「ここ!ここ!」
「..すごい混んでますよ?」
「大丈夫大丈夫」




五条が張り切って可憐を連れてきた人気のパンケーキのお店は見渡す限り女性客で埋め尽くされていた。

どうやら奥の席を予約していたようで、客層的に明らかに浮いている事なんて気にせずに五条は店員に案内された席へとどんどん進む。



アイマスクを薄ら色のついた眼鏡に変えた彼の後ろを何処か緊張した面持ちでついていく可憐は周りをキョロキョロと見ていた。外に出かけることがほぼない彼女にとってはまるで異世界に迷い込んだような感覚なのだろう。






「緊張してる?」
「..少し、だけ」


不意に後ろを振り向いた五条が彼女の手を引き、そのまま席へと向かえば可憐は驚いたようだったが何も言わずに彼について行った。
















信じられないくらいにふわふわのパンケーキの上からこれでもかという程にかけられた生クリーム。その上からチョコやフルーツがトッピングされた夢ような食べ物を目の前にして可憐は何度も瞬きをしていた。



綺麗な写真が沢山あるメニューと散々睨めっこして選んだものがいざ目の前にくれば、落ち着かない様子で店員に礼を伝えて僕と目の前のパンケーキを交互に見る。






「食べないの?」
「..どこから食べたらいいかなって」
「好きに食べたらいーじゃん」
「..さ、悟さんは、甘いの好きなんですか?」

「うん、めっちゃ好き。
ここ気になってたんだよねー、なかなか行けなくてさ。」

「なるほど..とても人気店なんですね」
「そそ。だから一緒に来てくれてありがと。次は可憐が好きなもの、食べに行こ」

「..つぎ?」
「そ。次は食べたいもの考えといてよ?てか、早く食べよ」






僕の言葉にいちいち瞬きをする可憐の表情は昔から変わらない。時が止まってるのではないかと思う程に。





卒業式から三年。
あっという間だったなんて思わない。
彼女に会えない毎日が辛くなかったなんて、言えるはずもない。でもいざ、会えたら意外と冷静な自分がいた。






勝手に死ぬな、なんて約束を取り付けて
また必ず会いに行くと誓って。
それが自分を支えていたと気が付いた。





会えなくても彼女は確かに存在して消えてしまった訳ではないとわかっていたから。


会えない時間が積み重なっても、生きているとわかっているだけで充分だと思える程に、特別な存在なのだ。









「わ、おいしい」
「やっぱ?僕大盛りにしてよかったー」
「パンケーキで大盛りなんてあるの、びっくりしました」
「ついでに生クリームも大盛りにしたらよかったかな」
「..ふふっ!それはさすがに食べ過ぎ」



 




初めて気が抜けたように笑った可憐を見てつられて表情が緩む。少しずつ場所にも慣れてきたのかパンケーキを口に運ぶペースが上がる彼女が、呪術師だなんて誰が思うだろうか。




まして、
自分を犠牲にして世界を救っているなんて、誰が思うだろうか。












「ね、可憐」
「はい?」
「また敬語になってるし」
「..流石にそれは、すぐには無理というか、その」
「じゃあ、だんだんと。ならいい?」
「...善処します」
「よっし、じゃあ次いつ会うか連絡したいし連絡先教えてよ」
「えっ」
「駄目?」
「駄目、じゃないですけど..そんなこと言われたの初めてで。」






まだ皿に残るパンケーキを見ながら、可憐は苦笑する。自分が知っている彼女がしたことがないような何処か儚げなその表情は、自分の知らない時間を突きつけてくる。










「じゃあ、いつでも電話でもメールでもしてよ。

何でもいいから話そうよ、せっかく同い年だし家柄だって似てるんだしさ。」

「わたし、そんなおもしろい話とかできないですよ?」

「そんなんいいよ、何でも話してくれたらいいんだから。」
「...悟さんも、いろんなこと話してくれますか?」







何処か不安げなオレンジ色の目がこちらを見ていたから、その目を真っ直ぐに見つめ返して、僕はただはっきりと伝える事にした。









「勿論。僕も何だって話すから、可憐の事、もっと教えて。」








―――――――僕が知らない君を、もっと知りたいんだ。時間を埋めるように、話をしようよ。















きみに会えたら、時計が反対に回るような奇跡だって起こるような気がするんだよ。

























可憐は必ず一人で任務に向かう。
任務地までは付き人でもある漣が車で送るが、大抵少し離れた所に車を止めさせて実際の場所までは一人で向かう事が多い。




左京家当主という立場と自身の術式の特殊さから人前に出る事を避け、誰かと任務に行く事も家族以外と接する事もほとんど無い彼女にとって【ひとり】というのは特別な事ではなく日常だ。




