「あっ、おはよう!」
「..おう。」
「おはよう、可憐」
「傑、昨日の任務、そこまで遅くならなかったんだね。硝子は疲れたからって今日はまだ寝てるの」
「そっか。
あぁ、そういえば線香花火出来たかい?」
「うん!ね、悟!」
「あぁ、」
「打ち上げ花火海にやりにいくか、グラウンドでやりたいって話してたの」
「傑の手持ちの呪霊に火吹くやついねぇかなって」
「なるほどね。それはありかも、」
「夏の間に計画立てよ!」
五条が可憐に想いを告げた翌朝。
教室に入ってきた五条と夏油にいつもと変わらぬ様子で手を振った可憐は、少し早く来て本を読んでいたらしい。
少し面を食らった二人を気にするでもなく、可憐は鞄に本をしまうと間もなく始まる授業の準備を始めた。
変わらない姿で、今日もまた、あなたのそばにいられたならば。
「.....」
「....悟」
「...なに」
珍しく放課後に任務がなかったこの日、授業が終わるとすぐに家入が心配だと可憐は寮に戻ったが、五条と夏油は何となく教室に残った。
机に突っ伏す五条の隣で、夏油は少し困ったように眉間に皺を寄せ腕を組み親友の名前を呼ぶ。
「念のため、確認だけどさ」
「..ん」
「告白..したんだよね?」
「....した」
「夢とかじゃ、ないよね?」
「...じゃねぇよ..」
「それなら、うーん。..まぁ、可憐だって幼馴染の悟に急に告白されて、少なからず動揺してるだろうし、」
「あれで?!」
自分の言葉を遮り顔を上げた五条に、夏油はつい笑ってしまいそうになるのをどうにか堪えたが相手に気付かれないのは無理そうだ。
「うん、あれで」
「..マジで、意味わからん」
「でもさ、悟も告白するの初めてだろう?」
「....」
「今は、待ってあげるのがいいよ」
「.....どんくらい?」
「そういう事は聞かないの、いいね」
「..正論、俺嫌いだし」
「今はそんな事言ってる場合じゃないだろう?」
「..確かに」と呟いて、また五条はまた机に突っ伏す。その様子見て夏油は予想よりも恐らく初めて自覚した恋心に動揺している親友に苦笑いをしつつも、揶揄うような事はしなかった。
「ほら、明後日から護衛任務もあるしとりあえず今はそっちに頭切り替えな」
「..へいへい」
「じゃあ自主トレでも行くかい?」
「...ぜってぇ負けねぇ!」
「硝子ー、ただいまぁ」
「おー、お疲れ」
一方その頃、校舎から女子寮に戻った可憐は家入の部屋をノックすると同時に鍵はかかっていない扉を開けた。
最低限の家具しかないその部屋で、ベッドに腰掛けて暇そうな携帯をいじっている家入の顔色はいつも通りで、可憐は安心したように笑う。
「体調良さそうだね!」
「ん、さっきまでほぼ寝てたしな」
「じゃあ何も食べてない?」
「うん」
「なんか買ってこようか?」
「いや?あとで一緒にコンビニでも行こ」
「..っえ、同行してもらうの傑でもいい?」
「あーー..一級以上がいないとコンビニも駄目か」
「...ちょっと今、悟とは、うん、」
「気まずかった?」
五条からの告白を知っている家入の言葉に、可憐は鞄を抱き締めて隣に座ると大きく頷いて、長く息を吐き出した。
「朝言ったじゃん。無理にいつも通りなんてしなくていいって」
「上手くできるものだと..」
「出来なかった?」
「出来たと思うけど、めっっちゃ緊張したし、すごく疲れた...」
「そりゃ、大変」
どこか楽しそうな家入の反応に少し不満げな顔をすると、可憐は鞄を足元に置いてそのままベッドに背中を倒す。天井を見ながら軽く伸びをすると強張っていたらしい身体が少しだけ緩んだようだ。
「無理に返事なんて出さなくていいのに。昨日の今日じゃん」
「...でも、待たせるのもなんかなぁって。悟、待つの苦手だし」
「ガキじゃないんだから待たせときゃいいじゃんか」
