理解する前に消えてしまえばよかった、
分解された空虚









高専を卒業して、四年。
最愛のひとと、別れて四年。
何かを振り払うように仕事に没頭して、ずっと金のことだけを考えて生きてきた。

呪術師という職業がクソだと思ったから、離れた。大切なものを護れる自信もなくて、失うのが怖くて、逃げたようなものだ。
でも、一般社会に出てみても、誰かのためになるような仕事は金払いが悪く、代わりが効くような金持ち相手の仕事は金払いがよかったり、勿論例外はあるが、そんな世間の見えないルールにも嫌気が差した。




一つ上の先輩達の中で、一番教職から縁遠いイメージだった五条さんに電話をかけて、一通り想像した範疇の質問攻めにもあったが、今更復職を辞めようとは思わなかった。それからあっという間に高専に復職の挨拶をする日が来てしまい、久々に来た高専は驚く程何も変わっていなかった。










夏になると登るのが非常に嫌になる長い階段をゆっくり登っていると、目の前に美しい猫が現れる。その姿は昔から変わらなかった。







「....猫瓏。」
この猫の主人は、術式を使い幼い頃にこの猫を生み出して式神として調伏しともに成長してきたと話していた。少しだけ身体がひんやりとするその猫は、久しぶりにも関わらず昔のように肩に乗り私に擦り寄る。













「猫瓏!


ごめんなさい、この子わたしの式神で」


わかっていた。猫瓏がいるということは彼女がいるということを。わかっていたはずなのに、自分の想像を超えて心臓の音が煩く感じる。黒い半袖でシャツタイプ少し丈の短いワンピース。首元あるボタンを上の二つだけ外して長い髪を高く結い上げた彼女は、軽やかに階段を駆け下りながら、昔となんら変わらない声で、猫瓏を呼ぶ。









(......可憐さんだ。)
呪術師の世界から逃げ出した日、手を離した相手。学生時代の恋人なんて言ってしまえば簡単な関係かもしれないが、自分にとって彼女の存在はそんな軽いものではない。


この四年で忘れられる筈がなかった。他の女性と交際が無かったわけではないが、長く続く筈もなく。おそらくずっと、私の心は彼女にとらわれたままなのだ。



呪術師に戻ったらまた会えるかも知れない、そんな考えが全くなかったなんて綺麗事は言えない。また恋人として隣に立てるなんて思ってもいないが、純粋にまた会えるかもしれないという期待は心の中で大きかった。
















「....七海?えっ、ほんと?」

大きな目をぱちくりさせて、私を見上げる彼女は昔から何も変わらないが、彼女から見る私は変わっただろうか。名前でなく苗字で呼ばれたことに少しだけ傷付く自分に驚く。
もう、過去のことなのだ、と自分に言い聞かせて、藤堂さんと彼女を呼んだ。













「おかえりなさい、」
余計なことを聞くわけでもなくかけられた言葉。その笑顔は、いつだったか私の心を掴んだそれと同じだった。最後に見たのは四年前のあの日で、私に別れを告げた時に見せた眩しい笑顔と何も変わらなかった。











----------








七海と可憐はそのまま、七海の目的地であった教員室に向かうことにした。隣に並んで歩くのがなんだか不思議な感覚で、どこか可憐はそわそわしている。





「どうかしましたか?」
「っえ?!」
「いや、なんか落ち着かない感じだったので。」
「だって、その、七海が突然現れるし、スーツだし、不思議サングラスしてるし、七海が髪あげてるし、なんか、大人というか。えっ、一個下だよね?」
「えぇ。後輩ですよ。」
「一般企業で働くと大人の貫禄つくのかな。悟も傑も、そんな貫禄ないよ?」
「お二人は変わらなそうですね」
「硝子は昔から貫禄あるけど、わたしはないなぁ。あ!悟なんていま目隠ししてるんだよ!」
「...目隠し?」
「ふふっ、お楽しみに!」






四年ぶりとはいっても、七海も教員室への道のりはちゃんと覚えていて。見慣れた教員室に着きドアの前に立つと可憐は中に入らないようで、七海の背中を軽く押した。








「七海!行ってらっしゃい。」
「入らないんですか?」
「うん、今日本当はお休みだったんだけど朝イチで任務入って、傑が報告してるとこなの。そろそろ終わるだろうから、わたしも帰ろうかなって」
「夏油さん?」
「一緒に帰るんだ、」
「....そうですか。
休みの日なのに、お疲れ様でした。」
「ん、ありがとう!
あ!呪術師に戻るならまた会えるね、ふふ、嬉しい。」
「ええ。よろしくお願いします。」
「そうだ、悟の目隠し姿の感想今度聞かせてね」





