―――――――二〇〇六年 春





二年生に進級してすぐに五条と夏油は揃って一級に昇級。

それと同時に、結界術を扱う可憐と反転術式を扱える家入に特例の措置が下された。















「ぜーーーったい、お父さんが何か言ったんだと思う!学長に!過保護すぎる!」

「まぁまぁ、硝子が反転術式を他人に施せるようになったからそのついでだと思うよ?」
「ついでだって、だっせー」
「お前ら言い方があるだろ」





まだ夏は遠いはずなのにこの日の気温は初夏と変わらなくて。ジリジリと身を焦がすような暑さから逃げるようにして、弱いエアコンと無駄に強く風を回す扇風機のダブル使いをしている教室に入り浸っているのは、問題児揃いと言われている二年生の四人。



五条と夏油が異例の速さで一級に昇級した際に、可憐と家入には「身の安全を第一とする為」という理由で外出の際には一級以上の術師が同行するようにという措置が取られることになった。











「硝子はもし呪詛師とかに捕まったら大変だしわかるよ?

わたしもそうした方がいいと思うけど、わたしは結界術がちょっと人より得意なだけなのに」




自動販売機で買った紙パックのジュースをストローで吸い上げ唇を尖らせて、可憐は不満げに話す。


隣に座るのは家入で、五条と夏油は彼女達の机に寄りかかるような体勢で立っているのだが、何度もこの話をしているのだろう、可憐の言葉に何かを言う訳ではなかった。






「可憐は、結界術の中でもかなり強固な術式を使うんだから今後のためを思っての措置だと思うよ」
「いんだよ、傑。こいつはどうせ気軽に一人で出かけるのが出来なくなるのが嫌なだけなんだから」
「だって!硝子と二人で出かけるのダメってことでしょ?」
「まぁ、それは確かに」
「可愛い奴め」





家入がまるで子供相手のように机に突っ伏すようにして顔を伏せていた可憐の頭を撫でる。




「でもほら、私も悟も一級になったんだから私達と出かければいいだけなんだしいいじゃないか」
「そんな小さい子供でもないのになぁ」
「子供扱いされてんじゃねーの?」
「ほんっと悟うるさい。傑のこと少しは見習った方がいいよ、後輩の二人にも全然好かれてないし」





顔を上げて可憐は五条のことを不満げに睨みながらそう言うと、隣にいる家入に「そろそろ食堂いくか?」と尋ねられ嬉しそうに頷いた。







「さて、私達も行こうか。悟」
「おー」
「ご飯食べないの?」
「先生に呼び出されてるんだよ。今度、私と悟で任務に行く件でね」
「いいなー、わたしも行きたかった」
「そんな遊びに行く訳じゃないんだから」
「足手纏いになんだから、硝子と留守番しとけ」



教室を出ようとする夏油に続く五条は可憐の頭を軽く叩く。「じゃーな」と揶揄うように笑いながら教室を後にする五条に可憐は何も言わずに手を振った。











「あれ、珍しい」
「ん?」
「五条になんか言い返すと思ったのに」
「足手纏いってやつ?」
「そ」
「んー、実際二人が行く任務に行っても力になれるかわかんないしね」
「そんなことないだろ。優秀なんだから」


家入の言葉に可憐は何度か瞬きをして彼女を見てから立ち上がり「食堂いこっ」と声をかける。

立ち上がった家入と腕を組むと「硝子大好き!」と嬉しそうに笑って、二人揃って教室を出て行く。







「クズどもがいない間なにすっかなー」
「外出できないチームだもんね」
「後輩たちに絡みに行くか」
「悟たちがいない間に親睦を深めるしかないやつ」
「少なくとも五条は嫌われてるだろ」
「ふふ、確かに!」










きみたちの世界は、いつもと変わらぬように見えていつだって目まぐるしく変わっていく。



















「氷雨に打ち勝ち、無月の空を照らし、雷霆を退く。

我が桜花を持ってして、その篝火となれ。」





片手の人差し指と中指を伸ばしてつけたまま残りの指を握る、刀印と呼ばれる印を左手で結びながら聞きなれない言葉を唱えれば、可憐の目の前にいた三体の呪霊は一瞬で美しい草花に包まれてその姿を消した。