彼女の元に来る任務は、高専を経由して依頼されるものも多いがその殆どが結界術に関するもの。
滅多に戦闘が必要になる任務は来ないのだが、可憐は左京家でも珍しい体術と呪具使いに長けている術師で稀に戦闘になっても何食わぬ顔でこなして戻ってくる。

彼女の戦闘力に関しては父親も把握しており、一人で任務行く事自体を止めることはない。むしろ誰かと任務に出向き、彼女の事を知られる事の方が避けるべきと判断している。

そのため、左京家当主は女だが実は男なのではという噂や、そもそも見た事のない大女なのではなどという根も葉もない噂も絶えない。









『なにそれ、めっちゃ変な噂じゃん』
『そうなんです、少し前の任務で何人かの術師が任務に失敗した呪霊祓除をしたんですけどその呪霊がすごい大きな蛇で』
『あー、それを祓えたから大女って言われてんの?ウケんだけど』
『違いますって言える訳じゃないけど、さすがに大女はいやだなぁ』
『そのうち、口裂け女とか言われたらどうする?』
『ねぇ、それじゃわたしが呪霊みたいじゃないですか』







からかってるでしょ、
と電話越しの相手に伝える可憐の表情は楽しげだ。





彼女が座るベッドから見える窓の外の世界はもうすっかり真っ暗で、都会じゃなければ星が見えるかもしれない。



五条とパンケーキを食べた日から約一ヶ月。
それからメールを重ね、二回ほど食事に出かけたおかげか緊張気味だった可憐も少しずつフランクに五条に接するようになっていた。




この日は夜遅くまで任務があり、帰宅後入浴などを済ませ後は寝るだけというタイミングで彼女の携帯に着信が入ったのだ。



ベッドとドレッサーにクローゼット。
それから小さな本棚がある白を基調とした部屋は可憐にとって心を休められる数少ない場所の一つ。そんな部屋で誰かと電話をしたことなんてない彼女は何かを考えるようにベッドの上に置かれた大きい白猫のぬいぐるみを抱き締める。



それから、ベッドに投げられていた携帯画面に映る着信画面をしばらく見つめて、何かを決めたように息を吐くと可憐はベッドの上で体操座りになってから通話ボタンを押した。










『もしもし?』
電話越しで、聞こえた五条の声がなんだか嬉しくて何か用事があった訳ではなかったのに何でもない話をするだけでふわりと彼女の心は軽くなったりして。









『てか明日、早くない?平気?』
『大丈夫、午後からなので。悟さんこそ、大丈夫?』
『うん、僕は平気。』
『そっか』
『てかさだいぶ、敬語抜けたね。』
『..そう、かな』
『どうこのまま、さん付けもやめんの』
『...えー』
『えーじゃなくてさ、同い年じゃん』
『そうだけど、ほらその..』
『家の事?』
『それは別に関係なくて、なんていうかその』
『ん?』





五条の優しい声色に、可憐はベッドの上でぬいぐるみを抱き締め直しそのまま顔を埋めるようにして小さな声で答えた。






『..誰かを呼び捨てにしたこと、ないから』

『それなら、僕にその最初ちょーだい。』






あまりにも予想外だったであろう彼の言葉に、可憐は目の前に本人がいるわけではないのにぬいぐるみから顔を上げて瞬きをする。それから気が抜けたように笑って、昔と変わらないよく通る声で電話の向こうにいる五条の名前を呼んだ。











『悟、』






「悟!」











恥ずかしそうに自分を呼ぶその声が、あまりにも耳に馴染みがあるような気がして、その懐かしさに五条は一瞬言葉をつまらせた。

電話越しに話している可憐は、小さい頃から共に育ち三年間会えなかったかつての恋人と同じ人なんだと改めて思い知らされる。


すべてを、もう彼女はどこかに落として来てしまっていることなんて、わかっていた筈なのに何処かで五条もそれを信じきれていなかったのかもしれない。


けれど、同じ声色で呼ばれた自分の名前はどこかぎこちなくて懐かしい筈なのに初めてのような気がして心の奥が少しだけざわついた。何度も何度も聞いたことがあるはずなのに、どうしてどこか距離を感じてしまうのだろうかと。











『..やっぱり、へん?』
『...ううん。呼んでくれてありがとう』
『ふふ、どういたしまして』
『ちゃんと、会った時も呼んでよ』
『えー..が、頑張る』









『忘れんなよ、』
『うん、約束』











「約束、」そう五条が誰にも聞こえない声で呟いた事は彼しか知らない小さな秘密。






























珍しい訪問客、とだけ書かれた突拍子のないメールを私に送ってきたのは硝子でたまたま高専にいたので彼女の仕事場である保健室に顔を出せばベッドで横になっている悟を見つけた。