「あっ、でもほら、明後日からあの二人、星獎体の護衛任務にでちゃうからその前にはって」
「マジ?」
「へん、かな」
起き上がりながら不安げな顔をした可憐に家入は足を組んで膝の上で頬杖をついて不敵に微笑む。
「可憐のその純真なところは長所だしいいと思うよ。でも無理に答えを捻り出すような話じゃないんじゃない?」
「わたし、捻り出してるのかな」
「捻り出す必要がないなら少なくともその場で答えは出せたかもよ。まー、幼馴染からの告白なんて予想出来る筈ないんだしすぐに出すのは無理だろうけど。しかも相手は五条だし」
「悟がわたしのこと、好きだなんて全然思わなかった」
「可憐は?」
「え?」
「五条の事、好き?」
家入の質問に、可憐は瞬きをしてから頷く。けれど、何処か迷いのあるその言葉に家入が何も返さなければ可憐が言葉を続けた。
「幼馴染として、同期として、仲間として、もちろん悟のことは好き。
それは硝子も傑も同じだし、灰原と七海だってそう。
悟がわたしにくれた好きとは、きっと違う」
だから、わからないの
小さく最後に呟かれた言葉は、家入にしか聞こえない。可憐がもう一度ベッドに背中を預ければ、家入も同じように隣で背中を預けて二人で天井を見上げる。
「なー、可憐」
「なーにー」
「ここで五条を振っても、幼馴染に戻るだけだし何も変わらないから、納得するまで考えな」
「...変わらないかなぁ」
「変わるような阿呆だったら、私と夏油で一回殺すから安心して」
その言葉を聞いて可憐は思わず声を出して笑う。少しばかり固かった表情もほぐれて「ありがと、硝子」と並んで寝転んだまま向き合って笑う可憐はもういつも通りだった。
◇
可憐から夕方ごろ電話が来たのは、護衛任務に出る前の夜だった。
告白した日から二日が経ち、これと言って何かが変わる訳ではなかったが彼女からの着信に僅かに動揺したのも事実で。
「明日から、護衛任務気をつけてね」
「あー、まぁ余裕っしょ。餓鬼のお守りくらい。」
「傑もいるもんね」
「ん」
任務だった為、落ち合ったのは校舎の裏庭。その前に自販機で飲み物を買ってきたらしい可憐はいちごミルクのパックを俺に渡して「お疲れさま」と笑った。
夕飯は済ませたらしい彼女はまだ制服のままでベンチに並んで腰掛けると自分用のカフェラテのパックにストローを挿す。触れそうで触れない距離感が、今日はやけに遠く感じた。
「今日ね、わたしだけ任務なくて結界術の練習したの。久しぶりにやると駄目だね、下手になってた」
「灰原と七海と一緒に少しだけ体術やったんだけど、二人にはまだ余裕で勝ててちょっと安心した」
なんて事ない今日あった出来事を話す可憐と目が合う事はなくて、何処となく不安になる。
そんな話をしたくて、彼女は電話をかけてきたのだろうか。わざわざ、少し会えない?なんて言うのだろうか。
ざわざわと、心の奥で黒いものが蠢くのを感じて甘い飲みものを流し込んでそれを誤魔化して。
「あっ、それで今度灰原たちも一緒にみんなで花火やろうって話が出て」
「世間話する為に呼び出したのかよ?」
自分でも驚くほどに冷たい声に、可憐とようやく目が合う。驚いたような、何処か怯えたようなそんな目をしていた。
「..ごめん」
「...別にいいけど。」
「護衛任務もあるし、その前に会いたかったんだけど、ごめんね。任務もあったし疲れてるのに」
「疲れてねぇよ、雑魚の任務だったし」
「そっか、」
「んで?」
今ここに傑がいたなら、きっと盛大に溜息を吐くだろうなと思うような口調でするすると俺の口は言葉を紡いでいく。
その言葉のせいで、隣いるはずの可憐の距離はまた遠くなったような気がした。
「...護衛任務の前に、この前のことで伝えたいことがあって」
「なに?」
可憐は風で少し乱れた髪を耳にかけながら、こっちに身体を向き直すと真っ直ぐに俺の方を見る。
