巡る季節の心地よさ、
春跡
(はるあと)








知らないことがありすぎる、だから知ってほしい。それを繰り返して人はきっと心の関係を深めていく。でもそれは、時に記憶を失うと分かっている可憐には酷なことなのかもしれないけれど、誰よりも人が好きな彼女にはどうやらそんなことはないようで。
クリスマスイブの突然の告白から一ヶ月ほどが経ち、まだまだ寒い日々の中で、七海と可憐は互いを知ろうと目下努力中である。







「じゃあ、好きな食べもの」
「パンですかね。」
「あー、っぽいね!私はなんだろうなー、果物」
「すごい広義ですね。」
「いや、パンもでしょ」
「じゃあ...そうですね、硬めのパンで作られてるサンドイッチタイプが好きです。」
「なんかもうすごい期待を裏切らないね。そこはあんぱんとか言って欲しかった」
「甘いものはあまり得意ではないので」
「あっ、そうなの。
私は果物なら、柑橘系かなぁ。キウイとかも好き。苦手なのはうーん、マンゴーとか?」
「へぇ。女性は好きなイメージでした」
「なんか食感があまり得意じゃないかな」
「パンなら何が好きですか?」
「んーーーー!コロッケパンとクリームパン」
「なるほど。」
「好きな果物ある?」
「なんでも食べますが、グレープフルーツですかね。」
「ふーん、」




とっくに冬休みが終わり授業が始まっている高専の昼休み。寒いにも関わらず何故かグラウンドで待ち合わせをした二人は少しだけ自主練をしたあとに揃って昼ごはんを食べることにしてベンチに座ったところで、七海はサンドイッチを、可憐はおにぎりを持参していたことから、どうやら好きな食べ物の話に発展したらしい。







「可憐さんは、いつもお昼は作ってくるんですか?」
「日によるかなぁ、お弁当、頼まれて硝子の分作ったりもするよ。今日はおにぎりだけだけどね、七海はいつも買ってるの?」
「そうですね、パン屋に行くのは結構好きなので」
「えー、じゃあ今度連れていって?」

可憐は、小さめのおにぎりを食べ終え、まだサンドイッチを食べている七海を見ながら楽しそうに尋ねる。いつでもよく笑う彼女にまじまじと見つめられ、七海は少しだけ動揺した様にお茶で喉を潤した。



「いいですよ。朝早くからやっているので始業前には買いに行けます。」
「じゃあ、朝待ち合わせしよっか」
「...ですね。」
「あははっ、照れてる?」

揶揄う様な彼女の言葉に七海は眉間に皺を寄せるがそれを気にするわけでもなくペットボトルの水を可憐は飲んだ。今日はよく晴れていて、真冬だが太陽が当たれば少し暖かい。それでも誰もいないだだっ広いグラウンドの景色はどことなく寂しそうに見える。









「七海と灰原は、二人しかいないからやっぱり仲良い?」
「そうですね。タイプは違いますが、仲はいいと思います。」
「タイプ違う自覚はあるんだ。」
「そりゃあ、私はあんなに人懐っこくないので。」
「ほんと、犬と猫って感じだもんね」
「......そうですね。」
「私たちはどうだろうなぁ、硝子以外は案外みんな犬っぽくない?」
「.....いや、みなさん猫っぽいです。」
「えっ、そう?!」
「はい。」
「そうなのかぁ..じゃあ、私と七海は猫同士だね」

声を出して楽しそうに笑う可憐を見て、七海は彼女のそんなところに惹かれたことをふと思い出す。良くも悪くもこの高専に身を置く以上、心のどこかで、もはや本能的に命の重さを知っていて、それでそこ命に対する価値観は一般のそれとずれている。だからこそ、日々を楽しむことは一段と重いことで、そんな中で聞こえる彼女の明るく透き通るような声は七海だけではなく他の人にとっても何処かで拠り所になっているのだ。






「七海って、めっちゃ早口で言うと、にゃにゃみになるね、ふふっ。猫だ、猫。」
「自分で言って自分で笑わないで下さい。」
「へへ、ごめんごめん。
じゃあお詫びに今度おにぎり作ってくるから、好きな具材教えて?」
「...可憐さんが好きな具材でお願いします」
「ははっ、じゃあ私と同じ鮭ね!」







少しだけ恥ずかしそうな七海の横顔が、冬の太陽に晒されて、髪色のせいもあり光を纏うように可憐の目に映る。なんだか眩しくて目を細めると彼は不思議そうな顔で彼女を見た。





