守れるようになりたいと、心の底から思っていた。



それなのに、
残酷な現実が自分を突き刺してきて
情けないことに耐え切ることが出来なかった。


誰かが死ぬことも、
自分が死ぬことも、
理不尽な仕打ちにも、
理解し難い現実にも
自分は耐えられないと感じた。




それでも、あの人のことだけは
守りたいと、本当に心の底から思っていたのは嘘ではない。でも、綺麗事だけでそれを叶えられるほど、世界は優しくなんてなかったのだ。













感傷のまえではすべてが無力だ














高専の卒業式の日。
美しすぎる青空と、満開の桜。
可憐は一ヶ月ぶりに高専の敷地に足を踏み入れた。高く結んでも背中に触れていた長い髪をばっさりと切り、いわゆるベリーショートにした可憐はネイビーの背中が大きく開き、丈の長いワンピースを着て大きな桜の木を見上げる。








「可憐さん。」
「ん、建人。卒業おめでとう」

桜の下で名前を呼ばれて可憐が振り返るとよくある花のついた飾りを制服の胸元につけた七海がいた。そんな彼に近付いて、向かい合うと彼女は笑ってお祝いの言葉を伝える。











「灰原は?」
「明日からのことについて、先生に呼ばれて教員室に行っています。」
「そっか、」

明日から、灰原は呪術師として働くまでの一年間自由に過ごすことが出来るがあくまでもそれは呪術師として働く準備期間。この一年、可憐たちも同様の期間を過ごして来たが、呪術師として活動はしないものの自らの術式のブラッシュアップや、引越し、なかなか行けなくなるであろう旅行など、過ごし方は人それぞれだ。

そして、七海は今日を最後に呪術師の世界から離れ、一般社会で生きていくことになる。











「家は決まった?」
「えぇ、会社に寮があるので一年目はとりあえずそこで。タイミングを見て引っ越しをしようかと思っています。」
「...そう。」
「家入さんとの共同生活はどうですか?」
「うん、普通に楽しいよ。家事は完全に私がやってるけど、それも含めて楽しい、」
「それはよかったです。」


可憐と家入は卒業後、二人で期間限定で共同生活を始めた。呪術師として働きだし収入が安定したらそれぞれ一人暮らしをする予定だそうだ。ちなみに五条と夏油は特級を持つので収入も初めから多く、しかも五条に関しては元々名家の出身なので金銭的には余裕があり卒業後すぐにそれぞれ部屋を借りている。











「髪、切ったんですね」
「そう!似合う?ちょっと切りすぎたかな。」
「いえ、とてもよく似合っています。」
「ふふ、ならよかった。驚かせようと思って内緒にしてたの、」
「あまりにもイメージが違ったので、もはや最初分かりませんでしたよ」
「っえ。そんなことある?」
「そのくらい似合っているということです。」
「そか、それならよかった。」

不意に七海が可憐の耳に短くなった髪をかけるように触れる。くすぐったいのか少しだけ彼女は肩をすくめて笑う。そのまま七海は頬に手を添えると、触れるだけの優しい口付けをした。








「......さいごだね、」
「...えぇ。」
「建人なら、絶対、大丈夫だよ。どんな環境でもうまくやっていける。私が保証してあげるね」
「ありがとうございます。
可憐さんの保証があれば安心です。」
「ふふっ、よかった、」
頬に添えられたままの手に、可憐は自分の手を重ねて少しだけ擦り寄るようにして軽く目を閉じた。


「本当は、長い髪の方が好き?」
「どちらも似合いますよ。」
「建人が好きなのを聞いてるの、」
「...長い方が好きですかね、どちらかと言えば」
「ははっ、そしたら短いの楽だけどまた伸ばそうかな。」
「...そうですか。」
「建人はそうだなぁ、髪をかきあげてセットしてみたら、大人っぽくなるんじゃない?」

悪戯に笑いながら、可憐は七海の前髪に触れて少しだけ額が出るようにする。



「検討します、」その手を制して、そのまま手を繋ぐと二人で並び満開の桜を見上げた。











「好きになってくれて、ありがとう。」
「...こちらこそ。」
「大切にしてくれてありがとう、」
「.....当然のことです。」
「ねぇ、建人」
「はい、」
「最後に、抱き締めてくれる?」
「....もちろんです。」
「あっ、その前に、」

可憐はワンピースのポッケの中から、白い小さな袋を出して、七海に渡す。「開けてみて」といわれ中身を見れば中には黒い布に金色で文字が書かれた小さなお守りが入っていた。



「この前出先で見つけたの、色合いが建人っぽいなって思ってすぐ買ったんだけど、買ってから気が付いたの、健康守りだって。建人、おじいちゃんみたいになっちゃう」
「健康に、気をつけますね、」
七海は表情を緩ませると礼を言って大切そうにそれを自分のポッケにしまう。