笑って手を振り七海に背を向け歩き出す可憐の姿が、卒業式の日と重なってしまってほぼ無意識に、彼女の腕を七海は掴む。



 



「...わっ、どしたの?」
「あ、いや...すいません。」
その手はすぐに離された。可憐は不思議そうな顔で七海を見つめ、ふと、七海のサングラスをかけた目元に触れた。
 


「目、クマ出来てる。寝れてる?」
「....今日からは、寝れると思います。」
「ははっ、そうなの?ならよかった。」
「そのうちクマもなくなるかと、」
「ふ、そっか。

あっそうだ。...ねぇ、七海」
「はい、なんでしょう?」
「ちゃんと自分で決めて、此処に戻ってきたんだよね?」
「....もちろんです。」
「よしっ!ならよし!」









「じゃ、またね」そう言って立ち去るのかと思えば、可憐は思いついたようにまた七海に近づき、見上げると彼のセットされた髪に軽く触る。ふと、自分を見上げる可憐の首元に、かつての自分が別れる時に渡したペンダントのチェーンが七海の目に入り少しだけ心が揺らぐ。






「似合ってるね、かっこいいよ。


.....それから、クマはあるけど元気そうでよかった。安心した、」
悪戯に笑い、そして今度こそ、彼に背を向けて去っていった。


















――――――あの人はいつだってそうなのだ



(私の心をいとも簡単にすぐに奪っていく、)









----------






  






「あっれ、七海!早くない?」
「早めに着いたので。お久しぶりです、五条さん。」
「うわー。なんか老けたね?」


教員室のドアを開けると、五条さんだけがそこにいて目隠しをしていたがおそらくその眼はこちらをきちんと捉えていた。電話した時に分かっていたが学生時代とは違い軽薄さがあるその口調にはまだ違和感がある。







「よく此処まで道覚えてたねー。
一応時間になったら伊地知と入り口まで迎えに行くつもりだったんだよ?」
「流石に覚えていますよ。
それに、入り口の階段で藤堂さんに会ったのでそこまで一緒に来ましたから。」
「可憐と?マジ?」
「猫瓏が私を見つけたようで、たまたま。」
「ふーーん。で、可憐は?」
「夏油さんのところへ行くと言って別れました。一緒に帰るそうで。」
「あー、はいはい。あの二人今日本当は休みだったからね」
「...そうなんですか。」


自分の席の隣の椅子に座るように五条さんに促されて、座る。五条さんは長い脚を自慢するかのように脚を組むと、口元をにやつかせてこちらを見るので無意識に眉間に皺が寄った。









「いやー、久しぶり。四年ぶり?
やばいね、老けたな、七海。傑もきっと驚くよ」
「五条さん達が異常なんだと思いますよ。」
「最強たる所以だね。」
「...変わりませんね、そういうところ。」
「そんなに簡単に人間は変わらないでしょ。


それにしてもびっくりしたなぁ、突然、呪術師に戻りたいなんてさー。
灰原に昨日話そうかと思ったんだけど、まだ隠してるんだ。驚かせてやってよ。あいつも今教師やってんだ」

「驚かせるって、そんな子供じゃないんですから。
そうだったんですか。灰原は人が好きですから、教職は向いてるでしょうね。」

「伊地知は、七海の一個下だろ?
補助監督やってるよ。んで、硝子は保健室の先生。
傑と可憐はバリバリの呪術師って感じかなー。
で、僕は教師ね。特級だから任務にも行かされてはいるけど。

はい、ここまででなんか質問は?」


「今後私はどのような流れで任務を?」

「んー、とりあえずどんだけ出来るのかを見るのに誰か同行していくつか任務をこなしてもらってから、階級がついていくって感じかな。傑あたりに頼んでみてもいいかも。」

「了解しました。」
「他には?」
「いえ、特には。」
「本当?」



この男は、昔からこうだった。なにかを見透かしたようにこちらを見て、全て分かったかのような口ぶりで話す。それが昔から気に食わなかった。でも見透かされていることはいつだって正解していて、それがまた腹立たしいのも事実で。








「可憐のことは?」
「....お元気そうでしたよ。」
「へぇ、それだけ?
相変わらず嘘が下手だね、七海。
顔に出てるよ。」
「...じゃあ、教えて下さい。」
「なにが知りたいの?」
「やっぱりいいです。」

「まぁまぁ!そんなこと言うなよ!



