溶けてしまえるならなんて幸せなんだろうか、
ライアーチョコレート








うだる様な暑さだった夏は随分と尾を引いて、秋を飲み込み、気がつけば冬がすぐそこまでやってきていた。高専も夏服から冬服へとまた代わり、新緑で美しかった校内も木々の葉は枯れ落ちて寒々しい景色が目に入る。














「来い、瓏鷹(ろうよう)。」
ずっと肩までだった髪を伸ばし背中の辺りまで長くなった髪を一つに結ぶことが多くなった可憐が口笛を吹くと、羽を広げて穏やかに飛ぶ大きな鷹が現れ、彼女が掲げた腕に止まる。







「おーーーっ!かっけぇ。」
「やっと、調伏終わったのか。」
「かっこいいね」


その姿に素直に感心した声を出すのは、五条、家入、夏油の三人。七海と共に行った名古屋での任務で、天与呪縛の影響で【居場所】がわからなくなる記憶喪失を経験した可憐は、何かあった時に自分を誰かの元へ運ぶことができる手段を模索していた。
元々調伏していた猫の式神である猫瓏を大きくするという考えもあったのだが、猫瓏はあくまでも索敵と連絡手段を主な役割として可憐が考えていたこともあり、戦闘面でも役に立てれる様にと、大きさを自在に変えることが出来、パワーもある鷹の姿をした瓏鷹を時間をかけて調伏したのだった。


光を纏うと可憐の術式によって作られているので、まるで水が光を纏ったかのように美しく輝き、見た目は氷細工の様な繊細な姿をしている。雄大に羽ばたく姿はとても美しく、見るものを驚かせることだろう。










「はーーーーっ、やっと安定したー!」
腕に乗る瓏鷹を撫でながら、可憐は安堵の声を出すと、瓏鷹を空高く羽ばたかせ、疲れたのかグラウンドに寝転がり、その姿を目で追った。

「ほら、」
寝転ぶ彼女にペットボトルの水を差し出したのは五条で、ついでに手も差し出されたからそれに甘えて立ち上がる。









「夏頃から初めて、やっと報われたね」
「傑に鷹のアイデアもらってよかった、奪った水分を瓏鷹に還元すれば大きさも自在だし。」
「お前になんかあった時、あいつが助けんのか?」
「んー、助けるっていうか呪術師とか補助監督とか、誰かのところに連れて行ってくれるイメージ?
私の意識が仮に無くなったら、オートで私を運べるくらいまで大きくなれるはず!上手くできてれば!!」


「その状況になってみなきゃわかんないってことか。」「はい、硝子大正解。」

「なかなかリスキーだね。」
「でも猫瓏は戦闘中、索敵とかに行ってたらそばにいないかもしれないし、瓏鷹は戦闘面でも活躍できるから近くにいると思うんだよね。私のこと運べなくても、誰かのところにいってくれたら、みんな何かあったかなーって思ってくれるはず!!多分!!」

「「「多分」」」」
「えへ、鷹を見たら私を助けて!」
「なんだそのスローガン」
「まっ、そんなことにならないのが今のところベストだから!」








記憶を失う、という可憐の天与呪縛について知っているのは依然として、担任である夜蛾と同級生である三人だけだった。
任務で一緒になることも多い、一年下の後輩たちにも話したらいいと何度か勧められたが、どうも彼女自体がそれを拒み伝えずにいる。これと言って、夏から今にかけてこの天与呪縛が原因で大きな問題も起こっておらず油断している訳ではないのだが、この天与呪縛に関してわからないことが多すぎるため本人も含め上手く対応しきれていないのが現実だ。夜蛾も呪術師の名門で実家に古い書物も残る五条も色々と調べてはいるが、わかっていることは多くない。