可憐の術式は、左京家に【最難】であり【最強】と言う代名詞がついて伝わっているもの。



自然の中に存在するもの、中でも草花を主として自在に扱うことが出来る。結界術としてかなり強い術式だが、それを戦闘でも扱えるように呪具の扱いと共に可憐は幼少期から鍛錬を積んでいた。









【彌初花】―――――いやはつはな



一番早く咲き出す花という意味の古語で名付けられたこの術式は、決まった呪詞を唱える事により間瞬く間に可憐の近くに草花が咲きほこり呪力を帯びたそれらは、彼女の思うままに操られる。



扱うことのできる草花の種類や、結界を作れる範囲や攻撃範囲は本人の技量次第。消費する呪力もかなり多く、術式の力を余すことなく扱えるかどうか術師の技量にかかってくる。






術式は生まれながらにして、呪術師の身体に刻まれているもの。そのため呪術師の実力は才能がほぼ八割を占めると言われる。

残りの二割には、努力が出来るかどうかセンスがあるか、身体能力の高さなど様々な要因があるが、呪術師の家系に生まれたものは特にこの二割さえも厳しく鍛錬され磨き上げられているのだ。














「...さすが、天才と言われる事はあるな。」



高専から車で小一時間程の場所のある廃校での任務。引率していた夜蛾は祓除する可憐の様子を少し離れた所で腕を組んで眺めながら呟いた。






自分の身体を自在に動かせる身体能力
術式を扱う感度の良さ、そして呪力量。

同期に五条と夏油がいる為霞んでしまうが、彼女も学生ながらにすでに一級呪術師同等の能力だ。


ただでさえ、女性というだけで体力的にも身体的にも多少のハンデがある。しかしそんなハンデを呪霊が知る訳もなく、女性の呪術師は男性よりも時に負担が多いのも事実だ。







「天才?」

「悟と幼馴染として育っているからな、なかなかスポットが当たらないかもしれないが昔から左京家の次期当主は天才だと噂になっていたんだ。」


この日の任務には、夏油が同行していて夜蛾の隣にいた彼はその言葉に少し驚いたような顔をしてから笑った。







「可憐が天才、なるほどなぁ。」
「すぐに一級に上がってくるだろうな」

「術式が術師の才能をほぼ決める中で、術式も強くてそこに人の何倍も努力出来るならそりゃあ天才ですよ。一級なんてすぐでしょ」

「まぁ、結界術に強い術式かつ家柄だからな。攻撃力に目が行きがちだから、お前らと一緒に昇級にはならなかったな」

「あ、じゃあ、可憐が一級になれば外出時に一級以上が同行必須っていうのは無しですか?」

「..それはまぁ、別の話だ」





夜蛾が僅かに困ったような顔をしたので、夏油の頭の中に少し前に聞いた可憐の言葉が蘇る。




「可憐のお父さんは、そんなに過保護なんですか?」
「....いろいろあるんだろう。一人娘だしな」




何処かはっきりしない答えの夜蛾に夏油が何かを言う前に、擦り傷ひとつなく二人に手を振りながら可憐が戻ってきた。








「傑ー!多分二級くらいだけど、まだ祓わないである呪霊、取り込む?」
「あぁ、使えそうかい?」
「うん。なんかよくわかんないけど、飛んだりできそう」
「なんだい、それ」
「学校だからかな、鶏みたいな形してたの」
「鶏は飛べないだろう?」
「あー!確かに!でも若干さっき飛んでた気がする」





彼女が指差す方には、一体の呪霊が草の蔓に巻き付かれた状態で動けなくなっている。
確かに鶏のようにも見えるその呪霊を取り込むか夏油が考えていると彼女が「放っておいたらあのまま祓われるから放置しても平気」と丁寧に説明した。





「可憐」
「はい!あっ、講評?聞きます!」

夜蛾に名前を呼ばれると可憐は担任である彼の前で姿勢を正し、いくつか注意点などを指導される。暫く質問などをしていた様だが程なくして終わると、結局呪霊を取り込んだらしい夏油の名前を呼んだ。






