急にこんな手紙、驚かせてごめんね。

わたし、硝子と親友になれてみんなと一緒に卒業できて本当に嬉しくて幸せです。

心配しないでね、わたしは大丈夫。
もしまた会えても硝子のこと、わからないかもしれないけれど、わたしは硝子が大好きだよ。





















高専の保健室が家入の仕事場になって何年が経つのだろうか。家入は煙草を咥えたまま背もたれに身体を預けながら、可愛らしい絵柄の便箋を眺める。


何度も読んでいる手紙の内容はすっかり頭に入っているのに、読むたびに眉間に皺が寄ってしまう。便箋をそれと同じ絵柄の封筒に入れて机の上に置く。



家入の机の上にあるパソコンの横には二枚の写真を入れられるシルバーの写真立てが置かれている。そこには同期である四人と卒業式に撮った写真と、親友の可憐と二人で映る写真が入れられていた。



五条、可憐、家入、夏油の順に並び肩を組むように写真に映る四人は胸元に卒業祝いの花飾りをつけて笑っていて。確かこれを撮影したのは一つ下の後輩達だ。


家入は二枚の写真を見て深く煙草の煙を吐き出すと、保健室のドアが静かに開けられた。







「こらこら、校内禁煙だよ」
「生徒の前で吸ってないからいいだろ、別に」


入って来たのは夏油で、微笑みながら小言を言う彼に家入は露骨に嫌そうな顔をする。けれどそれを夏油が気にする筈もなく、家入の近くに行くと煙草を取り上げて灰皿にそれを押し付けた。





「手紙、読んでたのかい」
「...別に。たまたまだよ」
「私もたまに読むよ。どうしようもない現実が、嘘じゃないかって思いたくなった時にね」


夏油の言葉に何も言わず家入は可憐が卒業式の日に残していった手紙を机の引き出しにしまう。






「...驚いたよね、部屋の鍵開いてて私達宛の手紙だけ残してあるんだから」
「それも驚いたけど、見た事ない様な顔してた五条の方が私は驚いたよ」
「ははっ、確かにそれはそうだね。きっと悟があんな顔するってわかってたから、可憐はさ手紙にあんな事書いたんだろうね」
「あんな事?」
「書いてあったろ?悟の事、よろしくってさ」



家入は夏油の方を見て小さく笑うと「あぁ、あった」と答えた。夏油は少し表情が緩んだ彼女の髪に触れると名前を呼べば家入はその手を制しながら返事をする。






「また、もし会えたら何を話す?」
「お前らのアホな話、たくさん溜まってるからそれかな」
「えー?せっかくならかっこいい話してくれないかい」
「そんな話、私は知らないから無理」
「手厳しいなぁ」
「あぁ、でも」
「ん?」









家入は写真の中の楽しげな四人の方に目を向けると、小さく笑ってこう言った。


「五条が可憐の為に、必死こいて頑張ってる事はちゃんと話すよ」














硝子と傑にしか、言えないんだけど
悟は多分、実はすごく、無理するから。

かっこつけてるけど、すぐにね、無理するの。
だから、悟のことよろしくね。

最後まで、ごめんね。
ありがとう













「あの馬鹿が、無理してでもどうにかしたい事くらい私達にだってわかる。外野の私達には何もできないんだから、せめて無理して頑張ってた事くらい伝えてやるさ」

「..うん、いいね。そうしよう」









Chapter.2
残されたものに目を向けるなんて綺麗事よりも、消えかけている希望を手繰り寄せる方がいい。どんなにそれが曖昧で儚いもので、幻かも知れなくても。
























―――――――二〇一三年







五条達が高専を卒業してから三年。






卒業後、五条と夏油は教職と呪術師の二足の草鞋を目指す事にし家入はすぐに医学系の大学に編入をした。三年の月日が経ち、家入も大学を卒業し医師免許を持って高専へとこの春に戻って来ている。







