「みてみて!クリスマスツリー!」
「おー、でっか!」




可憐の誕生日であるクリスマスイブ。
授業はなく、午前中の任務だけを終えて五条と可憐は二人揃って出掛けていた。



黒いハイネックのニットワンピースにイニシャルの入ったネックレスをつけてグレーのコートを羽織った可憐は、小さなハンドバッグからデジカメを取り出して商業施設に飾られたクリスマスツリーの写真を撮る。


シルバーのデジタルカメラは、五条から二年前の誕生日に貰ったもので殆ど毎日持ち歩き何気ない景色を切り取っているようだ。




「ツリーの前で撮ってもらおうよ」と嬉しそうに言うと五条の返答を聞く前に近くにいた二人組の女性たちに写真をお願いしに行く。

快諾してくれたらしい彼女達にデジカメを渡すと可憐は五条の腕を引いてツリーの前でピースサインをした。






 


「撮りますよー!ハイ、チーズ!」
  









目の前の世界をすべて、切り取ってしまっておけたらどんなにいいだろうか



















五条が予約したと言う店はカジュアルだがとても綺麗でクリスマスイブということもあり、ランチタイムでも賑やかだ。


通された席からは中庭にある大きなツリーがよく見えて、可憐はメニューそっちのけになってしまう。とはいえ、ランチコースを予約していたそうで飲み物だけ注文すると五条は彼女の名前を呼んだ。



グレーのハイネックに黒いジャケットと細身のパンツのセットアップを合わせている五条は少し窮屈そうに長い脚を組み直すと向かいに座る可憐の胸元に光るネックレスを指差した。







「それ、気に入ってんね」
「うん!硝子が昇給のお祝いでくれたやつね!

でね、持ち歩くこともあるだろうからって、傑から小さいアクセサリー入れるポーチももらったんだよ」

見る?と楽しげにバックからポーチを出そうとした可憐に「前も見た、しかも何度も」と五条が言えば彼女は悪戯っ子のように笑う。







「ね、お店調べてくれてありがとね!ツリーも綺麗だし絶対ごはんもおいしい!」
「おー、可憐好きだもんな、クリスマスツリーとかそういうの」
「でも今年あんまり見に行けてなかったから今日見れて嬉しい、ありがと」
「ん、どういたしまして」
「わたしも二十歳かー!
全員誕生日きたらさ、みんなでお酒飲めるね」
「傑と硝子はもう飲んでんじゃん」
「そうだけどさ、お店では飲めないでしょ」
「まぁ確かに」
「ふふ、なんか大人になったね」
「そんなこと言ってるうちは餓鬼だけどな」




五条が揶揄うように笑えば程なくしてドリンクと料理が運ばれる。見た目にも美しい料理に目を輝かせた可憐をみて、彼が愛おしそうに目を細めた事に気が付いていたのは店員だけだったかもしれない。






















「これ、誕生日プレゼント」

コースの最後はクリスマスを意識した盛り付けをされたデザートで、可愛らしいそれをデジカメに可憐が納めると五条がジャケットのポケットから小さな箱を取り出すと机の上に置く。




幼馴染から恋人になり、何度目かのクリスマスイブ。初々しさは無くとも、可憐はふわっと表情を緩めてとても嬉しそうに笑うとネイビーの小さな箱を手に取った。






「開けてもいい?」
「ん、ダメって言っても開けるだろ」
「ふふ、正解」

白いサテンのリボンをゆっくりと引いて、丁寧に包み紙を外していく。五条は照れ隠しなのかデザートと一緒に運ばれた珈琲を口に運んだ。





「えっ、指輪だ」

可憐は驚いた顔をしながら箱の中を五条に見せる。箱の中にあるそれはシルバーのシンプルなものだが少しだけ太めのデザインだ。





「右手の中指につけるやつだけどな」
「中指?」
「直感力を高めて、パワーアップみたいな意味があんだってさ」
「指輪に?」
「右手の中指につける指輪の意味が、それなんだって」
「そんなの、あるんだ」




