わたしの記憶は、強くなることと引き換えに制限されてしまった。


自分が何処にいるのか、
自分がどうやってきたのか、
自分が何処からきたのか、

あの人は誰なのか、
あの人との関係はなにか、

突然自分の立ち位置が分からなくなる感覚と、目の前の人が知らない人に見えてしまう感覚は、なんとも気持ち悪くて慣れることはない。



でも、わたしの記憶は制限されている。
蓋をされている。
だから、きっと、消えているわけではないのだ。



いつまでも未解決な革命









身支度をするときの仕上げはいつだって、小さなシルバーのペンダントをつけることだった。

いつからつけているのか覚えていないけれど、お守りのようなそれは、中に写真が入るロケットペンダントで。硝子にいつからつけてるっけと聞いた時、知るかと一蹴されてしまったけれど、

「お守りみたいなもんなんじゃない。よく似合っているしつけておきなよ」と言われて、お守りのようにいつだってつけている。



一度写真を入れられるところを開けた時、小さくて黒い何かが落ちてきてそれは何処かへ飛んで行ってしまった。写真は入っていなくて、そこに入るような小さな写真を持っていなかったから、気に入っている香水をティッシュをちぎったものに一滴吸い込ませて小さくして中に入れた。



そのペンダントは、寝室の片隅にあるわたしの小さなドレッサーに帰ってくると置かれている。そのドレッサーの隅に、美しい海のような景色が描かれているポストカードが立て掛けておいてある。そのポストカードはずっと使っている手帳に挟んでいたもので、いつ何処で買ったのか覚えていないが美しい碧色が好きで手帳から取り出して飾っているのだ。









いつもの黒いワンピースに身を包み、ペンダントを付ける。髪はポニーテールにして高く結い上げた。ふと窓の外に目をやると、眩しいくらいの晴れ。
一般社会で四年働き、やけに貫禄をつけて後輩が戻ってきてから半年弱が経っていて。
繁忙期の夏を乗り切り、実務で経験を積み早くも準一級まで昇級している後輩の任務に傑と共に同行することになっていた。













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「...えっ、今から関西行くの?この車は東京駅に向かってるってこと?え?新幹線乗るの?マジ?」
「せいぜい千葉あたりじゃなかったのかい」
「それが、夏油さんと藤堂さんの同行が決まったら急遽任務の難易度が引き上げられてまして....私もさっき連絡を受けて...」

「夏油さんは特級、藤堂さんは一級ですもんね。」
「じゃあ、わたし帰っていい?」
「いっ!いやいやいや!!駄目ですよ!藤堂さん!!!!」
「えー、傑と七海で行くってことにして元々の任務に変更してもらおうよー」




助手席に座る可憐の発言に運転する伊地知があからさまに動揺する。後部座席の夏油と七海は軽く溜息を吐いただけだった。

七海が戻ってきてから、夏油は一度復帰直後の任務に同行している。可憐は高専で何度か会い言葉は交わしているものの任務に一緒に行くのは初めてだった。
昨日の夜は夏油も可憐もなんだか学生時代のようだと少し浮足立っていて、それほどまでに七海は二人にとって大切な数少ない後輩なのだ。










「新幹線で何処まで?」
「京都です。京都駅から車で一時間ほどのところに任務地の廃校があります。補助監督とは京都駅で落ち合うことになっています。」
「完全に泊まりじゃん!わたし手ぶらで来ちゃったよ」
「今日は移動日になったので、このまま京都に行って頂き明日の夕方から任務ということになりそうで...その...」
「向こうで泊まりの準備も揃えろってことだね」
「えっ、経費で買い放題ってこと?」
「可憐、わくわくしないの。その通りだけど」
「...えぇっ!!!夏油さんそこは止めて下さい...」
「宿泊地はどうするんですか?」
「手配済みです。京都駅からすぐのホテルです。」
「京都の高専から誰か派遣すればいいのに。なんでわざわざわたしたちなの」
「向こうは向こうで人手不足なんだろう」
「今日泊まって明日の夕方からなら、明日も泊まりですよね」
「念のためなのか...三泊で手配されてます。」
「.....服と化粧品爆買いしてやる。」






























新幹線は三人横並びの席で、窓際に可憐、その隣に夏油、そして通路側に七海の言う配置になった。新幹線に乗って早々に可憐は眠いと言って靴を脱いで体操座りのように脚を座席に乗せて目を閉じてしまう。夏油はそんな彼女に慣れているようで自分の上着を彼女の膝にかける。







眠い、というのは建前で乗り慣れない新幹線の中で突然自分の場所が分からなくなるという錯覚は可憐の言葉を借りれば「気持ち悪くなる」のだ。地方に夏油と行く時は必ず乗ってすぐにこの体制になり、夏油の手を緩く繋ぐ。そしてそのうち乗り物特有の揺れが相まって眠りに落ちてしまうのだ。
今日は七海もいるからなのか手を握ろうとはしなかったので、夏油は可憐が座席に何気なく置いている手と少し触れ合う所にさりげなく自分の手を置いた。











