マンションの窓から見える空が朝にも関わらず暗いのは雨が降っているからで。

昔、雨が好きじゃなかった。暗く世界を包み込む雲も、降り注ぐ雨粒も鬱陶しくて煩わしくて嫌いだった。






術式を常に出しっぱなしに出来るようになってから、自分に降り注がれる事が無くなった雨は自分とは関係ない所にあるものになってどうでも良くなったけれどある日、任務の帰りに補助監督を待っている時に突然の雨に見舞われた。






それは、いわゆるお天気雨という奴で公園のベンチにいた僕と可憐は突然の雨に驚いたのを今でもよく覚えている。




僕に降り注がれる事のない雨は、可憐をじわじわと濡らしていっているのにワクワクしたように空を見上げる彼女の腕を引き寄せそのまま肩が触れ合う距離まで近付けば、雨は二人のことを避けていく。











「えっ、悟って雨に嫌われてるの?」
「はぁ?!」
「あはは!ごめんごめん、冗談」
「傘いらずに感謝しろよ」
「うん、ありがと!便利だね、無下限って」





珍しい術式を便利な道具かのように言われても別に腹が立つ訳でもなく、肩が触れ合う距離が少しこそばゆくて彼女の手を握る。

何処までも青く晴れているのに降り注ぐ雨は、光が反射するとまるで星みたいに輝いていた。










「それじゃあ悟といたら、いつでもお天気じゃんね!」

「お天気雨だからそう思うだけだろ、雨は避けれても曇ってたら天気いいとは言わねぇじゃん」

「んーん、いいの。
悟といたら、いつでもお天気はよくなるんだから。」

「..あっそ、」
「ふふ、ついでに今日は虹が出たら嬉しいね」



















僕からすれば、君が隣にいるだけでどんな天気も気にならなくなるのに。それがどれ程までに尊くて、特別な事だと気がつくのは当たり前に近くにあったものが少し遠くにいってしまってからなのだ。だからきっと、僕も含めて全ての人が後悔しなくなる時なんて絶対に来ないのだろう。

























この日は、彼女が任務の後に一緒に出かける約束をしていた。どうやら美術館で気になる展示があるそうでそれに付き合って欲しいとのことで。



もう三ヶ月程前になるパンケーキを一緒に食べた日から電話をしたり出掛けたりと回数を重ねたおかげで、随分と距離は縮まったように思う。



それでも昔の可憐の面影を感じれば心は動揺するし、ギャップも感じる事は否定できない。


でも昔と変わらぬ笑顔を見ればやはり大切だと思う訳で。そんな繰り返しの中で、僕の心は昔から変わらないと何度も確信を繰り返していた。









「好きな作家かなんかなの?」

「えっと、このチラシにも載ってる絵を見てみたくて。」
「じゃあその絵が好きなんだ?」

「んーなんか、昔見たドラマか映画に出てきたの。この絵を主人公と恋人が見てるみたいなシーンがあって」







任務先に迎えに行くと、いつもどこか遠慮しつつも助手席に乗り込む可憐は最初の頃よりも緊張してる感じはない。



僕も任務だった為二人とも黒まみれの服装だが、絵を見に行くのにいつものサングラスはないだろうと思い、迎えに来る前に薄い色のサングラスに付け替えた。




可憐は小さな黒いバックの中から目的地である展示会のチケットを取り出して、赤信号に変わるとそれを見せてくれる。



青とオレンジの二色がメインで描かれたその抽象画に僕は見覚えはないけれど、昔から映画やドラマが好きだった彼女はきっと高専を卒業してからのたくさんの作品を見たのだろう。



少しだけ自分が知らない彼女を知った気がして、嬉しいような寂しいような不思議な感情が胸の奥を通り過ぎる。












「その時、綺麗な絵だなって思ったの。だからたまたまこの展示のポスター見つけた時絶対に行きたいと思って」

「そっか。じゃあ、今日見れたら嬉しいね」
「うん!だから、一緒に行ってくれてありがとう」
「こちらこそ。僕も楽しみだよ」






そう言うとチケットを大切そうにバックに入れて、可憐はふわりと微笑む。

信号が青に代わりアクセルを踏み込んだ。


二人で肩を並べて、さっきチケットに印刷されていた絵を見るであろう少し先の未来に心が弾んでいることはいまはまだ秘密にしておこう。
























「あー、綺麗だったぁ」


二人して全身黒の服装をしている僕達は、夕方前のまだ人が多い公園では少々浮いてしまう。

でもそんなことは気にせずに、美術館で購入したものが入っている紙袋を大切そうに抱き締めて可憐は公園のベンチに腰掛けた。


隣に座り、近くのチェーンのコーヒーショップで買ったアイスココアを渡すと彼女は嬉しそうにそれを受け取る。








「思ってたよりデカかったね、あの絵」

「そう!びっくりした!でも近くで見たらすごい細かく書き込まれてたね。抽象画だと思ってたら景色の絵だったのに、わたしびっくりした」




ベンチに寄りかかり足を放り投げる。
可憐は足を揃えて背筋を伸ばし、お手本のような姿勢でアイスココアのストローを口に運んだ。

おろしている髪が風に吹かれて、髪を耳にかける仕草に一瞬視線を奪われた。




美術館は思ったよりも人が多かったが、お目当ての絵以外に何か惹かれた訳でもなく二人で一つの絵の前にいた時間はなかなか長かったように思う。



何度も瞬きをして、
何かを吸収するように、
何かを記憶に焼き付けるかのように絵を見る彼女を急かすことなんて出来なかったしする気もなかった。







「付き合ってくれて本当にありがとう」
「ん、思ったより楽しかったし全然いいよ」
「でもなんかよくわかんない絵も多かったね」
「ははっ。難しいよね、僕も絵はよくわかんないし」

