夏油と可憐が映画を見に行ってから数週間。季節は春から着実に夏へと近づいていて、呪術界にも繁忙期の気配が濃くなってくる。

学生といえど優秀な呪術師は任務に駆り出されるのは当然の事で、この日可憐は一級術師とともに任務に出ていた。











「今日はありがとうございました!」
「こちらこそありがとう。
さすが左京家の次期当主だね、結界術は本当に素晴らしかった」
「いえ、まだまだ修行中です。」
「そんな謙遜しなくていいよ、また機会があったらよろしくね。
それより今度よかったらご飯でもどう?」




任務後、補助監督の運転する車で高専に戻ると可憐は報告書を提出するべく挨拶をして校舎の中に入ろうとしたが、ともに任務に出ていた先輩呪術師に声をかけられる。






男性である先輩術師はこの後もう一件任務があるそうだが車をわざわざ降りて言われたその言葉に可憐は笑って首を傾げ「機会があればぜひ」と答えると、術師は満更でもない表情で彼女の肩に手を置く。








「本当、また任務でも一緒になれたら嬉しいよ」
「じゃあわたしもその時にもっとお役に立てるように努力しますね」
「そうだ、よかったら連絡先聞いても?」



あまりに予想外な術師の言葉に可憐のオレンジ色の目が大きく開かれる。返答に困っていると、不意に後ろから彼女は腕を引かれそのため「わっ」と少し情けない声を上げた。



驚いて可憐が振り返ると彼女の腕を掴んでいたのは五条で、彼は不機嫌そうな顔をして彼女の前にいる先輩術師の方を軽く睨んだ。







「悟、」
「ちょっとこいつに用があるんで、もういいっすか」
「は、てか君、五条家の?」
「だったらなんすか?」



先輩術師の返答を聞く前に五条は可憐の腕から手を離すとそのまま手を握り校舎と反対方向へと足を向け、早いペースで歩き始める。



可憐は先輩術師に手を振って「お疲れ様でした!」とだけ伝えると、五条に連れられるままついていった。


















「悟、悟ってば!」

目的地がある訳でもないのか、どんどんと足を進める五条に可憐が何度か声をかけると漸く彼の足が止まる。



「...悪ぃ。」

きっと自然と力が入っていた手を離すと小さな声で五条が謝るので可憐は驚いたような顔をしてから楽しげに笑った。







「ううん、すごく助かった!ありがと!」
「...あっそ。てか何口説かれてんの」
「え、あれってそういうこと?」
「知らねぇけど」
「えええ、さすがにそれは困るなぁ」
「なんだよ、それ」
「だって、よく知らない人に言われてもちょっと困らない?」




わずかに乱れた制服を整えながら言う可憐に五条はポッケに両手を入れて興味なんて少しも無さそうな顔をしてから口を開いた。









「よく知ってるやつはいいなら、俺でいいじゃん」
「...え?」

「...はっ?あ、いや、別に」




大きく開いた二人の目が合えば、
蒼い五条の目と橙色の可憐の目に互いの色が映り込む。





それはまるで、ふたつの色々が溶けてしまうかのように思えたりして。









「ね、悟!」
「..なに?」
「駅前にさ、なんかクレープ屋さん出来たって灰原が言ってたの!」
「は?」
「クレープ!」
「クレープ?」
「そ、食べに行こ!いまから!」






ほんの僅かに流れた少し重く気まずい空気を追いやったのは可憐の明るい声での提案だった。

そして、その時の五条の蒼い目に映る可憐は、いつものように無邪気に楽しげに笑っていてつられて彼も笑ってしまったのは言うまでもないだろう。














くるりと、回れば世界が変わる。
なんて事の無い日常さえも、特別なものにくるりと変わる。だから、きっと、この世界はおもしろいのだ。
















新しく出来たというクレープのお店は可愛らしい見た目をしていて、いかにも若者に人気が出そうな店構えだ。



何人か並んでいた列に加われば可愛いイラストのメニューを店員に渡され、五条と可憐は二人でそれを眺める。
二人の後ろにもすぐに人が並び、店の人気が伺えた。






「ご飯っぽいのもあるんだね、ピザだってこれ。おいしそう」
「ふーん、なんか色々あんだな」
「小さい時にさどこかで食べたような気がするんだけどどこだっけね」
「あー..あれじゃね、おじさんたちが遊園地かなんかに連れて行ってくれた時」
「それって小学生とかだよね、わたしそんな昔からクレープ食べてないの?」
「知らねぇよ」
「悟食べた記憶ある?」
「いや?」
「じゃあ、同じじゃん」