「帰ろー!先生はこの後また任務だから、電車で高専に戻れだって」
「了解。どこか寄りたいところあれば付き合うよ」


スカートについた砂埃を払いながら可憐は夏油の言葉を聞くと携帯で時間を確認するとおもちゃをもらった子供のように笑った。









「お買い物して、ケーキ食べたい!」






















カラフルな紙袋をいくつも抱き抱えて、満足そうに電車に乗る可憐の隣にシンプルな紙袋を一つだけ持った夏油が座る。


昼過ぎに終わった任務の後、二人で都心に繰り出して買い物をしてからどうやら若者に人気らしいカフェに入り帰路に着いた。




携帯の液晶に表示される時間は五時前で、高専に着くのは六時ごろになるだろう。まだ食堂は空いているね、と可憐は携帯をポケットに入れながら隣に座る夏油に言う。







「お腹空きそう?」
「んー、ケーキ二つも食べちゃったからなぁ。おにぎりだけにしようかな。傑は?」
「私はざる蕎麦にするよ」
「本当お蕎麦好きだね」
「身体にもいいしたくさん食べても重くないから助かるんだ」
「とかいって、唐揚げ定食大盛りとかも食べるのがおもしろいよね」
「そりゃあ、年頃の男の子ですから」
「男の子って身体つきじゃないからやめて」





ひどいなぁ、と笑う夏油に可憐は思い出したようにカバンの中から手帳を取り出すとある日付を指差して「この日空いてる?」と尋ねた。







「何があるんだい?」
「高専に入る前に悟と学園ドラマ見てたって話覚えてる?」
「ああ、イケメンが出てたやつだね」
「そうそう!その映画があるんだって!」
「...それに私と?」
「前にさ、みんなで出かける日決めるからって任務とかの予定を教えっこしたでしょ?」
「うん」
「その時にみんなの予定書いておいたんだけど、悟とわたし、ほんと予定合わなくて。」
「...ん?」
「硝子となら予定合う日あるんだけど、わたしたち二人だと出かけられないしさ」
「全員で出かける日に行くのは?」
「それはさ、もっとなんか違うことしたいじゃん!」
「それで..私と?」
「どーーーしても観たいの。」
「悟と行かなくていいのかい?」
「...わたしが好きだったキャラがメインの映画なんだもん。おもしろかったら悟とどっかでDVD借りて観るよ!」
「....この日は、オフだしまだ予定はないよ」
「行ってくれる?映画!」







男たるもの、そんな事を言われたら断ることは難しいかもしれない。
でも少し困ったように眉を下げた夏油に可憐は「ごめん、さすがに甘えすぎた」と笑って手帳をカバンに押し込んだ。




でも、何処となく残念そうな表情を夏油が見逃すはずもなく。手帳をカバンに押し込むてを咄嗟に掴むと、驚いた顔の彼女と夏油の目が合う。








「いいよ、映画行こう。ドラマ見た事ないから今度教えてくれるかい?」


たったそれだけの約束で、まるで世界がくるりと反転したかのように嬉しそうに笑う可憐を見て、何故か夏油の頭に親友の顔が浮かんだ。










「めっちゃ教える!任せて!」



無邪気に笑い、そして誇らしげに胸を張る可憐に一瞬だけ夏油が見惚れたのはまた別のお話。









特別なんかじゃない事だって、きっと君にかかれば特別になる。当たり前の日常が、君にとっては何処までも眩しい世界に見えるのだろう。

楽しそうに笑ってくれるなら、いつだって僕の手くらい差し出すよ。






















「傑ーーー、今日の任務も途中で増やしてきたくせに、明日も追加になったんだけど」



昼ご飯には遅く、夕飯には少し早い時間。
朝から任務を一件こなし、少し遅めの昼ご飯を食べていた夏油のもとに不満に溢れた顔で現れて目の前の椅子にどかっと座ったのは五条だ。






「今日は私より早く帰れそうって言ってたのにね」
「そ。近くで誰かがしくったんだと。なんで俺がその尻拭いしなきゃなんねぇの」
「仕方ないだろう、悟は強いんだから。」
「今その正論いらね」
「はいはい」