「三泊なんてちょっとした長めの出張になっちゃったね。初めてかい?復帰してからは。」
「そうですね。名古屋に一泊はありましたが、三泊は初めてです。」
「まぁ念のためだしね。早く終われば最終日はただの観光になるよ」
「そうですね。努力します。」
「立派になった後輩の背中をお守りするよ」
「...やめて下さい。」






新幹線が出発したのはちょうど時計が午前の十時を指した時で、昼飯としては早過ぎるがやることも特にないので夏油と七海は東京駅で適当に買った駅弁を食べることにした。駅弁と言ってもいわゆるお弁当を買ったのは七海だけで、夏油はサンドイッチと珈琲を買っている。夏油は片手でサンドイッチを食べなから、たまに隣の彼女の様子を確認しているようだった。










「藤堂さんは食べなくて大丈夫ですか?」
「任務は明日の夕方からだし、向こうに着いてから何か食べるんじゃないかな。さっきも弁当はいらないって言っていたし」
「...そうですか。」
「....心配かい?」
「..高専時代の出張に一緒に行った時にすごく駅弁を楽しみにしていた覚えがあったので。」
「はは!なるほどね。
昨日の夜食べ過ぎてるんだよ、それでお腹が減っていないんだろう」
「それなら仕方ないですね。」
「それはそうと七海。

どう?四年ぶりの呪術師は。しんどくないか?」
「しんどくない訳ではありませんが、一般社会での労働もクソの様なものでしたので、それよりは適正があると思います。」

「辛辣だなぁ。でも、私も可憐も嬉しかったよ。七海が戻ってきてくれて。」
「ありがとうございます。」
「一度離れられたって事がきっと七海の強みになると思うよ。離れたことがない私に言われても説得力はないけれどね。」

「...いえ。夏油さんの言葉は説得力があります。」
「あー、それは悟と比べているな?」
「あの人はあぁですので。」
「最強呪術師の名も、後輩の前では威力なしだね」






ふと、夏油の隣で窓に何かぶつかる音がして二人でそちらを見ると、可憐が窓に頭を預けて健やかな寝息を立てているのが聞こえてきて、二人は顔を見合わせて少し笑ってしまう。彼女の手に触れていた手で夏油は珈琲を口に運ぶ。隣の七海はペットボトルのお茶で喉を潤していた。












「あの、夏油さん。」
潤った喉で改まった様な口調で後輩に名前を呼ばれ、夏油はほぼ空になった珈琲をスタンドに適当に置くと隣を向く。


「五条さんにお二人が交際していることは聞いています。」
「...あぁ、そうだったんだね。」
「任務も一緒の事が多いと伺ったので、任務中も含めて私に気を使わなくていいというか、その。」
「七海、」
「...はい。」




この頭がいい後輩は、少しだけ生真面目すぎる所がある。過去の気持ちに上手く蓋をして、すっかり大人な対応ができてしまう。表情もとても冷静なまま自分を見る七海に、夏油は小さく溜息を吐いてから、ふっと笑う。













「外側だけ見ても駄目だよ。ちゃんと、内側を見ないとね、」
(これは、最初で最後の忠告だ。)










「可憐は、何も変わっていないよ。」
(記憶に蓋がされてしまっただけで、消えてしまうはずなんてない。あんなに眩しいほどに幸せそうな記憶なのだから、)










夏油の言葉に、七海はすぐに答えることはできなかった。しかし、真っ直ぐに向けられるその言葉は真剣で、まっすぐに自分を見る夏油の目から七海は目を背けない。



最強の名を持つ五条の親友である夏油は、学生時代から七海の目には彼もまた十分最強に見えていた。破天荒な五条と、マイペースな家入、そして可憐を取りまとめているのはいつだって夏油だったし、彼もまた特級を持つ呪術師なのだから。



五条ではなくて夏油が可憐の隣にいてよかった、ともしかしたら七海の心の何処かにはそんな気持ちがあるかもしれない。それ程までに、夏油は尊敬に値する先輩なのだ。










「さーて、任務の資料でも見とこうか。」
「そう、ですね。」

切長の夏油の目が緩むのを見てから、七海は会社員時代から使っている黒いアタッシュケースから資料を取り出した。








「そうだ、七海。

何かあったら、なんでも聞いてくれて構わないからね。」







夏油の言葉に、七海は資料を渡しながら生真面目に返事をした。










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京都駅につく少し前、可憐は目を覚まし開口一番「お腹すいた」と眠そうな顔で子供の様につぶやいた。



そんな彼女の言葉は夏油も七海も想定内だった様で、駅でいわゆるファミリーレストランに入り可憐は手早くメニューを見て注文を済ませると、珈琲だけ頼んだ二人から今回の任務について説明を聞く。






廃校になった小学校に呪詛師が集まっている、それによりその小学校近辺で不審な現象が多発している。呪詛師の数が確定出来ていないことと、不審な現象に関しても未だ詳しく調べきれていないとのことだ。



「いやいやいや、ふわっとしすぎじゃない?」
「まだ不確定要素が多くても、これ以上被害を出さないのが優先との判断なんでしょう。」
「私もそうだと思う。不審な現象はざっくりと二つのパターンがあるようだが、怪我人は多く出ているからね」
「パターン?」