可憐は大切そうに指輪を箱から取り出すと内側に掘られている刻印に気がついたらしく少し目を細めてそれを読もうとする。







「I have . Do & I will ..合ってる?」
「...合ってるけど別に意味とかねぇからな」
「そうなの?」
「おう、」
「えー、ほんと?」
「そんなことで嘘付いてどうすんだよ」
「んー、まぁそれは確かに」
「てか任務とかでもいつでもつけれるの選んだから外すなよ」
「えっ」
「なに」
「悟がそういうこと言うのちょっと、意外でびっくり」
「..うっせ」
「でも、うれしい」
「.....あっそ」
「でも中指のって珍しくない?どして?」
「指の意味もあるし可憐は集中する時指を擦る癖あるだろ。だからそれ付けといたらいつでも集中出来るように」
「お守り、みたいな感じ?」
「ん、まぁそんなとこ。」





五条が彼女のことを真っ直ぐに見てそう伝えれば、嬉しそうに笑って可憐は指輪を彼に渡してから右手を差し出した。







「...なに」
「指輪、つけて」
「..馬鹿じゃね」
「いいじゃんいいじゃん!」



彼女の無邪気なお願いを断れるはずもなければ、自分からつけると言うほど大人にもなれない彼は少しだけ雑だが恥ずかしそうに指輪を中指に通した。







「悟、」
「ん?」



「ありがとう、お守りにする」



幸せそうに右手に嵌められた指輪を五条に見せながら可憐は笑う。その笑顔から五条は少し照れ隠しするように目線を外すと、まだ口をつけていないデザートを彼女に勧めた。








「可憐」
「うん?」
「誕生日、おめでとう」
「ありがと。やっと、同い年だね」














指輪に込めた意味を、
口には出来なかった言葉を。

もしあの時にちゃんと伝えられていたならば、
今の自分たちは何かが変わっただろうか。

全部を伝えないと後悔するなんて未来を、
あの時にどうしたら想像が出来ただろうか。

明日死ぬ世界に生きている筈なのに。

当たり前に未来を信じて、
その日の大切さに気付けなかったのは若さ故なのだろうか。























―――――――二〇一〇年 三月










「....は?」
「ねぇ、お願い。..ちゃんと、聞いて」







その日はたった四人の卒業式の日だった。

肩よりも少し伸びていた髪を数日前に少し短く切った可憐は、肩に触れそうで触れない髪を耳にかけながら真面目な顔をしてこっちを見ている。



卒業式が終わってからは、後輩達も交えて夕飯を食べゲームやら何やらと盛り上がった。
次の日には寮を出るが、世間も狭く高専を起点として働く呪術師である自分達は寂しさというものはあまりなかったのも事実で。


だから、部屋に戻ったであろう可憐から電話があり部屋に行っていいかと聞かれた時には少し驚いた。






けれど、少し前までいつもと変わらぬ様子で楽しげに笑っていた彼女は何処か寂しげな顔をして部屋に来たのだ。


そして狭いベッドの上に横並びで座るとゆっくりといつも通りを無理やり演じているような声で話し始めた。

その内容は、あまりにも想像の範疇になくて頭の中に何も入って来なかった。というよりも、理解する事を本能的に拒否していたように思う。











「明日の朝、実家に帰るの。当主になる為に」
「..で?」
「...わたしと、別れて欲しい」
「だから、意味がわかんねぇって」
「記憶が、なくなるの。だから、いつか忘れちゃう」
「俺を?」
「悟のことだけじゃない..きっと全部」





部屋に戻ってから、寝る支度を済ませていたのであろう可憐は俺と同じくもうスウェット姿で、いつもより少し幼く見える。

けれど、右手の中指に付けられた指輪に無意識に触れながら話す彼女の目は冗談も嘘も言っているようには見えなかった。







「...わたしの術式は、二十歳を超えると天与呪縛を付与するの。」
「..それで、鬼門の結界を全て一人で出来るって?」
「そう、」
「けどお前はどんどん人としての生き方を忘れていくのかよ」
「...そうだよ。」
「馬鹿じゃねぇの。そんなん術式を放棄したらいいじゃねぇか」
「..どうして?わたしは左京家の後継なのに」







