Chapter.1
蒼く眩しい、若人たちの日々は瞬く間に過ぎ去って行く
呪術界における御三家と言えば、
五条家、禅院家、加茂家の名が上がる。
狭い呪術界と言えど、名門と呼ばれる家は御三家には限らない。
御三家それぞれに、ゆかりの深い家があり互いに支え合うという側面だってあるのだ。
左京家、という名を呪術師に尋ねれば全員が「結界術の名門」と答えるだろう。そしてその左京家は五条家の懐刀として、長い歴史を持っていた。
結界術の名門である左京家は、代々結界術に特化した術式を持つ者が産まれるのだが、一言に術式と言えどその種類は様々で、守るよりも攻撃に強い術式もあれば、守りに特化したものもある。
その中でも、左京家相伝の術式を持って生まれた者は本家や分家、それから性別も関係なく、次期当主として育てられるのが慣習だ。
数百年ぶりに五条家に、
相伝の術式である【無下限呪術】と特異体質である【六眼】を併せ持った逸材が次期当主としてこの世に生を受けた数週間後、左京家にも数百年ぶりに相伝の術式を持った一人娘が誕生する。
それに加えて彼女の術式は相伝のものの中でも圧倒的に珍しく強いものだった。
「行ってらっしゃい、可憐」
「ありがとう!お母さん」
「悟さんも一緒だから心配はしてないけど、あまり羽目を外し過ぎないできちんと勉学にも鍛錬にも励むのよ」
「もちろん!
ちゃんと、料理だって勉強したし洗濯とかも教えてもらったから大丈夫!」
「お父さんは今日もう任務に出てしまったけど、昨日ちゃんと挨拶したものね」
「うん!メール入れておくし、大丈夫!じゃ、行ってくるね!」
昔ながらの日本家屋という部類に入る立派な自宅の門の前で、真新しい制服に身を包み、肩まである焦茶色の真っ直ぐな髪を揺らして大きなボストンバックを肩に掛けたのは、左京 可憐。
朝早くから着物に身を包んだ美しい母親はどこか心配そうだが、一方の愛娘は楽しそうな笑顔を見せる。
「お母さんも体調には気をつけてね、家のみんなにもよろしく伝えてね」
「伝えておきますよ」
家族の他に共に暮らす使用人たちへの気配りも忘れない彼女はきっと大切に、この家で育てられた事だろう。
母親が少し乱れた制服を整えてやっていると、門の前に黒塗りの車が停まり運転席から初老のスーツ姿の男性が出てくる。
その男性はそのまま後部座席のドアを開ければ、こちらもまだ真新しい制服に身を包んだ白髪の長身の青年が少し体を屈めながら降りてきた。
「悟!」
「制服に着られてんな、可憐!
おばさん、おはようございます。
すいません、少し遅くなって」
「おはよう、悟さん。全然大丈夫よ」
「ね、早く行こ!」
「うるさ、子供じゃねんだから」
白髪の長身の青年、五条悟は可憐の母親に挨拶をしてからいつものように幼馴染である彼女と会話を始める。
二人のいつも通りの様子を見て母親は表情を緩めると、二人の肩を叩いて声を掛けた。
「二人とも、高専入学おめでとう。
素敵な高校生活を過ごしてね。
それから立派な呪術師になれるように、頑張って。」
「ありがと、お母さん!行ってきます!」
「ありがとうございます。おじさん達にもよろしくお伝え下さい。」
二人は黒塗りの車に乗り込んでも、暫く門の前にいた母親に手を振った。
東京都立呪術専門高等学校
通称 呪術高専に今日二人は入学するのだ。
それまで公共の学校に通わず家庭教師から様々な事を学び幼い頃から呪術について学んできた二人が、初めて親元を離れ学校というものに入学する。
「同級生どんな子達かなぁ!何人いるかな!」
「どーでもよくね?」
「よくないでしょ!友達ができるんだよ?楽しみじゃん!」
「くだらねー」
「とか言ってさ、悟だってきっと楽しいって!だって、お父さんが高専時代は青春だったーってよく話してたし」
「..ふーん。」
「楽しみだね、悟!」
「はいはい」
五条悟と、左京可憐。
まるで運命かのように、同じ年に特異な力を持って生まれ持ったふたり。
―――――――このふたりの、青春はまだ始まったばかりだ。
◇
「可憐、次の授業グラウンドだって」
「えっ、変更になったの?じゃあわたし、硝子呼びに行ってくる」
「硝子どこ行ったの?」
「多分、裏庭でこっそりたばこ吸ってる!」
入学式から早三ヶ月。
今年の一年生は優秀だが、なかなかの曲者揃いと既に噂が流れているほどだ。
御三家の一つである五条家の次期当主と、その五条家を支える立場にある左京家の次期当主。
そこに、
一般家庭の出身にも関わらず呪霊操術の術式を持って生まれた夏油傑と、反転術式を扱う事が出来る家入硝子という面々は世間の狭い呪術界において噂になるのも無理はない。
昼休みがもうすぐ終わるのを教室で一人本を読んでいた可憐に声をかけたのは夏油傑。
入学当初は五条と何かとやり合っていたが、意気投合も早くすっかり悪友のようになっている。穏やか口調で話しやすい夏油と可憐が親しくなるのにも時間は大してかからなかった。
「傑達ここで着替えるよね?