セルフサービスで飲める机の上に置かれた水をコップに注ぎながら五条は「明日休みだっけ?」と尋ねる。

それに対して夏油は「ああ、ちょっと出かけるけどね」といつも食べているざる蕎麦の最後の一口を啜り切ってから答えた。






「珍しくね?」
「誘われたからさ、その付き合いだよ」
「えっ、誰に?なに、女?」
「映画を観に行くんだよ。可憐と」




嬉々として身を乗り出して聞いていた五条の顔が分かりやすく固まる。きっと本人に自覚はないのだろうが、なんとも言えない表情に夏油は思わず小さく吹き出してしまう。

その反応に五条は何処か不満げな顔をしたが、そこには触れずに夏油は言葉を続けた。






「悟と可憐が入学前に見てたって言ってた学園ドラマが映画化するんだって。

悟と予定が合わないって言ってたよ。」

「なんで傑と?見てたっけ」
「見てないけど可憐が丁寧に説明してくれたからね。すっかり詳しいよ」

「..ふーん」
「今回の映画は可憐の好きなキャラクターがメインなんだって。それでどうしても見たかったみたいだよ」

「げ、あのキャラがメイン?それはねぇなー」
「面白かったらDVD出たら借りて悟と見るって言っていたよ」




ご馳走様、と箸を置いて手を合わせてから夏油はコップに入った水を飲む五条の方を見てから軽く溜息をついた。








「悟はあれだね、わかっていたけどやっぱり鈍感だね」
「は?急になんの話?」
「私と可憐が映画行くの嫌なんじゃないのかい?」
「..んなわけなくね?」
「そう?なら構わないけどさ」
「普通に休みの日に傑があいつと映画行くのが気の毒だなーって話」







五条が立ち上がると、夏油も食べ終わった食器をお盆ごと持って立ち上がる。五条の使った空いたコップも一緒に返却し、食堂の出口へと二人揃って足を向けた。







「明日、昼も外で食べるんだけど可憐は何が好きかな」
「なんでも美味そうに食べるんじゃね?」
「幼馴染なんだから好みくらい知ってるだろう。」
「知らねーよ。いちいち覚えてらんなくない?」
「そんな余裕こいてると、知らない間に誰かに持って行かれても知らないよ?」
「え、なんの話?」










「可憐の事が大切なら、ちゃんと自覚した方がいいよって話だよ」


足を思わず止めた五条に気に留める訳でもなく、夏油は先を歩きながらそう言った。






その言葉はいつも通りのなんてことのない口調で紡がれていて、いつもなら気に留めることもなかったかもしれないのにやけに足を止めた彼には何故か異様な異物のように思えたのかもしれない。



その異物を取り除くかのように、五条は少しだけ棘のある口調で夏油の名前を呼んだ。










「なに?」
「俺が可憐を、なんて?」
「大切って言ったよ」
「ただの幼馴染で腐れ縁なだけだろ」
「じゃあ、いつか誰かのものになっても構わない?」
「あいつモテないし、そんなのいつになるかわかんねぇよ」

「可憐はこれまで人との関わりを制限されてたんだからモテるかどうかはわからないだろう。それに、モテると思うよ。可愛いし、人懐っこいしね」

「同期だからって色眼鏡で見過ぎだろ」
「まぁ、いいけどさ。」




納得がいかないようで不満げに唇を尖らせる五条が夏油に追いつけば「ほら行くよ」と二人で寮へと足を向ける。

自分の言葉の意味をきっとほとんどわかっていないであろう親友に、夏油は苦笑すると意外な提案をした。







「明日の任務、代わってあげようか?」
「...は?」
「可憐と映画行って来たらいい」
「いいよ、別に。」
「顔にずっと不満って書いてあるよ」
「何それ、んな訳ないじゃん」
「後で悟に怒られても嫌だしさ、明日は私の代わりに行ってきてよ」
「なんで俺が傑に怒んの?」
「んー」
「なに?」











「悟は、可憐のこと、好きなもんだと思っていたからさ」




違ってたらごめん、と続けられた言葉が五条にちゃんと届いていたかはもう本人にしかわらない。

真っ黒のラウンドタイプのレンズの奥にある、なんでも見えるという眼が大きく見開いていた事は夏油しか知らないことだろう。










春の風は、時に優しく、嵐を巻き起こす。













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