「けど、いろんな青といろんなオレンジで描かれてるっていうの知れて良かった!
それにお店にポストカードも売ってたし、わたし部屋に飾ろうかな」

「可憐の眼の色みたいなオレンジ色もあったね。ちなみに僕もポストカード買ったけど、冷蔵庫にでも貼ろっかな」

「そんな事言ったら悟の目みたいな色の青もあったよ?すごいね、同じような色なのに全然違くて楽しかった。」






冷蔵庫に貼るのわたしも真似しようかな、と可憐が言葉を続ける。いいでしょと言いながら、僕もアイスココアをストローで流し込んだ。






自然に呼ばれる、敬称がついていない名前と敬語ではない口調。それだけの事で、僕の心は簡単に舞い上がって、少しずつ距離が近くなっている事を自覚する。

でもそれが昔のような関係に戻った訳ではない事はわかっていて、少しだけ勘違いしそうになる前向きな自分の心を制さなくてはならない。









「..今度は、さ」



どこか遠慮したような口ぶりで、アイスココアを両手で持って可憐が口を開く。






「ん?」
「今度は、悟が見たいもの何か見に行こうよ」
「僕?」
「映画でも、今日みたいな展示ももちろんだし、、あっ!動物園とか水族館とか!


何か見たいものを一緒に見に行くの、どうかな」








子供みたいに目をキラキラさせて、身体ごとこちらを向いて僕を見た彼女は恥ずかしそうに隣に座り直した。


予想もしてなかった提案にすぐに言葉が出なかったが、つい笑ってしまうと隣にいる可憐はどこか不満げな顔をする。






無理やり理由をつけて彼女と会えるように口実を作ってきた僕にとって、見たいものなんてひとつしかない。






―――――――見たいものは君の笑顔なんだから。


可憐が笑ってくれたら、楽しんでくれて、いい日だったって思ってくれたりしたら、それで僕は充分で。



会えるだけで、充分だなんて言ったら一体君はどんな顔をするんだろうなんて考える。












「じゃあ、映画。
調べてみるから一緒に行ってくれる?」



座っていた体制を変えて膝あたりで頬杖をつき、可憐の方を見て尋ねれば彼女は嬉しそうに頷く。






「ホラー以外ね!」
「ホラー駄目なの?普段からホラーに出てきそうな奴ら相手してるのに」
「えー、だって映画じゃ怖くても祓いにはいけないし」
「ははっ、確かに祓うのは無理だね。出てきてくれないと、画面から」
「うーわ、それはそれで絶対やだなぁ」












―――――――会えなかった時間を埋めるように、僕は君に会う訳じゃない。



僕は、今目の前にいる君に、また恋をしているんだ。













「好きな映画あったら、教えてよ。僕も見てみる」
「じゃあ今度、DVDもってくるね。悟のおすすめもあったら教えて欲しい」
「んー、わかった。ちょっと思い出しておく」
「忘れちゃってるのっておすすめって言う?」









揶揄うように言う彼女に何かを言う前に、綺麗に晴れていた空からポツリポツリと雨が降り注ぎ、太陽の光の中でそれはキラキラと反射して輝いた。


咄嗟に隣にいる可憐のアイスココアを持った手を握れば、術式の効果で二人とも雨に濡れる事はない。



雨粒は確かに降り注いでいる筈なのに、自分達の事をまるで避けていくかのような光景に可憐はオレンジ色の目をぱちぱちと何度も瞬きさせて綺麗に光る雨粒を眺める。











「雨に避けられるの、初めてかも、」

おもちゃを前にした子供のように無邪気に笑うその表情も、知ってる。









「すごいね、無下限ってこんな風になにも近付かないんだ」

不意に見せる何処となく大人みたいな表情も、知ってる。















「それじゃあ悟といたら、いつでもお天気だね」


「それじゃあ悟といたら、いつでもお天気じゃんね!」


ほら、そう言うって知ってるよ。












「今日がたまたまお天気雨だからでしょ」


「ううん、いいの」















「悟といたら、いつでもお天気はよくなるね。」



「悟といたら、いつでもお天気はよくなるんだから。」






―――――――全部、知ってる。

だって君は、僕の知っている君なんだから。

















「ねぇ、可憐」

「ん?」


「僕は、可憐が好きだよ。」














なんでも見透かしてしまう、オレンジ色の目が大きく見開かれる。

驚いている様な、恥ずかしそうな、でも何処か嬉しそうな、そんな表情をする可憐の頬に手を添えた。










光に照らされた雨粒が輝く中で、僕が知らない表情を見せてくれた彼女がどうしようもなく愛おしかった。












「少しだけ、言葉を整理する時間をくれませんか」






優しく微笑んだ彼女に、僕は頷いて頬にあった手を下ろす。気まぐれなお天気雨はもうほとんど止んでいた。













「虹、見えるかもしれないね」
「えっ!本当に?」

(あの日、君と見れなかった虹をふと思い出す。)


















ほら、僕は何度でも、君に恋をするよ。






















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