「戻れ!」
もう一度口笛を可憐が吹くと、空を飛んでいた瓏鷹が泡が弾けた様に消えた。

「なかなか綺麗に消えるんだね、」
「お天気雨が降るみたいで綺麗でしょ?」
夏油の言葉に可憐はいたずらに笑う。







「あれ、五条と可憐、二人とも呼び出しくらってなかったか?」
「「あ」」
グラウンドで堂々と煙草に火をつけた家入の言葉に、可憐と五条は間抜けな声を出した。一級と特級を持つ二人でも、担任からの呼び出しは少々怖いのか、二人揃って駆け足でグラウンドから距離がある校舎へ向かって行く。その様子を残された家入と夏油はなんの気無しに見ていると、家入が口を開いた。









「夏油ってさ、」「ん?」
「可憐の事が好きって五条には言わないんだね。」
「....ん?」

「バレバレ」と煙草の煙りを吐きながら笑う家入に夏油は深い溜息を吐いて、その場に座り込む。家入はと言えばニヤニヤしながら彼を見た。



「五条も可憐が好きだから?」
「私たちは親友だからね、」
「わーー、きも。」
「言うタイミングがなかっただけだよ。」
「じゃあ、告白もしないんだ?」
「私は恋とかそういうのより、友情の方が優先なんだよ。」
「おっとなー。」
「馬鹿にしてるな」
「五条か夏油なら、私は夏油の方がいいとは思うけどね。」
「どっちもクズって言ってる癖になんだい、それは。」
「まぁ、五条か夏油なら、七海の方が幸せにはしてくれそうだけど」
「七海?」
「そ、七海。」
「...ふーん。」
「後輩に取られんのは癪?」
「いや?可憐が幸せなら僕はいいんだよ。それに、恋愛感情を向けられすぎてもしんどいだろう。なんかあった時に。」

「ははーん。なんかあった時に横から掠め取るって話か、」
「そんな事は言ってないよ。


ただ、可憐の天与呪縛がある以上、それを知ってるならちゃんと支えてあげたいじゃないか。硝子だってそうだろ?」



「私は親友だからな、」
「私としては何かあった時に護れるようにしてたいんだよ。」
「そーいうとこがなんだかんだあんたがモテる理由だろうね。」
「なんだい、それは」
「五条も七海も、夏油よりは子供って話。」
「七海はそもそも天与呪縛について知らないだろ。」
「それがいいのか、悪いのかはわからんけどな。」
「.....まぁ、ね。」



「そーいえば、次、五条と可憐、泊まりで任務だろ?」
「あぁ。その件での呼び出しだろうね。」
「....あるかな、告白。」
「あるんじゃないかい、告白。」


不敵に笑う夏油に家入もつられて笑う。親友のために、身を引けるこの男はある意味で一番に人の幸せを願える人物なのだろう。仮に五条が可憐と付き合ったとしたら、きっと心から二人におめでとうと言えるのだろう。そんな器が大きい夏油に、家入はほんの少しだけ同情して背中を叩いた。





「ん?」「別に。」











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「京都かー!悟、八橋好き?」
「おお、好き好き。」
「任務終わって観光できるといいね」
「まっ、余裕だろ」
「さすが、最強五条悟は言うことが違いますね」
「んだよそれ」
「悟は頼れるねって話」
「褒めてもなんも出ねーぞ」
「えー、けーち。」




夜蛾からの呼び出しの理由は、明後日から二人で行く京都での任務の件についてだった。一級と思われる呪霊の被害が確認されていて、おそらく数体いるだろうとのことで特級と一級を学生ながらにもつ二人が派遣されることになったのだ。京都にある姉妹校から補助監督が派遣されるそうで、それに関する詳しい段取りなどの説明と任務内容の確認が主な要件であった。







「んで?どーなの、心当たり。」
「んー。呪力量の向上と比例してなくなる記憶が大きくなるってやつ?