メニューから一瞬顔を上げて五条を見上げた可憐は楽しそうに笑っていた。五条は少しだけ罰が悪そうな顔をして彼女からヒョイっとメニューを取り上げると「決めた」と無愛想に言いながらそれを返す。







「どれ?」
「チョコバナナ生クリームスペシャル」
「スペシャルってすごいね」
「生クリーム盛り盛りなんかな」
「んーと、あっ、カスタードクリームも入ってるみたいだよ、スペシャル」
「へぇ。それにする」
「じゃあ、わたしは、どうしよっかな。
あっ、これがいい!いちごスペシャル!」
「そっちのは何がスペシャル?」
「いちごといちごアイスどっちも入ってて生クリームも入ってるって」
「昔から苺好きな」
「うん、一口あげるね」
「おう」





二人の順番が来ると、愛想が良く可愛らしい制服を着た店員に注文する。持っていたメニューを渡し可憐がまとめて支払いをしようと財布を出そうとすると、愛想のない五条が後ろから手を伸ばし支払いを済ませた。








「後で返すね」
「いらね」


少々お待ち下さい、と声をかけた店員の目線は五条にすっかり奪われている様だったがそれに二人が気がつく筈もなく。
可憐は嬉しそうに笑って「ありがとうございます」と、受け取り口の方に移動した。


ポケットに手を入れたまま彼女の横に立つ五条は傍目から見ても目立っているが、それは彼ばかりの話ではない。



可憐の焦茶色のストレートの髪は肩にギリギリ付く位で、風に吹かれてそれが揺れる。はっきりとした目鼻立ちは特に派手な服装をしている訳でもなくても、よく目立つし周りの目を惹く。


現に黒の半袖シャツに黒のミニスカートを合わせ、白いハイソックスにローファーを履いている可憐に目線を奪われている人が多い事に隣にいる五条は気が付いていた。









「あっ、出来たって!」

しばらくして店員に呼びかけられると、まるで子犬のように楽しげにクレープを受け取った可憐から五条は自分のを受け取り、二人で近くに用意されているベンチに腰掛ける。






「なんか、悟の写真よりすごい気がする」
「イケメンにはサービスするんじゃね」
「すごい自信」
「まぁな、てかうまっ」
「このいちごアイスもおいしい!」


添えられていたスプーンで生クリームやアイスを掬いながらクレープを食べ進める二人は無意識に表情が緩む。五条が可憐のクレープを大きめに一口奪っても嫌な顔ひとつせずに、彼女もまた彼のクレープをスプーンを使って一口食べる。



他の人が見れば恋人同士かのような振る舞いだが、過ごした時間が長い二人にとってはこれと言って抵抗がある訳でも特別な訳でもない。


ベンチから見える景色は、放課後の学生達や小さな子どもを連れた母親、早足で歩くサラリーマンなど様々な人たちが溶け込んでいる。








「非呪術師の高校生って、放課後バイトしたりデートしたりするんだって。」

器用に生クリームをスプーンで掬い口に運ぶと可憐はまるで独り言のように呟いた。





「なに、羨ましいのかよ」

「んーん、別にそういうんじゃないけど、同じ世界にいるのに全然違う世界で生きてるって不思議だなって思って」




五条は眉間に皺を寄せながら、クレープを大きな口で頬張ると、口の端にクリームが付いてしまいそれを可憐が小さく笑って指さした。






「子供みたい」
「うっせ」
「ね、傑みたいな事言ってもい?」
「んだよ、それ」
「誰かのために私たちがいて、私たちは誰かのいつもを守ってるの」
「げー、正論かよ」
「でもさ、それが正しいんだもん。いいじゃん、正論」
「何も見えない奴らを助けんのが?」





