【日時 八月十五日】
【場所 △県△△市】
△△市郊外にある神社にて、窓の報告により呪霊による被害を確認。
七月と八月の頭に行われる夏祭りの日にそれぞれ五人が行方不明になっているが行方不明になった日から約一週間後神社入り口付近で発見される。また被害者に外傷はないものの、片目が見えなくなるという共通の症状が確認されており、時間差で他にも何かしらの症状が出る可能性も考えられるため、至急呪術師の派遣を決定。



派遣されたのは、

高専二年生七海建人(階級審査中)
高専二年生灰原雄(階級審査中)

以上二名である。









まぼろしは八月



















「七海っ!!灰原は?」
「....今、家入さんが、」
憔悴した様子で医務室の前にしゃがみ込む七海に可憐が駆け寄ると隣に座る。





初夏は呪術師にとって繁忙期で、学生だろうと関係なく派遣されることは当たり前でその派遣先で灰原が重症で戻ってきたのだ。もちろん七海も負った怪我は大きいが灰原ほどではない。可憐は心なし震える七海の手を握り何を言うでもなく背中をさする。













「.......っ、...く、...」
「...よく頑張ったね、」
涙が溢れそうな七海を見て、可憐は優しく抱き締める。背中を子供をあやすように優しく一定のリズムで叩く。



学年が上がり、二年生になった七海たちが派遣された任務は予想よりも遥かにレベルが高く二人で尽力したものの祓除しきることは出来なかった。怪我をした状態で一度二人揃ってどうにか撤退を試みるが失敗し、七海だけが補助監督の元に戻ることが出来、状況を説明しすぐに現場に戻り灰原と共に再び応戦。補助監督が近くで任務にあたっていた夏油を呼び出し参戦してもらう形で、ギリギリ二人は助かったのだ。


無事祓除を終えた車の中から夏油は可憐に連絡し、一番怪我のひどい灰原の手当てについてと一連の状況報告をしていた。電話を受けた可憐もまた任務から高専に向かっている途中で、すぐに治療のことを家入に電話で伝え、高専に着くと医務室に駆けつけたのだ。











「傑から話は聞いてるよ。大変だったね。七海も怪我してるから手当てしよっか。

あんまり上手くないけど、救急箱借りてくるから待ってて。」
少し落ち着いた七海から可憐は離れると立ち上がる。医務室はいま家入が治療で使っているため入れないので、教員室に救急箱を取りに行こうとしたのだろう。そんな彼女の手をしゃがみ込んだまま七海が握った。








「....此処にいて下さい。」
「でも、怪我が」
「大したことない、ので。」

応急処置を補助監督に施されてはいるものの、七海もかなり怪我をしている。反転術式を可憐は家入のように他人に施すことは出来ないのでもしかしたら今されている処置くらいしか出来ないかもしれないなと考え直すと彼女はまた彼の隣に座り込む。








「大丈夫だよ、硝子がちゃんと治してくれる。」
七海に握られた手はそのままに可憐は優しく声をかける。気休めくらいにはなるだろうかと、彼女の少し不安そうな気持ちが声に乗ってしまう。七海は俯いたまま何をいうでもなかったが、彼女の手を握る力だけは少し強くなる。








「...逃げる事しか、出来なかった。」
「.....うん、」
「どっかで、出来るって思っていたのかもしれません。....ちゃんと分かっていた筈なのに、死がこんなにも近いって事は。」
「....ちゃんと、逃げられたんだからいいんだよ。」
「でも、もし、...このまま灰原が死んだ、ら」
「ちゃんと、信じてあげなくちゃ駄目だよ」
「......そうです、ね」
「七海は、自分に厳しくて人に優しいね」
「...自分が情けないだけです。」
「人に優しいひとは、それだけで強いんだよ。

七海も灰原も二人とも、すごく優しい。だからもし今二人が反対の立場でもきっと灰原だって七海と同じ気持ちになってると思う。
だから、今は信じてあげて。私も此処にいるから、安心して。」





可憐のゆっくりと穏やかな言葉に七海は何もいうことは無かった。俯いたままきっと涙が流れていたが、可憐もまた何も言わずにただただ手を握ったまま隣に座り、灰原の治療が終わるのをそこで待った。疲れた顔で家入が医務室から出てきたのは、日付が変わる頃で、七海たちが高専に戻ってきてから五時間以上経ってからの事だった。








「もう大丈夫。明日の朝には起きてくるよ。
ほら、お前らも戻って休め。私はもう仮眠室で寝る。」
家入がそう言って仮眠室に戻るのを見送ってから医務室に入り、ベッドで静かに眠る灰原を見てから二人は医務室を出る。




「...帰ろっか。」
座ったままだったので硬くなった身体を伸ばしながら立ち上がる。少しだけ目が赤くなっているが、心底安心したような顔をする七海に可憐が声をかけると彼は小さく頷く。そして二人でそのまま手を繋ぎ、寮へと足を向けた。