たしかに此処半年くらいずっと瓏鷹の調伏に専念してたし、実際かなり呪力は使うから呪力量が増えてる感じはあるけど、何かを忘れてるって感覚はないなぁ。むしろ悟は?一緒にいてなんか違和感あった?」
「いや、別に。これと言ってない」
「じゃあ、やっぱりないんじゃないかなぁ。でも名古屋出張からこれと言って何か忘れたって感覚はないし、これからかな。小さいこと、知らない間に忘れてるかもだしなんもないかもしれないけど。」

「年に十回ほんとに記憶がなくなるなら、まぁこれからあるかもだよな」
「えー、京都で迷子かー。」
「なんで若干ワクワクしてる感じなんだよ」
「瓏鷹の出番じゃん?」




子供の様に笑う可憐に五条は呆れた様に溜息を吐く。任務についての確認と合わせて、夜蛾が最近の記憶障害に関して質問をしてきたわけだが、どうやら彼女には思い当たるところはないらしい。




呪力量の向上により失う記憶は大きくなる。
この大きくなるというのは、記憶として重要かどうかという判断であり、人に関する記憶や、仕事、普段の生活、つまり生きているうえで影響が大きいという意味なのではないというのが夜蛾の仮説である。
人の記憶といっても、ただすれ違っただけの人のことか毎日顔を合わせる人のことかで、大きさは違う。夜蛾の言葉を借りて言うのならば『可憐が可憐であるのに必要な記憶であればあるほど、大きい』のだ。












「でもさ、たしかに記憶ってその人のことを作ってるものだよね」
「は?」
「先生言ってたじゃない。私が私であるのに必要な記憶であればあるほど大きな記憶だって。

私が関わりの深い人たちのこと、
私が生きてきたこれまでのこと、
私がやってきたこと、
全部記憶として残ってるから、私は私であるってことでしょ?」



「....まぁ、そーいうことだな。」
「じゃあ、その私を作る記憶がひとつひとつなくなったら、私はもう私じゃなくなっていくってことだよね」
「........んなことにならねぇかもしれないだろ」
「だけど、私が私じゃなくなればなくなるほど、私は呪術師としては強くなるなら、人をたくさん助けられるってことじゃんね。」

「自分が自分じゃなくなってまで、助けなきゃいけないもんなんかないだろ」
「そう?
助けられるなら、助けてあげたいけどな。」
「...自分のことはどーすんだよ」
「それは、うーーん...私は忘れちゃうからなぁ。でも、忘れられる側は嫌だよね、」
「.....当たり前だろ」
「だから、私は知らない間に誰かを傷つけるのは嫌だなって思う。

でも、誰かをもっと助けられるのはいいなって思う。ははっ、なんか矛盾してる気がしてきた、」






教員室からこれと言って目的もなく歩いていたが、ふと校舎の外に出る。放課後の空は少しずつ夕暮れに近付いていて、太陽が隠れつつあって、寒くなってきていた。そんな中で可憐は小さく伸びをしてたから、困った様に笑う。












「なぁ、可憐。」
「んー?」

そんな背中に五条が静かに声をかけた。いつもかけてる黒いサングラスを外して、胸元に引っ掛けながら言うその声は、何処か優しい。その声に可憐は振り返り首を傾げる。















「お前が俺を忘れても、俺はお前のそばにいてやるよ。」
「....ははっ、ありがとう。
悟ってほんとは友達想いなの私知ってる、」
「馬鹿にしてんじゃねぇか!」
「してないしてない!悟は、私のことも、傑や硝子のこともなんだかんだ、大好きじゃんか」
嬉しそうに笑う可憐に五条は小さく舌打ちをする。







「その代わり、約束しろ。」
「なに?」
いつもより低い声で、五条は彼女の隣に並びながら言葉を紡ぐ。少しだけ強い風が吹いて二人の髪が揺れる。砂埃に目を細めてから、目を開けると可憐は真剣に自分の方を見る五条の美しい碧い目と目が合う。


















「一人で泣かないって。


......絶対覚えとけよ。」






























「....どうして?」
「俺はお前が好きだから。」
「えっ?」





「.....ばーか。
友達としてに決まってんだろ。」

「ははっ、びっくりさせないでよ!」
「で?すんのかよ。」

「よーし、わかった!する!
約束ね。じゃあ、指切りでもとしとく?」






「....あぁ。」
















飲み込んだ言葉は、きみを護るためなんだと言い訳をするけど、結局は僕を護るためで、ただただ勇気が出なかっただけ。


ぼくは嘘吐きさ。









「ゆびきりげんまん。」
「嘘ついたら、」
「針千本飲ーます、」







「「指切った」」



 











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