露骨に嫌な顔をする五条に可憐は肩をすくめて何処か楽しげにベンチに寄りかかる。

彼の言う何も見えない人達がたくさん歩く当たり前の景色が彼女のオレンジ色の目に溶け込む。








「そうだよ、だって誰かの楽しいこととかそういうのを詰め込んだ毎日を守れるのはいいことでしょう?」





五条はよく知っている。
何も疑ったりしない可憐の目は、いつだって真っ直ぐで優しくて、時に残酷だと。

その目が彼を見てから知らぬ間に随分と食べ進んでいたクレープを頬張るとどこか得意げな顔をして言葉を続ける。






「守る側にいるわたしたちは、自分の幸せくらい自分たちで守らなきゃね。ほら、恋したりするかもしれないし!」

「あー、さっきの呪術師とかな」
「すぐそういう話に持って行こうとするのどして?」
「べーつに」

「じゃあ、どうして」
「ん?」










「さっき、俺でいいじゃんって言ったの?」



―――――――ほら、またそうやって。オレンジ色が何処までも心の奥を見透かしてくる。








「いつもの気まぐれ?」
「...そうじゃないって言ったらどーすんの」



「ちゃんと、伝えて欲しいって思う。
悟はむかしから、誤魔化すのが上手だから」







手に持っていたクレープが少しずつ溶けているのを感じて、五条は残りのそれを一気に口に詰め込んだ。



ほんの僅かに触れる肩の温度が何処か気まずいくらいに、何も言えぬ空気が二人の間を流れるとそれを遮ったのは可憐の携帯の着信音だった。








「あれ、硝子からだ」

隣にいる五条に着信画面を見せてから彼女は電話に出て手短に会話を済ます。それから残りのクレープを食べると立ち上がった。







「高専戻らなきゃ」
「電話なんて?」
「傑と硝子で今から緊急任務で、悟とわたしは高専で待機。いつでも出れるようにしておくようにって。

軽く内容の打ち合わせするからすぐ戻れだって」
「了解」








守る側の人間の世界へと、なんてことのない日常に足を踏み入れた二人は足早に戻りゆく。

立ち上がって五条が近くのゴミ箱へまとめて投げ入れた紙屑は音も立てずに中へと落ちた。


























パチッ、パチパチッ




小さな破裂音がどうして夏を感じさせるのかなんて考える。小さい時から馴染みがあるようでそうでもないそれは、人たらしの気がある傑が昨日だかの任務で近隣住民にもらったものらしい。



線香花火、その言葉を聞いただけで子供のように可憐は目を輝かせていて任務の待機だなんて事はもうきっと忘れていた。





傑と硝子が急遽派遣された任務は、確かに急を要するものだったが難易度は高くない。待機と言われたのも念には念を入れただけの事で、傑達が失敗するとは思えないものだった。


それは説明を受けた時点で可憐もわかっていたようで、寮ではなく高専にいるように言われ、しかもこっそり傑に線香花火なんて渡されたものだからすっかり任務の事なんてどこかに消えているようだった。





誰もいないグラウンド。
普段から賑やかな訳ではないが夜のグラウンドはやけに静かに感じる。

緊急任務の説明を受けてから、四人で夕飯を食べて暫くして傑と硝子は出かけて行った。それから一度寮に戻ったが、すぐに制服のまま高専で合流したのだ。


教室で時間を潰し、陽が落ちてからバケツやら装備を整えて二人でグラウンドで花火を始めた。無駄に広いその場所でしゃがみ込んで息遣いもわかるような近い距離で、ライターで火を付ける。










パチッ、パチパチッ






「きれい」
「この、ちっこいの落ちたら駄目なんだろ?」
「そう、落ちちゃったらおしまい」
「ふーん、なんか打ち上げる系の方が楽しくね?」
「そういうのはさ、みんなで海とかいってやろうよ」



