せながらぽつりと言葉を呟く。しかしその先に続く言葉はなかった。その言葉の先は、なんとなく私にもわかる。きっと私も悟も恐らく硝子も、学長も、もしかしたら伊地知も、言ってしまえば可憐の今置かれている状況を考えたら誰だって思うのかもしれない。














「....藤堂さんは、呪術師である前に一人の人間です。」
「うん、わかっているよ。」
「だったら..何故。」

「呪術師として生きると決めたのは可憐だからだよ。」







「狭い世界に閉じ込めて、何をしているんだって言いたいんだろう。わかるよ。私だってそう思う。

でも、一番の優先順位は可憐の安全で、ただただ守られているだけより守られながら呪術師として力を使うのを選ぶのが彼女だって事は七海だって知っているだろう。」








「そうだとしても、呪術師としてではない生き方を藤堂さんに示すことも出来た筈では。」
「隣で、守る人間が呪術師で、それが叶うと思うかい?」
「....それは、」
「これが最善の策なんだよ。狭い世界だけど安全を保障する事が。
七海がずっと呪術師としてここにいたとしても、結果的に同じことになっていたはずだよ。」


七海から言われる正論が、突き刺さる。その痛みを誤魔化すように少しだけ口調が強くなってしまう。何かを言おうとしてそれを飲み込んだ七海に追い討ちをかけるような言葉をかけてしまった。
















「七海が呪術師を辞めるときに、可憐を連れ出していたら違っていたかもしれないね」







―――――これはただの醜い嫉妬だ。
広い世界に一度出たのにここに戻ってきた後輩への醜い嫉妬。自分じゃなくて彼がそばにいたらもっと可憐を幸せに出来たんじゃないかという妬み。











でもその言葉に七海はほんの少しも表情を変えない。サングラスを外し丁寧に胸ポッケに入れると淡々とした口調で、話し始める。











「藤堂さんに呪術師を辞めると伝えた時に、なら卒業式の日に別れようと言われたんです。



今でも後悔しています。
無理矢理にでも説得して一緒に高専を出ればよかったと。



私は記憶のことを知らなくても、あの人を連れて行かなかったことを後悔している。

夏油さんが今の状況が本当は辛いということも想像が付きます。」










「.....七海、大人だね」
「もう、私は後悔をしたくない。


.......夏油さんはどうですか?」














「....私は、そうだね。」

(ずっと前から分かっていたんだ)










「可憐がちゃんと笑えるなら、なんだっていいんだ。」
(隣にいるのは私じゃなくたって構わないんだ)













私のその言葉に、七海が何かを言う事はなかった。少し経ってから、静かに七海が私に声をかけて、応接間から出ていくのをソファに寄りかかりながら見送る。
















「夏油さんの隣にいる藤堂さんはとても幸せそうに私には見えました。」













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「すっぐるー!」
応接間で何をするでもなく天井を眺めているとやたらとテンションが高い声でと共に悟が部屋に入ってくる。七海が出て行ってからどのくらい経ったのかもよくわからない。







「なんだい、いま私は休憩中だよ」
「七海に話したんでしょー。ついに。」
「七海に聞いたのかい」
「いや?でもあいつの顔見たらなんとなくわかったからさ」
「...そうか。」
「.....で?」





向かいのソファにどかっと座り、テーブルに足を投げ出すと何処に持っていたのか知らないが棒付きのチョコレートを悟は食べ始める。目隠しで見えないその目はきっと、いつものようにヘラヘラと笑ってはいないだろう。











「話したよ、全部。正直、やっと話せたってほっとしている。」
「可憐は、やっぱり七海と付き合ってたこと覚えてないの?」
「あぁ。例の呪詛師の術式の影響を受けてるときだけ思い出したとなると、覚えていないだろうね。」
「ふーん。そーいや、硝子の検査さっき終わったみたいだけど、やっぱり異常はないってさ。」





いま教員室で伊地知となんか喋ってた、と悟が続けるのを聞きながら、また天井を仰ぐ。なんて事のない木の天井が目に入り、七海が去り際に残した言葉が脳内で反芻された。






「なぁ、悟」「んっ?」
「可憐は、幸せだと思うかい?」
「なにその弱気、ウケんね。」
「...揶揄うなよ」
「んなこと、傑が一番わかってんじゃないの?」
「...私はいつだって、自信なんかないんだよ」
「それは、嘘だね」


ふと声のトーンが下がる相手を見れば、棒付きのチョコを食べ終わり、チョコがついていた棒でこちらを指しながら、悟は笑う。揶揄うような、なんでも分かっていて見透かすような、そんな顔だ。