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「ごめん、ここまで送ってもらっちゃった。」
「いえ、すぐですし。」

女子寮の可憐の部屋の前で手を離す。いつもの淡々とした口調が七海に戻ってきていて、可憐は少し安心し「じゃあ、おやすみ」と手を振って部屋に入ろうとする、


しかし七海が彼女の腕を掴む事でそれを制した。










「どしたの?」
嫌な顔をするでもなく振り返るが、七海は何かを言うでもなく、それでも彼女の腕を掴んだ自分の手を引くわけでもなかった。少しだけ可憐は彼を見てからゆっくり口を開く。










「....泊まって行く?」
クリスマスイブに突然始まった交際から、季節は冬を超えて春も超えて、夏が来て。付き合う前の名古屋出張以来、一緒に一晩を越した事はなかった二人にとって可憐のこの質問は少々予想外なものかもしれない。でもそんな質問をしてしまうくらいに、彼女の目に映る七海は何処か不安定で儚げで、消えてしまいそうだったのだろう。





「...はい。」
小さく彼がそう答えると、可憐は何故か小さく笑ってしまい、七海の眉間に皺を寄せてしまうことになる。



「なんか、猫でも拾った気分、」
揶揄うような彼女の言葉に、それまで緩む事のなかった七海の表情が少しだけ綻んだ。


























二人とも任務のあとのままの格好でさすがに汚れが気になるので、寮の部屋についているシャワーを軽く浴びることにした。可憐の部屋着では七海には小さすぎるので、自分が着るとワンピースになってしまう大きめのTシャツとかなりゆったりとしたスウェットのズボンを彼に貸した。


シャワーを浴びたあと夕飯を今更食べる気分にもなれず、可憐はホットミルクを二人分作ると小さなテーブルに置き二人で並んで座る。肩が触れ合うその距離になんだか緊張してしまうほど付き合ってから時間が経っていない訳ではないが、何処かそわそわしてしまう。それを誤魔化すように二人でホットミルクを飲むと、時計を見て「寝よっか」と可憐が立ち上がり、空になった二つのマグカップを片付けて、洗面所に向かった。







出張先でもらって置いた使い捨ての歯ブラシを七海に渡して、二人で並んで歯を磨く。シングルのベッドに腰掛けて、少しだけ可憐は七海を見上げると「狭くて明日身体痛くならない?」と聞いた。


「...床で寝ますよ。」
「っえ!」
「可憐さんも身体痛めませんか?」
「...くっつけば大丈夫!私はね!」
「....じゃあ、一緒に寝ましょう。」
「おっけい、」

そう言って先に可憐はベッドに入ると壁際ギリギリまで身体を寄せてから、七海の方を見て「おいでおいで」と笑う。七海は彼女から目を背けるように電気を消してから布団に入り、互いに向き合うような体制になると、七海の胸元に可憐が潜り込んだ。








「.....近いですね」
「...なんか心臓の音聞こえそう、」
「聞かないでいいです。」
「えー...照れてる?」
「.....悪いですか。」
「ははっ、七海揶揄うの好き」
「...悪趣味ですよ。」





「ふふっ、あったかい。」
可憐は胸元から見上げて、綺麗なブロンドの髪に触るとそのまま頬を軽く撫でた。七海がくすぐったそうにするのを小さく笑う。









「ねぇ、」
「なんですか。」











「......建人」
再び頬を優しく撫でながら今まで呼んだことのない彼の名前を呼ぶ。すると七海は驚いた顔をするがすぐに小さく返事をした。












「ちゃんと時間かけて、たくさん建人のこと知ったよ。


知らないことたくさんあったけど、たくさんわかったよ。


甘いものは好きじゃないけど、たまになら食べてくれて。苦手って言ってるものも、勧めたら挑戦してくれて、わたしが好きなものも嫌いなものも知ってくれるの。


不器用だけど几帳面で、冷たそうだけど優しくてあったかくて、誰かのために泣けて、自分より誰かを優先できて、ひとを大切に出来る。」





「.....褒め過ぎです。」
「たくさん知って、分かったの。」
「..何がですか、」















「私は、貴方のことが好きだって。」
そう言って可憐は彼が着るTシャツの首元を軽く引っ張って、触れるだけの口付けをした。


















「好きだよ、建人。」
「.....私もです。可憐さん、」



自分の首元にあった彼女の手を握り、そのまま七海は優しく、可憐を組み敷くようにして、両手の指を絡ませてシーツに縫い付けた。















「愛してます、」
(本当はそんな言葉じゃ薄っぺらくて足りないけれどいまはこの言葉しか見つからなくて、)




そのまま唇を重ねると深い口付けをする。名残惜しそうにそれを離してから、互いの熱を感じるように、温もりを分け合うように、身体を重ねた。













熱すぎる体温と、
微睡む視界の中で













「......忘れない、よ」
可憐の小さな小さな囁きは、誰にも届かずに夏の夜に溶けた。





















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