(ちゃんと、覚えておきたいな)








「じゃあ、そろそろ教室行こっか」
「はい、そうですね。」
「明日の朝、パン屋さんね。時間だけ後で連絡ちょーだい。」
「...わかりました。」

小さく微笑む七海の表情は、きっと可憐しか見たことがないだろう。











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高専での日々というのは、一般のそれよりもスピード感があるだろう。授業に訓練、そして実地での任務。それに加えて寮生活のため生徒同士の関係は密になり、信頼関係もより強くなる。特に今の二年は、特級を持つ五条と夏油、それに他人にも反転術式を施すことができる家入、そして一級をもつ可憐と言う面々の為、家入が滅多に危険な任務に駆り出されることはないが、他の三人は揃って任務に行く回数はかなり多い。それほどまでに呪術師というのは人手不足なのだ。もちろん学生の枠を超えた実力を持つ三人に課せられる任務はかなり重く、時に怪我をして帰ってくることも多かった。それを家入が小言を言いながら治すのが当たり前の光景だ。








しかし、怪我をして帰ってくる恋人を治るとはいえ見るのをいいものではないのだろう。任務から戻る可憐をいつも高専で待つ七海は深い皺を眉間に作っている。今日帰ってくる彼女を授業がおわった教室で待つ七海に話しかけたのは同級生である灰原だ。



「七海ー!今日先輩たち帰ってくるんだろ?」
「あぁ。」
「夏油先輩と藤堂先輩、二人で派遣なんて結構大変そうだよね」
「あとから五条さんも別の任務からヘルプに入ったらしいぞ」
「ええ?!」

灰原が驚いた声を出したのを横目に、七海は時計を確認してから立ち上がった。そんな彼に灰原は「そろそろ?」と聞くと頷きながら教室を出る七海の後ろをついていく。目指す先は高専の入り口。時計が四時を指していて、事前に可憐から聞いていた任務から戻ってくる目安の時間だ。もちろん、その時間が守られることの回数の方が少ないのだが。











入り口で結局一時間ほど七海と灰原は待つことになったが、補助監督が運転している黒塗りの車が見えてきたのとほぼ同時に家入が校舎から現れた。

「家入先輩!」
「あぁ、七海に灰原。ほら戻ってきたぞ。」










「家入さん!治療をお願いできますか!」

黒塗りの車から補助監督が慌ただしく出てくると、分かっていた様に家入が七海たちより先に車に駆け寄る。すると、後部座席から夏油が降りてきた。制服は汚れ、三月とはいえまだ肌寒い時期なのにジャケットは着ていない。シャツやズボンのあちこちに血もついている。夏油が後部座席をもう一度覗き込むと、大きめの紙袋を取り出す。どうやら中には汚れたジャケットやらが入っている様だ。



「悪いが、持ってもらえるか?」
疲れた表情の夏油がそれを灰原に渡すと、灰原は大きな声で返事をして受け取った。するとまた夏油は後部座席に乗り込むと、可憐のことを背中に乗せて、いわゆるおんぶをする体勢で降りてきた。






可憐の髪は乱れ、顔にはあちこち小さな傷がある、そして夏油と同様にジャケットは脱いでいて、シャツの背中のあたりが裂けていてそこから大きな傷が見えて血が出ている。おぶられている彼女は意識がないようでそのまま夏油に身を委ねていた。その後から二人より傷が少ない五条が車から降りると、痛々しい彼女の背中に自分のジャケットをかけた。





「硝子、可憐をよろしく頼むよ。」
「あぁわかった。医務室に運んで。」

立ち尽くす七海と灰原を横目に、夏油はそのまま家入と一緒に校舎に入っていく。五条は少し補助監督と話すと、補助監督はそのまま車に乗り込み車を走らせた。残された五条、七海、灰原の間になんとも言えない空気が流れる。灰原は夏油から預かった荷物のことを思い出し走って校舎に向かってしまう。


黒いサングラス越しに、五条と七海の目が合う。七海は特に何をいうわけでもなく、頭を軽く下げて校舎に向かおうと足を向ける。しかしそれを制したのは五条だった。











「何も聞かねぇのかよ。」
「...何がですか。」
「そんな心配そうな顔しといて、聞かねぇのかって言ってんだよ。」
「五条さんから聞かなくてもいいことですから。」
「はっ、ほんと可愛くねーのな。」
「....失礼します。」
「おい。」
「まだ何か。」
「お前に.......守れんのか。