「私からはこれを。」
七海がカバンから取り出し渡されたのは、ネイビーの小さな箱。それを促されて可憐が開けると中には小さなロケットタイプのペンダントが入っていた。




「ふふ、建人の写真いれておこうかな」
「やめてください、」
ロケットペンダントを開き、写真が入れられるところを見ながら彼女が笑う。ふと風に舞う桜の花びらが七海の肩に落ち、それを可憐が取ると小さなペンダントにその花びらを入れて静かに閉じた。




「桜、いれとこっと」
「枯れますよ?」
「腐るわけじゃないから、いいの。
ふふ、ありがとう、大切にする。」
「...はい。」
「ねぇ、つけてくれる?」
「もちろんです、」
ペンダントを渡すと可憐が七海に背を向ける。そんな彼女の首元に慎重に、優しくネックレスをかけると金具を止めた。

「御守りにするね」
つけられたペンダントに触れて、可憐は再び七海と向き合う。







 




「可憐さん、」「ん。」
名前を呼ばれるのとほぼ同時に優しく抱き締められる。何度も感じた、優しくて、暖かくて、自分を守ってくれる腕。でももうその腕に抱かれるのは今日で最後なのだ。彼の背中に腕を回して、愛しい温もりを包み込む。




「愛しています。」
「...うん、知ってる。私もだよ、」
「....守りたいと思っていたんです、本当に。貴方は私より強いけど、それでも守りたかった。それなのに、」
「いいの、充分守ってもらったよ。それにね、建人」
「...はい、」
「貴方が幸せになってくれたら、私はそれでいい。それだけで、私を守ってくれてることになるよ。



だから、ちゃんと、幸せになってね。」


背中にまわされた彼女の手に知らぬ間に力が入る。それと同時に七海は可憐の頭に優しく触れて胸に引き寄せる。









「可憐さんも、どうか...幸せになってください。」


「...私はもう充分、幸せだよ。」
「もっと、どうかずっと、笑っていてください。」
「....わかった、任せて。」
「....私はあなたの笑顔が、大好きです、」
「ふふっ、知ってる。



ねぇ建人、」


抱きしめられたまま可憐が七海を見上げた。











「わたし、忘れないからね、」
(精一杯気付かれないようにできるかわらない約束をした)












「優しい手をしてることも、実はすごい負けず嫌いなことも、隠れて努力をしてることも、

機嫌がいいのに何故か眉間に皺を寄せることも、硬めのパンのサンドイッチが好きなことも、たまになら甘いものも食べてくれることも、




他にもたくさん、
たくさん...建人のこと知ってるよ。ちゃんと覚えてる。




私のこと知ってくれて、好きになってくれて、ありがとう。


それから、これからは、自分で決めたことを信じてね。建人なら大丈夫だと思うけど。」









目に浮かぶ涙が溢れてしまわないようにしながら、言葉をゆっくり紡ぐ可憐に七海は深く、それでも優しい口付けをした。彼の背中を掴む彼女の手が、切なく制服を握る。



名残惜しそうに唇を離すと、可憐は笑顔で七海を見つめた。














「可憐さん、」
「.....ん?」
「私も、忘れません。貴方のこと。」
「...ふふっ、約束ね、」



指を絡ませ手を繋ぐ。
まるで約束が消えてしまわないよう祈るように。

その手を離すとそのまま可憐は七海から離れた。

それから優しく笑って、彼の首に腕を回し抱き付くと七海の綺麗なブロンドの髪を撫でる。












「ばいばい、建人。



大好きだよ。」



七海が好きになった、眩しい笑顔で可憐は笑ってから彼から離れる。
それからゆっくりと手を振ってから七海に背を向けて歩き出す。















その背中に七海はなにも声をかけず、可憐の背中が見えなくなるまで見送った。















「....さようなら。」




(いままで生きてきて、一番守りたいと思った大切なひと。笑顔に惹かれて、優しさに恋をして、危うさを知って守りたいと思った。)








(けれどもう、この手は届かないのだ。)















--------------














振り返ることが怖くて、可憐は何処に行くのかも決めずに歩き出したことに後悔しながらも歩いた。七海のことだから荷物を残しておく筈もないだろうと寮の方に足を向けて、男子寮を通り過ぎて女子寮まで急いだ。












「....っは、」
一年前まで住んでた寮の近くで立ち止まると、そのまま呼吸が苦しくてしゃがみ込んでしまう。震える自分自身を抱き締めるようにして、必死に呼吸をした。









(自分で決めて、離れたのに。


私から手を離したようなものなのに。
どうして、こんなに辛くて、こんなにも痛いんだろう。)











「なんで...あんなこと、」
(忘れないなんて出来もしないことを言ってしまったんだろう、)








「....止まれ、止まれ..止まれ...」
どうにも溢れてとまることがない涙に戸惑うように、その場にしゃがみ込んだまま可憐は七海にもらったペンダントを握りしめて、消えそうな声で意味がないなんて分かっていても溢れる涙に頼むように言葉を紡ぐ。