確かに悟が保健室を訪れるのは珍しい。
硝子は煙草を咥えたまま自分の椅子に座って、部屋に入ってきた私を見ると肩をすくめる。









「サボりかい?」
「べっつにー」
「ずっとこの調子で鬱陶しいから回収してくんない?」



目隠しを首元まで下げて、ベッドヘッドに寄りかかり無駄に長い脚を伸ばしているが、それは当たり前のようにはみ出している。






「ほら、硝子が迷惑してるから帰るよ」
「えーやーだー。任務も授業もサボる」
「サボりじゃないか」
「今は気分が乗らないから行かない」
「何学生時代みたいなこと言ってるんだい」
「どうせあれだろ、五条が荒れるのなんか可憐関連って、相場は決まってる」
「..別にー、なんもないよ」
「顔にあるって、書いてあるじゃないか」




悟がいるベッドに軽く腰掛け、放り出された脚を軽く叩けばベッドのスプリングを使って悟が起き上がった。








「元気?可憐は」
「最近よく会ってんだろ?」
「うん、まぁね。元気だよ、任務もめっちゃ行ってるし。任務か稽古かって生活だけど」
「でも元気ならよかったよ。」
「じゃあなんでそんな面倒なやつになってんの。ただでさえ面倒なくせに」




硝子が深いため息と共に聞けば悟は一瞬、困ったような顔をしてから何かを誤魔化すように笑う。







「名前、呼んでくれたんだよ。電話でだけど」
「なんだ、進展してるんじゃないか」
「けど、何度も何度も昔から呼ばれてる筈なのに懐かしいって思わなかったんだよね。おかしいよね、僕。」






三年以上も会わなければ、何度も聞いた声だって記憶は掠れていく。でも、その薄れた記憶が悟にとってはきっと裏切りとかそういう何かよくないものとして受け取るのだろう。



なんて言えばいいかわからないでいると、硝子が煙草を灰皿に押し付けてから立ち上がり私達の前に来ると悟の頭に拳骨を落とした。
術式を解いていた悟の頭に華奢な彼女の拳骨は勿論届き、予想外の痛みに悟は言葉にならない声を出す。







「ってぇ!!!」
「阿保か。何自分に酔ってんだか」
「酔うって、はっ?」


「昔の可憐と今の可憐が同じはず無いだろうが。そんなのお前が一番わかってんだろ。」





珍しく露骨に怒りを出す硝子は、口調こそいつも通り静かだが滲み出る苛立ちは隠せていない。









「記憶が少しずつ消えて、身体が生きる為のことを忘れていくならここを卒業した時の可憐と今の可憐が同じはずない。

就任儀式でお前にも夏油にも会ってもわからなかったのが何よりの証拠だろ。それでも、お前はあいつを助けたいんじゃなかったのかよ。


それを今更実感したからって悲劇のヒロイン気取ってんな。」











「弱音吐くくらいなら、初めから助けるなんて言うんじゃねぇよ」



硝子が続けた言葉は消えてしまいそうなくらいに儚いもので。


可憐は悟にとって、幼馴染で恋人であると同時に私と硝子にとっても大切な同期。硝子にとっては一番の親友だ。



けれど、私や硝子に彼女を助ける事は出来ない。
何も出来ないやしないのだ。どんなに実力があったとしても。



そもそも普通に考えたら助ける事なんて叶わない
可憐を助けられる人がいるとしたら、それはこの世に悟しかいないのだ。








「硝子、その辺にしておいたら?」
「..そっちこそすぐ五条を甘やかすのやめたら?」
「ほら、悟。私まで怒られたじゃないか」












「...ごめん。」






この世さえも、掌の上にあるような最強の男がただの同級生になって呟いた謝罪の言葉はどういうわけだか情けなくて笑えてしまう。










「..お前しか出来ないんだから、とっととどうにかしろ。弱音なんか吐くな、バーカ」

「硝子って、怒ると学生時代みたいになるよね」
「何、夏油」
「なんでもないです、」









硝子は気が済んだのかそれ以上何も言わずに自分の椅子に腰掛けると、また煙草に火をつける。
ベッドに座ったままの悟の背中を軽く叩いて、私も立ち上がった。













「ちゃんと、二人のことも可憐の中には、ちゃんと残ってるよ」







悟のその言葉に、私も硝子も何も言わなかったけれど私たちが何を思っているかなんてきっと悟はわかっているのだろう。

彼もまた、それ以上は何も言わないでいつもの目隠しを付け直すと保健室を出て行った。








「回収ミッションクリアでいいかい?」
「ん、ご苦労。早く仕事戻んなー」
「はいはい、」








一人で抱え切れるはずのないものを、どんな風に手を差し伸べて持てばいいかなんて分かるはずもなくて。

だから、ただ祈るのだ。
それしか出来ない現実を受け入れる為に。
それがきっと、何かを助ける事になっていると信じる為に。情けないほどに、無力な自分を殴る代わりに。






















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