オレンジ色の目に自分の姿が映ると、なんでも明け透けになるような気がして居心地が悪かった。
「告白、嬉しかった。ほんとにありがとう、すぐに返事ができなくてごめんね」
「別に、まだ三日位だろ」
「そうなんだけど、護衛任務の前にちゃんと返事がしたかったの」
「...ふーん、」
「聞いてる?」
「聞いてるよ」
いちごミルクを飲みながらそう答えれば可憐は少しだけ困ったように笑って俺の手から紙パックを取ってベンチに置いた。
「...悟のこと、好き。
でも、それが悟がくれた好きと同じなのかはまだわたしにはわからない。」
目が合う。
真っ直ぐに見つめられて、呼吸が止まる感覚に陥って言葉が上手く頭に入ってこない。
「だからね、もう少しだけ、待ってほしいの。ちゃんと、答えが出るまで」
何かを言葉を探しながら、首に手を当ててオレンジ色の目から視線を逸らす。
ここで誤魔化してはいけないと分かっていても、心の何処かで傷付くのが怖くて平然を装うと必死に頭の回路を回した。
「あー、いや、いいよ」
「..え?」
「忘れていいよ、てか、なし!」
「なしって、なにが?」
「告白に決まってんじゃん、俺と可憐はやっぱり幼馴染でそれ以上でも以下でもないよな」
やけに明るくそして饒舌に回る口を、止める術があればいいのに。
「なんか、変な事言って悪かったな」
そんな事を、言いたい筈がないのに。
「...そっか、」
そんな傷ついた顔をさせたかった訳じゃないのに。いや、傷ついたように見えるのは俺がただ都合良く解釈してるだけかもしれないけど。
「おー、だから忘れていいから」
忘れて欲しい筈ないのに。
こんな時ばかりは、自分がどうしようもない餓鬼に思えて殴りたくなる。
それなのに、口から言葉がするすると逃げていくのだ。
「ねぇ、悟」
「..ん?」
可憐はいつものように名前を呼ぶのに、勘違いかもしれないけどその声はいつものような明るさは無かった気がして。
「忘れてっていうなら、そうする。
でも、はじめて告白されるってこと経験して、びっくりしたし恥ずかしかったけど、すごく嬉しかった。
ちょっとだけドラマとかお話の中みたいだったし、それはありがとね」
ありがとう、
なんて言われていい筈無いのに。
それが欲しかった言葉な訳も無く。
いつも通りの口調で話そうとしている可憐にいつもと同じ様に「おう」と答えれば、彼女は立ち上がった。
それにつられるようにして隣に立って、行き場のない手をポケットに突っ込んだ。
「明日ね、わたしも任務になったんだよ」
「へぇ、急だな」
「悟たちいないから暇だと思われたのかな、硝子は高専で待機って言われてたし」
「誰と行くか知らねぇけど、足引っ張んなよ」
「うん、気を付ける。悟も気を付けてね」
「はいはい」
「帰ってきたら、みんなでご飯食べよ」
「傑ん部屋でタコパな!」
「いいね、それ最高!」
明るく笑いあえば、
いつも通り笑えてるから不安になって。
いつも通りが、わからなくなって。
そして、自覚する。
繋ぎかけた心を、また突き放したのは自分なんだと。
ただの幼馴染に戻るだけなのかもしれなくても、それをもう自分が望んでいない事なんて分かっていたのに、自分が欲しい言葉をもらえないかもしれないなんて思ったら耐え切れなかった。
「戻ろっか、明日早いでしょ?」
「んー、まぁそうな」
「適当だなぁ」と笑った可憐の肩にふわりと何処からか迷い込んだ綿毛がついて。それに気がついて手で払ってやれば、目が合った。
「何かついてた?」
「なんか、綿毛みたいなの」
「たんぽぽかな、ありがと」
「ん、あ、可憐」
「ん?」
こちらを見上げる可憐に、一瞬だけ目を奪われる。
それから、精一杯誤魔化せるように軽く息を吐いてから彼女の頬に触れた。
「悪かったな、」