それでも涙がますます溢れて、だんだん呼吸が苦しくなる。震える自分の身体を抱きしめて、どうしようもなく心が苦しくなるのに耐えた。




















「.....お前、すぐ忘れんのな。」
その声と同時に背中に上着が掛けられる。顔を上げるより先にそのまま強く抱き締められた。









「....さ、とる?」
「一人で泣かないって、約束したろ」
「...した、」
「じゃあ、何で泣いてんの」
「....だっ、て」
「覚えてんなら守れ、ばーか。」
「..ごめ、」「ほら、もういいよ」
「え、?」
「ひとりじゃねぇだろ、今はもう。」
「......もう、ひとりじゃない...?」
「...ん。だから、ほら、」

後ろから可憐を抱き締めている腕を一度離すと、五条は彼女を自分の胸元に抱き寄せると頭を撫でてぶっきらぼうに「泣け、」と言う。そう言われたら、もう涙を止めることなんて無理で、呼吸は早くなり、涙はどんどん溢れてしまう。












「...かっこつけたんだろ、」
「.....つけた、」「馬鹿だなぁ」
「...忘れないって、嘘ついた」
「なんで、嘘なんだよ」
「だってわたしは、」
「忘れねぇかもしれないだろ。」

溢れる涙で声が震える可憐の頭を言葉とは裏腹に優しく撫でる五条。彼の胸に顔を埋めたまま、彼女は「なんで」と聞いた。




「忘れるか忘れないかもわからないなら、忘れないって思っておけばいいだろ。」



「だから、忘れないって言ったことは嘘なんかじゃねぇよ。」












「...ありがと、悟」
「ん。」






軽薄で、適当で、いつもふざけているはずなのにどうしてこんな時にこの男は駆けつけてくれるんだろうか。あまりにも優しい腕で、七海とは違った優しさに溢れた腕で抱きとめられてると、何故か可憐の呼吸はゆっくりと整い涙も少しずつ落ち着いた。

















「悟、わたし強くなりたい」
「当たり前だろ。」
「悟にも傑にも置いてかれないくらいに。」
「はっ、俺達は最強だからな容赦無く置いてくさ。」
「とか言って案外立ち止まってくれるくせに」
「さー、どーだかー」
「いいよちゃんと頑張るし。」
「怪我ばっかりすると、硝子に怒られるぞ」
「ふふ、怒られないように、頑張る。」

顔を上げて涙はまだ残っていたけど、いつもの笑顔で五条に話す可憐に、彼は少し安心したように表情を緩めた。サングラスの奥で優しく笑ったように見えた五条の顔を、可憐が覗き込むと彼は何かを誤魔化すように彼女の短くなった髪をぐしゃぐしゃと乱す。







「髪、似合ってる。」
「ははっ、ありがと。ぐしゃぐしゃにしたくせに、」

















貴方に会えない世界でも、誰よりも幸せを祈っている
きみとぼくの別れ道













七海と灰原の卒業式から数日後。
高専の桜が散った頃、五条と夏油、そして家入と可憐は揃って高専に足を運んだ。


五条は呪術師としてそれから教員として
夏油と可憐は呪術師として
家入は高専付きの医師として、
新しい道を歩き始めることになる。



五条と夏油、そして可憐は黒を基調した服に身を包む。身体のラインが綺麗に出る丈の長いワンピースを着た彼女の胸元には桜の花びらを入れたあのペンダントが美しく光った。
三人とも心なし高専時代の服装に似ているが、五条はサングラスが黒い目隠しになり、夏油は少しだけ細身のパンツに変わっていて、家入はシンプルな黒のワンピースに白衣を羽織る。











「可憐、動きにくくないのかい?」
「うん、ストレッチばっちり!」
「五条その目隠しすごいな。見えてんの?」
「えー?どう思う?」
「傑は、なんか急にチンピラ感なくなるね。」
「長い髪がややチンピラ感あるけどな」
「可憐の方がみじけーな!」
「私伸ばすんだー」
「短いの似合ってるのに。あー、私とお揃い?」
「ははっ、なにそれ傑、おもしろいねそれ」















(別々の世界でも、それが手の届かないようなところだとしても、どうか貴方が、世界の何処かで笑っていますように。)






















高専編終了です◎
書いてて、切なっ!となりましたが、ひとまずこれで高専編は終了して、大人になります、みんなで。



もう少し可憐ちゃんと七海くんのなんでもないエピソードを入れようと思っていたんですが、それはもう一つの長編でも書いているssのシリーズとしてのちのち書けたらいいかなと思って、話も間延びしてしまいそうだったので、割とぎゅっとして大人になってもらうことにしました。笑



七海くんが呪術師に復帰するまでの四年間の話をすごくがっつり書く予定はないのですが、大人編は七海くんが戻ってきてからが割と本番かなと思います。
大人になった、五条さんと夏油さん、それから七海さんとの三角関係はどうなるでしょうか!

いまのところ、、五条さんが優勢かなと思っておりますが、個人的には夏油さんの影ながら支えてる感じがツボでしかありません((何事



今後も読んでいただけたら嬉しいです◎




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