線香花火の光から目を逸らさずに、でも声色は軽やかで楽しげな可憐の言葉に四人で行く海のことを少し想像した。







「グラウンドで打ち上げしたら怒られるかな」
「ありっしょ」
「傑の呪霊にさ、火吹けたりするのいたらいいのにね」
「それ花火ってより爆発じゃね」
「確かに!でも楽しそ」





可憐が髪を耳にかける。
少しだけ肩が触れ合う。
いつもなら何も思わないのに、頭の中で任務に出る直前の傑に言われた言葉が反芻した。












―――――――誰かの隣にいるのが、嫌ならとっとと伝えなよ。気持ちは言葉にして伝えなきゃ意味がないんだからね。














誰かを、好きになる。
誰かが、好きになる。

誰かが、だれかのものになる。

その誰かが、自分の中で誰を指しているのかなんて見ないように考えないようにしても、もうわかっていた。







当たり前に、隣に居たから。
それ以外なんて、想像さえつかなくて。




恋をするかもしれないと言った彼女の隣に、自分じゃない人間がいる可能性を知って心の奥がざらついた。













「可憐」
「んー?」
「昼間、言ってた正論の話あんじゃん」
「ん?うん」
「守る側の俺達は自分たちで幸せを守ろうってやつ」
「うん、それがどしたの?」





ぽとん、と落ちた火の玉がじゅわと地面で音を立てた。二つから一つになった火の玉では明るさが随分と違うけれど、こっちを見た可憐と目が合ったのがわかる。












「可憐の事くらい、俺が守ってやるよ」





普段から大きな彼女の目が、さらに大きく開かれる。それでも目を逸らさないでいると、「ありがとう」と柔らかい笑顔で返される。









「ずっと、悟は守ってくれてる。わたしも悟を守ってるつもり」


「...多分、今俺が言ってる意味とは違う」








知っていた。
小さい時から、可憐は唯一、俺を特別扱いせずに隣に居て、何かあったらすぐに行くねなんて言っていた。

だから、知っていたんだ。
隣にいるだけじゃ、駄目なんだって。








気持ちは、伝えないと意味がなくて。
言葉にしなくちゃ、届かないと。













「俺は、可憐が好き。」
「..っえ」
「信じらんないかもしんないけど、可憐が誰かと付き合うとか考えたら、なんかこうムカついた」
「...からかってる?」
「揶揄ってないし、気まぐれでもない。」
「そう、なの」

「幼馴染としてじゃなくて、友達としてじゃない。気まぐれなんかじゃねぇよ。」
「..でもそんな、急に」

「隣にいるのが当たり前すぎて、俺じゃない誰かが可憐の横にいるのなんて考えた事もなかった」
「...たしかに、それはそうだね」

「考えたらすげぇムカつくし、誰かの隣になんて行かないで、俺の隣に居て欲しいって思ったんだから仕方ねぇじゃん。」












飛び出してしまうんじゃないかと思うくらいにうるさい心臓の音も、やけに大きく聞こえる線香花火の消えかけの音も。


全部、一瞬だけ消えてしまったかのように思えた。










「悟、ありがとう」



見間違えじゃなければ、少しだけ目元に涙を浮かべていた可憐は恥ずかしそうに笑っていた。








「ちゃんと考えてから、返事したいから少し待ってて欲しい」



真っ直ぐに届いたその言葉に、ゆっくり頷いて。安心したように少し強張っていたらしい身体を緩めた可憐があまりに愛おしくて、抱き寄せてしまいたくなったけれど、それをする度胸なんて何処にもなかった。









「ん、いつでもいい」
「それは絶対うそでしょ?」





子供の頃と同じように揶揄うように言ってきた彼女に、今日ばかりは何を言えるはずもなくて。









「ほんとに、ありがと」




その言葉だけで今は充分で、何も言わずに残っていた線香花火を渡すと火を付ける。











パチパチッ、と言う音が今度は少し楽しげに聞こえたのはここだけの話。








「どっちが長く落とさないか競争ね」
「おう、」









言葉に、心をのせて。
心を、言葉に込めて。
届きますようにと、願いを込めて。






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