(その言葉に、彼女がどんな反応したかなんてもうその時の自分には見る余裕なんてなかった)
変わりたいという本音を上手く隠して、変わりたくないなんて嘘を言って。
それを後悔することなんて痛い程知っているのに、自分が自分を上手く動かせないのは何故なのかなんて、それもまた知っているのに知らないふりをしているんだ。
五条悟と夏油傑による、星獎体護衛任務は沖縄まで足を伸ばす事にはなったものの無事完了した。
この任務とそれに付随したトラブルがきっかけで、五条は自らの能力を更に高める事に成功し特級クラスの実力を手にする事になった訳なのだが。
「え、それ本当に?」
「本当クズだな、お前」
「..うっせ!」
任務から戻った二人と、高専にて待機していた家入が話すのは寮の食堂。
そこにある時計は夕方五時を指し示していて、夕飯を食べるには少し早いのかセルフサービスで置いてある水を三人は飲んでいた。
長机に突っ伏す五条の隣にいる夏油も、その二人の向かいに座る家入も呆れたように腕を組んで溜息を吐く。
理由は簡単で、五条が可憐に告白を無かったことにして欲しいと言った事を二人に話したからだ。
「なんでそんな事言ったんだい?告白してからそんなに経ってなかっただろう?」
「このクズはそんな待てたりしねぇんだろ」
「それにしたっていつの間にそんな事言ったんだい」
「..任務行く前に可憐に呼ばれた時」
「あー、任務行く前に話したいって言ってたわ」
「それで?」
「...答えが出るまで待ってほしいって言われた」
「じゃあ、待てばいいだけじゃないか」
「だーかーら、五条がそんな待てなんて出来るわけないんだって」
「告白した時に待ってるって言ったんじゃなかったのかい?」
夏油と家入の視線が刺さり、五条は一度顔を上げたもののすぐに机の上で腕の中に顔を埋めた。
「どうしようね、硝子」
「知らね。フラれたらいーさ」
「私は脈アリだと思ったんだけどね」
「...えっ?!」
「その脈アリも自分で棒に振った可能性もあるけどな、バーカ」
顔を上げた五条に家入がそう言えば、彼はまるで小さな子犬のように身体を縮める。
女同士だからこそ、可憐の気持ちを考えると家入は五条に対していつも以上に冷たい態度をとるが、今回ばかりは夏油もそれにフォローはしない。
「で?」
家入の少し低い声に、五条は白旗を挙げて身体を起こした。
「フラれるのが怖かったとか、くだらない理由だったら一旦死んでこい」
「......」
「悟ー」
口を閉ざしていた五条は、大きく深呼吸をすると自分の方を見る夏油と家入を交互に見てから普段の彼からは想像がつかない程小さな声で呟いた。
「....幼馴染じゃない関係にはなれないって、拒絶されるのが嫌だった」
あまりに弱気で、まるで怒られた子供のような五条に家入と夏油は顔を見合わせ軽く溜息を吐く。
しかし呆れたように、でも何処か楽しげに笑うと長机の反対側から手を伸ばし二人で五条の両肩を叩いた。
「痛っ!」
「それをフラれるのを怖がってるっていうんだよ、バーーカ」
「天下の五条悟が、可憐の事になるとこんなんじゃあ、最強のなのは可憐かもしれないね」
二人の言葉に五条は瞬きをしてから、机に突っ伏して「ちゃんと、話す」と独り言のように呟く。
その言葉はもちろん最早半分楽しんでいる家入と夏油にも聞こえていて「なるはやで」と声を揃えて言われてしまえばそれ以上何も五条は言えなかった。
「世間知らずのお坊ちゃんの初恋ほど、手のかかるもんもないな」
家入が立ち上がりながらそう揶揄えば、夏油も笑いながら立ち上がる。
五条もそれに続いて立ち上がれば、三人揃って食堂の出口へと足を向けた。
「早く可憐、戻ってくるといいね」
「..ん。」
(当たり前に、言葉なんて素直に伝えていれば。ほんの少しの時間さえ、こんなに長く感じる事もなかったのに。)