呪術師にとっての繁忙期の夏が終わり、秋の気温が心地良くなった頃、五条家の当主就任の儀式が執り行われる事が決まった。


その儀式を翌日に控えたこの日、儀式の主役である五条は準備に追われ慌ただしい家を抜け出し左京家に来ていた。


もちろん、事前に左京家前当主である可憐の父親の左京宗滴に連絡をしていた為、宗滴本人が家の前で五条を出迎えて客間へと通したのだ。





五条にとっては小さい時からよく訪れている左京家。ただそこに足を運び入れたのは高専時代以来で久しぶりだ。廊下を進み通された客間で、宗滴は上座に五条を通すと下座に敷かれた座布団を退かし畳に正座をする。



五条も宗滴も二人とも着物に身を包み、向かい合えばどこと無く厳かな空気が流れた。その空気を動かしたのは宗滴で、美しい所作で指をつき頭を下げると流石の五条も面を食らった様に瞬きをした。









「就任儀式の前日に、ご足労頂き申し訳ございません。当主に代わり、私がご用件の方を承りさせて頂きたく思います。」

「...そんな、顔を上げて下さい。おじさん、僕の方こそ卒業後も挨拶さえ出来ていません。それに今日は当主ではなく貴方に用があって来たんですから。」

「...私に、ですか」

「だから、どうか前みたいに話して貰えませんか。」







宗滴は頭を上げ、姿勢を正すと明るい灰色の着物を着た五条の方を真っ直ぐに見て小さく微笑むと「..立派になったね、悟くん」と声をかけた。

濃紺の着物を身に包んだ宗滴の表情は昔と変わらず柔らかいものだったが、何処か申し訳なさそうにも見える。







「ご活躍の噂はいつも聞いているよ。

それにね..君がここに挨拶に来れないのは当然だ。
私が君に可憐の事を話す事が出来なかったのだからね」

「...術式の事を考えても僕にだって話すべきではなかったですし、あの時の僕だったら冷静になれなかった可能性だってある。だから、おじさんの判断は正しいです。」

「あの子の事、大切にしてくれていたのに、本当に申し訳ない。

...父親として、君が恋人になってくれてとても嬉しかった。けれど..すまない。」





目を伏せて、何処か自嘲する様な口調で話す宗滴。その言葉には様々な感情が乗っていて、一言で上手くそれを説明する事は出来ないだろう。




父親として、当主として
親子として、呪術師として。
彼女の術式を、それが与える様々な変化をどの様に考えていくかは難しい。






「...可憐は昔から、呪術師になる為に育って来ました。だから、僕と付き合っていようといなくとも術式の放棄はしなかった筈です。」

「...ありがとう。」





普段サングラスやアイマスクに隠されている六眼は今日は隠されていない。白髪を軽くかきあげる様にセットした五条は、申し訳なさそうな顔をする宗滴に小さく笑う。









「僕は、可憐のそういう所を好きになったんです。」






五条の言葉があまりに意外だったのか宗滴は瞬きをしてから、声を出して笑った。




「そうか..そんなに大切にしてもらえていたなんて父親として誇らしいよ」

「可憐は誰よりも、自分が何を守れるかを大切に考えていましたから。」
「...そうだったね。」

「僕なんかよりずっと家系の事も考えていて、僕と自分が同じ時に生まれたんだから何かが変わるかもしれないとよく言っていましたから。」


「....私も似た様な事を図々しくも思っていたよ」

「何です?」

「..数百年振りに六眼と無下限呪術の二つを持って君が産まれた。しかも、可憐が産まれる二週間前にね。


だから、君と娘に運命を感じていなかったとは言えない。でも私はただ単に、二人が共に仲良くなってくれる事がとても嬉しかった。


...そして、二人がこの世界の何かを変えてくれるんじゃないかと思っていたんだよ。」








宗滴の言葉を聞いて、五条は指をついて軽く頭を下げる。









「...いつか、必ず。変えてみせます。」


「..頼もしいよ。現代最強の君がそう言ってくれるのは。」
「この時代に、僕らが生まれた意味は必ずあると思っているので。」
「....今日の本題は、それに関係する事だね?」