付き合ってんだろ、可憐と。」
「.....わかりません。でも、」
「あ?」
「守れるようになりたいと、思っています。」









「......あっそ。」




七海の言葉に五条は大きく舌打ちをして、七海より先に校舎へ向かう。その背中を見ながら、七海も小さく舌打ちをした。













怪我をしている可憐を目の前にして上手く身体が動かずに声さえ出なかった。今までも怪我して帰ってくることなんてたくさんあったのに、意識を失って帰ってきたのは初めてで、心の何処かで可憐は強いからなんだかんだで危険なことも簡単にこなしてしまうのではないかと思っていたのかもしれない。











(それじゃあ、甘かったんだ、)
自分が選び身を置いた世界の残酷さを、改めて知った。



























「七海。治療終わったから医務室入って大丈夫だぞ。」
寮に戻る気にもなれず、一年の教室で何をする訳でもなく外を眺めていた七海に家入が声をかけた時もう外はすっかり暗くなっていて、夕飯を食べるにしてももう遅い時間だった。家入の言葉に七海が振り返ると、彼女は少しだけ呆れたように笑い、彼の隣に腰掛ける。




「ずっといたのか?灰原は?」
「夏油さんと五条さんに誘われたって何処かに行きました。」
「あーあ。またあの二人報告書出してないな」
「...ですかね。」
「.....可憐の怪我はさ、時間はかかったけど別に大したことなかったんだ。三体だけだと思ってた呪霊がもう一体いて、背後からやられたらしい。背中にデカい傷があったけど、そこまで深くもなかったよ。

でも、五条が言うには夏油のことを庇ったみたいでな。で、夏油はちょっと不機嫌ってわけ。まー、五条に関しては自分もいたのに可憐にあそこまで怪我させたのが気に食わないんだろ。」

「.....五条さんや夏油さんのこと、気にしているように見えましたか?」

「まっ、少しは?
一番は可憐のことをだとは思うけど。」
「大したことなかったなら、よかったです。」
「ん。そーいえば、可憐とはうまくいってる?」
「....どうでしょう。喧嘩とかはありませんが、」
「そう。それならよかった。」
「家入さんから見て、」「ん?」
「私は可憐さんとは釣り合わないですか?」
「ははっ、そんなこと気にしてたか。意外。」
「...忘れて下さい。」
「なぁ、七海。」
「はい?」
「可憐が、お前と付き合うって決めたんだから自信持て。


夏油と五条に関しては、とりあえず気にすんな。」
「....ありがとうございます。」
「医務室に行って、寮まで送ってやって。私は先に帰るから、」
「はい、わかりました。」


手をひらひらっと振って教室を出て行く家入を見送ってから、七海はゆっくりと医務室へ向かった。




















「可憐さん?」
医務室に入り、ベットがあるスペースを仕切っているカーテンを静かに開けて声をかける。可憐は目を覚ましていてベッドの上で布団を被ったまま七海の方を見て小さく笑った。


「....ふふっ、お迎え?」
「はい、家入さんが教えてくれて」
「そっか、ありがとう。」

予備で置いてあった制服に着替えたのだろう、可憐は運ばれてきたときのボロボロになっていた制服ではなく綺麗な制服を着ていた。立ち上がり、五条のジャケットが畳まれて枕元に置かれていたのでそれを手に持つ。




「大丈夫ですか?」
触れていいのか分からず、出しかけた手が行き先を失いながら、七海は声をかける。そんな彼に可憐は笑った。


「彼氏なんだから、腰に手回すくらいしてもいいし、腕持ってくれても、手繋いでくれてもいいんだよ?」

覗き込むように彼を見る。可憐と七海の目が合う。どうやらすっかり体調は良いようだ。







「.....触れられるの、嫌なのかと思っていたんです。」
「わたしが?」「えぇ。」
「そりゃベトベトしてる手とかなら嫌だけど、七海ベトベトしてないでしょ?」
「....はい。」
「触って?って言うわけじゃないけど、触れられるの嫌じゃないから大丈夫だよ」

可憐は七海の隣に立つと、医務室を一緒に出る。自然と七海の腕は彼女の背中に周り、支えるように優しく触れた。










「七海の手、優しくて好きだよ。」
「...ありがとうございます。」
「あっ、照れてる!」














強くならなくては、
生きていかなくては、
好きなひとの手さえも握れないのだと、春が近い冬の終わりに、知った。

春は優しい跡を残して去って行く













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