可憐から話されたのは俺にとっても彼女にとっても何一ついい未来なんて探せない事実ばかりだった。


左京家相伝の術式の中で最強と言われる、可憐の術式には天与呪縛が隠されていた事。

天与呪縛により、
与えられるものと奪われるものがある事。


そして、彼女は術式を放棄する選択肢もあるはずなのなそれをせず当主になると決めた事。

それから、俺と別れたいという事。







「..じゃあ、当主になるとしても俺と別れる必要ある?そもそも五条家と左京家は昔から縁がある家同士だろ。顔を合わせない方が不自然だ」

「...だって、」
「俺の事嫌になったなら、そう言えよ」
「...そんなんじゃない」
「だったら、」
「いつか、忘れるんだよ。全部。全部忘れちゃうの」
「忘れたって俺が全部覚えてる」
「そうじゃない、そうじゃないの」
「何がだよ」




「会えなくなるの。学生時代とはもう違う。

当主になったら鬼門の結界を一人で張ることを誰かに知られる訳にはいかないし、今まで以上にわたしは誰かと関わることはなく守られて生きていくの。」







結界術を得意とする術師は、もともと前線に出る事はほとんどない。術師本人が戦闘能力に長けているパターンは稀だし、戦闘よりも後方支援の方が適性がある事がほとんどだからだ。

結界術の名家である左京家で産まれた可憐もずっと閉鎖的な環境で育ってきているし、高専以外で関わる人も知り合いもほとんどいない。

術式による天与呪縛があるならば、当主になってからはより守られ安全な環境で最低限の人としか関わらずに生きていく事になるのだろう。

当主となった彼女一人を殺すことができたら、鬼門だけでなく恐らくあらゆる重要地点の結界が消えてしまう事になる。その事実が知られる訳にはいかない。いつの世にもくだらない事を考える連中は一定数いるものだ。

現に左京家は高度な結界術で五条家の懐刀としてその地位を確固たるものにしてきたが、左京家を五条家が守っている側面は否定しきれない。







「...それでいいのかよ。前線に立つためにこれまで鍛錬して来たんだろ。」

「悟みたいに好きに振る舞える訳じゃない。わたしは...家のために生きるって決めたの。」

「いつ」

「九月に、実家に帰った時にお父さん達から天与呪縛のことを聞いた。..その時に決めた。当主になるって。」

「なんで、俺にも傑にも硝子にも言わなかったんだよ」

「...そんなの、みんなに話したら気持ちが揺れるってわかってるから」

「揺れるくらいならやめとけよ」


「..やめない。

今日、悟と別れて、朝になったらわたしはここを出て家を継ぐ。硝子と傑には手紙を書いて、部屋に置いてきた」








オレンジ色の目は、少し潤んでいるのに強い意志がそこには映されていて。

昔から知っている、その強い目は何を言っても折れる事はないとわかっているのに。









「わたしは、左京家当主として生きていく。
この術式を持って生まれたんだから、それを全うしたい。
この世界を守れるなら、いろんな人が楽しく笑って過ごせる毎日を守れるならそうしたい。