「七海が戻ってきてからでしょ?」

いつだってこの男は簡単に見透かしてくる。それが親友だからなのか、単に付き合いが長いからなのか、それとも最強だからなのかはわからないけれど。









「可憐は、七海がいなくなったから傑と付き合ったわけじゃないし、七海と付き合ってたことを忘れたから傑と付き合ったわけじゃないでしょ。」


「傑が可憐と一緒に過ごしきた時間が七海の代わりな訳ないじゃない。」










「ありがとう、悟。」



珍しく相手を労う様な優しい口調でいう悟が面白くて小さく笑って礼を伝える。それから溜息を吐いてから、自分で自分の手を目的もなく見ながら話す。可憐が無邪気に握り、大きいねと笑うその手は無骨で華奢な彼女の手とは正反対だ。




「....わかっている。でも、隣にいるのが誰であろうと幸せならいいっていうのは本心だよ。


それに、いつまでも狭い世界に閉じ込めておくのは違うような気がするんだ。」













「七海だったら、見えない檻みたいなものを壊せる様な気がするんだよ」


戻ってきた後輩は、きっと知らない世界にも彼女を連れ出してくれるのではないか。










自宅、高専、任務地、その三箇所だけで暮らす窮屈さ。鳥籠の様にそこに閉じ込めているような錯覚。それを当然のように受け入れて、何も言わない彼女に甘えていた。安全だという言葉を隠れ蓑にして。呪術師として生きるためという尤もらしい理由を武器にして。










「じゃあ....これから先は、可憐が決めることだね。」

悟の言葉に静かに頷く。
やけに静かな応接間には悟の声が心なし反響している様な気がした。また飽きもせず天井を見上げてもそこから何か降ってくるわけでもない。ただ、心地よくはない沈黙と重くどこか焦ったい空気が漂っていて。










「可憐、迎えにいく?」
「あぁ、そうするよ。」








――――-幸せになって欲しい。
この世界に生まれていなければもっと容易に考えられたのだろうか。そんな答えのない問いが頭に浮かんだがすぐに目を背けて、悟と共に応接間を後にした。




  







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「あー!傑!おっそーい。」
教員室にある三人掛けのソファに、可憐と家入が座りその横に姿勢正しく立つの伊地知の姿があった。ドアを開けた私に気がつくと少し不服そうに手を振る。


「ん?五条も一緒なのか。」
「...ひっ!」
どうやら三人で何かを見ていた様で、私の後ろに着いてきた悟にも気がついて「ねぇ!きてきて!」と手招きをする。その近くで伊地知が身体を強張られせた。






「見て!懐かしくない?」
「昔使い捨てカメラでよく撮ってたやつらしい。」
「あぁ、そんなこともあったね。」
三人が見ていたのは高専時代の写真だった。私たちが三年生の時、伊地知は一年でそれなりに親睦はあったため一緒に写っているものもあるのだろう。




「これなんて、五条と夏油が近接の授業でやり合ってたあとだな。」
「うっわ!なんでこんなのあんの?」
悟と私も三人の元にいくと、ソファの前にあるテーブルにたくさんの写真が並んでいる。






「学長が取っておいたそうですよ。懐かしいですね。」
「伊地知老けたね」
「苦労が顔に出ているよ」
「ぐっ...!ご、五条さんはともかく....夏油さんまでそんなことを...」
「悟のせいでしょ、伊地知くんのこといじめるから。」
「そーだぞ、クソ共のせいで伊地知が老けてくんだぞ。」
「藤堂さん、家入さん....!!」


「わ!これ七海と灰原だ!」
「灰原は変わらないな。七海はこんなに可愛かったか?」
「今度見せてあげよー!
傑も変わらないねぇ、悟は全然違う!」
「えー?僕変わらなくない?」
「昔の方が毒っぽいだろ」
「まって硝子毒ってなに?!
「硝子の髪短いの久しぶりに見たー!」



数ある写真の中に一枚だけ、七海と可憐が写っているものを見つける。写真に写りたくなさそうな七海の腕を引きピースサインをする彼女は眩しいくらいの笑顔だった。


「傑、それなんの写真?」
「ん?はい。七海と写ってるよ。」
「わっ、ほんとだ!めっちゃ七海写真嫌がってるじゃんね」

ソファから立ち上がり、私の手にある写真を覗き込む。近い距離でこっちの顔を見上げて笑うその笑顔が写真のそれと重なった。















「.....うわっ!」
気が付いたら、みんながいるのに可憐を抱きしめていて。胸の中にすっぽりと収まってしまう彼女が驚いて声をあげるから、みんなの目線も集めてしまう。でもそんな事はどうでもよかった。
















「可憐、私は君が好きだよ。」













もうずっと、ずっとまえからその眩しさから目を背けられるはずがなくて
僕のはつこい












「知ってる!」
腕の中にまるで華が満開に開く様な笑顔で私を見上げる可憐がいた。そんな彼女の幸せをどんな時も祈らずにはいられない。
















夏油さん目線のお話でした。
私の中で夏油さんはかなり感情が豊かなイメージなので、夏油さん目線で書くのはわりと好きです。でも、なんか切なくなりました。笑


七海さんと夏油さんの三角関係になってきましたね、今後どうなるでしょうか、また読んでいただけたら嬉しいです。








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