わたし、硝子の分も着替え持っていって直接更衣室行っちゃおうかな」
「更衣室からの方がグラウンドも近いしね」
「ね、そうしよっと。あれ、そういえば悟は?まだ食堂?」
「ああ、なんか飲み物買うって言っていたよ」
「きっとまたあれだね、いちご牛乳」
四人分の椅子と机しかない教室で、席の並び順は窓側から、夏油、五条、家入、可憐となっている。
可憐は本を片付け自分の荷物を持つと隣の家入の机にぶら下がっていた着替えが入っているであろう袋も手に取りながら、楽しそうに笑って夏油と話す。
夏油は次のグラウンドでの授業に向けてなのか乱れているわけでもなかった髪を結び直しながら自分の机に軽く座る。
「そういえば、幼馴染で一緒の学校って嫌じゃないのかい?」
「ん?わたしと悟?」
「そう。特に深い意味はないんだけどさ」
「どうだろ、考えたこともなかったけど小さい時からずっと一緒だったし、むしろ自然?ん?それが逆に変?」
あれ?と首を傾げて笑う可憐につられるように夏油も表情を緩めた。
「でも何だろ、傑と硝子と同じ学年でとても楽しいよ!悟と二人かもとも思ってたから、それは嬉しかった!」
「そう言ってくれると嬉しいな。まぁ、何かと問題児扱いになりそうだけど」
「それは悟と傑が悪ノリばっかりするからでしょ?」
「いやぁ、可憐だって同罪だよ」
「えー、何もしてないのに」
不満げに言いながらもどこか楽しげな可憐は時計を確認すると少し慌てて教室を出ていく。
「またあとでね!」と手を振って廊下を走っていく音がすぐに聞こえると、夏油は小さく笑ってから自分の椅子に腰掛けた。
「いつも楽しそうだな、可憐は」
そんな彼の呟きは、昼下がりの教室で静かに消えてしまったことだろう。
眩しい時間なんて、きっとあっという間に過ぎていくから。どうかその瞬間を大切に。
呪術高専の学生達の一日は忙しい。
体術の実技に、座学。それに加えて術式強化の時間もある。勿論、一般の高校生が学ぶ一般教養だって必須だ。
今年入学した四人の一年生は、早々に問題児という噂だったがそれが霞むほどに優秀さが際立っていた。
全員が全ての分野においてバランス良く優秀である事は珍しく、人手不足の呪術界にとって優秀な人材は学生でも重宝されるのだ。
「可憐って学校行くの初めてなんだっけ?」
「うん、悟もだよ。
たまたま同い年だったし、まとめてずっと家庭教師の先生達に教えてもらってた」
「へぇ、お嬢様じゃん」
自習になった座学の授業中、真面目にノートを広げた可憐に声をかけたのは家入だ。
入学して三ヶ月ほどでも、寮生活で四六時中一緒にいる二人は男子二人と同様にとても仲が良い。
「悟はスーパーおぼっちゃまだけどね、わたしはそんなことないよ。
呪術師として生きていくのが決まってる以上、一般教養も大切だけど呪術師としての鍛錬の方が優先されるってだけで。
しかもたまたま、うちの実家が一番馴染みが深い五条家に同い年の子供がいたからセットで教育された感じだもん」
カチカチッとシャープペンをノックしながら、可憐は楽しげに話す。
「だから、学校に行くのも初めてだったし同級生も初めてだから、入学前からすごい楽しみだったんだよね」
「こいつ、学園ドラマとか見てたんだぜ!」
「悟だって見てたじゃん!」
「なんてドラマ?私も見てみようかな」
「なんだっけ、イケメンが出てくるんだよ」
「学園ドラマには大抵イケメンが出てくると思うよ」
自然と五条と夏油も話に混ざれば、当たり前のように自習なんてものは何処かへ行ってしまう訳で。
後から思い出せば何が面白かったのかもわからないような話の内容で、ついつい盛り上がってしまうのもこの世代の若者達の特権なのであろう。
「傑も硝子も中学までは普通の学校だよね?」
「そうだな、進学先の話になると面倒だった」
「それはわかる。硝子はなんて言ったの?」
「適当に宗教系の学校って言っておいた」
「傑は?」
「私も似たような感じだよ」
「まさか呪いを学びますなんて言えねーもんな」
「それはそうとさ、悟と可憐は義務教育の間も家庭教師だったのに高専に入学したのも面白いね?」
「ほら、実際に任務に行くようになると協調性とかそういう面も大事になるし寮生活で自立出来る様になるのもいいだろうってお父さんが言い出したんだけど、お母さんは反対してたなぁ。
そういえば、悟は最初から決まってたよね」
「俺が進学するならってお前も入れたって感じだろ」
「そうそう、わたしの親は過保護だからさ。悟が一緒ならって最終的には許可降りた感じかな」
「可愛い一人娘を、こんなクズに任せていいのかね」
家入が何に使うでもないボールペンを回しながら揶揄うように言えば、夏油もつられるように笑う。
「ちなみに余裕な顔してるけど、夏油お前も大概クズだからな。五条とは違う方向性で」
「えー、私もかい?ひどいなぁ」
「別に俺ら硝子に何もしてなくね?!」
「そういうことじゃねんだよ」
自習という名前の時間が、いとも簡単に別の名前の時間に変わる。その自然な様で不思議な変化に、可憐は瞬きしながら三人の事を楽しげに見ていた。
「思ってたよりも、ずっと楽しいね」
みんなが一緒でよかった、と言葉を続けた可憐は夕焼け色の目を細めて笑う。
あまりにその笑顔が柔らかくて優しくて、一瞬だけ三人揃って何か言葉を返すことが出来なかった。
「まだ、これからだろ。バーカ」
少し間が空いて、五条がそう口を開けばやっとわずかに止まっていた様な時間が動き出す。
いつか、取り戻したいと思う時が来るなんて知らずに今はただ、目の前の眩さに目を細めていて。