だから、悟、」

「なに」

「..別れてほしいの
好きなの、誰よりもいちばん。
けど、一緒にはもう居られない」

「..嫌いになった訳でもないのに、忘れるかどうかもまだわかんないのに別れる必要あるか?」

「...忘れる。いつか、必ず忘れるの」

「俺は覚えてる」

「悟が覚えてても、わたしはあなたを傷つける。それに、今別れなかったから、悟のことずっとわたしは縛り付けることになる。

わたしがあなたを忘れるのに、ずっと縛り付ける。悟は優しいからそれでもいいって、言うでしょう」







昔からそうだ。
唇を噛み締めて、涙を堪える。
どんなに怖くても、そうやって可憐は何にだって果敢に立ち向かっていた。









「..でもそれじゃダメなの。
わたしがわたしであるために。当主として前を向いていくために、悟の優しさに甘える訳にはいかないの。」








抱き締めて、涙を溢れさせてくれたらどんなに良かったか。

震える声で紡がれる言葉は、きっと何を言ってももう覆る事はないのだ。それはよく知っている。だって、誰よりも側で、誰よりも近くで、可憐を見てきたのは俺なんだから。








「お前の幸せはどうなんだよ」

「わたしはみんなと高専で過ごした五年が本当に幸せだった。一緒に卒業できた。

大好きな親友もできた、仲間も後輩もできた。恋人だってできた。もう、充分しあわせなの」

「俺は可憐がいなきゃ、嫌だ」
「....ありがとう。

でも、きいて。わたしのわがまま聞いてほしい」

「...可憐のわがまま聞いたら、俺に約束位くれる?」
「..約束?」








だから、せめて。
少しだけでも前に進む彼女を守りたい。










「勝手に、死ぬなよ」
「..え?」

「いつか、必ず会いに行くから。
だから勝手に死んだりすんな。術式を放棄しないなら、人より早く死ぬかもしれないんだろ。」

「でも.. 会いに来てくれても、その時のわたしは、今のわたしとは違うかもしれないよ」

「その時の可憐が何を忘れててもいい。でも俺は会いに行くし、助けるから。」

「..助ける?」
「助けるよ、可憐は幸せだって言ったけど、もっと幸せになれる世界にする」

「...ほんとに?」
「可憐を幸せにすんのは、俺なんだから」









「だから、勝手に死ぬな。それだけは覚えとけ」










漸く、可憐を抱き締めて精一杯のいつも通りの声で伝える。腕の中で彼女は何度も頷いた。







「..悟、」
「ん?」
「...もし、もう一度会えたらさ」
「会えたら?」




「また、わたしに恋してくれる?

それがたとえ..どんな、わたしでも。」








腕の中からこちらを見上げるオレンジ色の目は涙が溢れていて。
ベッドに座ったまま一度身体を離して、親指で涙を拭ってから額を合わせて安心させるように、不安も怖さも気付かれないような声で伝えた。












「俺は何度だって、可憐に恋をするよ」








今一度強く、抱き締めて口付けをしたら目にいっぱい涙を溜めているのに愛らしく笑った彼女がいた。


どうか勝手に何処かへ行かないで。
どうか、手の届かないところに行ったりしないで。

でもそれが叶わないとわかっているから
手が届くかどうかもわからぬ未来に願いをかけるよ。









「...ちゃんと生きる。
諦めたりもしない、死んだりもしない。」
「ん。」
「....ね、悟、もう一個、わがまま聞いてくれる?」
「..なに、まだあんの」
「今日..泊まって行っても、いい?」
「..おう、」











その夜、寮の小さなベッドで二人で眠った温もりをきっと忘れる事なんてないのだろう。

心の糸が切れたように、歯ブラシをしてから二人でベッドに潜ると少し話すと可憐は安心したように寝息を立てた。




額にキスをしてから、自分の頬に涙が伝っていた事に気が付いたけれどそんな事は見て見ぬフリをして彼女を抱き締める。腕の中にすっぽりおさまる華奢な身体は、これから先どんな困難を受け止めていくのだろうか。しかもたった一人で。

その隣にさえも自分はいられないのだ。










「...可憐、好きだよ」

忘れることなんてないだろうと思うほど、絵に描いたような幸せさえも、彼女は忘れてしまうのだろうか。だったらせめて、自分だけは覚えていようと思うんだ。




彼女が落としていくものを全て、余す事なく拾い上げて。
過去も現在も全てこの手で持っていたら、未来は共に歩けるだろうか。











I have .
Do & I will.

(過去、現在、未来も君を愛し続ける)



















悟へ   

ありがとう。バイバイ

   






小さなメッセージカードを机の上に置くと、可憐は五条の部屋の扉に手をかける。


ベッドで寝息を立てている彼を見て、もう一度部屋の中に戻ると頬に優しく触れるだけの口付けをした。





「...ごめんね。..大好き」


その小さな言葉は、眠っているフリをしていた五条にはちゃんと届いていて扉を開けて彼女が部屋を出ていったのがわかってからそっと目を開けた。











「...バーカ、」


頬を伝った涙を誤魔化すように目元に手を当てて呟いた言葉は、誰にも聞かれずにひとりぼっちの部屋に溶けて消える。







ほんの少し前まで隣にあった温もりが、もうだんだんと冷めている事に五条は必死に気が付かないフリをしてもう一度目を閉じた。




どうか、今は眠りの中へ落ちれるようにと祈りながら。













chapter.1 完結















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