五条はその言葉を聞いてから、再び頭を下げると息を大きく吸ってからゆっくりと口を開いた。







「...可憐が高専を卒業して左京家当主となってから不用意に外部と接触を避けている事は知っています。術式の関係上、それは必要である事も理解しています。

現に今日も、僕は彼女とは遭遇しないルートでこの部屋に案内されている。」

「..その通りだよ」

「彼女の身に危険が及ぶ可能性がある以上、外に行く場合も誰かと接触する場合も護衛が必要になる事も当然です。彼女を外出させない事だって納得出来る。

左京家当主の結界の実力も、当主の顔も必要以上に知られる訳にはいきませんから。

それを承知で許可を頂きたい事がございます。」





あまりに真っ直ぐな五条の言葉に、宗滴は何も言わずに頷く。すると五条は頭を上げて目の前に座る宗滴の目を見て言葉を続けた。










「高専を卒業してから三年。
特級に昇級し、鍛錬も積み上げ実力をつけて来ました。

..僕以上に、彼女を側で護るのに適任はいない。

そして明日当主を就任すれば、立場も彼女と同等になります。...だから、」



















「僕に、もう一度、彼女の隣にいる許可を下さい。」























―――――――現代最強、と呼び声高い五条悟。



自分の未来よりも、この世に貢献する為の力を選んだ娘を本当の意味で助けられる、唯一の人。

彼の言葉が、何を意味するかなんて宗滴がわからない筈もない。



高専卒業後、何ふり構わず会おうとすれば会えた筈なのにそれもしなかった五条が、どんな思いでこの三年を過ごしきてきたかは想像に難くない。




たった一人、圧倒的な実力に胡座をかく事もなく誰もが認める実力を身に付けて、正々堂々と会いに行く事を選んだのだ。













「...可憐の天与呪縛は、私達が想定したよりもかなり強いものだった。結界術の威力も、記憶が失われる速さも。だから、もう、」

「可憐が僕の事を分かるかなんて、どうだっていい。また会えるようになればそれでいいんです。」








目の前の青年が、娘を大切に思い考えている事は宗滴には伝わっていた。きっとそれは、会う前から伝わっていた筈で。


宗滴は静かに「顔を上げてくれるかい」と五条に声をかけると、立ち上がり彼の近くに座り直した。







「....無理はしないでいい。あの子も呪術師だ、どうしようもならない現実だってちゃんと受け入れられる。


それでも..もし、君が望んでくれるなら可憐の隣に居てくれたら嬉しいよ。」







その言葉に五条は何処か子供のような笑顔を見せて笑う。





「約束したんです。だから、どんな彼女でも僕は会いに行く。」














儚く消えてしまったかもしれない約束さえも、
歩いて行く道標なのだから。
消したりしないよ、何度だって書いてあげるから。























鮮やかな青色の着物に、灰色の帯。
今日の為だけに仕立てられた着物に身を包んだ五条は、髪も整え額が出るようにセットすると鏡の中の自分を見て息を吐いた。





「悟、私これで着方大丈夫かい?」
「んー、大丈夫でしょ」
「適当だなぁ。
それにしてもやっぱり着慣れているね、さすが坊ちゃん」
「こんなの慣れだからね」



五条が身支度を整える広い和室に入って来たのは、髪を低い位置で一つに束ね、焦茶色の着物に身を包んだ夏油だ。

五条家の使用人に着付けをしてもらったらしく少し落ち着かない様子で襟元に触れている。




今日は、五条家で行われる当主就任の儀式が執り行われる日。

五条本人が付き添い人として夏油を指名した為、今日の儀式に彼も参列する事になったのだ。







「昨日、可憐のお父さんに会ったんだろ?」
「そうだよ、話もしてきた」
「..そう。今日は可憐も来るんでしょ?」
「勿論。左京家が参列しない訳にはいかないからね。」
「硝子が会いたかったって言っていたよ」
「けど別に話せる訳じゃないし、そもそも僕等の事もう覚えてないと思うけどね」
「もしかしたら、覚えてるかもしれないじゃないか」
「どっちでもいいよ、やる事は変わらない。うまくいけば硝子も傑もまた可憐に会えるよ」