デザートでも探しているのか注文が終わったのにメニューをめくっていた可憐が夏油の言葉にたくさんの写真で彩られたメニューから顔を上げる。




「呪力を持っていない人間に呪力が突然宿り、その影響で呪霊に襲われるパターン。

それから、
低級で人に危害を加えるレベルではなかった呪霊に不相応な呪力が与えられ、それにより人を襲うパターンですね。」



「え、呪力を入れられるってこと?」
「おそらく呪詛師の術式かと。」
「呪力を分け与える事ができるのか、それとも呪力を奪い何かに入れる事ができるのか、そこがわからないのは厳しいね。」

「分け与えるパターンなら呪詛師の呪力量はかなり多いだろうし、奪うパターンならわたしたちが奪われる可能性があるし、どっちもしんどいじゃん。」

「そういうこと。」
「だから、特級一級準一級の三人が揃ってるって事で突然の無茶振りかぁ。」

「どうしますか?」
「夕方に行くっていうのはなんで?」
「夕方に呪詛師が集まっているのは確定情報だそうです。」
「昼間に一回潜入してみるのも私はありだと思うけどね。」
「そのまま集まってきた呪詛師を叩ければベストだけど、昼間に入るにしても帳は呪詛師に気づかれるから降ろせないし周りへの配慮も面倒だなぁ」




注文したパスタを店員が運んでくると嬉しそうに礼を伝え、丁寧に手を合わせてからそれをフォークに巻きつけた。
「なんかいいアイデアは?」


可憐の質問に、彼女と向き合う形で並んで座る夏油と七海も、そこについては新幹線でも話していたのだろうが結果は出ていない様で腕を組んだまま何も言わない。








「あっ、傑、視界を共有できる呪霊いないの?」
「いるにはいるけど、索敵に行かせるのかい?」
「校舎の地図あれば猫瓏はその情報をちゃんと取り込んで索敵できるから、一緒に視界を共有できる呪霊も行けばこっちも見れる。

それに万が一気付かれても猫瓏は戻しちゃえば姿は消える。呪霊は祓われちゃうかもだけど。」

「昼間にその方法で索敵して、行けそうなら私達も中に入るってことですか?」
「七海大正解!」

「そもそも近くで待機している私達に気がつかれたらどうする?
それこそ、猫瓏も呪霊もすぐにやられるだろう。どちらも攻撃としては弱いカードだ。」
「んーーー。確かに。」



考えている振りなのか本当に考えているのかはわからないが、可憐は眉間に皺を寄せながらパスタを口に運び、飲み込むと不敵に笑う。





「.....よし、こればかりは仕方ない!
出たとこ勝負で行くしかないっ!こっちには特級がいるんだからなんとかなる!気がする!」









「可憐、」「はい?」
「七海がクソでか溜息吐いてるよ。」
「じゃあ、作戦出してよー」
「...私が単独で中に潜入してみます。
猫瓏だけ貸してください。何かあれば連絡が出来る。」



「何かしらの合図を決めておけば、潜入するかどうかも決められるか。」
「だったら合図もそうだけど、時間も決めておいた方がいいね。一時間でて来なかったら、わたしたちも入るとか。

猫瓏をこっちに来させるのはもう最終手段の場合にしておこう。つまりは、七海が戦闘に入った場合だね。」




「いいですか?」
「それでいってみよう。」
「よし!そうと決まればとりあえず今日は買い物してホテルいこ!」






最後の一口のパスタを口に運んでそれを水で流し込むと可憐は、嬉しそうに立ち上がった。





「さーて、面白くなってきた!」













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夏油、可憐、七海の三人が京都に降り立った翌日。

昼過ぎに計画通り猫瓏と共に索敵に七海が向かい、三人の呪詛師を確認し七海単独で捕縛。夏油により廃校を本拠地として集まる呪詛師たちの人数や術式等を全て吐かせ、残りの五人が夕方に廃校へと来ることが判明した。







【呪力を与える事ができる】術式は、【奪った呪力を呪力のないものと弱いものに付与する】というものだった。

呪術師にとって、呪力を奪われるということは攻撃の威力が弱くなったり、攻撃の種類が少なくなることも考えられる。時には呪術師として戦えなくなる場合だってあるだろう。奪った呪力は、一定の時間が経てば元に戻るそうだがそれは奪われた相手によって違うらしい。

































「...あれ..建人..?」

呪力が奪われたことで、少しだけ蓋を開けて出てきた記憶。あとどれくらいの時間が経ってしまったら、また蓋をされてしまうのだろうか。


















九月十八日

京都府△△市街の廃校を拠点とする呪詛師グループを確認(計八名の呪詛師により編成)
被害拡大を防ぐべく特級呪術師夏油傑、一級呪術師藤堂可憐、準一級呪術師七海建人が派遣され、それを捕縛した。


なお、幹部と見られる呪詛師によって藤堂呪術師が一時戦闘不能(呪詛師の術式によるものと見られる)となる。


















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