いいよ、いいよ、教えてあげる。」
「...はぁ。」



「可憐は、傑と付き合ってるんだよ。

あっ、階級はちなみに一級ね。学生時代から同じ。でもかなり強くなってる。色々あってね、僕か傑と一緒に任務に行くことが多くてさ。」

「...そうですか。」








自分なりに、必死に表情に出ないようにした。分かっていたことなのだから、彼女が誰かと一緒にいることくらい。あの日、桜が美しかった卒業式の日に別れを決めているのだから。ただただそうだろうなと思っていた現実を五条さんが言語化しただけだ。











「まぁ頑張ってよ、七海。
おめでとう、脱サラ呪術師誕生!」


尊敬には値しない。でも私はこの軽薄な先輩を、信頼も信用もしているのだ。もちろんそれは、夏油さんにも可憐さんにも言えることで。心の中が少しだけ片付いて、改めて自分が戻って来たことを実感した。










「改めて、よろしくお願い申し上げます。」
















-----------







「お待たせ。」
「いま来たとこ。学長の話長かった?」
「そんなことないよ。」

学長室の前で壁に寄りかかってた可憐に声をかけたのはその部屋から出てきた夏油だった。その後ろから夜蛾も顔を出し、彼女は舌を出して笑う。





「お疲れ様です、学長。」
「そんな建前はいい。体調はどうだ、可憐。」
「変わらず元気ですよ、任務は傑と行ってばかりだし、一緒に住んでるし、家か高専か任務地以外にはほとんど行かないし、行くとしても一人ではないので危ないこともございません。」
「なんだその口調は」
「学長への尊敬の意を込めて、痛っ!!」



可憐の頭に夜蛾の拳骨が落とされ、苦笑いする夏油の胸元に、彼女が頭をもたれると、夏油はその頭を軽く撫でた。






「休みの日に悪かったな。明日は二人とも休みに出来たからゆっくりしてくれ。」
「はい、ありがとうございます。」
「いえーい、振替休日!」
「じゃあ、またな。」
そう言ってまた学長室に戻る夜蛾に二人揃って頭を下げて、歩き出す。拳骨を落とされたところを撫でながら歩く可憐に、時計を確認しながら夏油が声をかける。その時計はまだ三時を指したばかりだった。





「この後どうする?買い物でも行くかい?」
「んー、食材の買い物でもしてこっか。」
「今日の夜はどこかに食べに行ってもいいよ」
「ううん、疲れちゃうから家でいいよ」
「わかった。今日は私が作るよ」
「一緒につくろ、パスタがいいなぁ。」
「了解」
「あ!傑!」
「ん?」

「さっき七海に会ったよ!」
「...え?」
「かっちりしたスーツ着てさ、髪の毛かき上げてすごく大人っぽくなってた。

呪術師に戻ったんだって、」


「そう...」
「あれ、びっくりしてない?わたし結構びっくりしたんだよ、幻覚見るくらい疲れてるのかもって」
「ははっ、驚いているよ。」
「そ?」
「七海は優秀だから助かるね」
「灰原、喜ぶかなぁ」
「ふ、そうだね。きっと喜ぶよ」
「傑は?」
「嬉しいよ。信頼のおける後輩だからね。」

「ふふ、間違いない。

それでね、スーツ効果なのか、すごい貫禄あったから楽しみにしてて!後輩とは思えない!」
「私も貫禄出すために何か着てみようかなぁ」
「傑は、和服がいいんじゃない。袈裟とか。動きにくさは凄そうだけど、呪霊操術ならなんとかいけそう。」
「袈裟かぁ..せめてスーツがいいな」
「スーツなら、学生の時みたいに髪の毛下ろさないで結んだほうが似合いそうね」
「検討してみようかな」
「ふふっ、袈裟にしてみて?」
「面白がってるだろう。」
「んーん。彼氏のイメチェンには付き合いますよ!」
「それはどうも。」
「くるしゅうないぞ。」



ふざけて笑いながら夏油の少し前を行く可憐を見つめる彼の表情は優しくてきっと、彼女しか見たことのないような柔らかい表情なのに、それはどことなく苦しそうでもあった。













「可憐」
「なに?」
「              」

「ごめん、もう一回!聞こえなかった、」

「....帰ろうって言ったんだよ」



手を差し伸べると、少しだけ不思議そうな顔をしつつも可憐はその手を握る。珍しいね、なんていつも優しい彼を揶揄いながら。











(七海に会えて嬉しかったかい?)

心なしいつもより声が弾んでいる可憐への夏油の質問は、彼は言葉に出したつもりなのに、うまく言葉にならず有耶無耶に消えてしまった。














「ねぇ、傑。今日ね、猫瓏が七海を見つけたんだよ、」









「猫瓏は、七海にずっと会いたかったのかな。」













キミを思えば思うほどに
キミとボクの心はせめぎあう









(逢いたかったのは、きっと君のほうなんだよ)

その気持ちすら、もう忘れてしまったのかもしれないけれど。蓋をして隠されてしまった気持ちは、一体何処へ消えてしまうのだろうか。











「きっと、ずっと会いたかったんだね。」












- ナノ -