和室に用意されたソファに腰掛けた夏油の方を見て不敵な笑みを浮かべる五条は、なにかが吹っ切れたように楽しそうだ。

そんな彼に夏油は軽く眉間に皺を寄せると「やること?」と尋ねる。









「時間はかかるけど、五大鬼門に完全オートで結界を張れるようにする」

「..え?」

「嘱託式の帳を応用したら出来ると思うんだよね。」

「呪術をあらかじめ組み込んでおく事で本人じゃなくても特殊な帳が下ろせるっていうやつだろう?」

「そ。可憐の結界が消えた瞬間にそれが発動するようにしたらいい。そしたら、結界がなくなっても大丈夫でしょ。」

「理論上は、まぁ..そうだけど」

「結界がいらなくなれば、可憐の術式を放棄させられる。なかなかいいアイデアでしょ?」

「...可憐が使う結界術は最高峰のレベルなんだよ。それの代わりになるものを作るって事かい。」

「そうだよ。

すぐには出来ないよ、色々試す事も多いしね。傑にも硝子にも協力してもらいたいしさ。」

「..勿論、私達は協力するよ。なんだってね」

「よろしく。これは僕達同期だけの極秘だよ」

「..勝算はあるのかい。可憐の結界にとって変わる完璧な結界なんて。しかも完全に自動なんて、前例がない。」








身支度が終わったらしい五条は夏油の向かいに座ると、学生の頃に何か悪さを考えている時の様な笑顔を見せた。












「大丈夫。だって僕達、最強でしょ?」











―――――――彼女がいなくなってしまった時の彼を、私は知っている。


絶望している様にも見えたし、でもそこからどうにか光を探している様にも見えた。


それから誰よりも強い筈なのに、さらに高みを目指し日々を積み重ねていた事も知っている。







たった一人の、最愛の人を大切にする為に。

世界の均衡すらも自身の掌の上にある彼が、守りたいのはこの誰かのための世界なんかじゃない。


たった一人の人が、笑える世界を守りたいだけなのだ。




そんな彼の手伝いなんて何も出来やしないから。でもたった一人の親友の背中をそっと押せたらと思う。最強の名を持つ彼も、好きな人の前ではどこにでもいる若者だという事は私達が一番知っているのだから。














「うん、そうだね。..最強だね」
「それ恥ずかしそうに言ったら逆に恥ずかしいから気をつけた方がいいよ、傑」
「..そっちが先に言ったんだろう」
「ははっ!」










学生時代の様に二人で声に出してつい笑ってしまう。すると、襖の向こうから声がかかった。








「悟様、夏油様。準備が整いましたので、大広間へお越しくださいませ。」









五条が軽く息を吐いて、短く返事をする。
襖の先で、足音が聞こえ屋敷の中が慌ただしく儀式の準備に追われている事が容易に想像がついた。










「行こっか」
「ああ、そうだね。」


二人で立ち上がり、襟元を正す。
自然と伸びた背筋には、ほんの少しだけ緊張の色も見えるがどちらもそれは言葉に出さずに畳の上を歩き廊下へ繋がる襖に手を掛けた。






たった三年、されど三年。
暫くの間止まっていた時計の針が、少しずつ動き出す予感がした。











さぁ、動き出せ。
微かな足跡を追って、止まった時間を取り戻す様に。






- ナノ -